note.muの運営会社ピースオブケイクでユーザインタフェイスのデザインをなさっている深津貴之さんが、
・[お金持ちを、ほめよう!:title]
という記事を書いています。
一般の人々がお金持ちの行ないをほめることによって、お金持ちの方々が気持よく寄付できる環境を作ることができれば、もっと社会はよくなるのではないか、という主張です。
こうした考え方は確かに意味のあるものと思いますが、これが
お金持ちの行動を批判するべきではない、 という話になってしまうと、ちょっとおかしなことになりますので、その辺りを少し考えてみたいと思います。
人は褒められると嬉しくなるのは、確かにその通りです。 けれども有能な経営者って、案外サイコパスですから、ちょっと例外なんですよね。 「よいお金持ち」をほめるのは大切だけど、「わるいお金持ち」を批判するのも大切です。 人は褒められると嬉しくなるのは、確かにその通りです。 深津さんは、
お金持ちを「攻撃」すると、持てるものと持てないものの間に「対立構造」ができてしまい、お金持ちは「富の再分配」に同意したくなくなる という意味のことを述べています。
逆に、
お金持ちを褒めて、名誉を与え、「好意」を送ることによって、お金持ちは機嫌よく「富の再分配」に同意する というのです。
多くの場合、人間が「攻撃」よりも「好意」を受けることを好み、それによって態度を軟化させるのは、心理学的な事実といっていいでしょう。
ですから、人間のこの性質を利用して、
お金持ちが気分よく「富の再配分」をしたくなる仕組みを作ろう、 という深津さんの話には確かに一理あります。
そのために、
再分配に対するインセンティブを与え、 実行したお金持ちを褒め称える社会的空気を作り、 結果として
お金持ちが積極的に再分配する社会を実現する、 というのは、アイディアとしては悪くないですよね。
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けれども有能な経営者って、案外サイコパスですから、ちょっと例外なんですよね。 深津さんの主張は、社会全般に対して「富の再分配」のイメージを上げるという意味では有効なものだと思いますが、実際にそれが「持てるものと持てないものの対立構造」をゆるめ、「社会問題」の解決につながるかという点では、大いに疑問を感じます。
というのも、有能な経営者というものは、
おだてられてお金を配るようなお人好しではない からです。
それどころか *本当に* 有能な経営者はむしろサイコパスであることも多く、普通の人間のような「感性」の持ち主ではないからこそ、ビジネスの世界で大きな成功をつかむことができるのです。
*1
現代社会において、巨大企業が圧倒的に大きな力を持っていることを考えれば、私たちが直面する「社会問題」の多くが、「サイコパス的な非人間性」から生じていることは、十分想像できることかと思います。
とすれば、
「褒めてあげれば、お金持ちが気持ちよく『富の再分配』に応じてくれるようになり、『社会問題』は解決していく」
というストーリーは、残念ながら楽観的にすぎて、現実味に乏しいものに思えます。
現実にアメリカのような「お金持ちの慈善事業が当たり前の国」でも、「対立構造」はなくなるどころか、むしろ激化しているように見受けられます。
twitter でシュナムルさんという方が
原爆投下は正当化の材料を遥かに豊富に持っていて、それらにきちんと向き合って原爆非難の論理を組み立てるのは簡単じゃない。
と、
広島・長崎への原爆投下は戦争終結のために必要だったのだ としか読みようのない発言をして物議をかもしています。
この記事では、
広島・長崎への原爆投下は戦争終結のために必要なかった ことを説明した上で、シュナムル氏に代表される
「欧米の価値観によって『洗脳』済み」の経済主義的ファシズム思考 の問題を考えてみたいと思います。
広島・長崎への原爆投下には「正当性」などまったくない。 「欧米の価値観によって『洗脳』済み」のファシズム的思考法をぼくらは越えてゆくことができるのか 広島・長崎への原爆投下には「正当性」などまったくない。 繰り返しになりますが、はじめに結論を述べると、
広島・長崎への原爆投下には「正当性」のかけらもありません。 連合国側の論理では、
「一億総玉砕」の本土決戦を覚悟していた日本に敗戦を認めさせるためには、原爆投下が必要だった、 というのですが、これが全くの虚偽であることは、
