久しぶりに aureliano さんの日記を見たら、自分のことを誰よりも分かってないのは自分自身という項目があった。
ほんとにそうです。
自分を客観的に見るのは難しくて、つい目をそむけちゃいます。
今度またギター弾き語りのライブをやるんで今練習中なんだけど、あまりの下手さについ、
開き直りたくなっちゃうんだよね。このくらいできればいいじゃん、みたいな感じで。
いやいや、そんなことではいけません、とにかく人前でやるんですから、できる限りのことは
やって、舞台に のぞもうではありませんか(笑)。
aureliano さんの日記に戻ると、お笑い芸人志望の若い人に教えていて、滑舌が悪いから
もっとはっきりしゃべるように言ったところ、「緊張すると早口になっちゃって」と返され、
あきれて次のように言ったそうです。
きみがラーメン屋に入ったとする。そこで、出されたラーメンに髪の毛が入ってて、きみがそれを指摘したとしよう。そうした時に、もし店主に「いや、分かってはいるんですけど、緊張しちゃうとつい湯切りの時に頭を振り乱して、スープに髪の毛が入っちゃうんですよね」と言われたら、きみはどう思うか?
なかなか素敵なたとえ話で笑いました。
追記:前半がおもしろい内容なだけに、最後が広告になってるのには また笑ってしまいまいした:-)
私はあなたの善について語ることならできますが、悪について語ることはできません。
悪は自らの飢えと渇きに苦しむ善そのものにほかならないからです。
善が飢えているときは、まっ暗な洞窟のなかにさえ食べものを探し求め、
渇いているときには死水さえ飲もうとするのです。
--- カリール・ジブラン
http://twitter.com/bookclubkai/status/8890577666 より孫引き。
百年ほど前、レバノンに生まれた詩人。ハリール・ジブラーンの方がもとの音に近いみたい。
アラブのひとのものはほとんど読んだことないので、もう少し読んでみたいと思う。
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もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、
われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっている
この地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には
容易(たやす)いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなく
なるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求します。
すなわち地獄のただ中にあってなお誰が、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、
それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます。
イタロ・カルヴィーノ「見えない都市」より
久しぶりにネットにはまってます
頭の中の何かがぞろりと出てきてるんです
酒にたよらず こいつをなんとかしたいもんです
たぶん そのうち できるようになるでしょう
そんなこと思い始めてからも もうずいぶん時間がたちました
これからも容赦なく時間はたってしまうんですよね
生きることを選ぶのだけれど
いつ この命を捨て去ってもいい
そんな境地になりたいものです