はてな村のみなさん、こんにちわー。 一昨日は うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* なる記事で、「妻が椎茸」な話や、「奥さまは明太子だったのです」といった話題を展開させていただきましたが、ふだんは記事ひとつ書いて閲覧数が 20 もいけばいいくらいの当閑古鳥サイトといたしましては、破格の三桁越えの来訪者を数えましたことにつき、読者の皆さまのご愛顧の程に深く感謝する次第であります。 そこで今日は、「超巨大めんたいこの逆襲」と銘打って、好評の明太子シリーズ第二弾を...... 、と思ったのですが、ちょっと疲れて気味でいるものですから、その話はまたいずれ、ということにさせていただいて、前の記事の「奥さまは明太子」の続きと、そこにいただいたコメントを紹介する形で、人間の記憶の不思議について軽く思いを巡らせてみたいと思います。 昨日の記事では、うちの奥さんが、いつも食べてるにも関わらず、「明太子」という文字をメニューで見て、「明太子ってなんだっけ?」と聞いた、という話を紹介しましたが、まずは、この不思議な「ど忘れ」について、もう少し話を続けることにします。 うちの奥さんはものを思い出すとき、そのものの映像が頭の中に浮かぶタイプの人です。 ですから、普通なら「明太子」という文字を見ると、「明太子の映像」が頭の中に浮かぶわけです。 逆に言うと、「ど忘れ」してしまったときには、「明太子の映像」が出てこなかったわけです。 そして、今日話していて分かったことは、彼女は普段漢字の「明太子」ではなく、ひらがなの「めんたいこ」として、[明太子] を捉えているということでした。 つまり、「めんたいこ」というひらがなの文字映像から「明太子の映像」への記憶回路は、いつも使っているからすぐ出てくるのに、「明太子」という漢字の文字映像を見たときには、「明太子の映像」が出てこず、[めんたいこ] という「読み=音」は出てきたのだけれども、その先の「明太子の映像」にまでは至らなかったものと思われます。 さて、id:ad2217 さんにいただいたコメントですが、彼は「明太子」と「めんたいこ」がつながらないことはある、とのことで、察するに、彼も映像想起型の記憶回路の持ち主と思われます。 ちなみにぼくの場合は映像想起型ではなく、「明太子」という文字映像を見ると、まず頭の中に [めんたいこ] という音のようなものがぼんやり浮かびます。と同時に、なんらかの「明太子複合体」が活性化され、「明太子ってのはあんなのだよなー」というようなぼーっとした何かが想起されるのが、ぼくにとって「何かを思い出す」ということを意味します。 (あんまり説明になってなくてすんません) そしてこのとき、決して映像は出てきません。 というのも、ぼくは頭の中で線一本、丸一つ描くことのできない特殊無能力者だからです。 小学校の国語の時間に先生に、「ではみなさん、目を閉じて、このお話の情景を想像してみてください」などと言われて、まあ、先生に言われるんですから、一応目を閉じてみたりはするのですが、頭の中に絵を描くなんて、そんなことができるわけはないのですから、先生の言っている意味が分かりません。 「ほかのみんなは目をつぶって何をしてるんだろう」などと思いながら、そっと目を開けて周りを見回していたりしたのも、今となるといい思い出です。 それはともあれ。 id:mamichansan からは、食べ物の名前はしょっちゅう忘れる、直近では奈良漬を忘れた、というご報告をいただきました。 また、id:tawashix さんの奥さんも、食べ物の名前はしょっちゅう忘れるそうで、しかも何を忘れたかも思い出せないという、ストレートなお答えをいただきました。 ぼく自身、人の名前や場所の名前は忘れても、食べ物の名前はあまり忘れないことを考えると、女性と男性の行動の違いから、女性のほうが食べ物の名前を忘れやすいと言えるのかもしれません。 ちなみに、うちの奥さんの場合は、頭の中に [明太子] を思い浮かべて「明太子」という言葉が出てこなかったわけではなくて、逆に「明太子」という文字を見て、[明太子] が何か分からない、映像が出てこない状態だったわけですので、こちらのタイプの「ど忘れ」が、どのくらい普通のものなのかについては、今後の研究課題とさせていただきます。 また、うなぎ文である「奥様は明太子」関連のコメントとして、id:watto さんより、「こんにゃくは太らない」、「しいたけも太らない」というたぐいの「こんにゃく文」の存在をご教示いただきました。これについても「明太子はやせるのか」など、調査研究を続行したいと思います。 そして、id:kenzy_n さんからは、今回はじめてコメントをいただきましたが、こちらは「妻が椎茸」ネタで、「みんな前世は美味しいものだった」という心温まるお言葉でした。 わたしも、かつて日本海を泳ぐ鱈の腹の中で明太子だったころの記憶が、うすぼんやりと頭の中よみがえってきたような気がします。あっ、漁船が近づいてきて、お母さんが網にかかってしまった...... 。 とまあ、そんなところで、おあとがよろしいようで。 それでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのweblogサービスを利用なさっているみなさん、こんにちわ。 みなさんは、はてな匿名ダイアリーというサービスはご存知でしょうか。 匿名のサービスとしては、蝶有名な巨大掲示板の 2 チャンネルというものがありますが、あちらはかなり癖があり、ぼくのようなシロウトにはやや縁遠く感じられる存在です。 