先入観なく、少しばかり史実を調べて、常識的な推論を働かせることができれば、 誰にでも明らかなことです。
日本が早期の敗戦を認められなかったのは、連合国側によって天皇制を廃止させられることを恐れていたためです。
一方アメリカは、原爆の実戦での実験をなんとしてでも行ないたかった。そのため核開発の時間稼ぎをするために「無条件降伏≒天皇制の廃止」を絶対条件として提示していたわけです。
ソ連と中立条約を結んでいた日本は、天皇制を維持するため、終戦交渉の仲介をソ連に頼んでいましたが、広島へのウラン型原爆投下後、ソ連は条約を破って満州に侵攻します。
直後にアメリカは二発目のプルトニウム型原爆を長崎に投下しますが、これは当初小倉に落とすはずだったものを天候の問題から、急遽投下場所を長崎に変えたことももっと知られてよい事実でしょう。
(日本の敗戦間際に、アメリカが駆け込みで原爆実験をしたことの慌ただしさが、このことにはっきりと現れているとは思いませんか?)
結果だけを見れば、二発の原爆投下によって日本は無条件降伏を受け入れたのだとも言えますが、裏にあったのは、アメリカは時間稼ぎに成功して、ウランとプルトニウムの二発の新型爆弾の投下実験を無事行なうことができたというだけの話です。
現にアメリカは、日本の敗戦後の占領政策の柱として、天皇制の維持を日本に許したわけで、原爆を落とす時間稼ぎをする必要がなければ、日本側の天皇制維持を前提とした終戦交渉をもっと早い時点でやっておけばよかっただけのことなのです。
アメリカは
終戦を早めるためとはまったく関係のない、 実戦における二種の原爆実験をするために、 わざわざ戦争の集結を遅らせて、 その非道な実験によって人類史上最悪の戦争犯罪を行なった にも関わらず、ファシズム的プロパガンダによって
その事実を巧妙に隠し続けている のです。
こうした事実をきちんと確認しないまま、欧米で流布する
「原爆投下は終戦に必要だった」という言説 をなんの疑いもなく信じることは、まったくもって残念なこととしか言いようがありません。
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「欧米の価値観によって『洗脳』済み」のファシズム的思考法をぼくらは越えてゆくことができるのか 「原爆の投下が終戦のために必要だった」という言説が戦勝国によるご都合主義のプロパガンダにすぎないことは、前節で述べた通りですが、ぼくたちが日頃接しているマスメディアも、実質的に「欧米の支配的価値観によって『洗脳』済み」なのだということを、まず知る必要があります。
みなさん、神さまは信じてますか?
神さまがこの世界を創ったのか、それとも人間が神さまを考えだしたのか。
今日は、
E.フラー・トリー「神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源」(2018 ダイヤモンド社) という本を紹介しながら、そんな話について考えてみようと思います。
「神さまがこの世界を創った」と考えることは、科学と矛盾しません。 「神々の誕生」は進化の副産物なんでしょうか。 「神々」の誕生と「ゴッド」の誕生 早すぎた「神々の黄昏」としての仏教、そしてデカルト・ニュートン・ニーチェからマインドフルネスへ 「神さまがこの世界を創った」と考えることは、科学と矛盾しません。 神さまを信じるか? と言われたら、答えに困るかもしれませんが、「この世界が神に創られた」というような考え方はしていなくても、日本では願い事を神さまに頼んだりするのは、割と普通ですよね。
そういう曖昧な信仰の形とは違って、ヨーロッパやアメリカでは、「唯一・万能の神がこの世界を創った」というようなきっちりした信仰が生きています。
アメリカのキリスト教原理主義者の方などは、キリスト教の考え方と矛盾するから進化論を学校で教えるな、と言ったりするようです。
でも、進化論って、神さまが世界を創ったっていうような話と、別に矛盾しないと思うんですよね。
聖書に書かれているとおりに、何千年か前に神さまがこの世界をお創りになったとしましょう。
でも、それは万能の神さまがなさったことなんですから、あたかも
「138億年前にビッグバンがあって、46億年前に地球ができて、そうして生命が生まれ、途方もない時間をかけて進化した結果人間が生まれた」 かのように見せかけて、この世界を創ったからなんだってことで、十分説明がつくじゃないですか。
