クリント・イーストウッドの撮った「硫黄島からの手紙」をしばらく前に見た。硫黄島の戦いを日本人の視点から描いたものだ。
戦争の絶望的な局面を淡々と撮っていたように思い出す。
戦争の映画だから、淡々、と言っても激しい感情表現がたくさんあるわけだけれど。日本の人が撮ったら、もっと大袈裟になりそうだな、と。
一年ほど前これを見たときは、どんな気持ちでこれを撮ったのかなとちょっと不思議に思った。
けれど今思うのは、この映画は鎮魂の映画なんだろうな、ということ。
アメリカの人も日本の人も必死で戦った。戦場にいる以上、戦う以外なかった。そして多くの人が死んだ。
そのことについての鎮魂の物語が六十年の歳月が流れてからようやく語られることになる。
その年月の重みに想いを巡らせてみよう。
世界で初めて軍事目標に限定しない無差別爆撃を行なったのは、日中戦争における日本軍の
重慶爆撃だったとする説がある。
そのあたりのことを検索していて防衛省OB太田述正氏の記事が目に入ったのだが、
氏の記事によると(もっぱら wikipedia からの引用だが)、重慶爆撃が史上初の無差別爆撃とは
必ずしも言えないらしい。
ぼくも、事実がどうであったかということを検証することにはそれなりに意味があることだと
思うのだけど、「あれが最初だった」「いや、その前にこれもあった」「あれは無差別じゃない」
「途中から無差別になった」などなどの水かけ的議論をすることにはどうも不毛なものを感じる。
所詮われわれは、一つの真実というものにはたどり着けないのであって、「あちらの見方」も
「こちらの見方」もそれぞれにそれなりに正しいのだ。
だから、むしろ必要なのは、「わたしはこう考えますが、あなたはそう考えるのですね」という
ことであり、「わたしは苦しかったし、あなたも苦しかったのですね」という相互理解なのだと
思う。
ぼくの皮肉屋の友だちは「相互の理解は共通の誤解」と言ったが、そう、お互いに理解するなど
簡単にできることではない。
簡単ではないけれど、いや、簡単ではないからこそ、自分の気持ちを見つめることから出発して、
そこに至る道を探していくことが、たぶんぼくの人生なのかな、などと思ったりするのです。
三月十日の東京大空襲のことを書くなら、重慶爆撃のことも書いておかないとバランスが悪いなと思って
とりあえず wikipedia を引いてみたところ、重慶爆撃の戦史上の位置づけという項にアメリカの日本への爆撃の
記述を見つけた。
太平洋戦線のアメリカ軍は、爆撃機としては当時最高性能のB-29戦略爆撃機を投入し、開始から半年足らずで多数の民間人殺傷と日本の戦争遂行能力低下という成果を挙げた。ただ、アメリカが期待した日本国民の士気の喪失は無く、むしろ逆に、民間人を無差別に殺戮する敵に対する怒りによる士気向上と、そのような相手に降伏した場合におこりうることへの不安から、降伏をためらい戦争を長引かせる原因となった。
この記述にどのような裏付けがあるのかは不勉強で分からないのだけど、戦争集結を早めさせる「名目」で行なった
戦略爆撃が戦争を長引かせる結果となっていたのだとすれば、まったく人間のすることは、一事が万事で
万事休す、てな感想を抱いてしまいます、はい。
で、重慶爆撃のことは、また別の機会に。
# なお、cloudwork というタグは、web 上のあちこちに言葉をばらまいて、わだかまっている気持ちを
# ときほぐすための練習、という程度の意味の試みとして使ってます。
# twitter 上のつぶやき、http://u.nu/6jy36、http://u.nu/5py36や、processkamakiri氏とのやりとりも
# よろしければご覧ください。
# タグ cloud-work から cloudwork に変更。[2010/02/26]
大空襲で落とした焼夷弾
日本の木造家屋専用に開発したんだそうだ
戦争って恐ろしいわ
もうじき三月十日、東京大空襲の日
六十五年前のその日のことに
少し想いを巡らしてみよう
そこにいる人々の気持ちは晴れやかですか?
もしそうでない場合はその人たちと一緒にいる間は
その曇った気持ちにからめとられないよう
注意したほうがいいですね。