それに比べると、はてなの匿名ダイアリーは、だいぶライトなタッチでありまして、書き込みをしたことこそありませんけれども、ブックマーク経由で知った記事をたまに読むことがあり、日本の社会環境の中では、こうした匿名サービスにも一定の役割があるものだよなぁ、と感慨に耽る今日このごろです。 というわけで、今日ははてな匿名ダイアリーの [ニート日記]ニートが夢から覚めたとき という記事について、つらつらと書いてみることにいたします。 今日の結論は、 「ブッダの夢、最高。呼吸と体の感覚を見るだけで、幸せが手に入るんだもん」 です。 「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ 心のもつれを解くために体を動かす ふたたびのニートの夢、そしてブッダの夢 「ブッダの夢」は、とある王子の苦悩から生まれた ブッダの教えた「苦しみを越えるシンプルな方法」 正しく見るためのシンプルな瞑想法、ヴィパッサナー ぼくたちは、いかに「ありのまま」を見ていないか 呼吸と体の感覚を見るだけで、なぜ「真理」に到達できるのか ブッダの夢ふたたび 「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 上記の匿名ダイアリーの記事では、現在、三十路目前で、ずっと在宅で引きこもり浪人をされてきた青年が、 「大学に入りさえすれば明るい未来が開ける」という夢を見続けてきたが、現実を直視したとき、浪人や留年が 2 年以上になってしまうと就職に不利であるという定説からすれば、十年も引きこもりをつづけた自分が、どんな大学のどんな学部を卒業しようが「まともな職につけるはずがない」、「大学さえ出ればなんとかなる」などという夢を見るのはもうやめて、「就職を考えたほうがいいのだろうか」 といった内容を書いてらっしゃいます。 ところで、匿名ダイアリーは英語では「アノニマスダイアリー」ということになっており、こちらの中三文字を取って、「マスダ=増田」というのを、記事の書き手の呼称として使う習いになっていますが、こちらの増田さんを、当記事では「三十路目前」というところから「もくぜん」さんと呼ぶことにします。 このもくぜんさんの記事に対して、29歳で大学三年の別の方が、 現在29歳で大学3年生の者です。将来のことを不安に思うお気持ち、よくわか.. で、 「20代後半から30代で大学に入りなおす人間は意外に多いし、大学には相談できる職員やカウンセラーもいるので、必ずしも就職のためではなく、経験の幅を増やすためにも大学に行くことをすすめる」 という内容の記事を書いてらっしゃいます。 こちらの方には「就職しなければならない」というようなこだわりは一切感じられず、まったく健全かつ楽観的な方ですので、「けんぜん」さんと呼ぶことにしましょう。 もくぜんさんの「悲観」に対し、けんぜんさんの「楽観」のほうが生きる力に満ち溢れているのは明らかですが、もくぜんさんタイプの方がけんぜんさんタイプの楽観を身につけるためには、何が必要なのでしょうか。 また、「健全な楽観」に価値があるのは明らかですが、「病的な悲観」にはなんの価値もないのでしょうか。 根拠のない「楽観」と、人生に対する「投げやり」な態度、そして、油断すると頭をもたげてくる「うつ的気分」とともに、ニート的半世紀を生きてきた年寄りとして、その辺りのことについて、考察を続けることにしましょう。 重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ もくぜんさんは記事中、 まったく自信を無くし、食欲がなくなり、悪寒と冷や汗、夜は眠れず朝は早く目が覚めます。 無意味かもしれないと思いながら机に向かいます。不安で真っ黒の頭は計算ミスを繰り返すばかり。 こみあげる吐き気と闘いながら机に向かいます。 と絶望的な不安感と壮絶なまでの闘いを繰り広げながら、勉強をし続ける様子をつづっています。 読んでいるこちらまで思わず緊張してしまい、胃のあたりに軽いむかつきを感じるほどです。 けれども、もくぜんさんは、こうして自分の様子や気持ちを素直に表現し、ネット上で助言を求めることができました。 また、ネット上にはもくぜんさんに共感し、暖かい言葉をかけ、助言をしてくださる方々も多数おります。 しんどい気持ちを手放し、暖かい気持ちをまわりから受け取ったもくぜんさんは、現在の状況を肯定的に受け止めることができるようになり、夜間や放送大学などにも視野を広げて「大学を目指してもいいのかな」と前向きな気持ちになります。 そして、その前向きな気持ちが家族にも伝わったのでしょう。記事の追記にこのようにあります。 どういう風の吹き回しか今日は母と焼き鳥屋へ行きました。酒の席は生まれて初めてのことです。 酒が入って口が軽くなったので腹を割っていろいろ話しました。今までこのように話したことはありませんでした。 私はずっと何も言わない家族を、腫れ物に触わるような扱いをされているのだと疎外感を感じていました。 干渉すれば反発してやる気を失うと思ってずっと見守ってくれていたそうです。 こうしてお母さんとお互いの気持ちを話すことができたもくぜんさんは、思い込みの「孤独」から解放されて「健全な楽観」に着地します。 やっと勉強ができるようになったのだから続けてほしいというのが母の希望です。 今日はぐっすり眠れそうです。まったく勉強しなかったけれどいい一日でした。 自分の気持を、まず、ネット上で表現し、そのことがご家族との対話につながり、もくぜんさんがその悩みに解決の糸口を見いだせたことを、我がことのように嬉しく思います。 