前の記事 http://dimofsoul.hatenablog.com/entry/2017/01/04/155953 では、夜中たわしさんの悪夢の話 http://www.tawashix.com/entry/brainVat に相乗りさせてもらい、明晰夢や悪夢、そしてその意味やら対処法やらを書いてみました。 そして、たわしさんの威を借りて、ナノ・バズ成功。当のたわしさんにも拙ページをご購読いただき、無上の幸せに感激の涙を流す者であります、よよよ。 ナノ・バズしたの、ほんとなの はてな村まであと、何歩 ナノ・バズしたの、ほんとなの 前回、「レイア姫」の追悼記事 http://dimofsoul.hatenablog.com/entry/2016/12/29/104651 でぷちバズがあったときは、1000 を超える閲覧数がありましたが、SmartNews の威を借りたものだったため、数だけはすごいんだけど、なんとなく薄べったい印象がありました。 今回は、たわしさんの記事に相乗りして、はてな・しおりから来ていただけたので、閲覧数は 100 ちょいの可愛いものですが、購読いただいたり、しおりをお気に入りに入れていただいたり、はてな的厚みを感じる初めての体験となりました。 ご覧いただいたみなさん、ありがとうございました。 はてな村まであと、何歩 さて、はてなには、はてな市民というものがあります。 https://www.hatena.ne.jp/help/citizen ぼくも市民になってますけども、どうもこの言葉の語感が落ち着かないんですね。 で、ネット上では「はてな村」という言い方があって、こっちを使って「村民」というほうが、しっくりくるのです。 (からかい半分の言葉と知りましたが、ぼくはいい意味で使います) 市民は冷たくて乾いた感じ、村民のほうが暖かみを感じるのかな。 村社会を知らない都会者の、妄想的感覚ですけどね。 で、自分としては、はてなのサービスはずいぶん長い間使ってきているけれど、まだまだ、村はずれをうろうろしているだけで、村民として腰を落ち着けるところまではきてないよなと思っています。 ですから、年末から毎日記事を書いてきて、ぷちやらナノやらのバズを経験して、少しずつはてな村の人々と顔見知りになってきたところで、いずれ隠居後ははてな村でのんびり暮らす、みたいな空想をして楽しんでおります。 というわけで、みなさん、改めまして、今年もよろしくお願いします。 なお、明日より、ヴィパッサナーの瞑想センターに行きますので、当分こちらへ書き込むことができません。 ではみなさん、また会う日まで、会える時まで、ごきげんよーー。

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夜中たわし(id:tawashix)さんが、恐ろしい夢の話を大変ユーモラスに書いている。 ・思考実験「水槽の脳」と最悪の初夢 - 夜中に前へ そして記事の最後に、 夢に詳しい方、こういう夢を見る心理状況は一体何なのか教えてください とあるので、それに答える形で、こうした夢の枠組みの意味と、対処の仕方を、ぼくの経験を交え、考えてみたい。 夢の中で夢であることに気がつく明晰夢 夢から覚める方法 夢から覚めても、まだ夢の中 なぜ人は夢を見るのか 夢の中で夢であることに気がつく明晰夢 明晰夢ってどのくらいの人が見るのだろうか。 ぼくもたまに見るが、夢であることに気づいた場合、「えいっ」と思い切ってしまえば、壁を突き抜けたり、空に飛び上がったりできる。 うまく飛び続けられないで、苦労したりすることもあるが、悪夢的な状況に陥ったことはない。 うまく飛べた場合は、実に爽快だが、気分が高揚しすぎると夢が終わってしまう。そこのところはなかなかコントロールができない。 夢から覚める方法 夜中たわしさんの場合は、明晰夢が悪夢につながりやすいとのことで、夢を中断している。 「起きようと念じながら体に力を込めると、簡単に起きることができる」のだそうだ。 この点は、「金縛りから抜け出す」方法と同様だ。以前記事を書いているので参考にしてほしい。 http://meratade.blogspot.com/2016/10/blog-post_22.html 人によって違いがあるのだが、手足の指先を動かすのが、比較的多くの人に向いているようだ。 夜中たわしさんも、悪夢のレベルが深まっていったときには、ふだんとは別の「目覚めのテクニック」を使ったらいいかもしれない。 夢から覚めても、まだ夢の中 この夢の入れ子構造も、一定数の人は体験するようだ。 