※記事最後に掲載していた会田氏のエログロ画像は、リンクを掲載する形に変更いたしました。
京都造形芸術大学が開催した、画家の会田誠氏らの公開講座を受けた美術モデルの女性(この記事ではオーさんとします)が、環境型のセクハラを受けたとして大学を訴えたことが、ネットの片隅で話題になっています。
この記事では錯綜する情報を整理し、訴えられていない会田誠氏と、大学を訴えた女性オーさんには「ほとんど問題は見られない」ことと、
公開講座を主催した大学には大きな問題があること を説明します。
ちなみにぼくは、会田さんの作風は割と好きなんですが、題材にはちょっとエグすぎるものもあるなあと思ってます。
また被害女性は「おばかなアカデミズム」にやられちゃって、ホントに可哀想だと思います。
美術モデルをしている女性オーさんの訴えはこうです 過激なエログロ画家・会田誠氏はこのようにもっともな説明をしています 古っぽくて営利主義的な大学運営こそが問題なんじゃない? 「問題」を解決するため、会田氏が積極的な関与をすることを提案します。 [追記 2019.3.6] 本記事を書いた意図の説明です。 [追記#2 - 2019.3.6] 講座を企画した鈴木芳雄の発言です。 美術モデルをしている女性オーさんの訴えはこうです オーさんは、京都造形芸術大学の通信教育部を卒業後、美術モデルをやっている39歳の女性です。
彼女は、京都造形芸術大学・東京藝術学舎で開かれた社会人向け公開講座(全5回、2018年4月から6月にかけて開講)
『人はなぜヌードを描くのか 見たいのか』 を受講しました。
三回目の講師の会田氏は、過激なエログロの画風で知られる画家ですが、オーさんはそのことを知らなかったといいます。
18年4月~6月に全5回行われた「ヌードを通して、芸術作品の見方を身につける」という社会人向け公開講義を受講したとのこと。会田氏がゲスト講師を務めた第3回の講義では「涙を流した少女がレイプされた絵」「全裸の女性が排泄している絵」「四肢を切断された女性が犬の格好をしている絵」などがスクリーンに映し出されたといい、会田氏は「デッサンに来たモデルをズリネタにした」などと下ネタを口走ることがあったという。女性は大学側に抗議したものの、その後も別のゲスト講師の講義で勃起した男性の写真の投影などがあったといい、急性ストレス障害の診断を受けていた。
ヌードの美術講義が「セクハラ」と大学を提訴 講師の会田誠氏が反論 - ライブドアニュース 会田氏の講義の後にオーさんは「すぐに、大学のハラスメント窓口に苦情を申し立てた*1」*2とのことで、この時点で大学側がきちんと対応できなかったことが問題の始まりと思われます。
(女性は)学校側に抗議。学校側は事実を認める一方で、示談の条件として校舎の立ち入りや学校関係者との接触を禁じるなどの対応をし、「外部に出したら名誉毀損として法的措置を検討する」などと大原さん側に伝えたという。
会田誠さんらにゲスト講義で自慰写真など見せられ「セクハラ受けた」 美術モデルの女性が学校法人を提訴 | ハフポスト オーさんは、
「講義内容が本当にひどいものだった」「セクハラを訴えたあとも、大学側の対応が、教育者としてあるまじき姿だった」「生徒を守ってくれないのは本当に残念だ」*3
「有名人を守るため、生徒側の口封じをした教育者としてあるまじき行為が許せなかった」*4
と語っています。
なお、三回目で嫌な思いをしたのに、なぜその後も講義を受け続けたのか疑問に思う方もいらっしゃると思いますが、こうした公開講座というものは有料ですから、苦情を申し立てた上で受講を続けたことは特別おかしなことではないでしょう。問題は、五回目にも同じようなことが起こる可能性があったのに、十分な対応をしなかった大学側の姿勢ということになるはずです。
*5
さて、「講義内容が本当にひどいものだった」のかどうかを、会田氏の発言を見て確認してみましょう。
過激なエログロ画家・会田誠氏はこのようにもっともな説明をしています 会田氏はオーさんの記者会見の報道を受けて、ツイッターで詳しく事情を説明しています。*6
(その日の講義は)学者や研究者のやる講義からはほど遠い、実作者としての言葉だった。
落ち着いた文化教養講座をイメージしていたなら、すごいギャップがあったでしょう。
そもそも西洋から来た「ヌード」という美術のジャンルが、歴史的に「妙なもの」であるという点を軸に話したつもりでした。研究者でないので結論なくグダグダ話しただけと思いますが。全体的には「人類にとって芸術とは何か」という僕の人生を賭けたシリアスな問いの一環だったはずです。
「モデルをズリネタに」云々という文字がありましたが、おそらくこういう文脈で出てきたものです。美大油絵科の学生としてみんなとヌードモデルを描いていた時に、はたと気づいた。裸の女性が真ん中にいて、たくさんの男たちが(当時美大は男子学生が多かった)それを凝視している。
そして言外に欲情は禁じられてる。これってなんなんだ? 何ゆえなんだ? 歴史的経緯は? 美術・芸術の領域(具体的には芸大上野キャンパス)から一歩出た世間は、まったく違う風か吹いているじゃないか? どっちが嘘をついているんだ? どっちが病的なんだ? そういう問いです。
だからこそ、このあたりの僕の主張は強めになってしまう。近代美術を愛している人々の心の平和を根底から揺すぶってしまう。今回の件と関係あるかどうかはわからないけれど。
会田氏の説明は、自作と講義内容が決してセクハラを意図したものではなく、「今日的な意味で十分に芸術的であること」を明快に説明しています。