心のもつれを解くために体を動かす もくぜんさんは、自分の置かれた状況を客観視し、その状況の中での自分の気持ちを表現し、それがご家族との対話につながって、心理的なもつれを解くことができたわけですが、記事中には、このようなことが現実に起こる前に、彼の中で起きた注目すべき変化がしるされています。 それは、彼がこの三年間、日記をつけていることと、二年前から運動を始めたことです。 日記をつけることによって、状況を客観視すること、気持ちを表現することができたのが、今回の記事を書くことにつながったことは、容易に理解できます。 同時に、運動を始めたことによって、うつ的な気分が改善されたことも、間違いないことと思われます。 もくぜんさんは、「はじめは家で筋トレをし、それを日記に記録」していたのですが、「そのうち週に何回か外を走れるようになり」ます。 そして、「走れる距離とスピードが面白いように伸びていき、自信をつけた」といいます。 こうやって体を動かすことで、精神状況が改善した結果、勉強時間も増やすことができました。一か月前、インターバルタイマーをつかって時間を管理したところ、一日 2 - 3 時間だった勉強時間が 8 時間まで伸びたというのです。

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はてな村の皆さん、まいどお早うございます。 今日は watto さんの、 ダブルミーニングについて - しいたげられたしいたけ と、夜中たわしさんの、 『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ をネタに、言葉と人間の記憶について、つらつら考えたことをつづります。 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 ぼくの奥さんは明太子だった話 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 さて、watto さんは、上記の記事で、夜中たわしさんの記事につけた 「確かにしいたけは私だ」 というブックマークコメントを披露してらっしゃいます。 この文章の意味するところは、『「妻が椎茸だったころ」という本をたわしさんに贈ったのが、自分である』ということと同時に、その『自分というのが「しいたげられたしいたけ」を名乗る watto である』ことをも意味する、「watto さんは、このギャグが書きたかったから、わざわざ贈り物までなさったのですね」と褒め称えるしかない、高度なコミュニケーション技法と言えます。 ここで、『「しいたけ」を贈ったのはわたしだ』を意味するほうの、「しいたけは私だ」という言い方を「うなぎ文」と呼ぶことは watto さんも書いているとおりです。 これは、食堂で 「きみは何にする?」 と聞かれたとき、 「ぼくはうなぎだ」 と答えることで、うなぎを注文することを表すことからつけられた呼び名なのですが、 『「ぼくは人間」なのに「ぼくはうなぎ」とはおかしいじゃないか』 というようなことから、日本語の助詞「は」にはどういう機能があるのか、といった観点など、いろいろと取り沙汰されている話なのでした。 (詳しい話が知りたい方は、うなぎ文の一般言語学 | marges de la linguistique や 「フランス語のウナギ文」再び - 翻訳論その他 などをご覧ください) ちなみに、「ぼくはうなぎだ」の形の文は日本語に特有のものではなく、英語では、むしろ日本語よりも広い範囲での使い方がなされることがあるようです。 たとえば、アメリカのハードボイルド小説で、探偵がカフェの中、二人の男の動向を観察している場面を思い浮かべてみてください。 ナポリタンがコーヒーのお代りを注文した。すると、カルボナーラが突然立ち上がった。 ナポリタンを食べていた男と、カルボナーラを食べていた男のことを、それぞれ、「ナポリタン」と「カルボナーラ」で表しているわけです。 これは言語学的には比喩表現の一種である「換喩」表現と考えるようで、 「この間、白バイにつかまっちゃってさ」 のような表現だったら、日本語でもありえますよね。 「白バイに乗っている人」のことは「白バイ」と呼び、「ナポリタンを食べていた男」は「ナポリタン」と呼ぶ、というわけです。 というわけで、「うなぎ文」ちっともおかしくないし、日本語に固有のものでもありません。 ですから、日本語は、それほど特殊な言語というわけではないし、「非論理的」な言語などではまったくありません。 英語など、西洋の言語形式とは少し異なる構造を持つというだけの話で、むしろ「非論理的」なのは、「学校で習う国文法の説明」のような気がする今日この頃です。 ぼくの奥さんは明太子だった話 すでに少し触れましたが、watto さんはたわしさんの「しいたけ画像」を自分のアイコンとして使っているので、そのお礼に「妻が椎茸だったころ」という不思議な題名の本をたわしさんに贈ったのだということです。 こいつは、はてな村で生まれうる、暖かい交流を象徴するかのような、実に麗しいエピソードでありまして、後世に語り継がれること間違いのない美談ですが、 『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ で紹介される「妻が椎茸」な話には、また泣かされます。 (ところでたわしさん、「葬儀から週数間過ぎた頃」は、「数週間」の打ち間違いと思います。こんなところでのお知らせで失礼っ) 「妻が椎茸だったころ」というのは、中島京子さんの短篇集の表題作なのですが、作中、60歳の主人公が亡くなった妻のレシピ帳に、 「もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」 という謎の記述を見つけます。 そして、妻が通っていた料理教室の先生にそのことを話すと、先生は 「人は誰でもそうだ」 と答えるのです。