ぼくも一度だけ、夢から覚めてもまた夢だったことがある。 これが意味するのは、まだ、「心が夢を必要としている」ということだろう。 そして、金縛りも含め、悪夢一般に共通することだが、すべての夢には意味があるのだから、いたずらに怖がらないのが吉。 「何が起きても、別に怖くないんだ」という気持ちを持つことができれば、逆に、悪夢からでも、力をもらうことができる。 たとえば、夢に化け物がでてきて恐ろしい思いをしたとしよう。夢から覚めた段階で、 「あー、怖かった。でも、次はあの化け物と友だちになるぞ」 と考えるのだ。 すると、次に化け物が出てきたときに友だちになれることもあるし、もう化け物が出てこなくなることもある。 夜中たわしさんは、すでに板尾創路と一体となっておられるので、これは友だちになったことを意味するのかもしれない。 しかし、また別の「板尾創路」が出てくる可能性があるので、そのときは怖がる気持ちを抑えて、友だちになってしまえば、素晴らしい力をもらうことができるだろう。 なぜ人は夢を見るのか 夢については、十分に科学的な説明は今のところできないと思われる。 けれども、夢を見ることが記憶の定着に役立つのは分かっているし、夢には心理的な葛藤の解決の役割があるだろうとも考えられている。 たわしさんの夢に出てくる「板尾創路」が何を意味するのかは、たわしさん自身の無意識に直接聞かない限り分からない。 しかし、ここで「夢に出てくるものはすべて自分である」という説を採用すれば、それは、たわしさんの中に潜む、意識的に向き合うことが難しい何ものかだったのだろう、ということはできる。 そして、たわしさんは、四段階のステップを踏んで、その何者かと一体化することによって、無意識のレベルで何らかの葛藤が解決されたのだと推測される。 たわしさん、おめでとうございます。 そして、また、楽しいお話聞かせてください。 というところで、この記事はおしまいである。 最後までお読みいただいたみなさん、ありがとうございました。 ☆こちらの記事もどうぞ。 ・秘伝・悪夢解消術・悪役編 - *魂の次元*

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プシュカルの冬は、昼間、日差しが強いと暑いが、日陰に入ると肌寒いほどで、朝晩はそれなりに冷え込む。 といっても、最低気温 10 度前後なので、日本の冬とくらべたら、暖かいものだけど。 そして、プシュカルは砂漠の入り口に当たるので、冬の乾季には砂が舞い散り、埃っぽい。 昼間、街道を歩くと埃っぽい上に、日が照っていると影になるものもないし、暑くてかなりきつい。 ......というのは、一週間くらいまえの話で、今日はそれほどでもなかったのだけど。 この記事では、その街道沿いで見た、三つのオートバイにまつわる光景を書く。 バスの屋根の上で 足蹴り遊び 手放しで褒めていいのだろうか バスの屋根の上で インドやネパールのバスは、たいてい屋根の上に荷物を積めるようになっている。 そして、荷物だけでなく、人も乗る。 暑いときは厳しいが、今くらいの季節、昼間にバスの屋根の上に乗るのは気持ちのよいものだ。 五年前、プシュカル近郊のヴィパッサナー・センターで瞑想のコースを受けたとき、帰りのバスは、屋根の上に乗った。 頭が瞑想ですっきりしているところを、風を切って走るバスに揺られて、実にいい感じだった。 一緒にコースを受けた白人のひとたちと一緒で、その中の一人、フランスの若者が巨大な横笛を出して、バスの屋根の上で吹き始めた。 すばらしいひと時を過ごした。 旅の醍醐味は、こうした瞬間を味わうことにあるのだと思う。 * * * さてそれで。 一週間ほど前に、街から少し歩いたところにある店に買い物に行った。 その帰り道、暑くて埃っぽい街道を歩いていると、少し先の方にバスが止まっていて、何か大きな荷物を屋根の上に積もうとしているのが見えた。 何を積んでるんだろう、と思ってよく見ると、なんとオートバイを積もうとしている。 上から三人がロープで引っ張り、下から二人が押し上げている。 125 c.c. くらいの小さめのバイクだが、日本のスクーターなどとは違い、がっちりした作りの、それなりの重量があるバイクだ。 けれども、手慣れたもので、しばらく時間はかかったが、特に大変なことをしている、という感じもなく、無事に屋根の上にバイクは載った。 日本ではありえない光景だが、インドの人たちにとっては、朝飯前のことなのだろう。 足蹴り遊び アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルに「石蹴り遊び」という〈その筋〉では有名な長編がある。 