また、オーさんが会田氏の講義によって精神的苦痛を受けたことについては、ご自分が訴えの対象になっていないこともあるのでしょう、まったく触れていません。
会田氏の画風は極めて特殊なものですから、これに接することで精神的苦痛を感じる方は当然いるだろうと思います。
とすれば、そうした点について事前に大学側が十分に配慮をしていたか、また、オーさんからの抗議があった時点できちんとそれに答えたかどうかが問題になってきます。
なお、オーさんは会田氏が「酒に酔ったような状態で現れた」*7と言っているのですが、これについては会田氏は次のようにはっきりと否定しています。
僕の(研究者でも学者でもないのでこれしかできない)フリートーク的スタイルと、肝臓の弱りからくる赤面(30年にわたる飲酒が原因で、僕の知り合いならみんな知ってること)ですが、この時はけして【まだ】飲んでません。彼女の単純な誤解です。
https://twitter.com/makotoaida/status/1100732706759962625 古っぽくて営利主義的な大学運営こそが問題なんじゃない? すでに書いたように、五回中三回目の会田氏の講義の後、オーさんは「すぐに、大学のハラスメント窓口に苦情を申し立てた*8」*9にも関わらず、大学側はこれに十分な対応をすることができなかったと思われます。
その結果、五回目の写真家・鷹野隆大氏の講義で同様の「事件」が再発してしまったわけです。
大学側の問題対応は、この後の話し合いでピークに達します。
「大学側は同年7月、環境型セクハラについて、対策が不十分だったと認める内容の調査報告書をまとめた」*10にも関わらず、次のような示談条件をオーさんに伝えたというのです。
学校側は事実を認める一方で、示談の条件として校舎の立ち入りや学校関係者との接触を禁じるなどの対応をし、「外部に出したら名誉毀損として法的措置を検討する」などとオーさん(本記事筆者により仮名化)側に伝えたという。
先日書いた記事 にfuyu (id:yagawafuyu)さんが「としべえはインドに滞在中で、四ヶ国語が操れて、文章を生業にしている」という由のコメントをつけてくださいました。
ですが、これは実際のぼくとはちょっと違っているので、今日はそれをネタに自己紹介の記事を書きます。
確かにインドにいます。 四ヶ国語は操れないかな。 文章を生業にしてるの? 確かにインドにいます。 インドに滞在中なのは間違いありません。パスポートをばらばらとめくってみると、2016年9月 - 2017年2月(約6ヶ月)、2017年5月 - 2017年10月(約6ヶ月)、 2017年11月 - 2018年3月(約4ヶ月) と二年のうち16ヶ月近く滞在した上で、昨年10月から来月(3月)までの5ヶ月の滞在をしているところです。
インドはビザを取れば最長6ヶ月いられる上、日本でなくネパールなど近隣の国でもビザが取得できるので、所用で2015年の春から半年マレーシアに滞在したのを皮切りに、たまにしか日本には帰らないままでの海外暮らしが、そろそろ丸4年を経過しようとしています。
さらに言えば、その前も2011年9月から2013年8月までも丸二年日本を離れてましたし、遡れば2004年の夏から一年間もアジアをあちこちふらふらしていたという塩梅で、定住と言えるような海外経験はほとんどないのですが、長期滞在・沈没型のバックパッカー風ヒッピーもどきな人生を、奥さんと二人で送っているというわけなのです。
四ヶ国語は操れないかな。 冬さんが四ヶ国語と数えてくれたのは、日本語、英語、タイ語、ヒンズー語の四つのことかなと思うのですが、北インドの共通語であるヒンズー語はまだまだ片言程度で、喋れるとまでは言えません。でも、百までの数字が不規則に変化して、覚えるのがとっても難しい数字だけは練習して言えるようにしたので、買い物はヒンズー語でできるのが自慢です。
大体ぼくは、喋るのがそもそも苦手なんです。だからタイ語も、辞書を引けば文の意味は分かるくらいに文字も文法も覚えたのですが、喋る方はてんでダメ。ただし耳から聴いて口で話して練習しましたから、声調は結構まともにできるのでタイの人もほめてくれます。
タイ語は中国語と同じで声調言語なので、イントネーションが違うと意味が違って全然つうじないんですよ。
最後に英語ですが、最近ようやく「話すの苦手」の意識が取れてきて、先日知り合った英国紳士ジョンさんとは、割と楽しく英語で話すことができました。「きみの英語はイギリスっぽいけど、イギリスは行ったことあるの?」と聞かれたので、
「いや、ないけど、ブリティッシュ・ロックが好きでね」と言うと、
「なるほど、ぼくはローリング・ストーンズが好きでね」という感じに話が弾みました。
いやあ、英語ってホントに楽しいもんですね。
文章を生業にしてるの? 残念ながら現状では生業にしているとは到底言えません。
このはてなのページとhttp://note.mu/tosibuu を使って、なんとかサラリーマンの小遣い稼ぎのレベルまで持っていけないかと挑戦中ですが、現状は月数千円がせいぜいで、小学生のお小遣いにもならないくらいの悲しい状況です。
でも、note.muは途切れ途切れの投稿ながら四年になるし、はてなでのアドセンスも二年ちょっと続けていて、少しずつ形にはなってきているので、もう少しがんばっちゃおうかなー、と思っているところです。
あと、フロリンダ・ドナーというアメリカで文化人類学をやってた女性のアマゾン生活体験記「シャボノ」という本を翻訳していて、これをどこか出版社が拾ってくれないかなと、こちらにも望みをつないでいます(もうじき完成の予定)。
下記のページから前半部の未完成原稿が読めますので、気が向いたら読んでやってください。感想などいただけると望外の喜びです。