ですから「神を信じるか否か」はあくまで個人の考え方の問題であって、科学的な思考とも合理主義的な人生観とも矛盾せず共存できるものだと思うんです。
「神々の誕生」は進化の副産物なんでしょうか。 この世界を神さまが創ったかどうかはさておいて、とにかく人類は猿の仲間から長い時間をかけて進化してきたようです。
トリーさんの「神は、脳がつくった」という本の説明では、人類200万年の進化の歴史の間に、次のような神の誕生を準備する「5つの段階」があったとしています。
そして、この進化の副産物として、神々は生まれたっていうんですね。
200万年前、脳の大きさ、知能が増大し、道具を使うようになる。 180万年前、自意識が誕生し、狩りや共同生活といった自他の意識を必要とする行動が可能となる。 20万年前、「心の理論」が発達し、他者の心を推測する能力が生まれ、相手を思いやる行動が生まれる。 10万年前、「内省的意識」が発達し、他者が自分をどう見ているかを考えるようになる。その結果、飾りを身につけたり、様々な自己装飾をするようになる。 4万年前、自伝的記憶が発達し、自分の過去や未来について考えられるようになる。道具や武器、洞窟で見つかる絵画、貴重な副葬品を合わせてする埋葬などといった技術・文化が加速度的に進展する。 このようにしてヒトが、
「自分の過去と未来を考え、死後の世界について思いをめぐらすようになったとき、神々が生まれたのだ」 というわけです。
進化によって人類が巨大な脳を獲得し、類まれな知能を駆使するようになったことの副産物として「神々を発明する必要があった」のだとするトリーさんの考えは、確かに理に適っているように思えます。
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「神々」の誕生と「ゴッド」の誕生 さて、トリーさんは、
生者と死者の関係における革命がもたらした結果の一つが、最初の神々の出現だったように思われる。(……)神々は八〇〇〇年前から七〇〇〇年前に現れた可能性があるが、もしかしたらもっと早く現れたかもしれない。
*1
と書いていて、これは農耕が始まることによって、定住が進み、死者を居住地のそばに埋葬するようになったことが祖先崇拝へとつながって、そうして神々が生まれたのだ、というのですが、ここのところはちょっとどうでしょうね。
というのは、現在でもアマゾンの奥地などには、狩猟採集を中心として半定住の原初的暮らしを続けている、たとえばヤノマミといった人々がいるのですが、彼らは死者を埋葬することはしません。
どうしてマインドフルネスの練習をすると人生が楽しくなって、仕事もできるようになるのか、今日は超絶簡単に説明してみます。
好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 なぜ「好き嫌い」をなくすと、「悩み」もなくなるのか。 「好き嫌い」をなくすなんてできるの? 「好き嫌い」をなくしたら、人生味気なくなりそうなんだけど……。 はじめは3回の深呼吸だけでオーケー。マインドフルネスの練習の基礎の基礎。 仏教と瞑想・ヴィパッサナー・マインドフルネスの関係。 最後にひとつだけ注意点を。魔境に入り込まないために。 好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 マインドフルネスという方法論は、
「今自分に起こっていることを、価値判断せずにただ観察すると、悩みはやがて消え去っていく」 という、あまりに簡単すぎて
「いきなり信じろと言われても困っちゃうなー」 的な人間心理の原則にもとづいています。
「価値判断をしない」ということを言い換えてやると、
「好き嫌いをしない」 ということになります。
というわけで、マインドフルネスの練習をすると、
「好き嫌いがなくなって、すると悩みもなくなり、つまりは人生楽勝モードになっちゃう」 という話なんですね。
「悩み」がなくなっちゃうんですから、仕事も人生も、それまでより充実するのも当然です。
とはいえ、いくらなんでも話が簡単すぎて、「そうは言われてもなー」と思われる方も多いでしょうから、もう少し説明を続けましょう。
なぜ「好き嫌い」をなくすと、「悩み」もなくなるのか。 「悩み」というのは、「いやなことが起きてしまったけど、どうしたらいいだろう」とか、「いやなことが起こるかもしれない、どうしよう」とかいったように「いやなこと」によって引き起こされます。
ですから「いやなこと」をなくしてしまえば、「悩み」もなくなります。
