マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想に興味のあるあなたに朗報です。 瞑想って実はとっても簡単で、しかも効果抜群なんです。 なにしろ、 気が向いたときに「鼻から三回深呼吸する」、 たったこれだけのことを続けていけばいいんですから。 簡単すぎて、信じられませんか? それではもう少し詳しく見ていくことにしましょう。 ※なお、この記事ではマインドフルネスもヴィパッサナーも含めてすべて瞑想と呼ぶことにします。 なぜ鼻で三回深呼吸するだけで、頭がすっきりするのか? 判断せずに今を受け入れる。瞑想の長期的な目標は「好き嫌い」をなくすこと。 「好き嫌い」がなくなったら、人生味気なくない? なぜ鼻で三回深呼吸するだけで、頭がすっきりするのか? 瞑想の効果にはいろいろなものがありますが、たとえば、 頭がスッキリする、 頭の回転がよくなる、 気持ちが落ち着く、 自分に自信が持てるようになる、 といったことが挙げられます。 どうしてこういう効果があるかというと、 頭の中を空っぽにすることで、 悩みごとが少なくなり、 余計なことに頭を使わなくてすむようになるから なんですね。 悩みごと、考えごとが減れば、頭はスッキリし、スッキリした頭は回転もよくなります。 頭がスッキリすれば、気持ちも落ち着くし、気持ちが落ち着けば、自分に自信が持てるようになるわけです。 それで、実際の瞑想のやり方ですが、 鼻から胸いっぱいに、ゆっくりと息を吸う、 同じくゆっくりと長く、全部の息を鼻から吐き出す、 このとき吸っている息と吐いている息に意識を集中する、 これを三回繰り返す、 というだけの簡単なものです。 (できれば吸う息も吐く息も鼻からがいいのですが、やりにくければ、吐く息は口からでもかまいませんし、鼻が詰まってしょうがないときは口からでもいいでしょう) 3番目の吸う息と吐く息に意識を集中する、というところが大切です。 何か考えごとをしながら呼吸をするのではなく、 鼻の穴を入っていく空気は冷たいか、 鼻からのどを通って肺にまで入っていく空気が感じられるか、 肩や胸、お腹はどんなふうに動いているか といった自分の体の感覚や動きをよく意識して観察してみてください。 こうして意識を今自分の体に起こっていることに向けることで、頭を空っぽにして、心と体のバランスを取り直すことが可能になります。 わたしたちは過去を思い悩み、未来を心配することで、知らず知らずのうちに頭を使いすぎてしまい、体も緊張して、リラックスできない状態になっています。 体には本来、自分の元気を回復させるための仕組みがあるのですが、緊張しすぎるとその仕組みがうまく働かなくなってしまいます。 三回深呼吸の瞑想によって頭を空っぽにしてやることで、体が本来持っている元気を回復させるためのプロセスを活性化してやれば、心と体のバランスも自然に回復することになるのです。 気がついたときに三回の深呼吸をするだけでも、それが一週間、二週間、そして、ひと月、ふた月と経っていくうちには、瞑想の効果がはっきりと感じ取れるようになるでしょう。 また、余裕があれば、三回に限らず、時間の許す限り何回でもやってみるとさらに効果が上がります。5分から15分もすると、かなりはっきりと心が落ち着くのが分かってくるはずですし、1回30分から1時間程度を自然にできるようになれば、あなたはすでに瞑想の中級コースに足を踏み入れたことになります。 無理をせず自分のペースで、瞑想を楽しんでみてください。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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グーグルが研修プログラムとして採用したため、現代のアメリカのビジネス界で非常に有用視されるようになったマインドフルネスですが、ネット上であれこれ見ていると、日本でも静かなブームがやってきているのが分かります。 映画監督の想田和広さんは、スリランカのお坊さんスマナサーラさんとこんな本 観察 「生きる」という謎を解く鍵 単行本 – 2018/1/25 アルボムッレ・スマナサーラ (著), 想田和弘 (著) https://amzn.to/2G5ZXkp を出していますし、このサイトでも何度か紹介したビジネスマン・ブロガーのふろむださんは、こちらの記事でご自身の瞑想方法を紹介しています。 ・意外と知られてない、おっさんでも頭のキレと集中力が一日中続くようにする方法 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場 この記事では、マインドフルネスについて簡単に紹介したあと、その大本になった初期仏教のヴィパッサナー瞑想についても少し細かい点まで説明しますが、マインドフルネスについてよく知りたいと思っているあなたなら、読んでおいて損はないはずです。 マインドフルネスとは 仏教におけるマインドフルネス 呼吸を使ったマインドフルネスの実際 ゴエンカさん方式とその他のヴィパッサナーとマインドフルネスの関係 マインドフルネスとは マインドフルネスという言葉は、今この瞬間に起こっていることを、知的に判断することなく、客観的に観察することを意味します。 日本では「念」という言葉で知られる仏教の言葉を英語に訳したもので、現代の言葉で言い直せば「気づき」ということになります。 ベトナムのティク・ナット・ハンさんというお坊さんなどのもとで禅の修行をしたジョン・カバット・ジンというアメリカの学者が精神療法に取り入れたことが、アメリカのビジネス界にマインドフルネスが広まるきっかけとなりました。 マインドフルネスの練習では、今起こっていることに意識を向ける練習をします。 人間というものは、昨日のことを思い悩み、明日のことを心配し、あれやこれやと考え続けることで、自分にストレスをかけ、苦しみを作り出すやっかいな動物です。 その苦しみが、 今ここで起こっていることにきちんと注意を向けることができさえすれば、時間はかかってもだんだん解消していく、 というのがマインドフルネスの基本原理なのです。 