魂の次元: 本の紹介: フロリンダ・ドナー「シャボノ」、アマゾンの奥地のヤノマミ族の暮らし
というわけで、簡単な自己紹介のような、近況紹介のようなお話でした。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
今日はちょっと重い内容の本を紹介します。
矢川冬さんは小学生のときに実の父親から性的虐待を受けました。50年も昔の話です。
助けを求めた母親にも拒絶され、冬さんは一人でその絶望的な状況を乗り越えるしかありませんでした。
こちらが彼女の30年にも及ぶ孤独な闘いの記(しる)された本です。
矢川 冬「もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて」(2018 NextPublishing Authors Press)
性暴力の問題は、重たすぎて、ぼくの力量では書ききれないのですが。 実父からの性的虐待という恐ろしい烙印 女が一人で生き抜くために。ボーボワールとフェミニズム 冬さんの底力 アマゾンで、初期費用無料で自分の本を出版して売れる時代なのね。 矢川冬さんのことはわっと (id:watto)さんに教わった。 性暴力の問題は、重たすぎて、ぼくの力量では書ききれないのですが。 はじめにお断りしておきますが、ぼくはまだ冬さんの著書を読んでおりません。現在インドにいるため、著書を取り寄せて読むことが難しいのです。
けれども、アマゾンで読者のレビューを12編全部読んで、この本はぜひ多くの人に読んでもらいたいと思いましたので、見切り発車的ではありますが、冬さんの経験について、今書けるだけのことをこの記事で書いて、わずかばかりでも冬さんを応援したいのです。
また、ぼくの性別は男であり、LGBTというわけでもありませんから、女性に対する性暴力について、当事者的な立場で実際の体験にもとづいた発言をすることはできません。
ですからここに書くことは、ぼくなりの思考実験による一つの解釈の記述ということになります。
ただし、ぼく自身、社会における少数者としての「苦しみ」を自分なりに知っていますので、決して傍観者的な発言をするものではありません。
性暴力という極めて過酷な体験について、実感としては理解できないことを承知の上で、自分の経験してきた「社会からはみ出したもの」としての苦しみにもとづいて、自分にできる範囲で「冬さんの人生」を表現してみようと思うのです。
実父からの性的虐待という恐ろしい烙印 冬さんは9歳のときに性暴力事件を経験し、それについて何も言えなかったことを知った父親から、10歳から12歳のときまで性的虐待を受け続けることになりました。
アマゾンの著者紹介にはこうあります。
性虐待が10歳で始まると同時に成長はとまり、感情消失、言語の障がい、うつが出現する。性虐待を受けていた頃の体形そのものがPTSDを誘発する。24時間365日なぜ辛いのか。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4802094310?ie=UTF8&tag=ksatmblr-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4802094310 彼女はまさに「生き地獄」を生き抜いてきたのです。
「被害者のトラウマから発生する乖離症状が次の性被害を呼び込む」という構図の中で、冬さんはのちにさらなる性暴力を受けることになります。そのとき、実父から受けた性的虐待という「烙印」があるために、冬さんは「こんな被害を受けるのは自分が悪いのだ」という思い込みに苦しめられます。
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女が一人で生き抜くために。ボーボワールとフェミニズム 冬さんは10歳のときに「子どもは入らない、結婚もしない」と決心し、家族から離れることを第一の目標にします。
性虐待のトラウマから「自分は何もできない無能な人間だ」と信じ込んだ冬さんは、唯一の逃げ道を勉強に見いだし、地域で一番の公立高校に入り、有名私大に合格して実家を逃げ出します。
けれども、家族から離れても彼女の「生きにくさ」は減るどころか増すばかりでした。
虐待の後遺症であるPTSDは遅れてやってくるのです。しかも当時は誰にもなんの知識もなく、一人の専門家すらいませんでした。
パニックや鬱の症状がどうして起こるのかも分からず、自分の性質のせいだとしか考えられず、孤軍奮闘せざるを得なかった彼女の救いになったのは、女一人で生き抜くために、教育と経済力をつける過程で出会ったフェミニズムでした。
なかでもボーボワールから強く影響を受け、ご著書の中でもボーボワールの「娘時代」を含め、自分の経験にもとづいて、女性の自立に役立つさまざまな書籍を紹介してらっしゃいます。
冬さんが本当に一人で切り抜けなければならなかった五十年前と比べれば、性暴力の被害者にとって今の状況は多少なりとましなものになっているはずですが、実のところ社会的な偏見は根強く残り、医療・福祉関係者の無理解もまだまだあり、男性による女性の抑圧自体が、未だに十分認識されているとは言えません。
本書のような書籍が多くの人に読まれることで、少しでもよい方向に社会が変わっていくことを切に願うものです。
冬さんの底力 冬さんは、実父からの性虐待を受けるまでは、きっと聡明な子どもだったに違いありません。お母さまからも事件以前は必要十分な愛情を受けていたのではないでしょうか。
あなたはなぜ「人生詰んだ」と思っているのでしょうか?
