wattoさんの記事、 ・[自炊の余禄]創作を推進する最重要エネルギーの一つはパクリじゃないかということ(その1) - しいたげられたしいたけ と、そこについたブックマークコメントがなかなか面白かったので相乗りさせていただきます。 題して「創作における模倣問題」。 見出しはこんな感じです。 創作に模倣はつきものだよね 模倣とパクリの違いはどこに? 模倣に寛容なのはアジア的文化? オマージュは模倣ではないし、ましてパクリではない インスパイアされるということ おまけ、「創作ができる人」と「できない人」の違い [追記]デレク・ハートフィールドのモデルはロバート・E・ハワードだったのか 創作に模倣はつきものだよね すべての作品が模倣とまでは言えませんが、オリジナルでユニークなストーリーや形式がそうそう生み出されるわけもないのですから、たいていの作品はどこかしら他の作品を思わせたりするものです。 意図的に模倣するか、無意識的な模倣なのかはともかく、歴史的に培われた人間の発想自体の「型」ということまで考えれば、「模倣かもしれない類似」をいちいちパクリという言葉で指摘して、その作品の価値を貶めようとしても、あんまり意味はないですよね。 ちなみに、wattoさんの記事は、「パクリ」という言葉を否定的に使っているわけではなくて、「創作を推進するエネルギー」ととらえているわけですから、ブックマークコメントに散見される「パクリ≒否定」という解釈は、wattoさんの意図に対しては誤読ということになるかと思います。 まあ、「パクリという否定的ニュアンスのある言葉をわざわざ使わなくてもいいのに」という意見は、ごもっともでありますが。 模倣とパクリの違いはどこに? というわけで、模倣自体はなんら否定するべきものではないはずなのですが、世の中には「パクリ」としかいいようのない、つい何かを言いたくなるような作品が存在するのも事実です。 たとえば、これはタイトルのパクリになりますが、片山恭一氏の「世界の中心で、愛をさけぶ」。 これの原典は、SFファンにはおなじみのハーラン・エリスン「世界の中心で愛を叫んだけもの」ですが、実際には「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」からの孫引きの可能性もあるようです。 (参照: 世界の中心で、愛をさけぶ - Wikipedia) ここで、「エヴァ」における「模倣」は「オマージュ」として理解されますが、片山氏の小説は言い逃れのしようのない「パクリ」ですよね。 というのは、「エヴァ」は、最終話にそのタイトルをつけたから売れたわけではありませんが、片山氏の作品は、「人から借りてきたタイトルで売れた」と言っても言い過ぎではないと思われるからです。 ただし、片山氏の名誉のために付け加えておけば、氏がもともと用意したタイトルは「恋するソクラテス」というもので、編集者の助言によって「世界の中心で愛を叫ぶ」になったとのこと。 そして、その結果、村上春樹氏の「ノルウェイの森・上巻」を上回る、日本の小説における最大のベストセラーになったというのですから、「パクリ商法・大成功」の稀有な例とも言えるでしょう。 模倣に寛容なのはアジア的文化? 欧米においてこうした「明らか」なパクリが許されるかというと、たぶん許されない気がするのですが、残念ながらそれをきちんと資料で裏打ちするほどの知識はありません。 ですので、この項は単なる個人的印象に過ぎませんが、どうも日本に限らず、アジア各国は模倣に寛容なような気がします。 ブランド品の模倣や音楽CDの海賊版なども含めれば、模倣ビジネスは切りがないですよね。 ぼくの印象に残っているのは、タイの超有名ロックバンド・カラバオのケースなのですが、あからさまにボブ・マーリーのコピー的ライブビデオを出しているんですよね。 もちろん、全部タイ語で歌っている、カラバオのオリジナル曲ですから、ボブ・マーリーに対するオマージュだと言えば、確かにそうも言えるのですが、コーラスの入れ方から何から、ふだんのカラバオのスタイルではなくて、ボブ・マーリーのパクリとしかいいようがないレゲエの演奏になってるんですから、さてこれはどういうもんだろう、みたいな感じで。 聴いていて十分楽しめますから、タイの人はこれでOKなんだなと納得するだけですし、確かに作品として成立しているので、文句をいう筋合いもないのですが、ここまであっけらかんとパクってもいいのかと、なんとなく不思議な感覚を覚えたという話でした。 オマージュは模倣ではないし、ましてパクリではない というわけで、カラバオの場合もボブ・マーリーに対するオマージュと考えればまったく問題ないわけですが、模倣やパクリとは異なるオマージュというのは、どういうものなのでしょうか? オマージュにおいては、題材を拝借する作品・作家に対する敬意があるということが、まずはポイントでしょう。 また、オマージュを表現する作家と読者の間に、それがオマージュであるという共通理解が生まれうるだけの何ものかが、そこに表現されていることも重要です。 作家の側はオマージュとして書いているつもりなのに、読者からするとただのパクリ、ということは実際ありがちな話ではないでしょうか。 また、日本の文学には「本歌取り」という形がありますが、これもオマージュの一種と考えることができると思います。この場合は教養としてすでにみんなが知っている過去の作品に題を取るわけですもんね。 ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 インスパイアされるということ さて、wattoさんの元記事は「創作の原動力としての模倣」に言及していたわけですが、ここでちょっとだけ、村上春樹氏の最初期の二冊「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」について考えてみましょう。 村上春樹氏が、どういう動機で小説を書くことになったのかは知りませんので、ここに書くことも個人的な印象にもとづくものにすぎませんが、氏がアメリカ文学を好んで読んでおり、翻訳も手がけていることはよく知られるところです。 そのとき、村上氏は「アメリカ文学にインスパイアされて小説を書くことになったのではないか」という仮説は容易に立てることができます。 であるからといって、村上氏の小説は「アメリカ文学の亜流」にすぎないのかといえば、その小説の翻訳が世界中で受け入れられいることを考えれば、それ以上のものであることは、多くの人の認めるところでしょう。 というわけで、「創作の原動力としての模倣」ということは、村上氏の場合にもあてはまるのではないかと、思うわけです。 そして、「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」なのですが、この二つの作品は、それ以降の氏の長編作品とは異なる形式上の特徴を持っています。 それは、細切れの文章をつなぎ合わせる形で、全体が構成されている点です。 この手法は、村上氏のオリジナルというわけではなく、アメリカの作家カート・ヴォネガットが得意とするものであり、これはパクリと言われても仕方がない種類の模倣に入ると言えましょう。 また、「風の歌を聴け」にはデレク・ハートフィールドという架空の作家が登場しますが、これもヴォネガットが自作にキルゴア・トラウトという架空のSF作家を登場させていることを連想させます。 村上氏はオマージュのつもりでこういう表現方法を取ったのかもしれませんが、この辺りのことを勘案すると、 アジア的模倣文化が村上文学を生んだ といってもよいかもしれない、と思ってしまうのでした。 なお、ぼくは「風の歌を聴け」も「1973年のピンボール」も、ヴォネガットを知った上で読んで、日本にもおもしろい作家が出てきたもんだな、と思った口ですので、カラバオがボブ・マーリーを真似てもOKなように、村上氏のヴォネガットの真似もOKな部類だと思っています。 けれども、氏自身は必ずしもそう考えていなかったようで、「村上自身が初期の長編2作を「自身が未熟な時代の作品」と評価していたため」この二作品の英訳は講談社英語文庫から英訳が出版されていたにも関わらず、長らく海外では出版されていなかったというんですから、おもしろい話ですよね。「日本人的な謙虚さ」とでもいうべきでしょうか。 (参照 1973年のピンボール - Wikipedia) おまけ、「創作ができる人」と「できない人」の違い wattoさんが記事の冒頭で、 「創作ができる人」と「できない人」の違いについて、それは「才能のある人」と「ない人」の違いである、 という意味のことを書いています。 ご本人が「それを言っちゃあおしめえよ」と注意書きをしてますけれど、まあ、同義反復というやつですね。 それに対して、