そうしてさまざまな苦しみに悩まされる時間が減っていけば、勉強もはかどり、仕事もうまく生き、人生も楽しく生きられるようになるというわけなのです。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 仏教におけるマインドフルネス 漢訳の仏典の中に大安般守意経というものがあり、これはアナパナ・サティというインドの経典名を「アナパナ→安般(音を当てた、呼吸の意味)」、「サティ→守意(意味を当てた)」として訳したものです。 このサティという言葉が、「マインドフルネス=念=気づき」のことなのです。 そして「アナパナ=呼吸」こそが、気づきの対象として意識するべき一番大切なものということになります。 呼吸は自律神経によって制御されていますから、みなさんもよくご存知の通り、自分では意識しないでも自動的に行なわれるようになっています。 同時に意識することによって、止めることも出来れば、ゆっくりすることも、速くすることもできます。 呼吸には無意識と意識の両方で制御されうるという性質があるため、呼吸を意識することで、自分の無意識的あり方に気づき、ストレスを減らしていくことが可能になるのです。 普段から呼吸を意識して行なうだけで、「今自分に起こっていることを判断せず客観的に見る」というマインドフルネスの力を養うことができるようになるということです。 呼吸を使ったマインドフルネスの実際 マインドフルネスの練習は慣れてしまえば、いつでもどこでも気がついたときにできるようになるのですが、はじめのうちは朝起きてすぐや、夜寝る前など時間を決めて、五分程度からやってみるといいでしょう。

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日本の政治状況に少しでも関心のある方なら、安倍政権が現在、どれほど戦後民主主義を破壊しているのか、もう十分にお分かりでしょう。 もはや瀕死の状態にある日本の民主主義体制を守るために、一体何が出来るのでしょうか? 「守ることなどできないのだ」というのが私の答えです。 「守れないとはどういうことだ?」という声が聞こえきます。 けれども私は守らないでいいと言っているわけではありません。 どういう意味か説明しましょう。 3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった 最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある 怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう 3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった 73年前に産声をあげ、否定的な空気がいつもありながらも、十分な追い風を受けてすくすくと育ったのもつかの間、やがて逆境にさらされて、長い年月を苦闘することになり、それでも73年の時を生き抜いてきた日本の戦後民主主義ですが、「ついに終わりを告げようとしている」と思われるこの命を、守れるものならば私だって守りたいのです。 けれども、人間にも寿命があるように、国家の制度にも寿命があるのではないでしょうか。 3.11の震災と原発事故があり、第2次安倍政権が成立し、安倍政権の横暴が止めようもなく続く今、全く悲しいことですが、もはや戦後民主主義を救う手立てはないと思っている識者の方々も多いのではないかと思われます。 最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない けれども瀕死の状況にあるからこそ、日本国憲法に基づく戦後民主主義を守るために、最後の最後まで努力を続ける必要がありますし、たとえ安倍政権を倒すことができなくても、安倍政権に反対の声を上げ続ける必要があります。 その時、私は聞きたいのです。 あなたは 何のために安倍政権に反対しているのですか? あなたは日本国憲法を守り、戦後民主主義を守り、世界の平和のために、日本の人々の幸せのために、安倍政権に反対している。そうではないのでしょうか? もしあなたが、この世界の平和を本当に望んでいるのなら、政権を批判するときも、そこには愛の気持ちが必要です。相手を尊重する心がなければなりません。 マスメディアにおいても、ネット上のソーシャルメディアにおいても、安倍政権を攻撃し、あざ笑い、馬鹿にするような「暴言」が溢れています。 相手を攻撃し否定するような態度は、対立を生むだけであり、平和な社会を作る役には立ちません。 アメリカの民主党と共和党の悪口合戦が、今まで世界平和の役に立ってきたと言えるでしょうか? 日本の現状をよしとする主流派の人たちが、卑劣な手口で反対派を抑圧しようとする、その愚かな手法を私たちが真似する必要はありませんし、アメリカの姿はむしろ反面教師とするべきものでしょう。 私たちは正々堂々と、論理的な思考と落ち着いた気持ちを持って、全体主義化していく日本の現状に否を唱え続ければよいのです。 その結果、私たちの考えに賛同してくれる国民が増え、街に出て直接的な行動をするようになれば、安倍政権が倒れることだってないとは限りません。 残念ながら力及ばず、安倍政権がこのまま続いて改憲がなされ、憲法に緊急事態条項が盛り込まれるようなことになったとしても、それはそれで受け入れざるをえないのです。 しかしこれは決して敗北主義ではありません。 ただ冷静に未来を予測しているだけのことです。 73年前に戦争があのような形でしか終わりを迎えることができなかったことを考えれば、今の安倍政権がどれほど無茶なことをやっていようと、おそらく日本の社会にはそれを自浄的に止める力はないのだと思えるのです。 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある 今ここで憲法改悪を止めなければ、日本に明日はない。これが「最後のチャンス」だ。 そういう言い方は勇ましくはありますが、真実を伝えるというよりはただ人の尻を叩こうとするだけの、空騒ぎのアジテーションに感じられます。 