みなさん、今日もネット・サーフィン(死語)楽しんでますかー? で、ネットでいろいろなページを見ていると、この広告は見たくないなって思うの、やっぱりありますよね。 今回は、ぼくが「こういうのは見せたくないな」と思ういくつかの広告をURLでブロックしてみましたので、その報告です。 当ブログをご覧のみなさまで、こんな広告が出たので嬉しくなかった、ということがおありの場合は、お気楽にご連絡いただければ、その広告の配信をブロックすることも検討いたしますので、どうかよろしくお願いしまーす。 そして、全国 1,000 万(当社妄想値 wW)グーグル・アドセンス・ユーザのみなさま。 今日も元気にアドセンスでお小遣い稼ぎに励んでいらっしゃると思いますが、みなさんも、気になる広告はURLでブロックをして、読者の方々が快適に閲覧できるよう環境整備をしてみてくださいねー。 アドセンスで特定の広告主のURLをブロックする方法 今回ブロックしたURLと理由をご参考までに 自衛隊員募集の広告を配信したくない理由 アドセンスで特定の広告主のURLをブロックする方法 アドセンスのページ https://www.google.com/adsense を開きます。 左上の「三本線が縦に並んだボタン」を押してプルダウンメニューを表示し、 「広告の許可とブロック」を選び、「すべてのサイト」を開きます。 左上の「広告主のURL」タブを選ぶと、入力ボックスが出てくるのでそこに「広告主のHPのURL」を入力します。 そして、すぐ下にある「URLをブロック」をクリックすれば終了! ボタンの下に、ブロックしたURLがリストで表示されますので、ここからブロックの解除もすぐできます。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 今回ブロックしたURLと理由をご参考までに まんが王国、Renta!、めちゃコミックはネット上での評判を主な判断材料としてブロックしました。 現時点では多少改善しているのかもしれませんが、エロ・グロ・キモの三拍子揃いで不評でした。一部自分でも画像を確認した後の判断です。 これは、読者の方が不愉快にならないように、との配慮です。 三つのサイトのサービス自体を否定するものではなく、あくまでも広告の仕方の問題ですので、念のため。 また、自衛隊員募集の広告をブロックするため、防衛省のURLをブロックさせていただきました。 これの理由は、次の段で説明します。 以下が、まんが王国、Renta!、めちゃコミック、一行おいて自衛隊(防衛省)のURLです。 comic.k-manga.jp renta.papy.co.jp sp.comics.mecha.cc www.mod.go.jp 自衛隊員募集の広告を配信したくない理由 ぼくは、現に存在する自衛隊を憲法違反だからなくすべきだ、とか、そういう過度な主張をするものではありません。 また、防衛省や自衛隊で働くみなさんの職務の意義も理解していますので、個別の問題はともかく、防衛省や自衛隊の組織全体を否定するような意見も持ちません。 けれども、解釈改憲が進み、日本の自衛のために隊員になった方が、海外の紛争地帯に派遣されるような現状は、到底健全なものとは思えません。 また、仮に憲法が改定され、自衛隊が国際的な観点からも問題のない合法的な存在になったとしても、日本の全体主義的な傾向の中では、国民の十分な合意が得られないまま、自衛隊が侵略的な意図で海外に派遣されることが避けられないものと考えております。 そのとき、このブログに設置している広告から、自衛隊に応募する方が出て、侵略戦争に加担することになるのは、ぼくの望むところではありません。 以上がぼくの「自衛隊員募集の広告を配信したくない理由」です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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みなさんは巨大ロボットものって好きですか? 古くは「鉄人28号」から「マジンガーZ」をへて、「ガンダム」、「エヴァンゲリオン」と、巨大ロボット物のアニメも進化を続けてきました。 さて、今日も例によっての相乗り記事で、わっとさんのこちら ・巨大ロボットを操縦する方法あれこれまたは主人公に感情移入させる方法について - しいたげられたしいたけ が、いろいろとタメになり、刺激をいただいたので、さらっと書いてみようと思います。 見出しはこちらです。 〈ネタばれ注意〉巨大ロボットアニメの元祖はフランス産ですと!? 