つまり「いやなこと=嫌い」をなくせばいいわけです。
ではどうして「好き」もなくしたほうがいいのでしょうか。
それは「好き」があると、その
「好きなことが得られないことが『悩みの種』になる」 からです。
結局「好き嫌い」をなくせば「悩み」もなくなることになります。
「好き嫌い」をなくすなんてできるの? 「好き嫌い」をなくせば「悩み」がなくなるのは、分かっていただけたとして、果たして「好き嫌い」をなくすなんてできるのでしょうか。
これは確かに簡単なことではありません。
ぼくたちは生まれてからずーっと長い時間をかけて、無自覚に「好き嫌い」を作り続けてきてしまったのですから、それを
「『好き嫌い』は今日からやめた」 といって、簡単にやめられるものではありません。
けれども、もしあなたに「やる気」さえあれば、「好き嫌い」を少しずつなくしていくことは可能です。
そしてその基本原理は
「今自分に起こっていることを『価値判断せずに観察する』」 という、ただこれだけのことなんです。
どうしてこれだけで「好き嫌い」がなくせるかというと、そもそも
あなたは自分が何を好きで何を嫌いか、「本当は何も分かってない」 からなんです。
「そんなアホな」と思うでしょうか。
もちろんあなたは「自分はこれが好きで、これは嫌いだ」と説明することはできるでしょう。
けれどもそれはあなたの「理性」が言葉で説明していることに過ぎず、氷山の一角にすぎません。
あなたが「本当のところ何を欲していて、何を避けようとしているのか」は、実のところ、「自分の体に起こる反応」を細かく見ていかないと分からないのです。
これは心理学的な実験によって確かめられていることですが、人間が自分の気持ちを知ることができるのは、まず自分の体に反応が起こるからなんですね。
体の反応を無意識のうちに察知して、それによって人間は
自分は今怒ってる、とか 自分は今悲しい、とか 感じるようにできているんです。
ですから、「今自分に何が起こっているか」を丁寧に観察する練習をすることで、自分の「好き嫌い」を体の反応のレベルで知ることができるようになったときに初めて、あなたは自分の「好き嫌い」を手放し、同時に「悩み」も手放すことができるようになるのです。
ちょっと話が難しくなってきたでしょうか。
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note.mu で公開されている生活学習さんの漫画
殺人予告|生活学習|note、 タイトルは物騒ですが、心を揺さぶるインパクトがあり、深く考えさせられる作品です。
線維筋痛症を患い、苦労して毎日を生きている生活学習さんが、通りすがりの男たちから侮蔑の言葉を投げかけられた経験が、激アツの筆致で描かれています。
見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 線維筋痛症という「難病」 見下された者の悲痛な叫び、「お前らを殺してやるからな」 (画像は生活学習さんのnote.muのページより再掲、ご本人に許可をいただいています)
2018年10月31日16時半頃、杖をついて薬局に入っていく坊主頭の私を見て、「初老だねえ!!」と言って笑った2人組の男どもに告ぐ。
殺してやるからな。
殺人予告|生活学習|note 記事タイトルでは分かりやすさを優先して「女性蔑視」と書きましたが、「男たち」の言葉には、
若くて美しい女性以外は価値がない という偏見だけでなく、弱いもの、苦しみを背負っているものに対する侮蔑の込められています。
現在の日本社会に蔓延している「弱者蔑視」を象徴する場面です。
この不愉快きわまりない言葉に、作者が感じたとてつもない怒りが、1ページ目で十二分に炸裂しています。
「殺してやる」という強烈な言葉と、終始一貫して「笑顔」で描かれる「語り手=作者」の表情のギャップに、怒りに震えながらも、その状況と心境を冷静に描写しようとする作者の「執念」を感じます。
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「殺してやる」という言葉に象徴的に込められた作者の思い 『殺人予告』というタイトルといい、「お前らを殺してやるからな」というセリフといい、過激きわまりない表現ですが、作者は暴力を肯定しているのではありません。
この漫画は、侮蔑によって引き起こされた収まりようのない怒りを原動力に、わたしたちが住む「弱者蔑視の社会」を変えるために描かれています。