どうして「もう自分の人生は終わりだ」と感じるのですか。
あなたが莫大な借金を抱えていたとしても、健康を失い寝たきりになってしまったのだとしても、あるいは人間関係に悩み、社会に絶望しているのだとしても、実はそれは「人生の終わり」ではなくて、
「再出発のチャンス」なのだ と聞いたら、「何をアホなことを言ってるんだ」と思うでしょうか。
人生に絶望してますか? 刑務所行きになったからって人生が終わるわけじゃない 医者に「あとひと月の命です」と言われたら? 具体的な方法・その1、日本を離れる。 具体的な方法・その2、生活保護を受ける。 「何を言われても、そんなの聞いてる余裕なんかないんだよ!」というあなたに。 最後にぼくのこと。五十も過ぎてふらふらしてても、なんとかなる。 人生に絶望してますか? あなたが「人生に深く絶望している」、その気持ちを否定するわけではありません。
「人生詰んだ」と思うからには、自分の人生はもうダメだ、もうどうにも打つ手がない、と感じるあなたの気持ちに嘘はないでしょう。
けれども、どんなにヒドイ状況であっても、例え医者に「余命はひと月です」と宣告された場合であっても、その状況を「人生の終わり」と思うか、「新たな再出発」と思うかは、
あなたの「考え」次第なのだ、 ということに気づいてほしいのです。
刑務所行きになったからって人生が終わるわけじゃない たとえば、ホリエモン氏のことを考えてみましょう。急成長したIT企業ライブドアの社長だった堀江貴文氏は、その絶頂期に証券取引法違反で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けました。
普通の人なら、実刑判決を受けた時点で「人生詰んだ」と思うに違いありません。
けれども彼は、まさにそれを「人生の再出発」と捉えていたはずです。
刑務所に入ることは恥にはなっても、決してほめられることではないはずなのに、その直前に秋葉原で壮行会を行ない、モヒカン刈りに go to jail (刑務所に行け) という出で立ちで現れました。そして刑務所暮らしを有料メルマガで配信し、日本一の登録者数を誇ったというのですから、見方によってはあきれるしかありません。
二年弱の刑務所生活を模範囚として終え、出所してからも自由に生きる彼の姿には共感する人も多いでしょう。
ホリエモン氏のような例は、特殊な才能を持つ、有名人だからこそ可能なのだ、とあなたは思うでしょうか?
確かに彼には「特殊な才能」があるとぼくも思います。けれどもそれは「お金を稼ぐノウハウ」とかそういうことではありません。
彼が持っているのは「常識にしばられず、自由にものを考える」という才能です。
絶体絶命のピンチの状況にあっても、そこに活路を見出すだけの「自由な視点」を持つことができれば、「人生詰んだ」などと思う必要はないのです。
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医者に「あとひと月の命です」と言われたら? もうひとつ、こんな例はどうでしょうか。
あなたが体調を崩し、医者にかかったとしましょう。
すると医者は顔色を変えて、すぐに入院して検査をする必要があると言います。そして入院して精密検査をした結果の医師の言葉が
「あとひと月、持つかどうか……」 というものだったとしたら――。
現実にこのように余命宣告を受ける人は、年齢に関係なくいるのですし、確かにこのような宣告を受けた人の多くは、医者の見立てに近い期間でなくなっているはずです。
けれども中には、余命を越えて生きる人もいますし、その中には完全に回復して元気に生き続ける人すらいるのです。
今日は、ゆきにーさんの
・【質問への回答】ある程度は数字を気にしてもいいけど、ブログは好きなこと書けば良いんですよ。 - 超メモ帳(Web式)@復活
という記事からお題をいただきつつ、
「なぜネット上で文章を書くのか」 という言い尽くされた感があるけれども、語れば尽きることのない定番の話題について、新年らしくつれづれに書きます。
閲覧数についてゆきにーに質問したのはわたしでーす。 ゆきにーの実直で暖かい言葉に打たれました。 で、のんくら本です。閲覧数を上げるための基礎トレーニングでもしましょうか。 無駄に長いオレのブログ歴に、今年こそ磨きをかけて輝く宝石にするぞ! 突然ですが、沖縄そばと沖縄移住計画もどきの話です。 これがはてなブログ執筆における今年の課題3つです。 閲覧数についてゆきにーに質問したのはわたしでーす。 今日はゆきにーの記事にぼわんと影響を受けて、つれづれモード前回で書きます。
きっかけは、ゆきにーの
・一人で統合失調症のイメージ変えようなどと考えてたりしてたけどどうしようもない。 - 超メモ帳(Web式)@復活
という記事でした。
統合失調症という偏見がつきまとう「病気」をわずらうゆきにーが、その「病気」への偏見、メディアの扱いの偏りについて、淡々と気持ちを書いてらっしゃいます。
その中に、ブログ村の統失カテゴリーの話が出てきて、そこからの閲覧数は多くはないんだけど、量よりも質を大切にしているのだけど、順位が下がっているので今後どうしようか、という話がありました。
そこで、読者数400名を超える中堅どころのはてなユーザであるゆきにーに、「閲覧数などについて質問してみたい!」との思いがむくむくと湧き起こり、