どう有名かというと、この小説はふた通りの読み方ができるのである。 「ふた通り? 読み方は読者の数だけあるんじゃないの!」と思った、そこのあなた。 あなたの意見には、ぼくも完全に同意するのだが、これはそういう話ではないのだ。 なんとも奇妙なことに、この本は冒頭で、作者自身がふた通りの読み方を指示しているのである。 第一の読み方は、初めから順番に読んでいって、第二部まで読んだら終わっても良いというもの。この作品、第三部まであるんだけど。 この読み方をすると、第二部までは割とふつうの物語に読めて、第三部を読もうとすると、なんだか支離滅裂に思える。 作者の分身と思われる青年を主人公とした、パリとブエノスアイレスを舞台とするデッドエンドの青春苦悩ロマンスなのだが。 そして、第二の読み方は、冒頭にある著者指定の順番にしたがって、155ある各章を行ったり来たりしながら読む方法。 こうやって読むと、一番目の読み方とは、違ったメタフィクション的物語が見えてくるという、なかなか手の混んだ実験的趣向の作品なのである。 で、この作品にオートバイが出てくるかというと、別にそういう話ではない。いや、ほんとうは出てきたかもしれないが、ずいぶん昔に読んだので、出てきたとしても憶えていないのだ。 なお、この本を読んでみたい方は、次の水声社版を図書館で探すのがおすすめである。 [水声社版「石蹴り遊び」] アマゾンで見ると四つの版があるのだが、すべて絶版のようで、また、昔の全集版は訳が古く、新訳は値段が高い。 文庫版は上下巻なので、第二の読み方をするとき、不便だ。なお、値段は今見ると揃いで 4,000 円。ちょっと高いが、買うならこれだろう。 [文庫版] * * * ここで、インドの道端に舞台は戻る。 四、五日前のこと、またぼくは買い物のため街道を歩いた。この日も暑い日だった。 そして、やはり帰り道のことである。前方からやってくるオートバイが見える。 しかし、そのオートバイは、やけにゆっくり走っている。 この街道は、新しく舗装されて十分な道幅があるから、ほかのオートバイは、みなかなりの飛ばし方だ。 その中をなぜか、そのオートバイは、ゆっくりと、しかも妙に静かに走っているのだ。 んっ? と思ってよく見ると、オートバイに乗ったインドのおじさんの左足が動いているのが見える。左足が前に行って後ろに行く、また前に行って後ろに行く、前に行って、地面に足をついて、後ろに蹴る......。 世に稀に見る、足蹴りオートバイ。 ぼくは「石蹴り遊び」ならぬ、「足蹴り遊び」を目撃したのだった。 手放しで褒めていいのだろうか 三つ目の話は手みじかにいこう。 これは、おとといのことだ。この日も暑かった。

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あけましておめでとうございます。 今年一年が、地球上のすべてのみなさんにとって、すばらしい年になるよう、つつしんでお祈り申し上げます。 さて、昨日の記事は、いい加減なところでぶっ千切って終わってしまいましたので、今日はその続きを書きますが、その前にまず、マインドフルネスとしても知られるヴィパッサナー瞑想の話をしようと思います。 なお、この記事は、無駄に 6,000 字以上あります。 マインドフルネスとかグーグルのサーチ・インサイド・ユアセルフとか マインドフルネス、ヴィパッサナー、禅 ぼくの朝瞑想 ようやく「ジュリアとバズーカ」のアンナ・カヴァンの話。 そしてカヴァンの「ジュリアとバズーカ」 ついに諸星大二郎の「ど次元世界物語」だ。 おまけは amazon associates のぷちネタ そして、最後に読者の皆様への御礼です。 マインドフルネスとかグーグルのサーチ・インサイド・ユアセルフとか みなさんは、マインドフルネスというのはご存知ですか? マインドフルネスって、今の日本で、どのくらい一般的な言葉なんでしょうね? 長らく日本を離れてると、そういう「常識的」感覚がなくなってくるんですけれど、まあ、今はとにかく情報が溢れかえってる時代なので、「一般的」なんて考えること自体が無意味になりつつあるのかもしれません。 それはともかく、グーグル生まれの「サーチ・インサイド・ユアセルフ」という研修プログラムのおかげで、ネット上にはマインドフルネスの情報が溢れかえってます。 マインドフルネスとは何かを、ものすごく簡単に説明すると、 余計な考えを棄てて、今ここを生きること と言ったらいいでしょう。 禅で言う、無念無想の境地ですね。 