全文を読む

前の記事 ・文化の盗用問題と経済的支配構造、あるいは、中心と周辺、そしてランクという概念について - *魂の次元* において、「おかしな日本語」を使ったことについて、マミーさん(id:mamichansan)から次のようなご指摘をいただきました。 なぜ関西弁に廓言葉が含まれているのか…そういうのが大阪人としてはちょっと傷つく。 http://b.hatena.ne.jp/entry/347374030/comment/mamichansan ぼくの書いたケーハクな文章によって、不愉快な気持ちにさせてしまったこと、誠に申し訳ありません。 と同時に、日本文化音痴のぼくがよく調べもせずに書いた表現に、東の「廓言葉」が含まれていることをご指摘いただいたことは、大変ありがたく思っております。 「大阪と東京」という地域文化の間の「優位性=ランク」の問題だけでなく、「女と男」という性別の違いの「ランク」についても無自覚なまま、いい加減な言葉使いをすることで、二重の意味で「文化の盗用」と「ランクの乱用」という間違いをしでかしたことは、まったく面目ない話です。 まー、ぼくという人間は、そんなようなアホウなやからにすぎませんので、頭で理解したつもりになっていただけだった「文化の盗用」や「ランクの乱用」という問題を、こういう場を通して勉強させていただいており、今後は多少ともまともな文章を書いていけるように努力いたしますので、今回の不始末につきましては、ご寛恕いただければ幸いです。 ちなみに、id:tztさんからは、 文化なんて盗み盗まれ豊かになってくもんだろう。文化の盗用おおいに結構。みんな積極的に盗用してこうな。 http://b.hatena.ne.jp/entry/347374030/comment/tzt というコメントをいただいており、ぼくの中のケーハクな部分は、大いに納得してしまったりもするのですが、現実に「盗用」が人を傷つけることを考えれば、よくよく考えた上での「盗用」であっても、問題が生じうることを理解してからでなければ、「盗用」のおすすめはできないなと、改めて考える次第です。 てなわけで、みなさん、ナマステジーっ。