作者が「殺す」と言っているのは、現実社会での暴力を振るうということではなく、漫画という表現によって、「弱者蔑視」がまかり通る社会のあり方を変えていく、ということです。
ですから、
お前らが窮屈で暮らせなくなる世界を、態度を改めなければ生きていけない世界を作るまで、
殺人予告|生活学習|note 作者は「弱者を蔑視する者」を「殺し続ける」のです。
この「殺す」という表現が強すぎると思い、違和感を持つ人がいること、なんでここまでの言葉を使うのか、という異論があるのも分かりますが、作者の思いはこの言葉なしには表現できなかったに違いないと思うのです。
日常的に刺激的な表現が溢れかえって、感覚が麻痺しがちな読者に向けて、十分に声を届けるためには、このくらい過激な表現をして丁度いいくらいではないでしょうか。
漫画『警察をクビになった話』のハルオサンに続く、ヘタウマ・ネット漫画の新しい波 生活学習さんは「事件」があったその日のうちに、12ページの漫画を描いてツイッターに3つのツイートとして投稿し、さらにnote.muにもまとめて掲載しています。
勢いで描いているので、若干雑な印象も受けますが、そのときまさに感じていたリアルな怒りに裏打ちされているために、多くの人の心を動かしたものと言えるでしょう。
・生活学習 on Twitter: "『殺人予告』①… "
は、21,000 リツイート(2, 3 も合わせると全部で37,000)され、
この記事を読めば、ひょっとして、
オレも楽々お小遣いが稼げるかも!?、 と思っていらしてくださったあなたには、最初っから謝っておきます。
ごめんなさい。
タイトルが誇大広告気味になっております。
「収益20,000円突破」と書きましたが、これは月額ではなく総額です。
はじめてアマゾンのアフィリエイトを試してみてから、かれこれ十年以上。アドセンスももう二年以上やってますが、それなのにこれっぽっちです(笑)。
世の中に楽してお金が稼げる方法はないのは、みなさんご存知の通りですが、ここまで来るだけでずいぶん苦労しました。
というわけで、苦労しながらもここまで来る中で体得してきたノウハウを、今日はみなさんと共有したいと思います。
収益総額たった20,000円のブログについて書いたこの記事を読むべき理由 あなたが
これからブログを作って稼ぎたいと思っている未経験者であっても、 ブログを書いているけれども、収益化はこれからという初心者であっても、あるいは 月数千円の収益はあるんだけれども、もう少し収益を増やしたいという中級者の方であっても、 この記事の内容は参考になるはずです。
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「そんなの当たり前だろう」 と思う内容しか見つからないかもしれませんが、その
「当たり前の内容をどうやって体得するか」 が難しいわけですから、
知識として知っていることを血肉にするにはどうしたらいいのか という点では、多少の参考になるかもしれません。
このブログは収益総額20,000円そこそこのちっぽけなブログです。
けれども長い年月をかけて大切に育ててきたブログでもあります。
ほんのちっぽけなブログですから、
「こうすればこんなに稼げますよ」 といった有名ブロガーさんたちのような書き方はできません。
けれども、
現にこのようにして、これだけの収益は得られた という意味では、これも小さな実績であり、一つのプロトタイピングとしてとらえることもできます。
プロトタイピングというのは、実際に商品開発に取りかかる前に、取りあえずのモデルを作って、アイディアがちゃんと現実に即しているか試してみることです。
有名ブロガーさんたちの書くノウハウだって、その方法で誰もがうまくいくわけではありませんから、あなたから見れば、それもほかの人が作ってくれたプロトタイプ程度のものでしかありません。
うまくできたプロトタイプならば、そこから発展させて、現実に使えるものにしていくための出発点になります。
そしてプロトタイプを発展させて成功するためには、自分なりの方法論が必要です。
自分なりの方法論を確立しようと日々研究に励んでいるあなたには、
案外この記事も役に立つんじゃないかなー と思うわけなんです。
というわけで、見出しを参考に、興味のあるところをつまみ食いしてみてください。