もちろん、そういう境地に達するまでには、長い時間と努力がいるわけですが、グーグルのプログラムは、別に悟りの境地を目指すものではありません。 無念無想を心がけると、 健康にもいいし、仕事もはかどるよ って話です。 で、そのマインドフルネスを具体的にはどうやるかって話ですが、これまたごく簡単に説明すると、 まずは、呼吸をよく見る それになれたら、自分の体の状態もよく見る これだけのことです。 これがどうして心身の健康に役立つかは、また別の機会に書きますが、興味が湧いた方は、朝起きたあとと、夜寝る前に、五分間ずつ呼吸を見つめてみてください。 寝床の中で横になったままでかまいませんので、息を吸うときには、今自分は息をしているということをしっかり意識します。「あー、今自分は息を吸ってるなー」という感じです。 同じように、息を吐くときは、息を吐いてることをしっかりと見ます。 これを五分間やるだけです。 たったの五分ですが、はじめのうちは長く感じるかもしれませんが、これを毎日なり、思い出したときなりに続けていると、ある日、以前とは違って、体と心から力みがなくなっている自分に気づくこと請け合いです。 ものは試しですから、ま、騙されたと思って♬ マインドフルネス、ヴィパッサナー、禅 さて、マインドフルネスというのは、アメリカのお医者さんが、ベトナムのお坊さんに学んだ禅の手法を、マインドフルネス・ストレス低減法 Mindful-based stress reduction: MBSR という名前で、認知療法に取り入れたことで、アメリカに広まった考え方です。 禅の言葉では「念」に当たり、仏教で悟りに至る八つの方法として知られる八正道のうちの一つ、「正念」のことと言ってもいいでしょう。 正しく気づくこと、といった意味です。 そして、正しく気づく、ということの中身が、 ごちゃごちゃ考えるのはやめて、自分が感じているままの世界をきちんと感じる ということであり、そのためには、 まず、自分の呼吸を見て、自分の体の状態を見る ということになります。 そうやって、今起きていることに正しく気づいている状態が「マインドフルネスな状態」であり、マインドフルネスを心がけることで、心が楽になり、体からは力みが抜け、仕事も洗濯も掃除もはかどるというわけです。 で、ヴィパッサナーとはなんぞや、という話なのですが、ぶっちゃけて言えば、マインドフルネスとヴィパッサナーは同じものと思ってもらってかまいません。 一般的にはマインドフルネスといい、上座部仏教の人はヴィパッサナーといい、日本では禅と呼ぶ、といったくらいの話です。 なお、日本の仏教では、「止観」と呼ばれる瞑想法があり、これはサマタ・ヴィパッサナーを漢訳した言葉で、 心を鎮めて、正しく見る という意味になります。 つまり、サマタは「心を鎮めること」、ヴィパッサナーは「正しく見ること」です。 「止観=サマタ・ヴィパッサナー」という瞑想をすることで得られるのが、「正念=正しい気づき」ということになります。 ぼくの朝瞑想 今ぼくは、西インドのプシュカルという田舎街にいるのですが、ここからバスで 20 分ほど行ったところに、ヴィパッサナー瞑想をやっているセンターがあります。 先日そこでやっている十日間泊まり込みのコースに参加しました。五年ぶり二度目のことです。 朝四時半から夜の九時までほとんど座りっぱなしに近いので、一回目は地獄でした。 けれど、二回目の今回は、どちらかと言えば、天国に近い感じで、とてもいい時間が過ごせました。 この十日間のコースについては、またいずれ書こうと思いますが、コースが終わってから 12 月の頭から朝一時間ほどの瞑想を毎日続けています。

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みなさん、おはようございます。 ながのとしべえでございます。 先日の記事、[[ 「レイア姫」追悼: 月明かりに溺れ、ブラジャーで窒息死]] がぷちバズを引き起こしたことは、昨日の記事、[ぼくのぷちバズ報告と、インドのバス旅の愉しみ] に書いた通りですが、今日はその続報と、SmartNews の(それほどでもない)「威力」について書きます。 そして抱き合わせの話題は、「バズ」つながりで、「ジュリアとバズーカ」とサンリオSF文庫の話です。最後に諸星大二郎が出てくるのですが、それは書ききれなかったので、また次の機会に。 [問]SmartNewsに載るとどのくらい記事を読んでもらえるのかしら? [答]ぼくの場合 1,000 PV ちょっとでした。 アクセス状況を詳しく時間ごとで見て分かったこと(興味のない方は飛ばしてちょ) サンリオSF文庫を知ってますか。