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はてな友だちのマミーさんが、 富士山を見て感じること。 - こたつ猫の森 という記事で、「富士山を見ると恥ずかしく感じる」というおもしろい現象について書いてらっしゃいます。 今日はこの不思議な現象について、私見を述べてみたいと思います。 マミーさんは件の記事で、「富士山を見るとどうにも恥ずかしく思うのだが、一体これはどういう心境なのだろうか」との問いを投げかけています。 これに対するぼくの仮説は、 「偶像を知ったあとで、実物を知ったときの違和感が、時によって恥ずかしさとなって現れる」 というものです。 もう少し説明すると、 実物より前に富士山の「理想化」ないし「戯画化」された「偶像・絵」を知っている。 そのあとで、実物を知る。 「絵」と「実物」の「ギャップ」あるいは逆に「特徴がうまくつかまれている点」に違和感を感じる。 この「違和感」について、日本人はいろいろなことを「恥」としてとらえることから、実物が「俗っぽい絵」(銭湯の壁のタイル絵など) に似すぎている点が「恥ずかしさ」として感じられる。 ここで感じる「恥ずかしさ」は、実物に「もっとかっこよくなければ、あかんやろ」みたいな気持ちの表れ、ということになりましょうか。 マミーさんの記事では、太宰治が「富嶽百景」( http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html ) で「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」と書いていることや、絵本作家の長谷川義史氏がテレビで富士山に対して「恥ずかしい」を連発していたことを傍証に、この「富士山恥ずかしい症候群」がマミーさん固有のものではなく、普遍的なものであることを示唆しております。 そして、このとき、 マミーさんは大阪の方、 太宰は青森の人 (ですよね) 、 長谷川氏も大阪の方、 というところに、「実物より先に偶像を知っている」という共通性が見出されます。 また、似たような現象として、 「キンモクセイの香りをトイレのにおいとして知っている子どもが、実物のにおいを知ったときに感じる『花がトイレのにおいをハナつ』ことに対する違和感」 というものが知られております。 なお、これに関しては、「金木犀は恥ずかしい」といった文豪がいるかどうか今のところ不明ですので、今後の研究が待たれるところです。 ちなみにこれを書いているぼくは東京生まれの世田谷原住民であります。 幼少の頃、幼稚園に行く道すがら、冬の晴れた日には坂の上から、遠くに雪をかぶった小さな富士山を友だちのお母さんが指差すのを見て、「あー、今日は富士山が見えるなーー」などとぼーっと思ったりしながら育ちました。 でありますので、太宰が、 東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。 と書いたりするのに対して、 「あらまあ、太宰さん、そいつは大変ね、さぞかし苦しい人生だったことでしょう」 と同情こそすれ、内容についてはまったく共感するところはなく、 東京から見る富士は、どうにもちつぽけではありながらも、わたしにとっては日本の原風景とも言えるやうな存在であつた というような感想が浮かんできますね、ぼくの実感としては。 富士山については、ほかにもいろいろ思い浮かぶ挿話や感興がありますが、それについてはまたいつか書くかも、ということにして、今日はこの辺でおしまいにしようと思います。 てなことで、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのみなさん、こんにちわ。 昨日の記事 Google Adsense 戦史 - あるいは、ネット上で小遣いを稼ぐまでの遥かなる道行き - *魂の次元* では、すっかり放ったらかしていたグーグルアドセンスのページを久しぶりに見にいったら、収入が 1,000 円を超え、グーグルからの支払い準備のための住所確認の段階に達したという、ささやかな報告をさせていただきました。 今日は、こちらもまたまた、ごっそり放っぽらかし状態のアマゾン・アソシエイトを覗いてみたところ、今年に入ってから 300 円ほどの収入が確認されましたので、防備録がてらの記録ついでに、お買い上げのあった商品を紹介してみることにします。 1. 紹介して売れた本 ・EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)[ 2点お買い上げ] こちらは、双子の姉妹、なほとまほが、普通の社会人をやめて、世界を旅しながら自由に人生を生きるようになるまでの姿をつづったノンフィクションの物語です。 「アウト・オン・ア・リム」や「アルケミスト」をご存知で、精神世界・スピリチュアル方面に関心のある方には蝶お勧め、アヤワスカ体験の記述もすぐれもので、日本発のサイケデリックノベルとしても大変おもしろく読めます。 もう少し詳しい紹介はこちらの記事をどうぞ。 