Ψインドの古くからの考え方で、人というものは真の自分を知らずにいる、
それを知れば即、悟りである、というような考えがある。
Ψその真の自分をアートマンという。
Ψ日本語に訳すときは真我とする。
Ψインドで真我に当たる言葉にはプルシアという言葉もあり、時代やら
何やらで変わってくるようだが、だいたい同じ概念をさすようだ。
Ψカスタネダの書く世界で言えば、ナワールに相当するものと言えば
当たらずとも遠からず、だろう。


Ψ人が生れ落ちて以来、日々身につけてきた、言葉でできた装い、
それを剥がしたところに、もともとの自分がいる。
Ψ言葉では表しようのない、言葉で表そうとすると逃げていってしまう
奇妙な存在。


Ψ「ミルトン・エリクソン―その生涯と治療技法」を読んで、エリクソン
自分の精神療法を理論化しなかったことを知ったのだが、
彼はこうした言葉の硬直性をきらったのだろうな、と思った。