収益総額たった20,000円のブログについて書いたこの記事を読むべき理由 まずは収益の内訳を。アドセンス10,000円、アマゾン8,000円、note.mu 3,000円 いかにしてグーグルからの検索流入を増やすか。とにかくいろんな記事を書いてみよう。 「自分の興味のある記事を書く」という蝶当たり前の原則について再確認 はてなブックマークでネタを探し、アクセス数を稼ぐ アドセンスの収益を増やす「呼び水」の存在 ふろむださんのおかげで、アマゾンもようやく見られる数字になりました。 最後に note.mu について まずは収益の内訳を。アドセンス10,000円、アマゾン8,000円、note.mu 3,000円 2018年11月1日現在の収益総額は、
アドセンス10,000円、アマゾン8,000円、note.mu 3,000円 (100の桁で切り捨て) 合計21,000円 となっています。
このうち、約12,000円が、2018年8月からの収益なんですね。
(内訳は、アドセンス4,800円、アマゾン7500円)
どのみち月数千円という数字ですから大した額ではありませんが、どうしてこういう結果になっているかというと、
ふろむださんの錯覚資産本((「錯覚資産」という新しい考え方を紹介するふろむだ著『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」できまっている』(2018 ダイアモンド社)のこと。 ))について書いた記事がぷちバズしたおかげ
です。
ということで、次節以降はこの収益の意味するところを少し解説していきますが、まずは基本の話からいきます。
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はてブ・アディクトのみなさんにはお馴染みのしんざき@不倒城さんが、『子どもの感性は、「性的なコンテンツ」一つで悪影響を受ける程脆弱なんだろうか』という素敵な記事を書いてらっしゃって、600近いブックマークがついてるもんで、今日はしんざき氏の論法について、みなさんと一緒に詳しくみていきたいと思いまーす。素晴らしき「しんざき話法」に、いつも「はてな?」と首をかしげてるみなさん、よろしくお願いしまーす。
みなさん、英語でおしゃべりしたくないですか。
それから、英語のニュースとか映画とか、パッと聞いて分かると、かっこいいし便利ですよね。
今日は Facebook で見かけたニュース動画でおもしろいのがあったので、スクリプトとその訳を載せることにします。
リスニングの勉強はこんなふうにやりましょう カナダの先住民族コミュニティにインターネットの導入試みる青年のニュース動画より おまけ: インターネットという技術の長所と短所 リスニングの勉強はこんなふうにやりましょう 英語のリスニングの基本は
とにかく聴く ことです。
音が頭の中にはっきり入り、口からすらすら出てくるまで、何度でも「聴く・口から出す」を繰り返してください。
「聴くだけでは覚えられない!」という人は、文字を見てもオーケーです。
補助的に文字も使って、でも、最終的には
はっきり聴こえて、すらすら言える ところまで持っていきます。
これを、
初心者なら、フレーズを短く区切って、 中級者以上なら、一文ごとなど、自分の実力に合わせた長さで、 一歩々々、進めていくだけです。
かならずしもたくさんの教材をこなす必要はありません。
今回紹介する動画を完全に覚えることができたら、それだけでも
今までは全然話せなかったのが、 なんとなく英語が口から出てくる 状態くらいにはなるはずです。
あせらず自分のペースで、気長に練習するのがコツです。
ただし教材の内容に興味が持てない場合は、別の教材を探す必要があります。
教材には必ず
自分がおもしろいと思うもの を使ってください。
人間って、おもしろいものなら、喜んで覚えますが、
つまらないものは、絶対覚えられません。
今回紹介する Al Jazeera English の動画は、スクリプトがしっかりしている上に、時間も2分弱とちょうど練習に適した長さで、ぼくにはおもしろかったので紹介することにしました。
ネット上にはいろいろな素材がありますので、みなさんもご自分で探してみると、きっと自分にぴったりの教材が見つかると思いますよ。
それでは、次節に英語のスクリプトと日本語の訳を載せますので、動画を見ながらお楽しみくださーい。
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「漫画版・警察官をクビになった話」の衝撃。新時代の漫画家ハルオサン誕生す!!