魂の次元: [本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」 ・なまけ者のさとり方 (PHP文庫) [ 3点お買い上げ ] こちらも精神世界系の本で、古典的といってもよい作品ですが、楽に、快適に人生をすごすための、世界観と心構えを書いた本とてほもいったらよいでしょうか。 ややオカルトめいた記述もありますが、広い意味では自己啓発本といってもよい内容で、そういった系統の本に興味のある方にも、少し毛色の変わった本として自信を持っておすすめいたします。 2. その他、ぼくのリンクを辿ったのち買っていただいた商品 (お買い上げは各 1 点ずつ) ・オカルト探訪マガジン 怪処 3号 -特集 西日本異景/即身仏/ソウルフード ・オカルト探訪マガジン 怪処 5号 - 特集 奇怪なるハコモノ/つくりびと知らずアートの世界 世の中にはこんな雑誌もあるのですね。アメブロつながりの知人が買ってくれたもののような気がするのですが、なかなかディープで楽しいラインアップです。 ・思いが伝わる、心が動く スピーチの教科書 佐々木繁範さん、元ソニーCEOスピーチライターの方の著書です。 話ベタなぼくに、この本を読んで勉強するべしとの、神様のお告げでしょうか。 ・マイ・ウーマン エンジェル・オルセンというアメリカの女性シンガーソングライターのアルバム。不勉強にしてまったく知りません(笑)。 てなことで、本日もご精読ありがとうございました。 それではみなさん、ナマステジーっ♪

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はてなのみなさん、ネパールより、ナマステジーっ。 前回の Adsense ネタの記事 アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元* では、Amazon Associate (記事 30 本ほどで 2,500 円ほど) や note.mu (記事 100 本ほどでやはり 2,500 円ほど) といったささやかな収入も合わせ紹介しましたが、今回は Adsense シリーズの続きとして、その後四ヶ月が過ぎたところでの微々たる進展について報告したいと思います。 さて、前回の記事の Adsense に関わる内容は、「九ヶ月の期間に 70 本ほどの記事を書き、約 700 円の収入があった」という話でした。 どう控えめに表現しても、小遣いと呼ぶには「遥かに遠く及ばない」というしかいいようのない金額ですが、千里の道も一歩から、これがいつか巨万の富に結びつかないとは、誰にもいうことはできません。 ...... というような、わらしべ長者的セリフはこのくらいにして、その後の四ヶ月の進展を簡単に書いてしまいましょう。 この四ヶ月も、気が向くと記事を書く、といった程度の適当な更新を続けていた http://meratade.blogspot.jp ですが、書いた記事数が 15 本と少ない割りには、300 円ほどの収入があり、Adsense の第一関門 1,000 円を超えることができました。(やったーーっっ) ※ちなみに、Google Adsense の規約では、google からの支払額以外のデータは公表してはいけないことになっています。この記事では、細かい数字は出していませんので、たぶん問題にならないはずですが、万一問題にされれば、最悪 Adsense アカウントの停止といった事態にならないとも限りません。大変危険ですので、良い子のみなさんは、絶対真似しないでくださいね♬ まったく不真面目な Adsense 利用者である私は、第一関門突破を意味する、4 月 13 日付けの、住所確認書類を送った由の google のメッセージに、半月以上も経った今日ようやく気がついた次第で、さきほど実家の弟に「郵便をチェックしてPIN コードを教えてちょ」とメイルしたところです。 (この PIN コードを Adsense アカウントで入力することで、google からの支払いを受ける準備がととのうことになります。) 1,000 円の関門は、単に住所確認だけで、実際の支払いは収入の累計が 8,000 円を超えないとしてもらえません。

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夜中たわしさんが、 親族により70余年封印された本『悪魔を出し抜け!』オーディオブック版感想 - 夜中に前へ という記事で、ナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け!」を紹介しているので、ぼくも便乗してちょっと書いてみます。 この本はいわゆる自己啓発本ですので、「お金を儲けたい」あなたや、「有名になりたい」あなた、そして、「とにかくネット上でビッグになりたい」あなたなどには打ってつけの本ということになります。 そして、さらに言えば、「ニートな悟りを決めたい」あなたにこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊だったりもするのです。 ぼくはどちらかというと、マイナー「指向」にしてマイナー「思考」な人間ですので、題名に「悪魔」という言葉が入っていなかったら、この本を本屋で手にとることもなかったでしょう。 そうです、この本のとっても面白いところは、悪魔があなたに「ビッグになる」方法を教えてくれるところなんです。 ナポレオン・ヒルは、アメリカにおける自己啓発本の本家本元みたいな人ですが、その彼が「ある精神的な危機を経て、悪魔とコンタクトを取れるようになった」というのが、この本に書かれている文字通りのいきさつです。 