閲覧数はどのくらいあるの? 閲覧数、気にしてますか? 閲覧元はどこが多いですか? と聞いてみたわけです。
ゆきにーの実直で暖かい言葉に打たれました。 すると早速お返事があり、
閲覧数は、ピーク時には30,000ほどあったが、12月は18,000ほど。 閲覧元の60%は検索流入。 「雑記ブログでは安定した定期的な更新頻度が重要」、「アナリティクスでどの記事が読まれてるか、検索ワードは何かのチェックはしているが、それで書く内容は変えない」 とのことでした。
こんなふうに箇条書きにしちゃうと味気なくなってしまいますが、これを答えてくださるゆきにーの言葉の調子が、落ち着いていて暖かみがあって、とてもいいんですよね。
少し引用させてもらいましょう。
ブログでは多くの人々の読まれるよりは、むしろリピーターを増やしていくのを心がけるのが肝心じゃないか?と思われます。のんくら本ではリピート率70%まで増やせ、と書いてありますけど、それぐらいまでリピート率を増やすとGoogleのアルゴリズム変動があっても安定したPV数が稼げます。そのためには雑記ブログでは安定した定期的な更新頻度なんかが重要じゃないかなーとは思いますね。
ぼくにはなかなか真似できないのですが、「少しでもそういう味わいを取り入れていく」というのが今年の課題の一つになります。
で、のんくら本です。閲覧数を上げるための基礎トレーニングでもしましょうか。 ぼくはネット界隈の事情にはうといもので、今回はじめてのんくらさんを知りました。
ゆきにーさんが、迷える子羊のわたしめに、
☆のんくら(早川 修) さんの「Google AdSense マネタイズの教科書[完全版]」(ソフトカバー、2018/11)
を紹介してくださったのです。
出版元の日本実業出版社の紹介ページで、のんくらさんはこんな風に語っています。
私が10年以上サイト運営に取り組んできた中で気づいたことは、自分本位でなく常にユーザーを中心に物事を考えることができていれば、たとえ時間がかかったとしてもGoogleから高い評価を必ず得られるということです。
短期で稼ごうとするサイトほどGoogleに嫌われる – 日本実業出版社 「ユーザ中心に考えれば、必ずgoogleから高評価を得られる」かというと、これはちょっと違うかなという気もします。というのは、googleと言えども、やっぱり営利企業ですから、大手のスポンサーの意向には配慮してるはずですし、実のところ各国政府の意向にも配慮しているはずです。
とはいえ、
ユーザは何を求めて検索しているのか、 googleはユーザに何を提供しようとしているのか、 という二点については、
「やっぱ日頃から意識しておいたほうがいいよな」 と改めて感じます。
一方、ゆきにーがのんくら本に注目しているのはこれとは真逆の部分で、
リピート率を70%まで上げる という話です。
ゆきにーはアクセス元の60%が検索流入ということなので、「リピート70%」はかなり高い目標ですよね。そもそものんくら本は、雑記型でなく、特化型のブログ向けの内容ですし。
そしてねこの60%検索流入って、ぼくからすると断然リピート率高く見えます。ぼくのブログは、ほっとくとすぐ90%以上が検索からになっちゃいますので。
ゆきにーおすすめの「安定した定期的な更新頻度」、これを大いに心がけたいところです。
さっき確認して感心しましたが、ゆきにーは昨年、一昨年とほぼ毎日更新してらっしゃるようです。すごい。
絶対ぼくには真似できません。
てゆーか、おととし本格稼働したこのブログ、初年119本、二年目87本しか書いてません。
しかも、まったく定期的じゃなくて、気分が乗ったときだけ。
なんだかんだで、それなりに閲覧数も増えてきたので、それはそれでよしとしますが、今年は少し趣向を変えて、週2本の更新を目標にしたいと思います。記事数は変わらなくても、定期更新のほうが読者のみなさまには親しみを持っていただけるかと思いますので。
というわけで、のんくら本についてはほとんど書けませんけれども、ただ煽るだけじゃない、しっかりした本であることは、各種書評からもびしびし伝わってきますので、今度日本に帰ったら購入してじっくり読むことにします。
いつもながらに話題作りのうまいキンコン西野氏が、11月に発売した新著を12月19日に早速ネット上で公開しました。
・11月発売&絶賛ヒット中のビジネス書『新世界』を全ページ無料公開します(西野亮廣)|新R25 - 20代ビジネスパーソンのバイブル
今までの著書と同じく、とってもおもしろい本ですので、スマホやパソコンでささっと目を通すもよし、書店やアマゾンで購入してじっくり線を引きながら読むもよし、ご自分に合った方法で楽しんでいただけたらと思いますが、「そこまでする時間はないよ」という皆さんのために、この記事では「新世界」の概要をご紹介したいと思います。
「大丈夫、行けるよ」 キンコン西野が経験した「苦難と成功」 新しい挑戦とさらなる苦難の道 「大丈夫、行けるよ」 r25.jp 上の「新世界」のページを開くと、記事タイトルの上に小さめの赤い字で
「大丈夫、行けるよ」 という西野さんの呼びかけのメッセージが書いてあります。
この言葉に「新世界」という本に込められた西野さんの気持ちが詰まっているのを感じます。
今の世の中、正直に言って息苦しいとは思いませんか?