鉄人は二本のレバーで操縦できるのか エヴァンゲリオン、心のメタファーとしてロボット操縦 〈ネタばれ注意〉巨大ロボットアニメの元祖はフランス産ですと!? わっとさんの記事にはいくつものおもしろい話があるのですが、ぼくが一番驚いたのは、巨大ロボットアニメの元祖がフランス産のシリアスな作品だったことです。 その作品については、「やぶにらみの暴君」というタイトルだけは知っていましたが、1952年公開のこの作品が、アンデルセン原作のファンタジックな物語なのに、操縦者が搭乗するタイプのロボットを、世界で初めて扱ったものだったとは、まったく意外なことでした。 というのはこの作品は、スタジオジブリの宮崎駿氏や高畑勲氏などに影響を与えたことで知られ、「ルパン三世 カリオストロの城」には宮崎氏本人も認めるオマージュ的表現が散りばめられているものだからです。 だって、「やぶにらみの暴君」なんていかにも「文学っぽい」タイトルだし、「カリオストロの城」から巨大ロボットものは、ちょっと想像できないじゃないですか。 (もちろん、宮崎氏には「ナウシカ」の巨神兵があり、それがのちの「エヴァンゲリオン」とつながってくることにもなるわけですが) 「やぶにらみの暴君」の原作となったアンデルセンのお話はこちらで読めます。 ・ひつじ飼いの娘と煙突そうじ人|たくのブログ ただし、この場合、「原作」というよりは「原案」というほうが正しいようで、「やぶにらみの暴君」の監督ポール・グリモーさんは、次のように言っています。 元の物語から残っているのは、羊飼い娘と煙突掃除人の登場人物だけと言ってもよいですね。 1980年、監督ポール・グリモーが語る「王と鳥」 - 映画『王と鳥』公式サイト ちなみに現在では、このアニメを見ることはできないようです。 というのは、「やぶにらみの暴君」という作品は、共同制作者の意向により、資金回収をはかるために公開された作品で、監督には不本意なものだったんです。 そこで監督のグリモーさんは、 作品の権利とネガを買い戻し、製作資金を10年がかりで集め、『やぶにらみの暴君』を『王と鳥』として改作することにした 王と鳥 - Wikipedia というわけなんです。 制作スタッフも声優も変わり、音楽も別のものが加えられてまったく別の作品といってもいい形に仕上がった新作は、「王と鳥」のタイトルで1980年に公開され、フランス国内での評判もよく、興行的にも成功を収めます。 そうした経緯から改作前の「やぶにらみの暴君」は監督の意向によってお蔵入りしてしまい、現在は見ることができないのです。 そのストーリーはというと、 砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名も、国王シャルル5+3+8=16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「処分」していった。 望みさえすれば、なにものでも手に入れることが出来るはずの王シャルルは、ひとりの美しい羊飼い娘に片思いをしている。 城の最上階に隠された秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中にその娘はいて、隣合わせた額縁の中の煙突掃除屋の少年と深く愛し合っていた。 嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽のふしぎな鳥の助けを借りて城からの脱出を試みる。 王と鳥 - Wikipedia とのことで、この一羽の鳥が主人公の役割を果たし、鳥と王との対決が物語の主軸をなすのです。 そして最後はロボットが暴れて、城や街が破壊されちゃうんだそうで、どんな描き方がされているのか興味津々です。 改作前のものも、新作も、機会があってたらぜひ見てみたい、実に面白そうな作品だと思います。 ・ポール・グリモー「王と鳥・ディレクターズカット DVD」 鉄人は二本のレバーで操縦できるのか さて、日本における巨大ロボットの元祖といえば、横山光輝氏の「鉄人28号」です。 この作品の特徴は「巨大ロボットをリモコンで操縦する」というところにあります。 wikipedia によると、 鉄人は小型の操縦器( リモコン )によって操縦される。ある程度の命令の範囲内での独立稼働が可能な自律思考回路も備えてはいるが、格闘戦や災害救助活動時等の精密で多様な判断が必要な場面では目視操縦が基本である。 鉄人28号 (架空のロボット) - Wikipedia とのことなので、敵はリモコンを奪おうとしたり、リモコンを操縦する金田正太郎くんを狙ったりすることで「攻撃」をしかけてくることで、スリリングなストーリーが展開するというわけです。 