アメリカの意向で日本に育ち始めた戦後民主主義が、これまたアメリカの勝手な都合で歪められ、ねじくれて、ついに末期的状況を迎えたのが現在の日本だとすれば、その過程でいったい何度の「最後のチャンス」があったのでしょうか。 反体制派が「最後のチャンス」と叫べば叫ぶほどに、その「最後のチャンス」のとき、破れれば破れるほどに、多くの人たちは民主的な考え方に絶望し、長いものに巻かれるしかないのだと落胆し、多数派に帰依せざるを得なかったのではないでしょうか。 今、安倍政権の目指す憲法改悪に反対することは、日本の戦後民主主義を守るための「最後のチャンス」などではありません。 仮にここで憲法が改悪されたとしても、本当の民主社会が実現する日を願う人々の心は、決して打ち負かされることなく、たとえ一旦は人の目に触れづらくなったとしても、未来永劫続いていきます。 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがあるのです。 怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう 急速に雪崩を打って崩れ落ちてゆく日本の政治状況を見るときに、 「いったいこれはどうなってるんだ、どうにかする方法はないのか」 と絶望的な気持ちになり、口汚く罵りたくなるのも分かります。 その気持ちを押し殺す必要はありません。きちんとわかってくれる人の間で そうした気持ちも共有し、心のもつれを解いていくことも大切です。 ただ、そうした気持ちを吐き出すのは、安全な分かり合える人同士の間でのことにしたほうがよいでしょう。 そして、一旦公の場で言葉を発する場合には、それがネット上の気安く言葉を投げられる場であったとしても、どうか、感情的になって怒りの言葉を発する前に、少しの時間をおいて、大きく息を吸って、そして吐いて、心を落ち着けたあとで、冷静に論理的な言葉で、あなたの気持ちを語ってほしいのです。 「安倍のバ○野郎!」というのではなく、せめて「安倍首相のこのやり方には呆れ返る」といったくらいの落ち着いた言葉で語ってほしいのです。 あるいはあなたがユーモアのある方なら、あざ笑いをぶつけるのではなく、みんなが心から笑える、素敵なジョークで批判してみてほしいのです。 対立を煽る言葉ではなく「未来につながる言葉」をお願いしたいのです。 一人でも多くの皆さんが、こうしたことを胸に留めて「未来につながる言葉」を発するようになれば、日本の民主主義がそう遠くはない将来に息を吹き返す可能性も高まるというものではありませんか。 ネット上で、憲法と平和を守るために発言してらっしゃるみなさんのうちに、この文章を見て、もし不愉快に思われる方がいらっしゃったら、あらかじめ謝らせていただきます。 けれども、ぼくが言いたいのは 「ネット上で暴言を吐くな」ということではない ということだけは確認させてください。 「強い言葉」を使いたいときにそれを使うことは、言論の自由によってみなさんに保障される権利です。 ただ、その自由を行使される前に、そのとき「強い言葉」を使うことが本当に必要なのかどうかを、どうかご一考していただきたい、ということなのです。 最後まで長文におつき合いいただき、ありがとうございました。 日本と、そして世界の平和のために、今日も一日を楽しく生きることにしましょう。 それでは、またお会いできる日まで、さようなら。

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みなさん、alis.to というサイトはご存知ですか。 alis.toでは、記事を書いたり、他の人の記事にいいねをしたりすると、alisというトークンがもらえるのですが、このサイトの発端がちょっとおもしろいんです。 2017年5月の話なんですが、フリーエンジニアの石井壮太さん(30)が、アメリカのソーシャルメディアSteemに南米の旅行記を載せて、米ドル換算 30ドルほどの報酬を仮想通貨で受け取り、その報酬で最高級の宅配ピザを楽しんだっていうんですね。*1 これをアレンジして日本でやったら受けそうだぞ、と。それで、知り合いだったCEOの安昌宏さん(28)とマーケティング担当の水澤貴さん(35)とともにalis.toを作り始めたってわけなんです。 仮想通貨について興味のある人はすでに知ってるかもしれませんが、alis.to を運営する株式会社ALISは、 2017年9月に日本向けのWebサービスの会社としては初めてICOという手法を使い、 およそ4.3億円相当の資金をイーサリアム(ETH)という仮想通貨で調達した ことで話題となりました。 エンジニアの石井さんは、まさにこのICOの立役者です。 この日本の若者三人のチームが、5月に思いついてから、わずか四ヶ月で4.3億を集めたっていうんですから、これはすごい。 この記事ではまず、暗号通貨(≒仮想通貨)という呼び名について説明したあと、alis.to というシステムの成り立ちを通して、暗号通貨の未来について考えてみたいと思います。 仮想通貨ではなく、暗号通貨と呼びましょう。 alis.toの運営会社ALISと暗号通貨alis 投稿したり、「いいね」をするとalisトークンが稼げる - ソーシャルメディアalis.toの仕組み 確かにalis.toでalisは稼げるが、今はまだ対価を求める時期ではない。 alisが有名になるとき、暗号通貨は空気のような存在になる。 仮想通貨ではなく、暗号通貨と呼びましょう。 日本では仮想通貨と呼ばれることも多い暗号通貨ですが、そして日本のお役所はなぜかこれを暗号資産と呼ぶことにしたいらしいのですが、これはやはり暗号通貨と呼ぶのが正しいものでしょう。 「仮想」通貨という呼び名は、「本物の通貨ではない」というニュアンスが感じられますよね。 また、暗号「資産」では、通貨としては使えない「投資の対象」のような感じがします。 けれども暗号通貨は、現実の貨幣の代わりに使える立派な「通貨」であり、それを実現している基礎的な技術が暗号化の技術なのですから、「暗号通貨」という言葉がぴったりと合います。 