株や仮想通貨で誰かが儲けているような景気のいい話をメディアで見聞きする機会はあっても、自分の周りではそんな浮ついた話は聞いたことがありません。
ごく一部の人たちが儲けているのを遠目に見ながら、一般人のぼくたちは、一生懸命働いても稼ぎはたかが知れてるし、仕事につけずに悩むものも多い。
かといって会社に見切りをつけて起業ができるかといえば、それもどこか遠くの世界の話で、ほとんどの皆さんが現状に我慢して、なんとか毎日を過ごしている、そんな姿が目に浮かびます。
そこに西野さんという溢れるエネルギーを持つ青年が、
「大丈夫、行けるよ」 と、あなたの肩をぽんと叩いて、今とは違う新しい可能性を教えてくれるのがこの本、「新世界」なのです。
キンコン西野が経験した「苦難と成功」 西野さんは高校を卒業すると兵庫の田舎街をあとにして、大阪の「新世界」、家賃4万円の部屋で一人暮らしを始めます。
吉本の養成所で出会った梶原雄太氏とコンビを組み、死物狂いの努力をします。そして頭角を表し、20歳の頃には東京で「はねるのトびら」という深夜番組にメインとしてレギュラー出演するまでになります。
けれども、このスピード出世が仇になって、秒刻みのスケジュールと、期待に答えられないための批判の声がストレスとなり、相棒の梶原さんは精神に失調をきたし、失踪してしまいます。
マネジャと話し合って、一人では活動をせず、自宅待機をすることに決めた西野さんは、梶原さんの復帰を待ちながら、自宅でネタを書き続けます。梶原さんはいつ戻ってくるのか、本当に戻ってこれるのか、不安にかられながらも、彼は待ったのです。
そして三ヶ月、復帰した梶原さんとともに西野さんは活動を再開し、自宅待機中の経験を肥やしにして活躍します。
「はねるのトびら」はゴールデンタイムに進出し、日本一の視聴率を取るまでになります。
25歳のときのことでした。
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新しい挑戦とさらなる苦難の道 けれども西野さんは、その「売れっ子芸人」の地位に満足しませんでした。
西野さんはこう書いています。
ボクは、「どうして今の自分に、芸能界のトップを走る先輩方を追い抜く気配が備わっていないのか?」を考えてみることにした。
そしてそれは、先輩方の敷いたレールに乗って走っているからなのだと気がつきます。
西野さんは「新しいレールを敷く」という大胆な挑戦を始めます。
すると周りからは大バッシングの嵐が巻き起こります。新たな苦難の始まりです。
ここで西野さんは読者に語りかけます。
「キミは今どこにいる? 一歩踏み出したいけど、踏み出せない? 変わりたいけど、変われない? 一歩踏み出したら、ぼこぼこに殴られるんだもんね、怖いよね。
☆ロックでカッコよかったアベマが「ゴシップとフェイクニュースにまみれた」凡庸なメディアに「成り上がった」経緯がこれです。
この記事では、プロ奢ラレヤーこと中島太一氏(多分21歳)の
「働かないで生きる人生」 を紹介するとともに、彼がなぜアベマのアイドルキャスターに
噛みつかざるを得なかったか を、この事件の当事者双方を傷つけることなくお伝えします。
なお、簡単に経緯をまとめますと、
プロ奢氏の生き方に「当てられた」キャスター氏が番組中泣いてしまい、 プロ奢氏はそれに淡々と対応していたために、「逆恨み」を買い、 その結果「いやらしい」質問をされたプロ奢氏がキャスター氏に噛みついた、 また、キャスター氏はその他にも番組中で事実と異なる説明をしており、 プロ奢氏は、そのような内容を放送するアベマを「フェイクニュースを流している」といって批判、 結論としては、この事件の「責任」はお二人にではなく、アベマtvにある ということになります。
プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? アベマでのアイドルキャスターとの因縁の出会い。なぜプロ奢氏は彼女を泣かせてしまったのか? 大晦日のリターンマッチ。キャスター氏の「反則技」からプロ奢氏も場外乱闘へ。 プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? ここではプロ奢さんについて、簡潔に紹介します。
中学二年のとき、友だちが亡くなったことをきっかけに、彼は「生きるとは何か」を考えるようになります。(中二病そのものですね!)
彼は「『何か』を残さなきゃ」生きていることにならないと思って、それが何なのかを考え続けました。
大学進学半年で彼は、その問いに一つの答えを見つけます。
それは、未知でした。
私のいままでの「なにか」は、いつも未知の世界にありました。わからないことを思い切ってやってみると、なんだか、いまを生きている心地がしたのです。友人や初対面の人たちに、いままでの私の人生について尋ねられ、意識的に記憶を振り返ってみたときに思い出す「こと」は、いつもその瞬間に生きた心地のしていた「こと」でした。
わからないこと。生きた心地。
それが私の、「なにか」になるのかもしれない。
もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note そうして彼は大学をやめ、「未知」を生きるために、5,000円の寝袋とコンビニで買い占めたホッカイロと現金3万円を持って、冬のプラハに旅立ちます。
英語もロクに話せず、現地の言葉はまったく分からない。そんな彼が零下20度にもなる冬のプラハでの三ヶ月を、どうやって生き延びたのか……。
とにかく彼は三ヶ月を過ごしたチェコをあとにして、元気に日本に帰ってきます。しかもスロヴァキアの姉さん女房までお持ち帰りして。
帰国後 VALU と出会った彼は、そこを舞台に大活躍します。
https://valu.is は個人が会社のように「資金調達」できるようにするサービスで、彼はここで「自分の生き方」をお金に変える方法を学び、のちにそれが「奢られて生きる」という、プロ奢ラレヤーの誕生につながるわけです。
窮屈な日本社会で、 働くのが苦手な若者が、 軽々と自分らしく生きる。 この3つの要素によって、プロ奢さんが今ネット上で静かに熱いブームを作り出している理由を説明することができるでしょう。