さて、この「鉄人28号」が1980年にリメークされたとき、視聴者の間から、 「正太郎くんが、リモコンの二本のレバーを操作するだけで、鉄人にあんなに複雑ことをさせられるのはおかしいじゃないか」 という声が上がりました。 一見もっともにも思えるこの意見、みなさんはどう考えますか。 この疑問に対して、 「あの二本のレバーは、『がんばれ鉄人』と『負けるな鉄人』の二つのメッセージを送っているだけなのだ」 という「お笑い」の答えがあって*1、これはおもしろいと腹を抱えて笑ったものですが、よくよく考えるとこれって、必ずしも「お笑い」ではないんですよね。 ネット上でこの問題を書いている人も、いっぱいいるんじゃないかと思いますが、たとえばこちらのページ。 ・◇鉄人28号のリモコン;自律性と制御: 万象酔歩

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みなさんは、感情って何種類あるか知ってますか? 日本では喜怒哀楽という言葉を使いますから、この四種類が基本かなと、多くの方は思うかもしれません。 (ぼくも長い間そんなふうに思ってました) でも、「好き」って思うのも感情だし、「恨み」や「妬み」みたいないやな感情だってありますよね。 この記事では感情にはどんな種類があるのかを考えた上で、感情をコントロールする方法について解説します。 怒りとか悲しみとか、いやな感情をうまくコントロールできたら、毎日が楽しく送れるはずですよね。 あなたの暮らしに役立つ、ちょっとした「ヒント」が見つかるかもしれませんよ。 感情には27も種類があるって本当? 普通は「感情」と言うけれど、心理学では「情動」という言葉を使います 感情の種類は国によって違う? 感情のコントロールの第一歩は、感情をプラスとマイナスに分けて考えること 「怒り」のコントロールができると、人生楽になります 「悲しみ」「恐怖」「不安」「無力感」、いろいろなマイナス感情のコントロールも基本は一緒です 〈2017/11/26追記〉感情「7 種類」説もあるし、いろんな人がいろいろなことを言ってます 感情には27も種類があるって本当? 心理学の世界では 幸せ、悲しみ、怒り、驚き、おそれ、嫌悪 の六種類*1を人間の基本感情とするのが割と一般的なんだそうです。 で、この基本感情は、脳神経的に基礎付けられるという意味で基本的なもので、「ノスタルジア」とか「退屈」みたいな、成長の過程で学んでいく社会的な感情とは別物だって話なんですね。 だから基本感情に「好き」や「妬み」が入ってないのは仕方がないことなんです。 では、成長の過程で学ぶんでいくことになる、社会的な感情にはどんなものがあるかというと、実験の結果、27種類の感情が報告されたという研究があります。 この研究については ・あなたの感情は何種類? 感情カテゴリー27種も発見される! - *魂の次元* という記事で前に書きましたが、ここでも簡単に紹介しましょう。 この実験では、 被験者にビデオを見てもらい、沸き起こった感情を表現してもらったところ、 連続的に変化しつつ重なりをもつ、27種類の基本的な感情の状態が見出された、 のだそうです。 つまり、 人間が日常生活で感じる感情というものは、 人によっても違いがあるので、一つひとつくっきりと分けられるものではないけれども、 27種類くらいは考えないと、人間は自分の気持ちをうまく言い表せない、 というわけです。 普通は「感情」と言うけれど、心理学では「情動」という言葉を使います さて、先の研究によって確認されたという基本感情を、その英語とともに並べてみましょう。(英語のABC順になっています) 賞賛 admiration 、熱狂 adoration 、美的満足 aesthetic appreciation、 (自分の体験する)おもしろさ amusement 、怒り anger 、不安 anxiety 、 畏怖 awe 、とまどい awkwardness 、退屈 boredom 、落ち着き calmness 、 混乱 confusion 、欲望 craving 、嫌悪 disgust 、痛み pain 、