そして、アンナ・カヴァンの「ジュリアとバズーカ」(ビブリア古書堂効果で静かなブームがあったらしい)。 カヴァンの「以前の住所」と諸星大二郎の「ど次元世界物語」 [問]SmartNewsに載るとどのくらい記事を読んでもらえるのかしら? [答]ぼくの場合 1,000 PV ちょっとでした。 「レイア姫」の記事が、SmartNews に掲載されたおかげで、おととい、昨日の2日で、1,000 ちょっとのページビューをいただくことができました。 ありがたいことです。 レイア姫ことキャリー・フィッシャーの追悼記事として、キャリーさんのエピソードを紹介するあの記事を書いたとき、これは、はてなで初めてのバズが来るかもしれないな、との予感はありました。 もちろん、そういう予感は空振りすることも多いのですが、今年の三月末から、AdSense を使って blogspot のほうで、ほそぼそながら、ウェブログ術(とは大げさ!!)を研究、実践してきた結果、少しは勘が冴えてきたような気がします。 とはいっても、SmartNews なんて、存在すらすっかり忘れてたし、予想外の新しい経験ができたので、いい勉強になりました。 ちなみに、blogspot のほうでの一番のページビューは、1,200 ちょっとです。 #これまたお粗末! こちらは、過去二回、参院選に立候補して落選した三宅洋平氏について書いた記事を Twitter で紹介したところ、それが三宅氏の選挙用アカウントでリツィートしてもらえた結果で、そのときの記事はこちらです。ご参考まで。 [三宅洋平は権力にすり寄る節操なしではない] また、今まで blogspot で AdSense を使ってきた様子については、 [アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史] に書いたとおりです。 さてそれで、SmartNews で紹介されてページビューが 1,000ちょっと、という話なのですが、wattoさんの記事 がブックマークのホットエントリのトップに載って、7,500 PV とかいうのに比べると、全然少ないですよね。 けれども、SmartNews の威力というのは、どうもそんな程度のようです。 (残念ながら、スマニュー砲でどかーんっ、という具合にはいかないのです) [こちらのページ] によると、下は数百 PV からで、内容によっては、万の単位に届くこともあるようですけれども。 また、記事は見てもらえるものの、せっかく AdSense を使っていても、その流れで広告をクリックしてもらうというのは、また難しいようです。 特にはてなの場合は、SmartNews からブログを見るとき、記事の内容だけを読んで、広告は表示しないですむモードが選べちゃうんですよね。 だからぼくの場合、 PV は 1,000 越えても、AdSense のインプレッションは 100 強で、対して広告は見てもらえなかったようです。(クリックはありませんでした)

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みなさん、ぐっもーにーん、インド沈没おじさん(推定年齢3,052歳)の那賀乃とし兵衛です。 今日はみなさんに、個人的な祝報をお伝えしたいと思います。 なんと昨日書いた記事 「レイア姫」追悼: 月明かりに溺れ、ブラジャーで窒息死 - *魂の次元* が、ぷちバズってくれたのです。 みなさん読んで目を疑わないでくださいよ、このページビュー。 それでバズならぬ、インドのバスの話なんですけど。 みなさん読んで目を疑わないでくださいよ、このページビュー。 なんと昨日のアクセス数が、300万を超えました。 というのは、もちろん大嘘で、実際は 300 を超えただけです。 #ここで、「え゛ーーっ、それっぽっちぃーーーー」とつっこみを入れてください。 (あっ、こんなネタ、小島アジコid:orangestarさんが使ってましたね、失敬。 〔ブロガー名人伝 - orangestarの雑記〕もおもしろいよ) とまあ、ですから、たったの 300 なんですけど、下の画像を見ていただければ分かるとおり、なにしろ今までが「蝶閑古鳥」だったもんで、これでもぼくにはバズのうち。 そこで一句。 高みより月明かり授くレイア姫 えー、それで、わずか三百ぽっちではありますが(くどいっ)、どこでどうバズったかというと、ぼくのはてな師匠 id:watto さんからの直伝、 はてな伏魔(ぶくま)相乗りの術 が効いたようです。 