「腰」が抜けた

腰の凝りがだいぶ抜けた気がする。 びっくりして腰が抜けたんじゃなくてです(笑)。 前にこちらで腰の緊張について書いたが、そのあといろいろ注意していたら 分ってきたのが、台所で包丁仕事をするのをはじめ、さまざまな場面で 姿勢の悪さから無駄な力が腰に入ってしまうということ。 それで、こうやってキーボードを打ってる時もそうだし、ものを書く時や 包丁を使う時など、気づいたら背筋を伸ばして姿勢を正すようにしていたら、 前よりも早く腰の緊張に気づくことができるようになって、けっこう体が 軽くなってきた気がする。 いや、もちろん、ただの自己暗示かもしれないけれど、それならそれで よし。とにかく気持ちがよければいいじゃないですか。 まだまだいろいろひっかかりはありますが、日々少しずつの精進ということで。

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おとなりページ

たまたま http://a.hatena.ne.jp/map?http://home.netsurf.de/kano/Index.html というページを開いてみたら、「かの記のおとなりページ」として "YAMAGATA Hiroo: The Official J-Page" というのが出ている。 「かの記」さんははてなじゃないし、はてなのおとなりページって どうなってるんだろう... 単純にリンクの数だけ数えてるのかしら... そうか、2.55% x 2.4% だから 0.06% くらいなのね、それでもひっかかかっちゃうのね...

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春が来た

月日は流れ、季節は巡る。 日本の冬は寒くて、東京あたりでは乾燥してるし、どうも苦手だ。 冬になると早く暖かくならないかなぁと、長いこと思っていた。 それがどうしたことだろう、この冬は、その嫌いな寒さをどうした加減か なんとなく受け止めることができるようになっていて、そうしたら、 いつの間にかもう、季節は春。 心頭滅却すれば火もまた涼し。 そう言い切れるほどには人生簡単じゃないけれど、 少しずつ人間というのは変わっていけるのだと、 そのことは確かに信じている。 もうじき夏が来て、秋が来て、冬が来て、そしてまた春だ。 あと何回か分らないけど、それを続けていくことにしよう。

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肩と腰の緊張

よほど心と体に注意を払っている人でもなければ、誰もが余計な緊張が体のどこかに 表れているはずと思うが、ぼくの場合は右肩と腰にそういった緊張を特に感じる。 何かをやるときに失敗してはいけないというような思い込みが、この緊張のもとになって いるようで、右手は使う機会が多いから四六時中といってもいいくらい、右肩は余分な 緊張を背負っていて可哀想なくらい。気がつくと力を抜くようにはしているのだが、 スッと楽になる、という風にはなかなかうまくいかない。ゆっくり時間をかけて 変えていきたいと思っている。 腰の方は、最近気づいたのだが、台所に立って包丁仕事をするとやたらと力が入る。 習慣になっているというか、条件反射的に力が入ってしまうので、これも簡単に なくすわけにはいかなさそうだが、このところ包丁を使い始めると割とすぐに 腰の緊張に気づいて力を抜けるようになってきたので、こちらの方が早く 変えられるかもしれない。 今、この文の下書きを、卓袱台に向かいあぐらを組んでノートに書きながら、右肩と 腰の緊張に意識を向けてみている。かなり気をつけていないとすぐに余計な力が 入ってしまう。呼吸に注意してゆっくり長くするのがよいようだ。 そんなこんなで、ぼくの体遊びの日々は続いてゆくのです。 [関連記事: ヨガもどき、気功もどき]

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カスタネダの "tales of power" (邦訳「未知の次元」)に having to believe という話が出てくる。 それをここでは「信じることにすること」とする。 たとえば、あなたが作家になりたいとする。 だけれど、作家になれるかは分らない。 そのとき、自分が作家になれると「信じることにする」。 ただ、楽観的に信じるのではない。 なれなかったときのことも頭の片隅においておく。 そして、なるために最善を尽くす。 そんなふうな話。 そんなやり方が有効であると、ぼくは信じることにする。

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明晰夢

明晰夢、英語でいうとlucid dreaming 、夢の中で夢であることに気づいている、 そういう状態のこと。 カスタネダの本で、そういうことができると知って、その晩ためしにやってみたら、 一時間半おきくらいに起きながら、ってことは rem 睡眠のたびだったんだろう、 何回目かで、夢の中で自分の右手を上げて意識的に見ることができた。 (カスタネダの本では、手を上げて見ろって指示があるんです) それ以来、時に明晰夢を見る。 たいていは、空を飛んだり、女の子といいことをしたりと、気持ちはいいけど 埒もないことをしてしまう。 カスタネダ的な流れからすれば、もう少しためになることができるはずなんだけどね。 それはともあれ、夢の中で、夢が覚めないように意識を保つのは、少なくとも ぼくにとって結構むずかしいことで、うっかりすると意識が覚めかけて、 すると、そのまま普通に眠ってしまったり、あるいは金縛り的状態に入ったり、 はたまたうまくいくと、またもとの明晰夢の状態に戻れたりと、いろいろな 場合がある。 座禅や瞑想、呼吸法とも関係があるところですが、夢見も意識の絞りをうまく 調節できるかが問われる、そんなふうに思っとります、はい。

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声が聞こえる

夜半、目が覚めてトイレに行き、再び床につく。 しばらく眠れず考えごとなどしているうちに、やがて夢の領域に 入っていくのだが、意識はあるのに半分寝ているような、 ある種、金縛り的な状態になることがある。 こんな状態の時に、人の声が聞こえることがある。 非常にはっきりとした声で、まさに耳に聞こえてくる感じなのだが、 誰とも知らない人の声で、こちらとは関係ないような何かを 話している。 空耳の類とは思うのだが、異常なまでにはっきりとしているので、 かなり恐い気持ちにもなる。 こういう経験は誰にでもありうるものだと思うが、すこし気のふれた 感じの体験でもあり、わざわざ人に話した覚えはあまりない。 気が狂う、ということを恐れている感じもありありとある。 戻ってこれなかったらどうしよう、というような... (恐がるのをやめちゃえば大丈夫なはずなんだけどね) 悪口が聞こえてこないのは幸いだが、どうせなら何か役に立つことでも 教えてくれないものか。 知らない人が知らないことを話していることに、人間の認識力・創造力の 底知れなさを感じると同時に不気味さも感じる。 みなさんは似たような経験ありますか? 明晰夢とも関連する話題だけど、そっちのほうはまたいずれ。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中