現時点では交換価値が不安定ですから、日本での実用性はまだまだ低いのですが、インフレの激しい外国などでは十分利用価値があります。 ですからクリプトカレンシーという英語の言い方を直訳した暗号通貨と呼ぶことによって、それが一体なんなのかということが、一番はっきりと分かるのです。 alis.toの運営会社ALISと暗号通貨alis おもしろいことにalis.toを運営するALISという会社は、香港籍になっています。 株式の公開による資金調達(IPO=Initial Public Offering)ではなく、新規の暗号通貨の公開による資金調達(ICO=Initial Coin Offering)をするために、日本の法規制が未整備であることもあり、このような形を取ったものと思われます。 この記事ではalis.to の運営会社はALISと大文字で書き、ALISが資金調達のために作った新しい暗号通貨のことはalisと小文字で書くことにします。 さて、ALISは2017年7月に設立されたばかりの会社ですが、それから二ヶ月後の9月には当時の価格でおよそ4.3億円相当のICOを成功させました。 暗号通貨alisを新しく発行し、それを既存のイーサリアムETHによって投資者に販売したのです。 これによって 13,000〜14,000 ETH ほどのイーサリアムを資金調達した模様です。 ただし4.3億円というのは当時の1ETH≒32,000円のときの時価であり、その後、一旦は1ETH≒160,000円まで上がったETHの価値は、現在は1ETH≒13,000円まで下げていますので、ALISが調達した資金は現時点のレートで考えると、1.7 〜.8 億円ということになります。 これと同期して、alis の価値も 17年11月に40円だったものが、18年1月に最高値148円を記録したあと下がり続け、現在は4〜5円で取引されている状況です。 運営会社ALISのみなさんも何かと苦労なさっていることでしょう。 投稿したり、「いいね」をするとalisトークンが稼げる - ソーシャルメディアalis.toの仕組み ソーシャルメディアalis.toについて、ITmedia NEWSはこのように紹介しています。*2 alis.toは、ブロックチェーン技術を使ったメディアプラットフォーム。読者が「良い」と思った記事を評価すると、書き手に独自のコイン「alisトークン」が配布されるほか、良いと認められた記事をいち早く評価した人にもトークンが配られる。 ネットメディアがページビュー(PV)偏重や広告依存に陥り、フェイクニュースなど質の低い情報がまん延する中、「報酬を通じて信頼できる記事・人を発掘できるソーシャルメディアプラットフォーム」構築を目指すという。 高評価の記事に「トークン」配布 広告に依存しないメディア「ALIS」、ICOで資金調達 - ITmedia NEWS 暗号通貨を使って、簡単に「投げ銭」できるようにすることで、コミュニティの機能を強化し、ネット上の情報の流通を健全なものにしようというわけです。 また、ALISのコアメンバーの中村健太さんは、ALISのICOとビジネスモデルについて 新規株式の代わりにトークンを新規発行 これを買ってもらう(トークンセールする)ことで投資家や企業から資本を獲得 サービスを拡大しトークンの相対価値を上げていくことで、投資元へのバックを行い、かつそれを自ら放出することで利益を作り出していく 日本向けブロックチェーンSNS『ALIS』がICOでの資金調達に挑戦!世界が注目するプロジェクトが動き出す | Ledge.

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2018年11月26日にリリースされたばかりのethboard.jp という日本発のサービスがあります。 暗号通貨イーサリアムを使った匿名掲示板システムで、将来有望ではないかと思われます。 ※イーサリアムは、普通 ETH と表記されますが、この記事では eth と表記します。 この記事では 、 ethboard を紹介すると同時に、 まだ立ち上げ間もなく、混沌とした ethboard の現状をどうすれば改善しうるかを 1ユーザの立場で 考えてみます。 ※普通、仮想通貨と呼ばれることが多いのですが、この記事では暗号通貨という呼び名を使います。 ※ethboardは、正式には「イースボード」と読みますが「イーサボード」と読む人も多いです。 ethboard.jpって何? ethboard の利用方法 混沌としたethboardの未来はいかに? あるいは、「ethboard 改善しても委員会 ^^)」からのお知らせ ethboard.jpって何? ethboard.jp は匿名掲示板サービスです。 スレを立て、レスをすることで 暗号通貨 eth をもらうことができ、 この eth のやりとりによって独自の経済圏を作り、 eth をサービスの外に送金する際の手数料によってサービス提供のための資金をまかなう、 というビジネスモデルを採用しています。 従来の広告ベースのモデルでも、使用料を取るモデルでもないと同時に、 コンテンツの評価を、検索件数・閲覧数だけに頼らない、 という新たなあり方を、 暗号通貨の利用によって実現しようとするサービスです。 匿名システムの盛んな日本風のhttp://steemit.comとも言えるし、暗号通貨alis を使ったブログシステムhttp://alis.to の匿名版とも言えるでしょう。 開発元のMidFree代表・横井 佑丞 (よこい ゆうすけ) さんはツイッターで、 https://twitter.com/yokoiyokoiyokoi/status/1066785418585096193 仮想通貨を貰える掲示板 ETHBOARD(イースボード) をリリースしました! https://ethboard.jp 投稿すると閲覧数やいいねに応じて仮想通貨ETHを貰えます。 閲覧される限り継続的に儲けれますし、他の人に投稿を売ることでまとまった利益を得ることも可能! 気軽に投稿してもらえれば嬉しいです。 と、紹介しています。 スレを立て、レスをすることが eth の獲得につながるため、ほとんどの方がどうやったら eth を多く獲得できるかを考えて書き込みを続けているのが現状です。 ethboard の利用方法 ethboard はまったく登録なしでもゲストとして使えますので、とりあえず覗いてみたい方は、ゲストとして使うのもおすすめです。 本格的に eth の獲得がしたい方は、eth のアカウントアドレスだけで登録ができます。