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やあ、みんな。 きょうは夕方からルーフトップのカフェで飲んでてね。 ボブ・マーリーの曲がかかってたりして、とっても気持ちよかったもんだから、そのとき考えたことを、ちょっと書いてみようと思ったってわけ。 オーム・ババ・ルーフトップ・カフェ 禁酒の聖地 自由に書く、自由に生きる ボブ・マーリーの redemption song オーム・ババ・ルーフトップ・カフェ そのカフェの名前は、オーム・ババ・ルーフ・カフェって言うんだ。 オームなんて聞くと、おじさんたちはオーム真理教っていう、人騒がせな宗教のことを思い出しちゃうだろうけど、オームってのは、インドの人にとっては神聖な言葉なんだ。 無理を承知で日本で言えば、南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経とかの南無に当たる言葉ってことかな。 そう、もちろん南無という言葉自体、もともとインドから来たものなんだけどね。 で、ババっていう言葉は、おとうさんくらいの意味もあれば、宗教的な指導者っていう意味もあるような言葉なんだけど、このカフェの名前の場合は、「霊力のある乞食坊主」くらいのニュアンスだろうね。 インドにはサドゥーと呼ばれる乞食坊主がいっぱいいるんだけど、ここラジャスタン州プシュカルは、ヒンズー教の聖地だから、ババジがいっぱいいるんだよ。 「ジ」っていうのは、「さん」とか「さま」みたいな敬称でね。 先生様、みたいな言い方なのさ。 そんなのが、このカフェの名前の意味なんだ。 禁酒の聖地 インドは日本と違って、割と酒にはうるさくてね。 大きな街はともかく、ちょっと田舎街になると、酒屋は鉄格子で守られてたりする。 文化の違いってやつだよね。 おまけにここプシュカルは、ヒンズー教の聖地の聖地だから、酒も禁止だし、肉食も禁止、卵も普通には食べられないんだ。 とはいっても、それは表向きの話で、店によっては酒も飲めるし、街外れに行けば酒屋もあって、そこで飲めば安く上がるし、そういうところには卵料理の屋台まである。 まあ、そんなわけで、オーム・ババ・ルーフトップ・カフェでは、なんとなくひと目を気にしながらだけど、ビールくらいは飲めるってわけなんだ。 自由に書く、自由に生きる ブログなんてものをこんな具合にやってるとさ、ほかの人はどんなふうにやってるんだろうとか、気になっちゃうから、あれこれ検索したりすることになって、いろんなものが目に入ってくることにもなる。 そうすると中には、「ブログはこういうふうに使うべき」っていうような「べき人間」の人たちが、どうしても目に入っちゃうんだよね。 いや、ブログだけじゃなくて、「科学というものをしっかり理解するべき」とか、「人間としてこうあるべき」とか、いろんな「べき人間」がいて、ぼくにとってはそれぞれに、うーむって感じなんだけど、そうは言っても「べき人間」がだめってわけじゃない。 だってこんなことを書いてるってことが、弱い意味ではあっても、「べき人間はやめるべき」って言ってることになるんだからさ。 つまり、ぼくは自分で自分を否定してることになるんだけど、ぼくが言いたい自由ってのはなにしろ、「自分で自分を否定してもいい」ってことなんだよね。 誰かが何かを批判をしていると、ブーメランで自分が否定されることになるってのを、おもしろおかしく書く人がいて、それはそれで、ほんとにおもしろい場合もあるんだけど、自分で自分を否定しても何も悪いことはないよね? っていうか、気がついてなくても、ほとんどの人はそれをやってるんだ。っていうのも、他人を批判するってことは、他人の中に見た自分の嫌な部分を批判するってことだから。 ぼくはこのことを R. D. レインの本*1から学んだんだけど、最初は何言っているのか分からなかったもんだよ。 だって、「人のために泣いてるのは、自分のために泣いてるんだ」とか言うんだからね。 まあ、そういう話はこのくらいにしておくよ。 でさ、たまたま『ブログで「自由に書く」ことは難しい』って書いてる人が目に入ったたから、どんな話だろうと思って覗いてみたら、 ・道徳・マナー ・法律 ・自分への評価 ・Googleアドセンス、マネタイズ関連 ・PV数、はてぶ数、ネットの反応、炎上 ・人間関係 ・運営しているブログ・サーバー会社の規約 みたいなことを例に上げて、だから、「ブログでは自由に書くことなんてできない」ってことが書いてあるんだよね。 そう言った上で、「そういう檻が見えてなくて『自分は自由に書いてる』という人間は滑稽だ」っていうんだ。 でも、これはちょっと違うと思うんだ。 人はみんな誰だって、自分が檻の中で生きてることくらい自覚してるに決まってる。 その自覚は意識的なものじゃなくて、無意識的なものかもしれないけれど。 それが分かった上で、誰だって自由に書いてるはずだよ。 