ここまで読んでプロ奢氏に興味を持たれた方は、彼が書いた次の2つの記事を読むと、「うーむ」とうなること請け合いです。
・もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note
・「6カ月でフォロワー2万人を獲得した ツイッター戦略」|プロ奢ラレヤー|note
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この記事では「東大卒」という烙印が、人生にどんな影響を与えるかを、主に負の側面から、特に文系女性の場合において考察します。
「『東大生』というと人間扱いされない!」という、ぼくの男友だちの悲痛な叫び 東大卒文系、一般企業就職の女性が受ける「受難」の日々 東大卒、文系、一般企業就職の女性をどうすれば「地獄」から救えるのか? 「『東大生』というと人間扱いされない!」という、ぼくの男友だちの悲痛な叫び まずは個人的な話から入りましょう。
ぼくは東京の人間で、私立の中高一貫制の男子校を卒業して、1980年代の半ばに大学生活を送りました。
そのときの同級生で東大卒の友だちが何人かいますが、ぼく自身はそんなに勉強はできなかったので、別の国立理系大学に進学しました。
大学時代も高校からの友だちとつき合いを続け、よく酒を飲みましたが、その中に、仲間のうちでも一番頭のよい、そして感受性も人一倍強い奴がいました。そいつは東大で数学を専攻していました。
彼は酒の席で、同じ店にいる見知らぬ人とも平気で喋る、ちょっと変わった奴だったのですが、その彼があるときこう言ったのです。
「『東大生』だと分かると、人間扱いしてもらえないから、酒の席で見知らぬ人と喋るときは、『千葉大に通ってる』と話すことにしている」のだと。
当時のぼくは彼が少し過敏すぎると思っていたので、そんなことまでしているとは「こいつはホントに変わった奴だな」くらいにしか思わなかったのですが、今となれば、感受性の強い彼が、実際の経験から相手の反応をよく確かめた上で、「実質のある」会話をするためにはそうせざるをえないと考え、わざわざそのような手の込んだフェイクを使っていたのだな、ということがよく分かります。
つまり、世間一般の人間というのは、それほどまでに「東大生・東大卒」というものを
恐れ、敬い、軽蔑し、バカにしている ということです。
こんなふうに書いても、そうした経験のないみなさんにはにわかには信じがたいことかもしれません。
現役の東大生が書いた
・東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note - (1) tonoike
という記事や、東大卒の20代女性が書いた
・それでも世の人は、東大を舐めずにはいられない|桂|note - (2) 桂
という記事を読んでいただければ、
東大生の特殊性と、 それに対する周りの人たちの特別な反応について、 いくぶんかは納得していただけるのではないかと思います。
東大卒文系、一般企業就職の女性が受ける「受難」の日々 次に上に挙げた (1) の桂さんの記事から引用して、東大卒の女性が社会において受ける「差別」のひどさと、その錯覚資産*1ならぬ錯覚負債について少し見ることにしましょう。
まず、桂さんの子ども時代の経験から、彼女がいかに精神的に「虐待」され、屈折した「エリート意識」を持っているかを確認します。
私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。
「謎の強迫観念」と冗談めかして書いていますが、「起きている時間はずっと勉強」をしているとは、「ほとんど病気」としかいいようがありません。
この方はこのような「地獄」を切り抜けられて、現在は健康に過ごされているようですが、
一歩間違えれば人生が破滅しかねないレベルのストレスを受けていた といっても言いすぎではないでしょう。
この「苦痛を乗り越えた」という実感が、「屈折したエリート意識」につながります。
新入社員として自己紹介をし、学校を聞かれて「東大」と言った瞬間、周りの人の目から光が消えたのを覚えています。
「まあ、仕事には勉強は関係ないからね」
東大、と言ったそのすぐ後に、その場にいた一番偉い役職者の方が仰いました。私は「東大だから仕事ができます」のようなことは一切口にしていません。ただ、学校を聞かれたから、東大です、と事実を答えただけでした。
その場にいた一番偉い人がそんなこと言うもんだから、周りの先輩がたも次々に同調しました。「仕事は人と人との関わりですからね、勉強できることは関係ない」「ですよねー、俺の同期の高学歴のやつも全然営業できなくて」「経験の方が大事ですよね」・・・。私は、東大卒というプロフィールを持っているだけで、なぜこんなに怒られているんだろう、そういう違和感をその時、初めて抱きました。
ここまでは、世間を知らなかったお嬢様が、初めて現実世界の冷たい風に晒されたときの実感が、実に率直に述べられています。
私は一般企業に入社して最初の一年、東大を卒業したことを心底後悔しました。
大学名を聞かれ、言った瞬間に構えられる。
マウントを取っていないのに逆にマウンティングされる。
人より苦手なことがあると、人の数倍バカにされる。
東大を出て、一般企業でいいことなんて何もなかったです。
この最後の一文に、彼女の「屈折したエリート意識」が見え隠れしています。
つまり、
「東大を出たのだから、一般企業でもいいことがたくさんあると思っていたのに、こんな目に合うのはおかしい。みんなはもっと自分の優秀さを認めてくれていいはずだ」
という
「虐待」されて育った 可哀想な「子ども」の 悲しい「自意識」が見て取れる ということです。
これを「エリート意識」という言葉で説明するのは、少し誤解を招くところかもしれませんが、うまい言葉が思いつきませんもので、「屈折したエリート意識」とさせていただきました。
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現役の東大生がご自分の受験の経験を書いた記事がネットの片隅で話題になっています。
・東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note
今日はこちらの記事を題材に、わたしたちが
