"อยู่อย่างเต๋า" (ユー・ヤーンぐ・タオ)の続き。 第一章は "ก้อนหิน" (コーン・ヒン)、「石ころ」。 一見石ころにしか見えない、宝石の原石も、見る人が見ればその価値が分る。 多くの人は物事を外見で判断しがちだが、内側にある本質を見抜く力が 大事という話。 当たり前の話といえばそれまでだけど、自分の人生と照らして考えると、 頭では分っていてもなかなか実践には至らないのが現実。 精進したいところです。 なお、ここでは原石はタオの例えで、タオの価値は玄妙で普通の人には理解しがたい、 という意味になっております。

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再来年の初夏には日本を離れて、数年はタイで過ごそうかと思っている。 で、このページ、この項は、その辺りの話題をぼちぼち書いていこうかな、と。 そんなこんなで、このところ ほとんど毎日タイ語を勉強している。 タイの人とぺらぺらおしゃべりができたらいいな、という思いもあるのだが、 ぼくの場合、まずは本が読めること。 この十年ほど毎年のようにタイに行って手元にはタイ語の本が何冊かは あるのだが、大人向けの本はまだまだなかなか難しい。 しかしそこは頑張って、この本にとりかかることにした。 "อยู่อย่างเต๋า" (ユー・ヤーンぐ・タオ) 「道(タオ)に生きる」ってな意味です、はい。 タイ語で読む老子、というわけ。 老子の道徳経は何度か読んでるから、内容も想像が働きやすかろうということで、 これを昨日から読み始めたのだけど、150ページ弱の小さな本だし、 読書百遍意自ずから通ず、ということで、とにかく通して読むことがまずは目標です。

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今後の未定

すっかり更新が滞っています。 十月あたまにタイに二週間入ったら、 ここに書くような気分ではなくなってしまったんです。 その前に引越しをしたということもあります。 それで固定電話はやめてしまって、うちではネットも使えない状態で。 しばらくしたらまた再開するかもしれませんが、とりあえず予定は未定、 ということで。 ほいじゃまた。

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「スターシップと俳句」ソムトウ・スチャリトクル; 冬川亘訳; ハヤカワ文庫SF; 1984 24年振りに、この本を読み直した。 翻訳が出たのが、1984年、ということに縁起を感じる。 マンガ的、「虎よ、虎よ」的、「ニューロマンサー」的、そしてタイ出身の 無民族作家にしか書けない、奇妙に歪んだアジア的物語。 ぜひ原書を読んでみたいと思った。 ちなみに著者のタイ語での名前は สมเถา สุจริตกุล なので、日本語表記は ソムタウ・スチャリックンのほうが元の音に近くなる。 こちらに比較的詳しい紹介もあり。 http://www.page.sannet.ne.jp/toshi_o/check_list/1982_86/starship.htm

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the big issue japan

ところでみなさん、the big issue japan (ビッグイシュー日本語版)は ご存知ですか。 駅頭で路上の人が高く掲げて売っているのを見たことがある方もいらっしゃると 思いますが、一部300円、路上の人が販売すると、そのうち160円が その人の収入になるというすぐれもの。 今まで なんとなく買うのをためらってたのですが、この間、田町の駅で 元気に声を出している方から買ってみました。 ちょうど創刊100号で、八月のせいか、特集が「戦争は克服できる」。 アン・ライトさんのインタビューが載ってたり、日本の学者の阿部浩己さんの 「9/11は犯罪行為として処罰する手続きをとればよかった」なんて話が あったり、硬派のざっしなのですが、アメリカのロックバンド、R.E.M. の インタビューも載ってるし、ポップにして十二分におしゃれ。 日本でもこんなすごい雑誌がでるようになったとは、驚きです。

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最近「悟った」ことがある。 自分がなぜ生きているのか、それが少し不思議だった。 はっきり言って、生きてるのは面倒くさい。 ぼくは面倒くさいのは嫌いだ。 なのにぼくはなぜわざわざいきているのか? それが最近ようやく分った。 ぼくは、生きてるのは、はっきり言って面倒くさい。 だけれども、わざわざ死ぬのは、それ以上に面倒くさい。 したがってぼくは、死ぬのが面倒くさいから生きてるだけなのだ。 人生に普遍的な意味などなく、各人が見いだす価値があるだけ、と思っているぼくは、 あっ、おれって、死ぬのが面倒くさいから生きてるだけだったのか、 と分ってだいぶ肩の荷が下(お)りた。 これ、ほんと。 で、みなさんは、いかがですか?