あれは2016年11月のことでした。*1
野生の天才児ハルオサンが、警察をクビになった体験談を引っさげて、はてな村からネット界へと、彗星のごとくデビューしたのは。
ブログの名前は「警察官クビになってからブログ」。
警察をクビになったエピソードだけでも十分衝撃的なのに、次から次へと繰り出されるブラック企業ネタ。
ハルオサンは、なんともアンハッピーな人生をネタとして、独特のユーモアと絵柄で読者を惹きつけたブログの内容に加筆・修正を加え、 2017年12月には KADOKAWA / 中経出版より
「天国に一番近い会社に勤めていた話」 という書籍も出版されています。
この記事では、まず簡単に「ハルオサンとは何者なのか」を簡単にご紹介してから、
「【漫画】警察官をクビになった話」のすごさ についてお伝えしようと思います。
ハルオサンって一体ナニモノ!? 「【漫画】警察官をクビになった話」はちょっと凄すぎるでしょう、ネット時代の「新しい波」が生まれたと思いますよ、こいつは!!! ハルオサンの超絶ヘタウマ画にしびれる。 何なの、この色使い、こんなの他で見たことないよ! コ、コマが、大きくなったり、小さくなったり……、してるぞっ。 これからのハルオサンの活躍が楽しみです。 ハルオサンって一体ナニモノ!? ハルオサンは自分が警察をクビになった話を書きたいがためにブログを始めました。
・【漫画】警察官をクビになった話 - 警察官クビになってからブログ
を読んだ方はすでにお分かりの通り、彼は子どものころに脳の病気になり、手術をして一命を取り留めたため、「障害」があります。
ハルオサン自身はそれがどのような「障害」であるかは書いていませんが、いわゆる「発達障害」だと考えればおおむね間違いないでしょう。
「警察官になる」という子どものころからの夢を実現しようと18年間努力をして、せっかく警察官として採用されて警察学校に入ったのに、その「障害」のために最終的に警察をやめざるをえなくなるわけです。
ここで読者のみなさんに一つの疑問が浮かぶかもしれません。
そんな「障害」がある人が、こんなに上手に話を書けるものかな? ハルオサンは、その文章も実に読ませますが、ヘタウマなイラストも絶妙のセンスで人の目と心を引きつけます。
そして、今度のとんでもない漫画です。
彼がブログを書き始めて間もないころ、「発達障害」についてよく知らず、「知能が遅れている」とか「能力が低い」とかいう先入観を持っている人の中には、
こんなものを「障害者」が書けるわけがない。やらせに違いない。 と決めつける人もいたくらいです。
けれども「発達障害」というものは、単純に「知能や能力が低い」というものではありません。
平均的な人が普通にできることができない一方、普通の人にはできないことが簡単にできてしまったりもするのです。
言ってみれば、「脳の使い方が違う」んですね。
ですから、警察学校では「人並みにできない」ハルオサンが、プロ並みに読ませる文章や漫画を書くことにも、まったく不思議はないことになります。
なお、ハルオサンの人生の詳細については、取るもの取り敢えず、彼のブログをご覧ください。
こちらの記事あたりから読むのがお勧めです。
・クソみたいな人生をまとめてみた - 警察官クビになってからブログ
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あなたが大学へ行きたいのに「親のお金は当てにできない」という場合、奨学金を借りて大学へ行くという選択肢はもちろんありえます。
けれども、その選択があなたにとって正しいものかどうかということは、よく考えてみる必要があります。
この記事では、大学というものが、
「日本学生支援機構」という名前の「貸金業者」から借金をしてまで 行くに値するものなのか、ということをメインにして考えてみます。
というのも、高校を出てすぐに「借金をしてまで」大学に行かなければならない理由はありませんし、
大学に行かなくても、明るい人生はいくらでもありうる ということが言いたいからです。
大学ばかりが学ぶ場ではない 大学にはいつでも行ける それでも奨学金を使って大学へ行きたいあなたへ 日本学生支援機構はただの貸金業者なのか 大学ばかりが学ぶ場ではない ツイッターでこんな発言を見かけました。
大学で自分探しをしたい!→頑張って!