というのは、たまたま見かけた〔[ジャバ・ザ・ハットの殺し方:レイア姫追悼|WIRED.jp〕という記事に相乗りの告知伏魔させていただいたところ、そこから数名のかたが伏摩してくださり、さらにどうしたはずみか、SmartNews なるサイトに掲載された模様です。掲載状況は確認できなかったんですけども。 SmartNews は結構使ってる人いるのかな。画面がにぎやかすぎて、ぼくには、ちょっとって感じですが。 いえいえ、そんなこと言ってる場合じゃありません。 SmartNews さま、ありがとうございましたぁ。 そして、わたしのこの、蝶イケてる、もとい、いけてないページをいつも読んでくださり、励ましの星やコメントをてくださっている、少数精鋭の読者のみなさま、本当にありがとうございます。 なけなしの力を振り絞って、心の奥底からの感謝の意を表明させていただきます。 だんにゃばーど、こっぷんかっ、むーちゃす・ぐらしあす・あみーごすっ、つっつっっ。 # 順にヒンディー、タイ、スペイン語です。 それでバズならぬ、インドのバスの話なんですけど。 いや、インドのバスは結構ボロいです。 今ぼくは、インドの西のはずれ、ラジャスタン州のプシュカルという街にいるんですけどね。 ここには九月半ばからいるので、もう三ヶ月以上経ってるのですが、先月の三週間ほどは、ここから更に 500 キロほど西のジャイサルメルという街に行ってました。 バスで片道、八時間とかかかります。 夜行バスで寝台になっていて、横になって眠れるのはいいんですが、屋根裏部屋というか、網棚に毛が生えたというか、座ったら頭が使えるような素晴らしく狭い空間で、たっぷり八時間のバス旅が楽しめるという趣向です。 ちなみにこれだけ乗ってお値段なんと邦貨 800 円ほどなんです。 あーら、お安いじゃないの。でしょう、奥さま。今どき、こーんなにお得で耳寄りな話はなかなかありませんわよ。奥さまもぜひ乗りに来てくださいでごじゃるねー。 ......と、過酷なバス旅を思い出してか、はたまた睡眠不足で頭が朦朧としてきたか、意味不明の言葉の羅列になってしまっていることを深く、ふかぁーくお詫び申し上げた上で、本題に戻らせていただきます。 インドのバスです。 ほんとに今回のは、かなりひどかったです。 といっても、行きはまだよかったんですけどね。 砂漠地帯の冬の夜は寒く、暖房はなし、窓はちゃんと閉まらなくて、がたがた道を行くおんぼろバスの振動で、いくら閉めても段々あいてきます。 お世辞にも快適とは言えません。 けれども、幸いぼくは寝るのは得意なので、この過酷な環境下でもほとんどの時間を眠って過ごしました。 写真はインド的夜のドライブインです。 問題は帰りのバスでした。 サスペンションがへたってたのか、席が一番前なのが悪かったのか、とにかくものすごい振動、というか、あれは衝撃ですね。衝撃的なまでの振動的殴打の大波が、どしん、ばしん、と横になるわたしの体を鞭打って、とんだ笑劇を演じさせてくれたわけです。 それでも、かなりの時間は眠ってすごしたんですよ。なにしろぼく、寝るのだけは得意ですから。 せ○○○区立○さ○小学校の同窓生の中では、一番寝るのが得意だった自信ありますからね。 で、ようやくプシュカルに戻って、常宿のいつもの部屋で午前中はゆっくり寝て過ごしました。 で、起きてから腕を見たらですね。 「なんだ、この真っ赤になってるのは!?」と目を疑いました。 両腕とも、一面の蕁麻疹です。

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「レイア姫」ことキャリー・フィッシャーの著書 Carrie Fisher, Wishful Drinking より わたしが映画でずっと着てた白いドレスは憶えてる? 撮影の初日にジョージがやってきて、あのドレスをちらっと見て言ったの。 「あのドレスを着るときは、ブラジャーは着けちゃだめだからね」 それで、わたしは言ったわ。 「ええ、いいけど。でもどうして?」 そしたら、こう言うの。 「それはね...... 宇宙には下着なんかないんだ」 その言い方が、確信に満ちていてね、ほんとうに宇宙にいるみたいに辺りを見回して、ブラジャーもパンティーもどこにもないだろうって、感じなの。 そして、説明を続けて、 「宇宙に行ったら無重力になるだろ。そしたら、きみの体はふくらむんだ。ところがブラはふくらまない。ブラなんかしてたら、絞め殺されるからね」 私が思ったのは、これはすごく幻想的な死亡記事になるなってこと。で、若い友だちに、何が起こることになるか分からないけど、ちゃんとこう報告してねって言ったの。 「月明かりに溺れて、ブラジャーにより窒息死」って。 