全文を読む

アメリカのファッションモデル、カーリー・クロスさんが日本の「芸者風」の衣装で撮った写真がファッション誌「ヴォーグ」に掲載されたことについて、これが「文化の盗用」として批判され、カーリーさんはTwitter上で謝罪したことが報道されています。 ・カーリー・クロスが炎上謝罪 日本文化を盗用と指摘、米VOGUE誌で「芸者スタイル」披露 アメリカの人たちが気にしている「文化の盗用」って何なんでしょうか? そして、どうして、白人女性モデルが「芸者風」の格好をするのが問題になるのでしょうか? 「人種差別と経済的支配」という視点を通して、日本においてこの問題がどんな意味を持つのか、少し考えてみることにしましょう。 「文化の盗用」は、文化的多数派が少数派の文化的スタイルを不用意に用いることから生じる アメリカにおける人種差別との関連 日本においての先住民族問題との関連 中心と周辺という視点 ランクと経済的支配構造の問題 「文化の盗用」は、文化的多数派が少数派の文化的スタイルを不用意に用いることから生じる カーリーさんの「文化の盗用」事件は、ファッション誌における「日本文化の盗用」として批判を招くことになりました。 日本とは縁もゆかりもない白人女性であるカーリーさんが、表面的に「日本文化」を真似たことが、少数者の文化を勝手に商業利用することにあたり、日本の文化を侮辱するものだ、というのです。 神社に立ったカーリーさんが、得体のしれない「和服もどき」を着ている写真や、相撲取りのような人と並んで黒と赤のドレスを着ている写真は、ステロタイプな「日本表現」であり、「ばかばかしく」は感じますが、これを見て「日本文化を侮辱している」と思う日本の人は、たぶんあまりいないのではないでしょうか。 とはいえ、日系のアメリカ人がどう考えるかは、また別の話ですし、アメリカにおいてはこの「文化の盗用」問題は、常識の範疇としてきちんと考えて然るべき、「差別」につながる問題なのです。 アメリカにおける人種差別との関連 アメリカ合州国の歴史は、先住民族であるアメリカン・インディアンの虐殺の歴史であると同時に、労働力としてアフリカから連れてきた黒人奴隷に対する差別の歴史でもあります。 そして、たとえば白人の*1ジャズの歴史は、見方によっては「黒人文化の盗用」そのものとも言えますし、アメリカン・インディアンの物語を白人が描いて著作とするときにも、そこには文化的多数派の人間が「少数者の文化を登用して商業利用する」という構図が当てはまるわけです。 こうした状況の中、少数者自身が「文化を盗用するな」という主張をするのも当たり前ですし、多数派の中でも良識的な人たちは、「文化の盗用」を快く思わないということになるわけです。 東雲さんが、こちらの記事 ・文化の盗用と関西弁 - 東雲製作所 で述べているように、カーリーさんの問題だけを見ると、「行き過ぎたポリティカルコレクトネス」という捉え方ももできなくはないのですが、「豪右翼政党の党首の議場でのブルカ着用によるイスラム文化への侮辱」(http://www.asahi.com/articles/ASK8K4RC5K8KUHBI016.html) といった極端な例を持ち出さなくても、アメリカの言論の状況から言えば、「文化の盗用」は大きな問題になりうるわけです。 日本においての先住民族問題との関連 日本では、アメリカのような問題は起こらないのかというと、そうではありません。 大きな問題にこそなっていませんが、先住民族であるアイヌ民族の人たちの中には、「文化の盗用」に類する問題を指摘する声があります。 明治以降、アイヌ名やアイヌ語を禁止し、文化的抹殺政策を取ってきた「日本人」が、そうした「迫害の歴史」を十分反省することもない状況の中で、「先住民族の知恵に学ぶ」といった内容の本が出版されることに対する違和感の声です。 この辺りの話は国際先住民年であった1993年頃にいくつかの記事があるはずなのですが、残念ながら手元に資料がなく、ネット上でも該当するものが見当たりませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただきたく思います。 また、国連の委員会は沖縄の人々を先住民族として認めるよう勧告を繰り返しており、今後は日本でも「文化の盗用」が大きな問題となってくる可能性もありえます。*2 ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 中心と周辺という視点 さて、東雲さんの記事 ・文化の盗用と関西弁 - 東雲製作所 では、「文化の盗用」という問題を、「悪意のあるなし」という観点と、「パブリックとプライベート」という軸で、考えていらっしゃいます。 「政党の党首がブブカというイスラム教の格好をする」のは、悪意があるので問題である、 モデルのカーリーさんの場合、アメリカン・インディアンの格好をしたときのほうが、和服を着たときよりも問題になったのは、日本の文化のほうがパブリックで、アメリカン・インディアンの文化のほうが、プライベートなものだったから、 というわけです。 それに対して、wattoさんは、 ・「文化の盗用」を論じる補助線としての「中心(的)文化」と「周辺(的)文化」 - しいたげられたしいたけ という記事で、「パブリックとプライベート」ではなく、「中心と周辺」という見立てをしています。 東雲さんがおっしゃっていることも、ほぼ同じことだと思うのですが、「中心と周辺」という切り分け方のほうが、問題がはっきり浮かび上がるように思います。 ある地域において、優勢ないしスタンダードである中心的文化は、当たり前に周りの文化から模倣の対象となるが、中心的文化の側がそれ以外の周辺文化を真似る場合、文化の盗用の問題が生じる という説明です。 ちなみにwattoさんは「中心文化と周辺文化」という概念は、すでに存在するものだろうか、それとも新しい考え方だろうか、と問うてらっしゃいます。 ぼくが思い当たるものとしては、 柳田國男の方言周圏論があります。 方言周圏論 (ほうげんしゅうけんろん)は、 方言分布の解釈の原則仮説の一つ。 方言周圏説 (ほうげんしゅうけんせつ)とも呼ばれる。 方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする。 柳田國男が自著『 蝸牛考 』(かぎゅうこう、 刀江書院 、 1930年 )において提唱し [1] 、命名した。 これは言語の伝搬とその保存や変化に関する仮説ですので、wattoさんの問題意識とは少しずれるかもしれませんが、「中心と周辺」という捉え方が有効な枠組みとなることの一つの例示としては使えるのではないでしょうか。 法華経の話題や「文化の盗用」問題などを取り上げることになるであろう、wattoさんの「中心と周辺を巡る哲学的冒険の物語」、いつか読ませていただきたいものであります。