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作家になりたいと、いくらかでも思っているあなたなら、村上春樹の成功について、まったく知らないということはありえないでしょう。 彼が「なぜ世界中でこれほどまでに読まれているのか」という理由を、合理的に説明することなどできるわけありませんが、春樹が「なぜこんなに成功することができたのか」を少しばかり考えてみることは、あなたが作家になる可能性をきっと高くしてくれることでしょう。 そして、もののついでではありますが、世間で取りざたされるように、春樹がノーベル文学賞をとる可能性があるのかどうかについても、せっかくだから一緒に考えてみようじゃありませんか。 村上春樹の出発点は、外国作家のパクリだった? 作家になりたかった *わけではない* からこそ。 「生き方自体が作家」という春樹の天才と、それが「商品」になるという奇跡 春樹がノーベル賞を取るのは、日本が戦争を始めたとき? 村上春樹の出発点は、外国作家のパクリだった? 第22回群像新人賞を受賞したデビュー作「風の歌を聴け」と、受賞第一作の「1973年のピンボール」が、全体を断章で構成する形式の点で、アメリカの作家カート・ヴォネガットの模倣であることはよく知られた事実です。 おまけに「風の歌を聴け」では、デレク・ハートフィールドなる架空の作家を登場させています。 これもヴォネガットが自作にキルゴア・トラウトというSF作家を登場させていることの模倣あり、ここまでいくと「バクリ」という言葉も使いたくなります。 当時の群像新人賞の選考委員は、佐々木基一、佐多稲子、島尾敏雄、丸谷才一、吉行淳之介の諸氏で、 ・村上春樹 第二十二回群像新人文学賞 というページに選評が載っているので読んでみると、アメリカ文学の影響を強く受けてはいるが独創性が高いということで、満場一致の受賞となったことが分かります。 この「模倣」の問題は本人も気にしていたと考えられ、長らくこの二作は2015年になるまで、海外での翻訳出版はされていませんでした。 ・ようやく英訳が出た村上春樹氏の初期作品に世界が熱中! | クーリエ・ジャポン という記事には、 デビュー作『風の歌を聴け』と二作目の長編小説『1973年のピンボール』については、長い間、日本国外で英訳が刊行されていなかった。村上氏自身が「未熟な作品だと思っていたから」だという。 と、2015年になってようやく海外での出版がなされた事情を説明しています。 多くの作家がはじめは優れた作家の模倣から始めるのですから、春樹の作品がアメリカ文学の模倣から始まっていたとしても、何も悪いことはありません。 みなさんが作家を目指して小説を書くのならば、好きな作家をいくらでも真似してみればいいでしょう。 ただし、プロフェッショナルとして作家になりたいのならば、そこに模倣以上の何かを生み出さなければならないことは言うまでもありません。 作家になりたかった *わけではない* からこそ。 村上春樹という作家のおもしろいところは、彼は別に作家になりたかったわけではない、というところにあると思います。 千駄ヶ谷でジャズ喫茶をしていた春樹は、野球の観戦中にふと小説を書いてみようと思い立ち、そして実際に書き始め、じっくりと書き上げた作品を新人賞に応募したところ、これが一発で見事に受賞してしまったのです。 それが1979年、30歳の年です。 こんなことは普通の人間に起こることではありません。 しかも同じようにして自然に淡々と書き続けた結果、5作目の長編「ノルウェイの森」は、上下巻合わせて430万部の大ベストセラーとなります。 1987年、38歳で押しも押されぬ有名作家となったわけです。 真似しようと思っても真似のしようがない人生の軌跡ですが、作家になりたいあなたがここで学ぶべきことは、あなたが本当に書くことが好きならば、春樹のようにはなれなくても、自分なりの方法で書き続けていくことで、自分なりの形を作ることはできるはずだ、ということです。 春樹自身も、デビュー作と二作目の形式からは離れて、新しいスタイルで本格的な長編を書くことで、「これこそ村上春樹だ」と言える作風を確立していきました。 あなたもプロになれるかどうかとは関わりなく、書くことが好きで、書き続けることができれば、自分らしい作風を確立し、数は少なくても読者を獲得することもできるでしょう。 今の世の中では、誰にでも手の届くところに、ネットという表現媒体があります。 じぶんなりのメディアを用意して発表をし続けることで、明日を夢見るアマチュア作家たちは数知れません。 あなたが本当に書くことが好きならば、そうした人たちの仲間に加わることは、きっとあなたの人生を豊かにしてくれるに違いありません。 そして、運がよければ、あなたにもプロとしてのデビューの道が開けるかもしれないのです。 「生き方自体が作家」という春樹の天才と、それが「商品」になるという奇跡 村上春樹という作家の天才性は、「生き方自体が作家」であるということに尽きると思います。 書くことが好きで、走ることが好きで、走ることについても書いて、翻訳もして、とにかく彼は好きなことをして生きていて、それが「作家として成立」しています。 それはまったく幸運なことしか言いようがありません。やろうとしてやれることではなく、天が与えた運命としか言いようがないでしょう。 その上、彼の書くものは「商品」としても優れているのですから、これは奇跡以外の何ものでもありません。 この奇跡の秘密こそが彼の成功の秘密であるわけですが、それは彼の執筆方法が「無意識の力」を利用しているところにあるのではないでしょうか。 