以前森下一仁氏の weblog で見かけて気になっていた
山田正紀「オフェーリアの物語」理論社 2008 を読んだ。
森下氏の言葉を引くと
明治維新後の理性が支配する日本と、それ以前の夢想がそのまま現実と溶け合っていた日本とを
不思議な言語理論で対比する意欲的な作品
ということになるが、その対比は、西洋と東洋、現実と夢、言葉と言葉以前、さまざまな
形として描かれている。
ぼくはついカスタネダのトナールとナワールを思い出してしまうのだが、この対比がとても
本質的なものだということですよね、つまりは。
維新前後の日本だけれど、どこか幻想の場所のような、そうした舞台設定の上で、
小さな女の子の人形使(にんぎょうし)とビスクドールを主人公に据え、異形の世界の奇妙な
植物も盛り沢山(消粟[けし]が一番気に入りました)、謎解きミステリの形をとった
このアクション哲学マンガ、きちんと終わっていないのがなんとももったいないので、
ぜひ続編を期待したいところです、はい。
うちの奥さんがちょっと前にスポーツジムへ通ってヨガをやっていたのだが、
そのときの先生からいただいた dvd があって、これを見ながら一時間ほど
ヨーガをすると結構きもちがいい。
ぼくの中には そうゆうものを見ながらそうゆうことをするのはかっこ悪い
という思いがある。
# しかもその dvd 、妊婦さん用だし(笑)。
けれど少しそんな偏見から自由になりたいな という気がしてきて、それで
ここにこれを書いてるってわけ。
ここに書くことで、気分人目にさらすことで少しばかり身軽になりたいってわけ。
ヨーガでもフェルデンクライスでも毎日きちんとやれば体にいいに決まって
るんだけど、きちんとやるってのもぼくの場合できない。
というか、したくない。
きちんとする、というのに学校的なかっこ悪さを感じちゃうんだよね。
きちんとするのは、たぶんまだできないし、別にしなくてもいいと
思っているからそっちはおいとくけど、今したいのは、どうせもともとかっこ悪い
この自分というヘンテコな代物をもう少しきちんと見つめることにして、
かっこ悪さとともにある、かっこ悪くても力の抜けた存在に幾分でもなっていきたいなと、
まあそんなようなことかな。
スポーツジムと並ぶと「ヨガ」、自分がしてるのは「ヨーガ」になるのが
我ながら笑えますです はい。
前回はwinXPでbbモバイルしていたのだが、なぜか電波がぶちぶち切れて、
そのたびに無線をつなぎ直さないとならないので、ちょっと不便だった。
今はubuntuでつないでいて、こっちは大丈夫。
なぜだろう。
winXPをわざわざ使うことはあまりないはずなので、書くだけ書いておいて
とりあえず忘れることにする。
- 何年か前に拾ったマイケル・ローリ「甘い罠」(文春文庫)を引っ張り出して読み始めた。
シカゴのうらぶれた感じが想像できておもしろい。多国籍的状況も。
社会派にして文学的、かっこ悪い探偵がかっこいいと思える人には
おもしろいかも。
Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I'm not sure about the former.
-- albert einstein
無限のものといえば二つあります。宇宙と人間の愚かさです。宇宙の方については確信がもてないですが。
-- アルバート・アインシュタイン
原文は http://home.att.net/~wbaustin/einstein.html より。
# アインシュタインはいろいろと深いことを言ってるので、もっと読んでみたら面白そう。
ずばり、こういう本も出てますね。
「アインシュタイン150の言葉」ジェリー メイヤー、ジョン・P. ホームズ編集 (ディスカヴァー・トゥエンティワン 1997)
# http://d.hatena.ne.jp/woeswar/20080203#c1202261471 に書いたコメントで、
# r.d.レインの発言と勘違いしたことの訂正をこめて。
前の項のリンク元に、http://translate.google.com/translate_p?hl=en&u=http://d.hatena.ne.jp/suganokei/&usg=ALkJrhivix23Yy6TywHZFt-ZBSyGXEsb9g というのがあったので、どんなんだろうと思って開いてみた。
多分、タイ語で検索してくれた人が、英語の翻訳版を見てくれたのだろう、怪しい英語が並んでいる。
んっ、"i would vegetarian" 、なんだ、そりゃ!?
「精進したい」の超訳でした、ちゃんちゃん。
"อยู่อย่างเต๋า" (ユー・ヤーンぐ・タオ)の続き。
第一章は "ก้อนหิน" (コーン・ヒン)、「石ころ」。
一見石ころにしか見えない、宝石の原石も、見る人が見ればその価値が分る。
多くの人は物事を外見で判断しがちだが、内側にある本質を見抜く力が
大事という話。
当たり前の話といえばそれまでだけど、自分の人生と照らして考えると、
頭では分っていてもなかなか実践には至らないのが現実。
精進したいところです。
なお、ここでは原石はタオの例えで、タオの価値は玄妙で普通の人には理解しがたい、
という意味になっております。
再来年の初夏には日本を離れて、数年はタイで過ごそうかと思っている。
で、このページ、この項は、その辺りの話題をぼちぼち書いていこうかな、と。
そんなこんなで、このところ ほとんど毎日タイ語を勉強している。
タイの人とぺらぺらおしゃべりができたらいいな、という思いもあるのだが、
ぼくの場合、まずは本が読めること。
この十年ほど毎年のようにタイに行って手元にはタイ語の本が何冊かは
あるのだが、大人向けの本はまだまだなかなか難しい。
しかしそこは頑張って、この本にとりかかることにした。
"อยู่อย่างเต๋า" (ユー・ヤーンぐ・タオ)
「道(タオ)に生きる」ってな意味です、はい。
タイ語で読む老子、というわけ。
老子の道徳経は何度か読んでるから、内容も想像が働きやすかろうということで、
これを昨日から読み始めたのだけど、150ページ弱の小さな本だし、
読書百遍意自ずから通ず、ということで、とにかく通して読むことがまずは目標です。