全文を読む

英語が上達できずに悩んでいる百万人のみなさんに朗報(!?)です。 イギリスとオランダの大学の研究者の共同研究によって、 「適度にアルコールを摂取すると外国語を話す能力が向上する」 という結果が得られたというのです。 「英語を上達するために、どんどんアルコールを飲もう!!」 という話ではありませんが、この研究結果からどんなことが言えるのか、ちょっと考えて見ることにしましょう。 適度のアルコールで外国語初心者の話す能力、特に発音が向上 適度な飲酒で発話能力が上がるのは当たり前? 飲酒で会話能力が向上? いいえ、リラックスによって向上するのです。 適度のアルコールで外国語初心者の話す能力、特に発音が向上 ニューズウィークの記事 ・「酒に酔うと外国語がうまくなる」:欧州の研究者らが実験で確認 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト によると、この実験は次のように行なわれたそうです。 研究チームによるテストは、ドイツ語を母国語とし、最近オランダ語の会話と読み書きを学んだマーストリヒト大の学生50人を対象に実施。被験者は、無作為抽出によりアルコール度数5%のビールかノンアルコール飲料を飲んでから、実験者とオランダ語で会話した。ビールの量は被験者の体重によって調整され、たとえば70kgの男性には460mlが提供された。 この会話は録音され、オランダ語を母国語とする2人が採点した。採点者は被験者がビールを飲んだかどうかを聞かされなかったが、ビールを飲んだ人のほうがしらふの人よりも採点が高くなる有意の傾向がみられ、特に発音が向上したという。なお、被験者にはオランダ語の能力の自己採点もしてもらったが、自己採点にアルコールの影響はみられなかった。 「アルコールは認知機能と運動機能を損なうことが知られている」ことから、飲酒によって外国語の能力が低下する場合もありえるのに、実際には発話能力が向上したことから、研究者は、 アルコール摂取量が少ないことも重要な点であり、飲み過ぎてしまうと外国語能力にプラスの効果は見込めくなりそうだ と指摘し、 外国語の会話力の向上がみられたのは、「不安を軽減するアルコールの作用が有効にはたらいた可能性がある」としている とのことです。 適度な飲酒で発話能力が上がるのは当たり前? このニューズウィークの記事についた、はてなブックマークのコメント(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8722.php)を見ますと、「適度な飲酒で口がなめらかになるのは、外国語に限らず、当たり前だろう」という意見が散見されます。 それはそれで、もっともな意見です。 けれども、こうした心理学的な実験では、「直感的」には明らかな話を、きちんと「実験的」に明らかにすることも重要ですし、この研究結果についていうと、「発話能力」のうちでも、 「発音能力」が向上した という点は注目に値するでしょう。 飲み過ぎれば、舌の運動能力は低下して、ロレツは回らなくなるのですから、この研究の意味するところは、 適度な飲酒によって、「外国語に特有の発音」に対する心理的違和感が低減して、「発音能力が向上した」 ということになるでしょう。 また、普段の意識では、どうしても「発音が母語に引きずられる」というふうにも言えますから、英語などの外国語の学習の際には、意識して 「大げさなくらいに真似た発音」 を心がけることも、有効だと言えるでしょう。 飲酒で会話能力が向上? いいえ、リラックスによって向上するのです。 この研究によって、 「適度のアルコールで外国語初心者の話す能力、特に発音が向上した」 という報告がされているのは、確かに事実なのですが、この研究結果をどう読み、どう利用すれば、現実の外国語能力の向上に役立てることができるでしょうか? それは、 能力を十分発揮するには、適度なリラックスが重要だ ということにつきるでしょう。 英語などの外国語をしゃべる場合、場面によっては、アルコールを利用することもできるかもしれませんが、なかなかそうはいかない場合も多いでしょう。 練習の場面では、アルコールを利用して「自分も案外英語が話せる」という自信をつけるのも、もちろん役に立ちます。 そうして自信をつけた上で、本番のときには、自分が緊張していないか確かめ、緊張をしていれば深呼吸をしてリラックスするなど、打つ手を用意しておくことが、肝心でしょう。 リラックスには、呼吸法や瞑想も役に立ちます。 ☆こちらに瞑想の記事を書いていますので、よろしければお読みください。 ・マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について・蝶入門編 - 24 時間の瞑想術 てなところで、この記事はおしまいです。 それではみなさん、ナマステジーっ!! ☆こちらでも英語の話を書いてますので、気が向いたらお読みください。 ・英語の勉強法で悩んでいるあなたへ -- 「よく聴いて、よく喋る」それが語学の王道です - *魂の次元* ・Facebookのニュース動画で英語を勉強しよう。リスニングもおしゃべりもこれでばっちり、しかも無料です。 - *魂の次元*