彼はストーリーがどのように進んでいくかを自分でも知らないまま書き進め、一旦書き終われば、すべてを打ち込み直しながら推敲していくという作業を、何度も繰り返すのだといいます。 このようにして村上春樹本人の意識すら知らないことを書いた結果が、世界の読者に受け入れられているのですから、不思議と言えば、まったく不思議なことです。 言ってみれば彼の無意識は、今の地球の時代精神とつながっているのでしょう。 もちろん彼の書くものが万人に受けるというわけではありませんから、そのとき、春樹ではないあなたが書く作品にも、出番があるわけです。 実のところ、あなたの無意識だって、今の地球の時代精神とつながっているのです。 ただしそのつながり方は、春樹ほど太いつながりではなく、ごく細いものかもしれません。 けれど、それがいかに細いものであっても、同じチャンネルでつながっている人にはあなたの表現が届くはずですし、創作を続けていく中で、そのつながりを太いものにしていくこともできるのです。 ぼくも非力ながら、こうして記事を書いていくことで、少しずつでも時代精神とのつながりというものに磨きをかけて、流れのよいものにしていこうと心がけています。 願わくば、あなたのもとに文芸の神さまが降りてきて、あなたをこの地球時代の集合無意識と太く結びつけてくれますように。 春樹がノーベル賞を取るのは、日本が戦争を始めたとき? 村上春樹がノーベル文学賞を取る可能性はどのくらいあるのでしょうか? これについては、はっきりは分からないというのが、もちろん正直なところで、まったく神のみぞ知るということです。 けれどもここで大胆な予想をしてみましょう。 村上春樹がノーベル賞を取るのは、日本の全体主義化が進んで、日本がふたたび戦争を始めたときである、という予想です。 ノーベル文学賞に政治的な意図が込められていることは、みなさんもご存知の通りです。 ソビエトのソルジェニーツィン、中国の高行健など、政府に抗議した人物の受賞に、それなりの意図があるのは明らかですし、ミュージシャンであるボブ・ディランの受賞も、表立っては言われていなくても、その政治的な姿勢が受賞の背景にあることは否定できないでしょう。 春樹の小説が、ノーベル賞に値するものかどうかは、スウェーデンアカデミー外部の人間には判断できません。また、大江健三郎氏がノーベル賞を取ってからの期間や、日系のカズオ・イシグロ氏が受賞したことも春樹受賞には不利や要素として働く可能性があります。 そうしたことを考えると、当分の間、春樹の受賞はなさそうに思えますが、今後十年単位のスパンで考えたとき、日本が軍事大国となり、戦争を始めたときに、それを諌めるメッセージとして、村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性が高まると思えるのです。 以上、最後は勝手なぼくの妄想となりましたが、この記事はこの辺でおしまいにします。 それではみなさん、ナマステジーっ♬

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晩秋の長歌

射干玉 ぬばたまの闇夜やみよ の風 かぜ の冷 つめ たさに 仰 あお ぎ見 み る月つき 蒼々 あおあお と 降 ふ りしきる星ほし 故郷 ふるさと の 思 おも えば恋 こい しお袋 ふくろよ 何故 なぜ か知 し らねど涙 なみだ して 命の いのちの 波 なみ も今 いま 一度 いちど やがて還 かえ るは八雲 やくも の空 そら か 鵺 ぬえ も啼 な き安 やす らぎを得 え る束 つか の間 ま に 朝を あしたを 忘 わす れ浅 あさ き夢見

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発売早々11万部を売って話題になった「錯覚資産本」でおなじみのふろむださんが、 ・マーケティングの人材市場からわかる、これから「台頭する人」「落ちぶれる人」の4つの条件 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場 という興味深い記事を書いています。 記事の主題はマーケティングの人材のことですが、IT化とグローバル化が進む現代社会で「どんな人材が重視されるか」という話なので、マーケティングに限らず、様々なビジネスの現場において役立つ内容になっています。 これからのビジネスには、 「原因特定解像度、サイクル長、幹への近さ、ローコンテキスト」という4つのキーワードが重要だ、 というふろむださんの主張を、もう少し詳しく見た上で、 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 について考えることにします。 なお、「高解像度×短サイクル」とは、別の言い方をすれば、 「PDCAサイクルの圧縮・高密度化」 とも言えます。 ネットの普及で「原因特定解像度」が「高くて当たり前」の時代が来た。 効果を測る「サイクル長」が短くなることで、新時代のビジネスは加速する。 「幹への近さ=経営感覚」の重要性、あるいは「専門性の落とし穴」 グローバル化する時代だからこそ「ローコンテクスト」の意識によって「文化の壁」を越えていく。 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 ネットの普及で「原因特定解像度」が「高くて当たり前」の時代が来た。 ふろむださんは、 原因特定解像度とは、「マーケ施策の成功・失敗の原因を、どれだけはっきり特定できるか?」ということ。 と説明しています。 マーケ施策に限らず、 何かをやってみたとき、その結果について原因をどれだけはっきり特定できるか、 と一般化できます。 アナログの時代には低かったこの「解像度」が、ネット時代を迎えて「高くて当たり前」になっていることを、ふろむださんは強調するわけです。 例えば書籍を出版するのには、年単位で準備することも普通です。 その書籍が無事に売れたとき、なぜ売れたかの原因を特定することは簡単なことではありません。 