大学で色々な人に出会いたい!→色々な人がいて面白いですよ!
行きたいという強い気持ちがあれば、動機は何でもいいと思います。奨学金を借りて行く価値、学ぶべき多様性はある。
この方の意見が間違っているとは思いませんが、こうした自分の主観に基づく世間話的メッセージには、
「奨学金が自己破産に結びつく」 という社会的事実が考慮されていないという点で、危うさを感じてしまいます。
自分探しをしたいにしても、いろいろな人に出会いたい場合でも、どうしても大学に行かなければ、ということはありません。
多くの人が大学でモラトリアムの時間を過ごし、それなりに「有意義」な時間を過ごしているからといって、それが借金を背負ってまでするべきことなのかどうかは、よく考えたほうがいいでしょう。
つまり、「遊び」に行くために「借金を背負うのは危ない」って話です。
自分探しや人との出会いが目的なら、ほかにいくらでも選択肢はあります。
ネットを使って情報を集め、いろいろな集まりに出かけ、新しい人と会い、新しい考えを得ることもできるでしょう。
あるいは実家にこもり、自分の一生を見つめなおしてもいいのです。
専門学校に行くという選択肢もあるでしょうし、高卒で働くという選択も当然あります。
大学で遊んでる人がみんな幸せなわけじゃありませんし、大学を卒業すれば安定した人生が待ってるわけでもありません。
自分の人生を人の人生と比べ、人並みの人生を送ろうとしても、必ずしもうまくいくものではありません。
自分の居場所は自分で見つけ、自分の「人生の意味」というものを自分で作っていくことこそが、よく生きるために一番大切なことです。
「自分は何をやりたいんだろう?」と問い続けさえすれば、自分のいる場所がどこであろうと、道は必ず開けるはずです。
大学にはいつでも行ける こんな記事を書いている方がいました。
・奨学金で借金地獄になるくらいなら、社会人やってから大学行くのが一番楽しいよって話。|ちーぼー|note
この方は、高校を卒業して短大に進学し、中退して社会人となりました。お金を貯めて23歳のとき専門学校に行き、Web デザイナーとして就職、その後フリーランスとなり、インターネットの大学で勉強しているそうです。
日本では「高校出たらすぐ大学へ行く」のが当たり前とされてますが、それってただの思い込みですよね。
みんながそうやってるからって、あなたもそうしなくちゃならないわけじゃない。
社会人として働き、自分でお金を貯めてから大学に行けば、余計な借金をする必要はありません。
あるいは会社勤めをしながら通信制の大学で勉強する方法だってあります。
結局のところ「あなたが何をしたいか」、これが一番大切なポイントだってことです。
そしてもし「自分が何をしたいかが分からない」としても大丈夫です。
何をしたいか分からなくて、迷いに迷って進路を決めて、やっぱりうまくいかないかもしれません。
そんなことがあったらどうしようと心配する必要はありません。
一度決めたことだとしても、あとからいくらでも変更が効くんですから。
人生いつだってやり直しは効きます。
「高校を卒業して、いい大学へ入って、いい会社に入る」みたいな一直線の道は、ごく少数の例外を除けば、もう、どうせないんですから、自分の道を自分なりに歩いていけばいいってだけのことなんですよ。
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