全文を読む

今日の記事の見出しはこんな感じです。 一記事、閲覧数壱万を超えた話 はてなトップ30に載った話 「暴行OKな日本」から、否定コメントへの対処法の話 一記事、閲覧数壱万を超えた話 今月に入って書いた記事がいくつか、多めのブックマークと閲覧数をいただきました。 なかでも、 ・「科学至上主義」のみなさんは、どうしてEM菌がそんなに嫌いなんですかね? - *魂の次元* という記事は、グーグル・アナリティクスの計測で、11,773もの閲覧数をいただき、ぼくのウェブログ史上、空前絶後の記録となりました。 また、いただいたはてなブックマーク数も360と破格の数字です。 ブックマークをいただいた方々には、本当に感謝しております。 とはいえ、否定的コメントが多いので、素直に喜んでいいのかどうか、微妙なところなんですけど(笑)。 はてなトップ30に載った話 ぼくは、はじめて知ったのですが、 ・今週のはてなブログランキング〔2017年9月第4週〕 - 週刊はてなブログ というような記事があるんですね。 はてなブログでブックマークの多い順に30位まで紹介してくれているので、ぼくの300超えの記事も、13位で紹介していただきました。 そこからの流入数はさほどではないのですが、それまで知らなかった方にも見てもらえるだろうことは、ありがたいことです。 ぼくのは「炎上」ネタですから、ワットさんの ・黄金比の美がわかりやすい姿で目の前に示されるとは限らないという一例 - しいたげられたしいたけ のような楽しい記事(23位)よりも上位になったことは、恐縮至極ですが、炎上で盛り上がる「はてな系市民」の娯楽になってしまった以上、致し方ないところでしょうか。 「暴行OKな日本」から、否定コメントへの対処法の話 はてなトップ30掲載の記事で、 ・客に胸を触られたんだけど、日本は暴行OKな国なの? - Phil Hardison というタイトルが目を引きました。 これはフィル・ハーディソンさんという日本とアメリカのハーフの女性が書いているものなのですが、博多のスポーツバーで働いていたところ、同じ男性客に二度も胸を鷲づかみにされたため、日本では性的犯罪は野放しになっているのか? という問題提起をした記事です。 さすがにこの記事に対しては、共感・同情するコメントが多いのですが、中には「国に帰れ」その他の否定コメントも散見されます。 ところが、ハーディソンさんの別の記事を見ると、 アンチやヘイターが暴れてくれればくれるほど、ブログが人の目に触れる機会が増え、その分ブロガーはお金を稼げてしまうというなんともダークな仕組みなのです。(炎上商法という言葉がありますが、ほぼほぼ同じ原理だと思って頂いて大丈夫かと思います) こういった理由で私なんかはアンチやヘイターのおかげで美味しいご飯を食べれていると思っているので、基本的に感謝と愛以外ありません。手の平サイズのうさちゃんくらい可愛い、愛しい、お金までくれる・・・最高すぎない・・・? 金のなる木?ブロガーがアンチを愛する理由 - Phil Hardison というようなことが書いてあるもので、 すごいっ、「可愛くて愛おしい」か、さすがだ、この人は菩薩さまだ! と思ってしまいました。 わざわざ時間を割いてまで否定コメントを書いて、記事の宣伝をしてくれるのですから、ぼくもありがたいな、とは思っていたのですが、「可愛い・愛おしい」までは気持ちが及びませんでした。女性はひと味違いますねーー。 それから、否定コメントへの対応のもう一つ別の形なんですが、 ・Markdownエディタを作って月15万円稼ぐためにやったこと — Inkdrop – 週休7日で働きたい こちらの記事は、ソフトウェア製品の開発の記事になります。 個人の方がプロフェッショナルな個人ユーザ向けに Inkdrop というエディタを開発していることの報告なのですが、その中に 批判は常に情熱的で声高く響きますが、不満の無い人は基本的に何も言いません。なのであたかもネガティブな反応ばかりに思えてしまいます。でも見方を変えれば、批判が来るのは良いサインです。なぜなら、そもそもアプリに興味がなければ何も言ってくることは無いからです。一番怖いのは、リリース後に全く何も起こらないことです。ネガティブな反応は、あなたが正しい問題に取り組んでいる証明なのです。 僕は批判への対応に右往左往せず、今満足してくれている人を更に満足させることに集中しました。それが信じて進むべき方向だからです。 ということが書いてあります。 有用なソフトを開発している人に対しても、否定コメントがやってくる。 そして、それは「いい印」なのだ、というのですから、なんとも心強い話です。 そして、「否定コメントには対応しなくていい、肯定的な反応がもっと引き出せるように努力せよ」という潔い決心。 とても参考になります。 というわけで、今日の短めの記事でした。 それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