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夏休みの雰囲気

夏休みの雰囲気が好きだ。 子どもの頃 夏休みになると、おやじが車を運転して家族五人、伊豆の海まで 二泊三日くらいでよく行った。 それも楽しかったのだが、それよりなにより、毎日をぼーっと過ごすのが 気持ちよかったような気がする。 四十代も半ばになって、十歳かそこらのことを思い出すとき、他の人はどうか 知らないが、ぼくにとっては ほとんどが おぼろな記憶でしかなく、数少ない 印象的な場面のほかは、断片的で曖昧な状況の切れ端にすぎない。 きのう昼すぎに近所のスーパーに買い物に行って、その道すがら、ああ、 こうやって日射しが強い中、蝉の声を聞きながら、とことこ歩いていくのは なんだかいいなぁ、と感じて、そうだ、おれって、こういう夏休みの空気が 好きなんだよなぁ、と改めて思ったのだ。 今をときめくアニメ監督、押井守が1984年に撮った映画に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がある。 あたるやラムなどおなじみの面々が友引高校の学園祭の準備をしているのだが、 準備前日が永遠に繰り返されるという不条理な設定の傑作なのだが、 なぜかぼくの中では、学園祭の前日ではなくて、永遠の夏休みにすり替えられて 記憶されていた。 「ビューティフルドリーマー」では、高校の周りの友引町が荒廃していたり、 行方不明者が出るなど、どちらかといえばサスペンス仕立てで怖い感じなのだが、 それがどうして、ぼくの中では永遠の夏休みという楽しく思われがちなものに 変わってしまったのか。 永遠の夏休みは、実は、ぼくにとってそれほど楽しいものではない。 ぼくのような妙な育ちをした人間にとって、この世界自体が子どものころから荒廃し 続けていたのかなぁと思うし、ぼくが本当に心の奥底まで見せられる人は、ぼくが 生まれたときには すでに行方不明になってたんじゃないか、という気すらする。 だから、たぶんぼくは、ひとりぼっちでもいいから、なんとなくお祭りの感じに まぎれられればいいなぁ、とか、何をしなくても許される空気の中でひとりぼーっと してたいなぁ、とか、そんな状態ががずっと続けばいいのになぁ、でも、続くわけ ないよなぁ、などなどと、思い続けて生きてきたんだろう。 そんなことで、ぼくは夏休みの雰囲気が好きだ。

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いや、みなさん、今年の夏はほんとに蒸しますなぁ。 昨日はほとんど一日、クーラーも扇風機もない部屋でだらだらと 過ごしていたんですが、何ですか、あの蒸し暑さ。パンツ一丁でも 全身汗まみれになるほどぢゃないですか! テレビも新聞も見ないし、日本列島的にはどういう天気になっているのか、 そいつはあっしには分らないのだけれど、とにかく今年の関東平野の蒸し暑さは 半端じゃない。 ちなみにあっしの住んでるのは千葉県市川市の低い方。 地盤の緩い、障気でも上がってきそうな土地柄です。 湿気が充満していて息をするのも一苦労というものです。 昨日夕方買い物に行って、八百屋の姐ちゃんに、きょうは蒸すねぇ、と 声をかけたら、あ、あたし、もう、気が狂いそう... と、息も絶え絶えに 元気よくおっしゃる。 それを聞いてあっしも、思わず力強くうなづいてしまいました。 さて、こういう話の流れできますと、温暖化がどうの、気候変動がどうので、 だからいろいろ節約しなきゃならないてなケチくさい話についなりがちな ご時世ですが、なに、そうした話の音頭を、遅ればせながら取ってるメディア だの企業だのが、どれだけ真面目にやってるかと言やぁ、こいつは眉に つばってもんでして、われわれ庶民としては、パンツ一丁で夏を乗り切る 心意気、これさえあれば後のことは勘弁してもらいやしょう。 「ところで熊さん」 「なんだい八つぁん」 「この夏はどうも蝉の声を聞いた気がしないんだがな」 「そうかい。けどみんみん蝉なら何度か聞いたよ」 「そうか、みんみん蝉あらおれも聞いたな」 「じゃぁ いいじゃねぇか」 「いやよくねぇ。こんな蒸し暑いのにあぶら蝉がジージーやってくれなきゃ 片手落ちってもんだ」 「あぶら蝉も夏バテかもなぁ」 「そいつも違う。あぶら蝉だけに石油(あぶら)の高騰で燃料不足だ」 お後がよろしいようで...

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呪術師カスタネダ

「呪術師カスタネダ」リチャード・デ・ミル、マーティン・マクマホン; 高岡よし子、藤沼瑞江訳; 大陸書房1983 カルロス・カスタネダに関心のある人には、ぜひこの本の第二部を読んでほしいと思う。 だいぶ前からこの本のことは知っていたのだけど、大陸書房から出ているので、 ちょっと怪しさ を感じ、放っておいた。 それが、この間フロリンダ・ドナーの「魔女の夢」を読んでみたら面白かったので、こっちも 読んでみることにした。 とてもまともで、しかも面白い本である。 アメリカでは別々に出版されている本をを一冊にまとめたもので、 第一部「呪術師ドン・フアンの世界」は、カスタネダの最初の三冊の 著作を手際よくまとめたもので、人類学専攻の学生向きの参考書だと いうのもおもしろい。 この部分は、カスタネダをまだ読んだことのないひとが試しに読んで みるにもいいし、カスタネダをもっと読み込みたい人には便利に使える だろう。 この本の真骨頂は第二部「カルロス・カスタネダの旅」にある。 カスタネダの著作はとかく、ノンフィクションなのかフィクションなのか、 という視点で論じられやすいが、著者であるデ・ミルは綿密な資料に基づき カスタネダの著作は事実に基づくフィクションであると断定する。 けれど彼は、一部の学者の先生方のように、だからカスタネダの著作は でっち上げのうそっぱちで、これっぽっちも価値がない、というのではない。 膨大な資料に基づき、自身の経験を交えて紡ぎ出されたカスタネダの著作を、 C・S・ルイスにも比べられる力を持った小説として評価するのである。 カスタネダへの愛情に満ちた、だかちこそ辛口の批評満載の、評伝かつ評論 であり、カスタネダに関心を持つ人には是非読んでもらいたい本である。 きっと新しい発見があるだろう。 なお、デ・ミルがまな板に載せているのは以下の四冊である。 呪術師と私―ドン・ファンの教え 呪術の体験―分離したリアリティ 呪師に成る―イクストランへの旅 未知の次元 ちなみにリチャード・デ・ミルは元々心理学をやっていた作家とのことで、 もう一冊カスタネダについて"The Don Juan Papers" という本を出している。 こちらもそのうち読んでみたい。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中