夏休みの雰囲気
夏休みの雰囲気が好きだ。
子どもの頃 夏休みになると、おやじが車を運転して家族五人、伊豆の海まで
二泊三日くらいでよく行った。
それも楽しかったのだが、それよりなにより、毎日をぼーっと過ごすのが
気持ちよかったような気がする。
四十代も半ばになって、十歳かそこらのことを思い出すとき、他の人はどうか
知らないが、ぼくにとっては ほとんどが おぼろな記憶でしかなく、数少ない
印象的な場面のほかは、断片的で曖昧な状況の切れ端にすぎない。
きのう昼すぎに近所のスーパーに買い物に行って、その道すがら、ああ、
こうやって日射しが強い中、蝉の声を聞きながら、とことこ歩いていくのは
なんだかいいなぁ、と感じて、そうだ、おれって、こういう夏休みの空気が
好きなんだよなぁ、と改めて思ったのだ。
今をときめくアニメ監督、押井守が1984年に撮った映画に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がある。
あたるやラムなどおなじみの面々が友引高校の学園祭の準備をしているのだが、
準備前日が永遠に繰り返されるという不条理な設定の傑作なのだが、
なぜかぼくの中では、学園祭の前日ではなくて、永遠の夏休みにすり替えられて
記憶されていた。
「ビューティフルドリーマー」では、高校の周りの友引町が荒廃していたり、
行方不明者が出るなど、どちらかといえばサスペンス仕立てで怖い感じなのだが、
それがどうして、ぼくの中では永遠の夏休みという楽しく思われがちなものに
変わってしまったのか。
永遠の夏休みは、実は、ぼくにとってそれほど楽しいものではない。
ぼくのような妙な育ちをした人間にとって、この世界自体が子どものころから荒廃し
続けていたのかなぁと思うし、ぼくが本当に心の奥底まで見せられる人は、ぼくが
生まれたときには すでに行方不明になってたんじゃないか、という気すらする。
だから、たぶんぼくは、ひとりぼっちでもいいから、なんとなくお祭りの感じに
まぎれられればいいなぁ、とか、何をしなくても許される空気の中でひとりぼーっと
してたいなぁ、とか、そんな状態ががずっと続けばいいのになぁ、でも、続くわけ
ないよなぁ、などなどと、思い続けて生きてきたんだろう。
そんなことで、ぼくは夏休みの雰囲気が好きだ。