たわしさんは、悪魔とコンタクトを取ったというのは方便であり、刺激的すぎる内容を直接自分の言葉として語るのは差し障りがあるので、悪魔の言葉として語ることにしたのだろうと、書いています。 確かにそうかもしれません。 けれども、「命に関わるような精神的な危機」を経験することによって、普段は入ることのない「変性意識状態」に入るということは、十分ありうることでして、ナポレオン・ヒルが「実際に悪魔と対話した」と思っていたとしても、これはなんらおかしなことではありません。 少し時代はさかのぼりますが、イエス・キリストさんだって、神の声を聞いたと思ったわけだし、周りの人たちもそれを信じたわけですから。 さて、そこで悪魔が何を教えてくれるか、ということなのですが、それは 「いかにして悪魔が人間をコントロールしているか」 という方法なんですね。 で、ナポレオン・ヒルさんは、どういうわけか悪魔と友だちになってしまい、悪魔のやり口を教えてもらってしまいましたから、これを逆転することによって、「悪魔を出し抜く」ことが可能になるわけです。 悪魔を出し抜きさえすれば、ほら簡単、あなたはあっという間にビッグになれるという次第です(嘘)。 で、いかにして出し抜くかということですが、これを一言でまとめてしまうと、 「ヒプノティック・リズムにはご用心」 ということになります。 たわしさんはそれを 「悪魔にコントロールされないためには、周囲に流されず、自分の頭で考えろ」 と表現なさっています。 はしょって説明すると、悪魔の目的は「自分で考えない、周りのいいなりになる人間を作ることで、この世界を堕落させる」ことにあるわけです。 そのとき悪魔は、「ヒプノティック・リズム」という人間を催眠状態に落とし入れる波動によって、人間をコントロールしているとのこと。 そのことを十分に意識していない限り、人は簡単に「周りに流される、いいなり人間」になっちゃうって話なんですね。 そしてこの「十分に意識する」っていうのが、めちゃめちゃ難しい。いろいろなエピソードを通してその「難しさ」についてもきちんと書いてありますので、あなたが本当に「悪魔を出し抜きたい」のだったら、役に立つことは間違いないです。 この本は自己啓発本ですから、全体のストーリーは「流されない人間になって、ビッグになろう」というふうなものなのですが、基本的な考え方は、お釈迦さまの説く、初期仏教ともそっくりだなと、ぼくなどは思います。 ぼくの場合、涅槃・寂滅を目指す、仏教的なストーリーの方に、どちらかといえば惹かれるわけですが、キリスト教的でビジネス畑のナポレオン・ヒルさんの書く「真実の書」が、「世間に流されない人間になろう」という主張において、仏教とほぼ同じ結論に達していることには、とても興味深いものを感じます。 というわけで、「ビッグになりたい」あなたにも、「ニートな悟りを決めたい」あなたにも、蝶おすすめの一冊ということなのでありました。 ほいでは、気になる方は、ぜひアマゾンでチェックしてくださいねー。 ナポレオン・ヒル「悪魔を出し抜け!」きこ書房2013

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はてなのみなさん、ご無沙汰してまーす。 ネパールの首都カトマンズからほど近い、ドゥリケルという山腹の小さな街に来ています。 晴れた日には、宿の窓からも、遠くヒマラヤの峰々が、白く輝く清々しい姿をお披露目してくれているのを拝めるのですが、今日は階段を何百段か登って、見晴らしのよい尾根に立つ、カーリー寺まで、奥さんと二人、足を伸ばしました。 朝早いうちに登る山道は、空気も冷たく爽やかで、道の所々に設置されているヒンドゥー教の神様の像を、これはクリシュナさんだね、こっちはラーマさんかな、などと拝みながら、ゆっくりゆっくり歩いていきました。 道の両側には背の高い木が生えているのですが、ネパールはしゃくなげの木が多く、食堂の名前などにもラリグランスというしゃくなげの英語名がつけられていることがありますが、ここでも普通に見かけました。 けれどもしゃくなげの花の時期にはまだ早く、青々と葉を茂らせるばかりで、道端の小さな草には可愛い花をつけているものもありましたが、花をつける木はありませんでした。 いつかしゃくなげの花の頃に来たいものだなと、思っていると、背の高いしゃくなげの木のてっぺん辺りに、赤い花が三輪ほど咲いているのが見えました。 山道を登るぼくらをみおろして早々と咲く赤いしゃくなげ そのあと、もう少し登ると、カーリー寺に着きました。 寺といっても屋根つきのお堂があるわけではなく、土台は立派な石造りでちょっとした広場のようになっているのですが、そこに露天の石の祭壇があり、カーリー女神の小さな石像がまつられています。 そこで、荒ぶる女神カーリーの力を分けていただき、初夏ののどかな空気に霞むヒマラヤの山々がうっすらと見えるのをしばし楽しんで、持っていったパンとバナナをおいしく食べました。 ....と、そんな呑気な日々を送っているとし兵衛でした。 それではみなさん、ナマステジーっ。

