しなければの錯覚
「しなければならない」という言い方をうかつに使ってたりしませんか?
ぼくもずっと、うかつにも使いつづけていたんだけど、あるとき、
これはどうもよろしくない、と気がついて、日々練習を続けた結果、
近頃はほとんど使わずにすむようになりました。
で、「しなければならない」のどこがよくないのかと言いますと、
だってあなた、
「しなければならない」ことなんて、まずないじゃないですか。
勉強を「しなければ」試験に落ちるかもしれない。
てことは、試験に落ちてもいいんなら、勉強なんて「しなくていい」。
仕事を「しなければ」首になるかもしれない。
首になる覚悟があるんなら、仕事なんか「しなくて」大丈夫。
試験に落ちたくないから、首になりたくないから、「しなければならない」
に決まってるじゃないかって?
多分そこが人生の分かれ道だと思うんです。
なぜ勉強をするのかを忘れて、勉強を「しなくちゃ」と思ってするのか、
それとも、試験に受かりたいから、勉強を「しよう」と思ってするのかって
とこがね。
あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ、と思って生きてたら、どうにも
心がせわしくなくなって、毎日がなんだか押されまくりになってしまう。
あれをしないとああなるけど、まあ、いいや、と柔らかく考えてみたり、
これをしないとこうなるから、これはやっておこう、と自覚して動いてみる。
そんなふうなやり方が少しずつできるようになって、ぼくの毎日はずいぶん
楽な感じになってきたと、そんなようなわけです。