ふろむださんの「錯覚資産本」が売れたのは、 ネット上のインフルエンサーの紹介のおかげか 著者がネット上で有名だったからか、 文章が簡潔明瞭だったからか、 イラストがよかったからか、 などなど、様々な理由が考えられる中で、どれが原因として大きなものなのかを特定することは、事実上不可能です。 これが「原因特定解像度が低い」状態です。 それに対してツイッターを使って読者の反応を見る場合、よいツイートをすればフォロワーが増え、ダメなツイートをすればフォロワーが減ります。 また、よいツイート、ダメなツイートの原因も、140文字の中に現れるわけですから、10万文字からなる書籍の場合と違ってピンポイントで原因を特定することも容易になります。 これがネット時代の「原因特定解像度の高さ」の意味です。 これからの時代に有能な人材として評価されるためには、このネット時代の「高解像度」を意識することが重要だと、ふろむださんは言うわけです。 効果を測る「サイクル長」が短くなることで、新時代のビジネスは加速する。 ネット時代のもうひとつの特徴は、施策の効果を測る「サイクル長」が短くなることです。 先ほどの例で言えば、書籍の出版は結果が出るまでに数ヶ月から一年以上もの時間がかかるわけですが、ツイートの場合、一瞬で結果が分かるといっても言い過ぎではないほどです。 現実世界で時間をかけないと分からないことが、ネット上では限定された形であるとは言え、ごく短時間で結果を見ることができるのです。 このネットの持つ特性を上手に活用することができれば、変化の大きなこれからの時代に、極めて有利に働くことは言うまでもないことでしょう。 ふろむださんが「高解像度×短サイクル」をキーワードにするのも、納得がいきます。 「幹への近さ=経営感覚」の重要性、あるいは「専門性の落とし穴」 ふろむださんは「専門性」は枝葉であり、あまりに狭い専門性を追求することは、これからの時代において危険なことではないか、と警告します。 自分の専門とする分野の将来性がなくなったとき、路頭に迷うことになってしまうからです。 したがって、マーケティングのような業務においても、 経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う ことが大切だと言うのです。 このように「経営感覚」を普段から意識することによって、 「専門性の落とし穴」を避け、 あまりに狭い専門分野に特化するのではなく、 時代の中で育ってくる新しい分野にも目配りをすることができれば、 多少浅くても幅広い専門性を持つことによって、時代の波に溺れることなく生き残ることができるはずだと言うわけです。 グローバル化する時代だからこそ「ローコンテクスト」の意識によって「文化の壁」を越えていく。 日本の国内市場が縮小していくことが予想される現在、国内に特化した「ハイコンテクスト」なマーケティングではなく、グローバルに通用する「ローコンテクスト」なマーケティングが重要になってくる、という話です。 このこともマーケティングに限らず、島国ニッポンの発想ではなく、世界規模でものごとを考えられる人材が、これからの時代には求められるようになっていくという話ですから、 日常的に、 日本以外の国では、 どんな人が、 何を求めているのか、 といったことにアンテナを張ることが大切と言えましょう。 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす方法 さて、 「幹への近さ」を意識し「経営感覚」を身につけ、 世界にアンテナを向けて「ローコンテクスト」の感覚を養うにあたっても、 打てば響くネットの「高解像度×短サイクル」を使いこなす技術を身につけることができれば、鬼に金棒です。

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ブログは毎日書いて習慣にしたほうがいい、という話があります。 あなたにとっても本当にそうだと言えるのか、ちょっと考えてみることにしましょう。 別にブログは毎日書かなくてもいい。 「あなたなりのリズム=魔法のリズム」を作るのが大切です。 楽しみながら書いてますか? 成功の秘密は、「正しい努力」を続けること。 成功の意味は変化していく。 別にブログは毎日書かなくてもいい。 結論から言うと、ブログを毎日書く必要はありません。 できの悪い記事を毎日書いても、あなたのブログの読者は増えないでしょう。 毎日書く習慣ができてしまえば、多くの人に読んでもらいやすくなるというメリットはあるのですが、記事の質が伴わないとやっぱりダメですもんね。 毎日書くだけの余裕がある人は、そうして悪い理由もないのですが、読んでもらえるだけの内容の記事を書ける自分のペースというものを無視して闇雲に書いても無駄骨に終わるだけのことでしょう。 「あなたなりのリズム=魔法のリズム」を作るのが大切です。 ブログを楽しく書いていくためには、自分のペースを考えて、自分なりのリズムを作るのが大切です。 この「魔法のリズム」を身につけることができれば、あなたのブログは成功したも同然です。 ブログの記事を投稿するのは、週一回だけだとしても、毎日どんな記事を書くかを考えたり、とりあえず下書きだけでもする、といったことは、リズムを作るために役立ちます。 一日に10分でも20分でも、記事を考えるための時間を取ることで、ブログを書くということを生活のリズムの一部にしてしまえば、大きな苦労をせずに、記事を書く作業に取り掛かれるようになるからです。 みなさんが自分に合ったペースをうまく見つけて、「魔法のリズム」を身につけられるようお祈りします。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 楽しみながら書いてますか? 毎日ブログのための時間を取ったほうがいい、と書きましたが、これもやはり程度問題です。 仕事などで忙しいときに、無理やりブログの記事を考える時間を取ってもなかなかうまくいかないことにもなるでしょう。 そんなときは柔軟に考えて、休みを取ったほうがいいというものです。 