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一日で三本目のつもりの記事です。日本時間では日付が変わってますけど。 はてな村交友録・マミーさんの巻 谷口ジロー追悼 はてな村交友録・マミーさんの巻 ここ、はてな村にて、しばらく前からかまっていただいているマミーさんは、「かわいい」という形容詞が似合う、すてきな女性だと思う。 大阪からの1泊小旅行 その2 - こたつ猫の森 という記事は、マミーさんが岡山へ旅行した体験をつづったものなのだが、冒頭からスマホのストレージがいっぱいになって、写真を撮ることができなかった経験が語られる。 仕方なく、夕食の後に、古い写真をスマホからせっせと消去するという、チマチマ単調な作業をする羽目になりました。 めんどくさかったです!(←どうでもいい報告) こうした、なんの衒いもなく、100%いい意味で無邪気な書きっぷりが、彼女の魅力である。 その後は、大原美術館の話で、ロダン、エル・グレコ、レオン・フレデリックなどの名が挙げられ、へー、倉敷にそんな素敵な美術館があったんだーー、と思ったことだよ。 さて。 ぼくは倉敷は一度だけ行ったことがあります。高校の旅行でのことでした。 「天領だった江戸時代の風情を色濃く残した倉敷美観地区」は、いい町並みだなぁと思いましたが、生意気盛りのわたしらは、観光などせずに喫茶店に入って、どこに行っても普段通りの行動をする、これが粋ってもんだ、みたいな分からぬ理屈で意気がっておりました。 ですから、大原美術館など存在も知らず。 まあ、当時は特に美術に関心がなかったから、知ってても行かなかったかな。 それよりも、一緒に行動していた友人の一人が、どうもこの辺に古本屋がありそうだ、とかいうのでついていくと、確かに古本屋があって、当時すでに東京では入手困難だった早川SFシリーズがいっぱいあって、そいつを買い占めたのがいい思い出です。ぼくが勝手に独り占めしたので、仲間の一人には、俺だってほしかったのにと、さんざん文句を言われてしまいましたが。 今更ながら反省。 谷口ジロー追悼 さて、件のマミーさんの記事で、はてな村での交友関係が紹介されているのですが、その中のお一人セネシオさんの記事を見て、谷口ジロー氏の訃報を知りました。 漫画家谷口ジロー氏へのオマージュ (パリ国際ブックフェア) - ベルギーの密かな愉しみ セネシオさんの記事によると、谷口ジロー氏は、ベルギーやフランスでも人気が高いとのことで、へー、と思って読んでると、BDの作家がどうこう、と書いてあります。 BDってなんやねん、と思いながら読んでいくと、バンド・デシネという言葉が出てきて、なんか聞いた覚えあるな、と思いました。 谷口さんはベルギー・フランスのバンド・デシネの漫画家の影響を受けたというのです。 そして、メビウスの名前が出てきて、ようやく了解しました。 大友克洋も影響を受けた、バンド・デシネの巨匠です。 なるほど、谷口さんもね。そういわれて改めて見直すと、分かる気がします。 と、ここまで書いといて今さらこんなことを書くのもナニですが、ぼくは谷口さんの作品を読んだことがありません。 でも、彼が関川夏央氏と組んで描いた「『坊ちゃん』の時代」はずっと気になっていました。 日本は今、歴史的な転回点にあると、ぼくは思っているのですが、漱石の生きた明治時代というのは、現代日本を考える上で、知っておかないと話にならない時代です。 ところが、ぼくは、明治時代のこともロクに知らないし、漱石のことも同様。 日本に帰ったら、早速この漫画を読んで勉強したいと思います。 ☆興味のある方は、アマゾンでチェックしてください。 新装版『坊っちゃん』の時代

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極小網作家(ぷちウェブライター)*1のとし兵衛です。 今日は高知県在住赤茄子網日記家(トマトブロガー)さん(仮名)の教えにしたがい、たぶん私のはてな史上初の「一日あたり複数更新」でお送りしております。 この記事では、鶏ハムを作るのは果たして手間がかかることなのか、という人類の今後を考えるダメためにも必要不可欠な、蝶重要問題をみなさんと一緒に考えていきたいと思います。 ただし、これを書いているわたくしは、ch3ch2ohという脳幹突破物質によって、意識の変性状態にありますので、本文の内容については、一切の保証はできかねます。 したがって、以下の文章を読むあなたは「アズ・ユー・ライクのシャディです」といった気持ちであってはならないことが期待されますので、以上、十分ご注意の上でのご高覧をお願いいたします。 酔っ払って書いてるのでどうかすべてを大目に見てください 水島真司とDAICON 3に西言葉を教わったぼく ここで鶏ハムの時間です 料理における「手間」ってなんなんよ? 酔っ払って書いてるのでどうかすべてを大目に見てください 浅田彰という三十年ほど前に一世を風靡した経済学者*2に「構造と力」という著書がある。 //というか「構造と力」という最初の本*3で一世風靡セピアしたんですわ。 その著書の内容については猫の額ほども触れないうちに立ち去ることにするが、今はなき、東京渋谷の旭屋書店において、その後書きを読んで蝶違和感を感じたわたしは当時若干19歳であったことだよ。 ほんで何に違和感感じたかというと、後書きで、浅田さんが「自分のこの著書は未熟なもんだから、いろいろ足りないこともあると思うからごめんね」みたいなことを書くときに、その「ごめんね」が「ご寛恕願いたい」かなんか書いてあったんよ*4。もう、もう、違和感120% 。日本の謙遜の文化を、これっぽっちも知らずに育った昭和の世田谷原住民としてはね。 半世紀以上生きてきて、最初の奥さんの、お母さんの出身が群馬、お父さんの出身は長野だったり、今の奥さんは、お母さんが広島で、お父さんは熊本、そして、ぼく自身は母も父もだいたい東京だけど、南伊豆に二年ほど、東広島に一年半住んだりもしたもんだから、「日本は、その大きさにまで拡大した東京ではない」という東京圏以外の人から見たら、あたり前田のクラッカーな*5の事実も、あたまで分かってる。 だけど、やっぱり体じゃ分かっちゃねーってことだろなぁー。