東大に対して抱(いだ)く幻想と錯覚について 少しばかり考えることにします。
平均してみれば、東大生は頭はいいものの、あなたやわたしと変わらない、
利己的かつ偽善的で、欺瞞に満ちた愛すべき愚者である というのが一つの結論です。
なお、これは上にあげた記事を書いたtonoike氏がそのような人間であるといっているわけではありません。氏はむしろ、率直で自分の限界を心得た、極めて謙虚な人物であると感じます。
東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 東大を「舐めている」人たちへの伝言 - どんどん「舐めて」やってください 東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 「これはまったくヒドイことになっているな」 というのが、tonoike氏の中学受験の体験談を読んで真っ先に浮かんだ感想です。
母親がPS2を餌に子どもに勉強をさせる。
「そんなやり方はやめといたほうがいいのに」とこのことについても思いますが、それは序の口です。
子どもが勉強をするまでつきっ切りで干渉し、あげくの果てには手を上げてまで勉強を強要する。
それでも子どもがやらないと父親まで動員して暴力を振るわさせるとは、
このお母さんは気が狂ってるのだろうか、 と正直ぼくは思いました。
けれども、それを書いている東大生のご本人は、そのときは地獄だったけれども、「今は家族関係は良好だ」というし、「そんな程度の話は周りでいくらでもあるんだ」というのですから、このお母さんがおかしいというわけではなく、日本の社会そのものが「異常」であるというべきか、あるいは、
人間自体が「標準」を常に逸脱し続ける「異常」な存在なのである、 とでも考えるしかないのでしょう。
けれども、世のお母さんにここで一つだけ考えていただきたいのは、
暴力を使うかどうかに限らず、子どもの意志をねじ曲げてまで勉強させようとすれば、あなたの大切な子どもが死んでしまう場合だってある、 という冷酷な事実です。
tonoike氏が書いている
部活を親が半ば強制的にやめさせようとしたら人生の方をやめてしまった人もいました。
というのは、ぼくの読み間違いでなければ、彼のごく身近にもそのような形で亡くなった方がいるということですよね。
あるいはしばらく前に社会的な大問題にまでなった「電通過労死事件」についてはどうでしょうか。
東大卒の女性が「過労死」したあの事件も、見方を変えれば、お母さんがわが娘を「殺してしまった」事件なのだと見ることはできないでしょうか?
これは娘の死に関して、お母さんに責任があると言っているわけではありません。
お母さんの期待に答えて、一所懸命に勉強して東大に入り、世間知らずだったために電通という「魑魅魍魎」の会社に入社してしまい、嫌ならやめればいいだけなのに、「よい子」でいなければならないので会社をやめることもできずに「死んでしまった」彼女に、期待をかけすぎ、その自由をしばってしまっていたのはお母さんなのではないのか、という推測にもとづく仮説を述べているだけのことです。
彼女がお母さんを思っての言葉を残して亡くなっているだけに何とも不憫ですし、このような形で娘に先立たれたお母さんの気持ちを考えると言葉もありませんが、もしも彼女とお母さんとの関係が、もう少しだけ素直に気持ちのやりとりができるものだったならばと考えると、本当に心が痛むのです。
もし、これを読んでくださっているみなさんの周りで、自分の子どもに勉強を無理強いしているのではないかと思われるような親御さんがいらっしゃったら、どうかそのお子さんに声をかけてあげてはいただけないでしょうか。
そういう親御さんに考えを改めてもらうことは非常に難しいと思いますが、お子さんに暖かい理解の言葉をかけることは、そのお子さんの苦しい心情を救う大きな力になりえます。
うまく声をかけられなくても、気をかけてあげ、微笑んであげるだけでもお子さんにとっては力になるでしょう。
「東大」に行かさせられるために、肉体的、精神的な虐待を受けるなどということは、極めて特殊な事例ではありますが、言われない苦痛を受ける子どもたちが少しでも楽に生きられるようにと願ってやみません。
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「.」 (ピリオド あるいはドット) で始まるファイルの作成で困ったことはありませんか?
(この記事ではドットファイルと呼ぶことにします)
・[:title]
という記事を見ていたら、
macの人はvi が使えないとドットファイルの編集で困る ということなので、どんなエディターを使っていてもできるlinux/unixらしい簡単なやり方を書いておきます。
(けどこれってほんとですか? ほんとならmac os ってかなり変態的....)
普段使っているエディタでドットファイルが編集できない場合は、cp コマンドを使ってひと手間かけるだけで、簡単に編集作業が行なえるという話です。
※ターミナル/シェルが使える方が対象です。
.bashrc の作り方、編集の仕方 .bash_profile を編集する方法 まとめ .bashrc の作り方、編集の仕方 1. ホームディレクトリで、お好みのエディタで edit.bashrc というファイルを作成する。(edit の部分は好みで変更可)
2. シェルに
cp edit.bashrc .bashrc と打ち込んで、edit.bashrc を .bashrc にコピーする。
これだけです。
次に編集するときは、1. が作成でなく編集になるだけです。
☆確認するには
ls -a .bashrc
とします。
☆ドットファイルは隠しファイルになっているため -a オプションをつけないと表示されません。
.bash_profile を編集する方法 0. シェルに
cp .bash_profile edit.bash_profile と打ち込んで .bash_profile の中身を edit.bash_profile という名前のファイルにコピー。
1. お好みのエディターで edit.bash_profile を編集。
2. シェルに
cp edit.bash_profile .bash_profile と打ち込んで、edit.