全文を読む

産婦人科医の佐藤ナツさん(http://twitter.com/tabitora1013) の記事、 ・じわじわとスピリチュアルに侵食されていく私たち を見て、とても悲しい気持ちになりました。 佐藤さんに悪気がないのは分かります。 しかし、 「出産」に象徴される自分の人生に向かい合い、多数派の人生とは違う、自分なりの人生を生きようとしている人たちの一部を、「非科学的である」ことを理由に「素っ頓狂」という言葉で切り捨てている点や、 「カウンセリング」の内実もよくご存知でないようなのに、公的な認可システムが整備されていないということだけを根拠に、「カウンセラー」という職業自体が「怪しい商売」であるかのように述べている点は、 「スピリチュアル」という価値観に対して、冷静に問題を指摘するような文章構成になっていながら、実際は、人の「信仰」心を否定し、感情的な「攻撃」をしているだけとしか読めなかったのです。 なお、この記事では問題点の指摘にとどめ、具体的な説明や、参照資料などは示しません。興味のある方はご自分でお調べください。 こちらが今回の見出しです。 会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 「子宮系」その他の「信仰」について カウンセラー「全否定」への疑問 なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 「金儲けスピ系」という「レッテル貼り」の問題 会陰切開や陣痛促進剤は必要なのか? 佐藤さんは産婦人科の「普通」のお医者さんのようで、標準医療を素朴に信頼していらっしゃるようです。 会陰切開や陣痛促進剤は、母体の安全確保のために必要なものだと考えていらっしゃるのでしょう。 けれども、会陰切開や陣痛促進剤は「医療化」された出産では必要だと考えられているにしても、それは単に「医療システム」にとって必要だというだけではないのでしょうか? 会陰切開や陣痛促進剤の使用が、母体の安全に関わりがないにも関わらず、「医療側の都合」によって行なわれているという実態があるからこそ、少数とは言え、自然出産を希望する女性が存在するのではないでしょうか? 標準医療による出産によって「トラウマ」的な経験をなさった女性の方の話を、ぼくは直接聞いたことがあります。その方の経験自体は、特殊な少数の例にすぎないかもしれませんが、「医療側のスケジュール」に合わせるために行なわれているとも考えられる「医療」行為が、本当にお産をする女性のためになっているのかどうか、きちんとした検証が必要なように思えます。 「子宮系」その他の「信仰」について さて、佐藤さんは、 じんわりと「スピリチュアル系」に多くの人が侵食されていることも事実ではあります。「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」「赤ちゃんは胎内での記憶がある」と思っている人はたくさんいるし、「お産はデトックス=毒を出すもの」だと思っている人もいる。 というような言い方で、「スピリチュアル」な方の持つ「信仰」を、科学的な立場から「否定」します。 また、 その中でも、素っ頓狂なのきたなこれは、と思ったのが「子宮系」。 「子宮を大事にすること、温めることで運をつかもう!」みたいなことが「教義」らしい。 のように、人間の持つ「信仰心」自体を「否定」するような書き方もしてらっしゃいます。 なお、ぼくはこの「子宮系」という言葉は、今回はじめて知りましたが、「子宮委員長」なる方が、カルト的な活動をなさっているらしく、それが「反社会的」なものであるのならば、それは法律にのっとって制限すべきことだと思います。 けれども、「子宮を大事にし、温めれば幸せになれる」という程度の「信仰」自体はまったく問題ではなく、そうした「素朴な信仰」までも切り捨ててしまう佐藤さんの「切り分け方」には、行き過ぎた「科学原理主義」を感じてしまうのです。 「信仰」の自由は、憲法で定められた国民の基本的な権利です。 それを頭から否定するかのような表現は、いかがなものかと思う次第です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 カウンセラー「全否定」への疑問 佐藤さんは、「カウンセラー」は自称でしかないことを根拠に「信頼できない」ものであるかのようにおっしゃっています。 また、「カウンセラー」を「NLP心理療法」と結びつけ、「NLP」が心療内科で使われていないことを理由に、やはり「信頼できない」ものであるかのように述べます。 確かに公的な認定がないことによって、「カウンセラー」の資質にばらつきがあることは事実でしょう。 また、アメリカで開発された「NLP」という心理療法は、明確なエビデンスに欠けるものかもしれません。 けれども、なんらかの形でそうした療法の訓練を受けた人が、それを信じる顧客に、その療法を施すことは、社会通念上なんら問題のあることではありません。 そもそも、国家による認定がある医師にしても、その資質には大きなばらつきがあり、ぼくのような素人から見ても、この「お医者さんはちょっと」と思う事例も少なくありません。 もちろん、日本の医療が抱えるさまざまな問題の中で、良心的な先生がたが、質の高い医療を提供するべく日夜努力なさっているだろうことは、想像に難くありませんが、「公的な認定」ということだけを根拠に、 「標準医療はオーケー」 「自称カウンセラーは全否定」 といった誤解を誘うような「イメージ先行」の文章を書かれている姿勢には、首をかしげざるをえません。 なぜ「標準医療」でカウンセリングができないのか? 佐藤さんは、 一般の方が医療に求めているのは、病気を治すということ以外に、ヒーリング的なこと、癒しの要素も含んでいるわけです。 でも、医療者側にはそこまでできる余力やスキルがない。 また、 高額なセミナーや受診の料金を負担させないカウンセリングが、民間や公的機関問わず必要であろうと思われます。 あるいは、 カウンセリングやメンタル面で医療機関を受診することの心理的なハードルを下げていくべきでしょう。 と述べており、医者としての限界とともに、医療システム上の改善についても言及してらっしゃる点は大変すばらしいと思います。

全文を読む

慶応大学文学部出身のフリーライター服部美咲氏*1による SYNODOS に掲載された記事(以下「服部9.19」と書きます) ・「福島で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」ということ――日本学術会議の「合意」を読みとく / 服部美咲 / フリーライター | SYNODOS -シノドス- を見て、とてもびっくりしました。 「服部9.19」のタイトルによると、日本学術会議が 「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」 という報告を出したというのですから、日本の医学界の主流派が、科学者としての良心を捨てて、片寄った政治団体となってしまったのかと、目を疑いました。 けれども、報告書を実際に読んでみると、「服部9.19」の解釈は誤読ではないかという疑問が浮かびました。 「服部9.19」による学術会議の報告についての解釈には、様々な疑問点がありますが、この記事では、 日本学術会議の報告は「福島(第一の事故)で次世代に放射線被曝の影響は考えられない」とは言っていない ということについてのみ説明します。 「服部9.19」への疑問 日本学術会議『9.1報告』への疑問 追記: 『9.1報告』について細かい論評がこちらにあります 「服部9.19」への疑問 「服部9.19」の冒頭二段落はこの通りです。 2017年9月1日、日本の科学者を代表する組織である日本学術会議の臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会が、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題―現在の科学的知見を福島で生かすために―」という報告書(以下『9.1報告』と表記)を出した。 『9.1報告』はUNSCEAR(国連科学委員会)の各年度の白書を引用しながら、これまでの放射線被曝による健康影響についての知見や、福島第一原発事故後の住民の被曝線量の推定値からも、将来、被曝影響によるがんの増加が予測されず、そして被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。特に後者の「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。 ところが、日本学術会議の『9.1報告』(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170901.pdf) にあたると、該当箇所は、 2 子どもの放射線被ばくの影響 (3) 福島原発事故による子どもの健康影響に関する社会の認識 ① 次世代への影響に関する社会の受け止め方 (p.9) だと思われますが、その内容は 胎児影響は、福島原発事故による健康影響の有無がデータにより実証されている唯一の例である。(中略) 福島原発事故から一年後には、福島県の県民健康調査の結果が取りまとめられ、福島県 の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認された [42]。そして死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された[43, 44]。 専門家間では組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。 となっています。 「服部9.19」では、 被曝による先天性異常も遺伝的影響も考えられないと結論づけた。 「次世代への影響が考えられない」ということについては、すでに「科学的に決着がついている」とも明言している。 というのですが、 学術会議の『9.1報告』が述べているのは、 (胎児影響については)「福島県 の妊婦の流産や中絶は福島第1原発事故の前後で増減していないことが確認され」ており、「死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された」ということ、および、 + 組織反応(確定的影響)である「胎児影響」と生殖細胞の確率的影響である「遺伝性影響 (経世代影響)」は区別して考えられており、「胎児影響」に関しては、上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている。 ということですから、学術会議の報告が 1. において「影響がない」と述べているのは「胎児影響」についてのみで、遺伝性の影響についてはここでは言及していません。 この点、「服部9.19」1. の「先天性異常も遺伝的影響も考えられない」という記述は誤読というべきではないでしょうか。 (なお、別の箇所で、UNSCEAR の評価として、「先天性異常や遺伝性影響、小児甲状腺がん以外のがんに関しては、有意な増加は見られないだろうと予測している」という記述はありますが、これは「影響がない」ということとは異なります) また、2. において「胎児影響」に関して述べていることは 「科学的には決着がついたと認識されている」 という大変曖昧な記述です。 「科学的に決着がついている」とは述べておらず、誰によって「認識されているか」も不明であり、科学的合意をはかるための報告書の記述としては、不十分かつ不明瞭という以外ないでしょう。 それなのに、「服部9.19」2. では『「科学的に決着がついている」とも明言している』というのですから、これも誤読と考えられます。 わたしは、福島第一事故の影響は、原発の立地地域である福島県にとどまらず、少なく見積もっても、東日本全体の問題ととらえるのが妥当ではないかと思っておりますので、