>おれ いや、この話はね、浅田さんとぼくの世代の違いだけじゃなくて、西の彼と東のぼくでは、その言葉のもつ意味が違うはずだってことでね。 つまりこの話は、「ご高覧」という、ぼくからしたら「ゾンビ感」丸出しな言葉を、当時26歳の浅田さんが使っていたことが、いま思い返すとぼくにとっては、西と東の似て非なる言葉遣いをそれとは知らずに意識した初めての機会だったんだなってことなんよ。 水島真司とDAICON 3に西言葉を教わったぼく さてさて。 お昼ごろに、ルンビニバザールの雑貨屋で、ネパール国謹製タイガービール500ml缶(ひと缶150ネパールルピー、ほぼ150円)をふた缶買って、聖地公園の入り口向かいの屋台で、インドやネパールではチョウメンと呼ばれる、我々日本人からしても焼きそばとしか呼びようのない食べ物(ハーフサイズ約25円)をつまみに、ひと缶飲みました。 そして、その屋台でKurkureという日本で言えばカラムーチョみたいなスナックのMasala Munch味(約10円)を買って帰り、それをつまみに宿(ツィンルーム一泊約400円*6)でもうひと缶飲んで、前節まで書いていたのです。 ひと眠りして今は四時半すぎ、漢語では酒精と呼ばれる、現在地球上のほとんどの国家で合法的に購入することのできる向精神物質の影響からほぼ回復し、続きを書き始めたところです。 なお、この項以降、内容をネットで確認する手間を省き、紋白蝶いい加減モード全開でお送りしますので、記憶違いなどあるかもしれません。あらかじめお詫び申し上げます。 水島真司という、野球漫画で知られる漫画家さんがおりますが、ぼくが小学生の頃(ってことは、1975年とかそのくらいですね)に「男どアホウ甲子園」という漫画を少年チャンピオンで連載されてました。 ぼくはこの漫画をコミックスで全28巻買い揃えていたのですが、この漫画がいわゆるところの大阪弁とぼくの出会いであったといっていいでしょう。 ときは過ぎゆき、ぼくは高校生になります。あれは1980年だったでしょうか、世の中には「日本SF大会」というイベントがあるのですが、まあ誤解を承知で、しかも分からない人にはやっぱり分からない例えで説明しますと、コミケことコミックマーケットみたいな、つまりは、SF好きな人が集まって、「SFに関する話題で一年に一度盛り上がろう」的なお祭りなわけです。 そのSF大会が、たぶん1980年に大阪で開催されたわけですね。DAICON 3 という愛称がついてるんですけど。 なお、このDAICON 3というイベントが、のちに世界を席巻する日本のアニメの代表作「新世紀エヴァンゲリオン」を撮ることになる大監督、庵野氏の、まだアマチュア時代ではありますが、実質的な活動の始まりということになります。 こんなことを書いていると、自分が時代の生き証人になったような気がしてきて、なんだか面白いですね。 で、そのDAICON 3に参加の申し込みをすると、今こんな感じで準備を進めてますよー、というお知らせを送ってきてくれるんですが、そのお知らせの中にカセットテープが入ってたんですね。 そのカセットテープは、大阪流のギャグが詰まっていたわけですが、そのうちの一つが大阪弁講座だったわけです。 日本全国から集まるSFファンのみなさん、「せっかく大阪にきはるんやったら、大阪弁くらい話してーな」*7というわけです。 もう内容はほとんど覚えてませんが、たとえば、 大阪弁の挨拶は、 「もーかりまっかー」 「まーぼちぼちでんなー」 ですよ、 みたいな感じで、語学教材風に作ってあり、これがなかなかよくできてるわけですよ、なにしろガイナックスの人たちが、会社を起こす前に作ってたわけですから。 おもしろい場面に立ち会っていたものだなあと、あとからしみじみ思うものですね、青春時代って。 ここで鶏ハムの時間です さて、ぼくのリアルでの知り合いには、はてなを使っている人などほとんどいないのですが、そのはてな村友のうちで、太古の昔よりの人生の先輩であるネギ氏が、鶏ハムについて記事を書いていたのが、ことの発端なんです。 ネギ氏が、鶏ハムを作って食べたって話で、それの感想が 「うまいはうまいけど、ちょっと手間がかかるから、割が合わない。これだったら、ただ茹でて食べるだけでいいか」 というものだったんで、 「ふーん、どんな料理で、どの辺が手間なんかなー」と思ったんですよね。 鶏ハムというのは、悪名高い有名な巨大ネット掲示板 2 channel 生まれのレシピということで、 鶏の胸肉に蜂蜜、胡椒、塩をつけて冷蔵庫で寝かせ、 これを沸騰した鍋に入れ、 再沸騰したら15分ゆでて、 そのあとしばらく鍋をそのままにしとけばできあがり、 という仕込みだけすればあとは手間いらずって料理なんです。 これを知って思いました。 さすが、ネギ氏、「手間の概念が凡人とは違う」って。 この感想は、ネギ氏のことを、これっぽっちもばかにしてるわけじゃなくて、むしろ、尊敬すると同時に、すっごく面白がってるだけなんです、懇切丁寧に説明しておきますけど。 料理における「手間」ってなんなんよ? ということで今日はここで、料理における「手間」について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。 「常識的」な意味では、鶏ハムは「手間いらず」なレシピです。 このとき、「手間」という言葉が意味するのは、

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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宇宙のど真ん中