考える基準は「楽しみながらやっているか?」ということになります。 たとえ一ヶ月に一度記事を書くだけでも、楽しんで書けていれば、あなたのブログは「成功している」と言えます。 逆にどんなにページビューを稼いで、どんなに広告収入があっても、楽しみがなくて、焦りに取り憑かれてやっているだけだったら、そのブログは「成功」とは言えないのではないでしょうか? どんなペースであっても、楽しんでやっている限りあなたのブログは「成功している」と言えますし、どうやってみても楽しめないようなら、あなたはブログに向いていないということでしょうから、何か別の楽しみを見つけたほうがいいということかもしれませんよね。 成功の秘密は、「正しい努力」を続けること。 楽しんでやっている限り、あなたのブログは「成功している」のだと書きましたが、そうは言っても、 たくさんの人に読んでもらいたい、 とか、 広告収入を増やしたい、 とか、いろいろな目標があるのも当然です。 夢を持ってブログを続けることは楽しいことですし、「正しい努力」を続けていけば、夢がかなう可能性も大きくなっていきます。 けれども、この「正しい努力」というのがクセモノです。 何が正しくて、何が間違っているのかは、最終的には結果が出ない限りなんとも言えないからです。 はたから見て、どんなにおかしな努力をしているように見えても、実際に成果さえ上げてしまえば、それは「成功」としか言いようがありません。 イノベーターと呼ばれる「本物」の人たちは、ほかの人がやらないような努力をするからこそ、新しいチャンスを物にすることができるわけですからね。 もちろんぼくたち凡人の場合、そんな大それた話にはなりませんが、それでもとにかく、何でも試してみたり、人のやり方を真似てみたり、いろいろなやり方を実際にやってみることで、自分に合った、成果を上げられるやり方を見つけていくことができれば、それは「正しい努力」なんだということができるでしょう。 そして、この「正しい努力」の判断基準にも、「楽しんでやる」ことを入れてやるとよいでしょう。 楽しみながら、試行錯誤を繰り返していくとき、あなたのブログは健やかな成長を続けることができるはずです。 成功の意味は変化していく。 今までに書いたように、ブログを楽しく続けることができれば、まずは「成功」と言えますし、読者を増やし、収入を増やすというそのときどきの「成功」についても「正しい努力」を続けることで、十分にかなえていくことができるはずです。

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保育園の先生が子どもたちに「字を書いてはいけない」と教えている、という話をネットで見て、 えー、ほんとにーっ! と思いました。 もちろん 「保育園児は文字を書いてはいけない」という法律 などというものは存在しません。 とはいえ、大人の都合によって、子どもたちにそういう「奇妙な思想」が吹き込まれるのは、あまり気持ちのよいものではありませんので、今日はこれを出発点として、日本の社会のあり方について、少しばかり考えてみることにします。 「嘘」をつく「先生」たちと、どうつき合うか 本音と建前が「見え見え」の社会で それでもへこたれずに生きるために、オフグリッドな人生を構想する 「嘘」をつく「先生」たちと、どうつき合うか 保育園の先生が子どもたちに「字を書いてはいけない」と教えている、という話は、fellfield さんの ・文字を書いてもいい - ツンドラ という記事で見かけました。 fellfield さんが、子どもを保育園に送っていったところ、子どもの友だちがやってきて、 「保育園ではまだ文字を書いちゃいけないんだよ!」と詰め寄ってきた というのです。 少しの間、どうやってその子に言葉をかけようかと考えてから、fellfield さんが、 「書いてもいいんだよーだ。パパがいいって言ってるんだから、いいんだよ」 と言うと、友だちの態度は和らぎ、その場の緊張状態は収まった、という話です。 その保育園では、 「文字を書くことを禁止はしない」「子どもの成長段階にはまだ早いので、積極的に教えたりはしない」 ということになっているのですが、実際には先生たちは「書いてはいけない」と指導をしているらしいのです。 たびたび子どもが「先生に書いちゃダメって言われた」と言っている。そのたびに妻が「書いてもいいんだよ、先生がそんなこと言う訳ないよ」と言うのだけれど、僕はただシンプルに「先生が嘘をついている」と思う。子どもが先生に言われたというなら、きっと、先生は言ったのだろう。そして当然ながら、先生たちの嘘は、子どもたちも見聞きしてしまうことになる。 fellfield さんのお子さんは保育園の年長さんで、その年頃になれば、子どもによっては、十分「大人のずるさ」も分かってくるのですから、fellfieldさんは、わざわざ「ずるい大人」に物申すことはせず、 今後また何かあれば、他人に禁じられたものを「やっていいよ」と解いてあげたり、他人に強制されたものを「やらなくていいよ」と解いてあげる役割を果たしていこうとは考えている。いつか子どもが自分自身で「これはやる」「これはやらない」と決められるようになるまで、あと何年かはそうしようと思っている。 という、とてもバランスの取れたスタンスで構えてらっしゃいます。 いいお父さんだなー、と感心する次第です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 本音と建前が「見え見え」の社会で ぼく自身が幼稚園に通っていたときの話なのですが、園庭にブランコが2つだけあって、遊び時間には多くの子どもたちがブランコに乗りたくて、列を作って待っています。 気の強い、世渡り上手な女の子と、その子分のようなもう一人の女の子がそのブランコを占領していて、それに対して先生が 「〇〇ちゃん、ちゃんと順番で代わってあげるのよー」 と声をかけます。 すると、女の子たちは、 「今、乗ったばかりでーす」

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中