全文を読む

最近書いた「差別」「EM菌」「牛乳の有害性」についての記事について、多くの方が、はてなブックマークのサービスを使って宣伝してくださっていること、本当に感謝しております。 ところが不思議なことに、宣伝してくださっている方のうちのほとんどが、自分が宣伝しているのだということに、気がついてらっしゃらないかのようにも思えます。 そこでお願いなのですが、この記事も含め、記事の内容が気に入らない場合は、どうかブックマークをしないでいただきたいのです。 ブックマークをすることは、内容のいかんに関わらず、記事の宣伝をすることになります。 気に入らない記事をブックマークすることは、あなたの時間を無駄にするだけでなく、あなたに似た誰かが、有益とは思えない記事を読んで時間を無駄にすることにもつながり、悪循環を生み出すだけの最悪手ではないでしょうか? このことをご理解いただき、今後気に入らない記事をブックマークすることをおやめいただけるのならば、この記事をこれ以上読む必要はまったくありませんので、どうかご安心して、今お開きのページを閉じてください。 これまでに、ぼくの書いた記事に時間を費やしていただいたこと、心の底より感謝しております。 それでは、アディオス・アミーゴス!! ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ このあと、ぼくが書いた三つの記事に関連して、散漫な説明を試みますが、読者のみなさまが、ご自分の価値観から「有害」だとおもう記事を 「これ以上書かせまい」といくらやっても無駄だ、 ということを説明しているだけですので、以下の内容を閲覧するみなさまは、次の各項目に同意していただけたとみなします。 ぼくの記事に対して、ブックマークをつけた場合は、その内容に関わらず、ツンデレ的賛辞の言葉とみなされることを理解する。 ぼくの記事内容が「社会的に有害」と判断した場合は、ぼくを個人攻撃するのではなく、株式会社はてなに対して異議申立てをする。 相手の意見がどんなに自分のものとかけ離れていても、相手の立場を理解し、良識的な応答をするように心がける。 以上です。 それでは、こちらが今回の見出しとなります。 「はてな自警団」のみなさんが、どうしてわざわざブックマークをつけて宣伝をしてくれるのか、ようやく分かりました。 「自警団」のみなさま、どうかブックマークをつけて、記事の宣伝をすることはおやめください 一連の記事を書いている意図は「少数派の観点の提示」にあります 「差別」「EM菌」「牛乳の有害性」について書いた記事のリスト お時間がおありの方は、どうか心しておつき合いください。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 「はてな自警団」のみなさんが、どうしてわざわざブックマークをつけて宣伝をしてくれるのか、ようやく分かりました。 ここでは、自分が「不愉快」に思う記事をわざわざ読んでブックマークし、否定的なコメントを書く方を、「はてな自警団」と呼ばせていただきます。 そういうタイプの方がはてなには多数いらっしゃるのは存じておりましたが、どうしてそういうことをする方がいらっしゃるのか、長らくもう一つ理由が分かりませんでした。 ぼくが書いた一連の記事のうち、「差別」と「EM菌」に関するものは、閲覧数を稼ぐために、意図的に刺激的な書き方をした部分や、思慮が足らずに刺激的な書き方になってしまった部分があり、「炎上商法」的な受け止められ方をしたことも含め、 「こういう記事は見たくない」 といったコメントを書きたくなる方の気持ちは分かります。 けれど、ブックマークが集まれば宣伝になってしまうのですから、素知らぬ顔をしてスルーするか、せめてtwitter などで自分の仲間内で共有すればいいだけではないか、と思っていました。 そこで、「牛乳の有害性」についての記事を書くにあたっては、 タイトルはあえて、刺激的なものにしましたが、 最初にくどいくらいの前置きをおくとともに、 内容はシンプルに徹し、「こういう話もあるから、気になる方はご注意ください」 という程度にとどめました。 残念ながら、前の記事と比べて、あまりコメントの内容に違いはなく、否定的なコメントによって記事の宣伝をしてくださる方が、やはりたくさんいらっしゃいました。 しかしながら、こうしたメインの記事を書く合間に、コメントをくださった方へのお返事集も二つ書いているうち、そうしたやりとりの中で、ようやく 「相手の宣伝になるにも関わらず、否定的コメントをつける方がたくさんいる理由」 が推察できました。 多くの記事の書き手の方にとっては、「宣伝」のメリットより、「否定的コメント」のデメリットのほうが大きいので、 「はてな自警団」が否定の対象にするような内容は自粛することになる というわけなんでしょうね、多分。