「スター・ウォーズ」で一斉を風靡した、「レイア姫」ことキャリー・フィッシャーさんが亡くなりました。 冒頭、紹介したのは彼女の回想記の一つCarrie Fisher, Wishful Drinking の一節です。 (ただし、原本は持っていないので、今日送られてきた ello.co の告知メールの引用から翻訳しています) 「キャリー・フィッシャー、月明かりに溺れ、ブラジャーにより窒息して亡くなる」と新聞に載せてくれ、というわけです。 アメリカの人の冗談は、気がきいてますよね。 「スター・ウォーズ」の第一作は、中一のときに見ました。兄の影響もあり、すっかり SF ファン気取りだったぼくに、強烈な印象を与えてくれた映画です。 その中で、レイア姫の着る白いドレスは、忘れろと言われても忘れられないくらいの強い印象がありますよね。 当時は宇宙をリアルに描いた映画と言うと、キューブリックの「2001年宇宙の旅」くらいしかありませんでしたから、宇宙での冒険物語をリアルに描いた「スター・ウォーズ」の第一作が、大きな歓声を持って世間に受け入れられたことは、ある意味、当然のことだったと思います。 あれからほぼ 40 年が経ち、宇宙物の映画は、まったく当たり前の世の中となりました。 それでも、「スター・ウォーズ」の持つ、哲学神話的・宇宙冒険物語としての輝きは、まったく色あせていないと思います。 最近も「ローグワン」というスピンオフ作品が作られていますが、「スター・ウォーズよ、永遠なれ」という気持ちが湧いてきます。 最後にキャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りして、この記事は終わりにしたいと思います。 いやー、映画ってホントにいいですねぇーー。 それでは、さいなら、さいなら、さいなら。 - おまけ。Truck Torrence さんによるかわいいレイア姫: https://ello.co/trucktorrence/post/pafd_ts_uiaqpqle58ftfw ☆http://ello.co/tosibee はアカウント取っただけで、ほとんど使ってません。でも、そろそろなんかやろうかなぁ......。

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えーっと、今日は何を書こうと思ったんだっけな。 なぜぼくはインドにいるのか --。 プシュカルは朝の五時。 最後にぼくのがさつな歌をよろしければ。 えーっと、今日は何を書こうと思ったんだっけな。 のっけから失礼します。 昼間一日がかりで別サイトの記事を書いてたもんで、今ちょっと眠くって、こちらに何か書こうと思ったことがあったのに、忘れちゃったんですよ、ははは。 あっ、その一日がかりの記事ってのは、文庫本10ページほどもある、幻覚性物質と瞑想と悟りについて脳科学的な視点から書いたの「チョー大作」なんで、興味があったら覗いてやってください。 [不思議なきのこを科学する - そして瞑想と悟りへ] なぜぼくはインドにいるのか --。 というわけで、今日はまったくお遊びの記事を書くことにします。 それで、とりあえずは見出しに、カースト性の問題も含め、今いるインドのことを入れてみました。 インドの世界観では、ぼくらが生きているこの世の中っていうものの、 すべてが幻にすぎないのだから、一番水泳が苦手だった。 もちろん日本にもしんぴ 運転手が言ったのだ。宛先もさ プシュカルは朝の五時。 みなさん、おはようございます。 プシュカルは朝の五時。 砂漠のほとりの小さな街です。 静かな夜明け前の寝床の中、ぼくはこれを書いています。 前の節は、寝る前に睡魔に襲われながら書いたものです。必死に目を開き直しては、意味のある文章を書こうとして、直しては直しては書いていたのに、どうにもならないので、降参して眠りについたのです。 無意識の中から生まれてきた、奇妙な言葉のつながり。 こういうのが自動筆記というやつなんでしょうかね。 それにしても、一体なんの宛先だろう。運転手が言ったらしいけど...... 最後にぼくのがさつな歌をよろしければ。 とまあ、今日はこのくらいにしておきます。 今日は、最後にわびさびとは程遠い、ぼくのがさつな歌を載っけて終わりにしたいと思います。 じゃあ、みなさん、またねー。 youtube.com ☆http://twitter.com/tosibee もよろしく。

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--こうのすけ(id:otakebi13)さんに もうすぐ夜が明けます バスのクラクションがときどき聞こえます インドはラジャスタン州 梵天さんの聖地プシュカルにいます レノンとディランのわびさびが ぼくの心を打ったのです それでぼくはこうして あふれ出てくる言葉を綴るのです ねえあなたは愛とか平和とか 世間の人たちが笑いものにする言葉を 笑ったりしないでしょ 手紙でそう訊かれたことがあります はたちの頃の話です その女の子のことが少しばかり 好きだったのです 愛とか平和とかいう言葉を 笑いものにはしないという自信の 持ち合わせはありませんでした 世間を斜めに見て傷つきやすい自我を 守ることに汲々としていたぼくには 彼女の素直さはまぶしすぎたのです すなおに平和を歌うジョン・レノンは そんなに好きではありませんでした ポールと一緒に実験をしている頃のジョンが 若い頃のぼくには沁みていたのです 今日ぼくはレノンに わびさびを教わりました ディランからもたくさんの間を 教わりたいと思います ちっぽけな地球の上で 人は今日もいがみ合い 殺し合いを続けています 殺しのライセンスなど どこにもありはしないのに 仮想のバッジをつけたぼくたちは 自分で自分の胸に輝く銀の弾丸を いつ打ち込んでやろうかと 虎視眈々狙っているのです 願わくばその白金の矢が ぼくらのエゴを貫いて 新しい地平が開けますように 愛とか平和とか侘びとか寂びとかが ぼくらの世界を満たしてくれますように そしていつも自分の愚かさを 忘れずにいられますように 遠くにディーゼル車の エンジンのうなりを聞きながらぼくは 冷たい指先でひとり祈りを綴るのです

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敬愛するはてな村民のwattoさんがこちらの記事 http://watto.hatenablog.com/entry/2016/10/09/220000 で、自分のブログは、はてなダイアリーから記事をインポートしているので、記事数が無駄に多いと謙遜しておっしゃっていますが、無駄ってことはないですよね。 興味が湧くと、人さまの過去記事を掘り起こして歩くような「悪い」趣味がぼくにはありまして、さっそくwattoさんの最古の記事群を覗いてみると、2014年11月に中越地震のボランティアにいってらっしゃいます。えらいっ。 ぼくは阪神淡路大震災のときに、地震からふた月ちょっと経った三月末にしばらく神戸に行って、なのにロクなボランティアもせずにいたというダメ人間です。 さてそれで、そのダイアリーからのインポート、というのが、今日の本題です。 って、今頃はてなダイアリーからはてなブログにインポートする人もいないでしょうから、本題もへったくれもないようなもんですが、watto さんの記事を見て、そういやインポートできるんだったよな、と思ったわたしは、すっかり放置状態のダイアリーから記事をインポートすることにしたのです。 こちら http://help.hatenablog.com/entry/import を見ると簡単に3ステップで簡単にインポートできます。 うまい具合に作ってあるもんです。 さすがは、はてな(よいしょっ)。 ぼくの場合は記事数 238 、コメント 38 と大した数ではなかったので、15分かそこらでできました。 インポートしたついでに、昔の記事を読み返してみると、おお、わしは十年前はこんなことを書いておったのかと、懐かしい気分になります。 そういえば、インターネットなどというものがなかったその昔、今から三十年以上も前のこと、 高校、大学のころに、日記というわけでもないのですが、気が向くと考えたことやらなにやらをノートに綴っていたことを思い出します。 そうしたノートが何冊かダンボール箱に詰めてあって、何かの折に取り出して読み返すと、まあ、おもしろいやら、気恥ずかしいやら、いろいろです。 ノートに書かれた文字、インクの色、紙の焼け具合など、ネット上の記録では味わえないおもしろさがあるのですが、そういうものも、もはや化石化した文化なのかもしれません。 目まぐるしく変化する社会の流れに、あくせくついていこうというわけではないのですが、新しもの好きのわたしは、大した記事を書くわけでもないのい、あっちのサイト、こっちのサイトに登録しては、放置状態のところがいっぱいあります。 ベトナムの首都はハノイ、南部の商業都市はホーチミンですが、ぼくの場合、放置民というわけです。 てなことで、お後がよろしいようで。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中