全文を読む

「牛乳は有害である」みたいなことを書いてますので、牛乳好きの方にはもうしわけないです。でも、「牛乳は有害だから飲むな」と言いたいわけではありません。「有害かもしれないから、注意したほうがいいかもしれませんよ」という程度の話です。

全文を読む

みなさん、こにゃにゃち・はーーっ。 この記事は ・「科学至上主義」のみなさんは、どうしてEM菌がそんなに嫌いなんですかね? - *魂の次元* へ頂いたブックマーク・コメントに対するお返事集です。 (途中、dfk3さままでコメントを書いて力尽きました。あとは大体論点変わらないような気がしますので、この辺でご勘弁願います) 貴重なお時間を割いて、コメントをいただいた方々には平にひらに感謝いたします。 id:tanizakura さま: UFO好きで幽霊も怖いしパワースポット巡りも楽しいけど、EM菌は嫌い かなり分かります。幽霊やパワースポットは、バックに政治家がついたり、行政からお金が出たりしませんもんね。 id:ublftbo さま、 言いたいことが良く分からなかった。簡単な話で、効果の確かめられていないものを「実践的に」使うべきでないということです。後、医療問題と分けてとありますけど、水質浄化って、相対的にそんな軽い話なんですか? 話が分かりにくくてすみません。頭の中が歪みまくってるもんで。 「実践的に」使うべきでない、という意見は、それはそれでいいと思います。 水質浄化が軽い、ということではなく、医療問題は法律的にもいろいろ別の論点が必要になってくるので、あの記事では扱わなかった、という話です。 id:ad2217さま、 偽ブランド商品は、本物のブランドからすれば滅ぶべきものでしょう。本物の方のブランド価値が下がるから。 経済主義的な解釈は、分かりやすくていいですね。 でも、進化論的に言えば、模倣が出るのも当たり前。 そのうえ、心理主義的に言えば、模倣を不愉快に思うのも当たり前。 ですから、ぼくの書いてることは、単なる自己肯定にすぎず、「科学至上主義」の人を批判しているわけでないのは、最初にお断りした通りです。 id:flowing_chocolateさま、 根拠がない話を基にあれこれ動き回るってのは、実際のところ社会にとって有害なのよ。問題解決にならない方法を覚えてもらっちゃ困る。 世に溢れる「有害さ」に困ってらっしゃるのですね。ぼくも「原発」を迷信的に推進するような「有害さ」には困っていますので、その「お気持ち」よく分かります。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 id:Fushiharaさま、 科学にタダ乗りするな。根拠があるような宣伝をするな タダ乗りしてらっしゃるのはFushiharaさまでは? ぼくは根拠があるような宣伝はしてませんよ?? id:kamakiri3さま、 EM菌撒くような人は苦手だけど、どちらかというと中立ぶりたがる人間の方が、より苦手かな。 ぼくはEM菌は撒きませんし、中立ぶってもいません。お互いに立場があさっての方を向いているようで、申し訳ありません。 id:giyo381さま、 疑似科学やら呪いを信じたりするメンタリティがわかる ご高説ありがとうございます。ぼくは疑似科学も呪いも信じませんけど。 id:LethalDoseさま、 おとなになってから個人的に実践する分にはあまり何も言われないとおもう。 「子どもに押しつけるべきでない」というのは、まったくその通りと思います。 id:photostudio9さま、 効果のはっきりしないものをあたかも効果があるように広める、使うというのが良くない。科学とか教育以前の問題。EM菌は水質浄化に効果があるのか?をテーマに教育現場に取り入れるなら良いんじゃない? まったくです。 id:turanukimaru そもそも「ない」ものを「ある」と言うのは嘘であり、「有るかもしれないし無いかもしれない」というのは何も言ってないのと同じ。教育ってのは嘘を教えたり無意味なことを教える事なの?本当にそれでいいの? 「有るかもしれないし無いかもしれない」ことを伝えた上で、その見分け方を自ら見極める方法を伝えるのは、とても意義のあることだと思います。 id:powerbreathingさま、 EM教育の問題点は、天羽先生の記事を読んでほしい。http://www.cml-office.org/pseudoscience/topics/EM/em07.html 朝日新聞青森のEMの記事を、裁判で負けたEM側の主張を元に批判しているのも疑問です。 水質浄化にEM菌が有効かどうかいうことと、そのほかの比嘉氏の主張は分けて考えるべきべきだと思います。 また、裁判についても、水質浄化の問題とは別の問題と考えます。 id:K-Onoさま、 広告に万田酵素出てきてその相乗効果で途方にくれた。 ありゃ、そうでしたか、すみません。 この記事の内容に共感し、100円でも200円でも寄付をしたいという人がいらっしゃったら、広告の表示をなくす手を打ちますので、ぜひご連絡ください。

全文を読む

プロフィール画像

としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中