ブログやサーバー会社の規約をやぶれば、なんらかの問題が起こる可能性があるのは承知した上で、その範囲で書くのか、ぎりぎりのラインで書くのか、あるいはそんなことはぶっちぎって書くのか、誰にだってそれを決める自由はあるでしょ? つまり、人間は檻の中に閉じ込められてるわけじゃない。 自分で進んで檻の中で暮らしてるだけなんだ。 だからぼくらは、いつでも檻の外に出ていくことができる。 もちろん檻の外には、中にはない危険がある。 でも、檻の中の息苦しさに飽き飽きした人間は、危険なんかかえりみず、当然檻から外に出るだろうさ。 それは怖いもの知らずの愚かな行為かもしれない。 愚かだっていいじゃないか。 周りから愚か者扱い、変わり者扱いされた人間が成功を収めるような寓話なんて、腐るほどあるでしょ? ボブ・マーリーの redemption song うん、それでね、オーム・ババ・ルーフトップ・カフェでさ、ボブ・マーリーの redemption song がかかってたんだよ。

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はてな村のみなさん、おはようございます。 この記事では、はてな村の「火事=炎上」と「喧嘩=議論」について、思い浮かんだことなど、つらつら書こうと思ったのですが、「火事」については結局書かずに終わってます。看板倒れでごめんなさい。 ちなみに今日の話から教訓を引き出すとしたら、 あなたの何気ない言葉が、人を深く傷つけることもある あなたの言葉で誰かが「怒って」しまったら、そのときはきちんと相手の話を聞こう 相手の考えに誤解があれば、誤解をとくように説明をしよう 相手の考えがおかしくても、そして、誤解をとくごとができなくても、「相手が不愉快になるような言葉」を発したことについては謝ろう てな感じになるかもしれません。 いつもと違って、「である」体の文章で書きますので、よろしくお願いしまーす。 口は災いのもと 発端 「踊るバイエイター」という奇妙な人物 ぼくたちはみんな自由、つまり喧嘩するのも自由 いささか趣味の悪い話 「安易な」批判から喧嘩は始まった 「狂犬」があらわれた 繊細であることと強靭であること 西と東は天と地ほども違う すべての繊細な魂に安らぎあれ 口は災いのもと 発端 「とにかくページビューが稼ぎたい」 そんな気持ちを抱えながら、どういう記事を書こうか、考えていた。 「炎上 対策」というキーワードが浮かんだので、検索してみた。 企業向けの炎上対策のページがトップだったので覗いてみると、 ① 重要な情報のやり取りをしない (中略) SNSでやりとりする情報は、基本的には「すべて公になってしまう」と考えましょう。 とあるので、思わず笑ってしまった。 「いやそれ、*基本的に* じゃなくて、*すべて公* に決まってるじゃん!!」 この記事をネタにすれば、「お笑い」かつ「実用」の炎上対策記事が書けるなとは思ったが、自分のブログの現状を考えると、「炎上一般」ではなく、ここに「はてな」をからめたほうがいいように思えた。 「炎上 対策 はてな」で検索し直してみた。 「踊るバイエイター」という奇妙な人物 六番目に踊るバイエイター氏の記事があった。 ブログ関係で検索していると、この人の記事にはよく出くわす。ちょっと変わった人だが、内容はそれなりにしっかりしているので、今までにも何本か記事を読んだことがある。 タイトルにある、はてな「ブックマークの『深い闇』」という言葉に惹かれて、その記事を読んでみた。 はてなユーザーが「炎上商法」にはまりやすい理由と、それをしないほうがいい理由が丁寧に書かれていて、なるほどと思ったのだが、その記事には「はてな村における『喧嘩』」をまとめた記事へのリンクが貼られていた。 人間というものが繰り広げる、埒もないやりとりに対する野次馬的な関心は人並みにあるが、いちいちそれを覗き見していても切りがない。 けれども、そのまとめ記事のタイトルに「自由に書くことは難しい」とあったため、ぼくはそのパンドラ・リンクをクリックしてしまったのだ。 ぼくたちはみんな自由、つまり喧嘩するのも自由 いささか趣味の悪い話 人の喧嘩の記録を掘り返すのは趣味の悪いことだろうか。 それをネタとしてだけ扱うのなら、お世辞にも趣味のいいこととは言いがたい。 現にぼくはそれをネタにしているのだから、いささか趣味の悪い人間の一人にすぎない。 けれども、ぼくには一つの信念がある。 それは「すべての人間は自由である」ということで。 この文章を続けて読むのも読まないのも、あなたの自由だし、読んだ結果、批判をするのも自由。 そして、過去のでき事から何かを学ぶのは、まったく悪いことじゃない。 ということで、とあるネット上で起きた「議論という名の喧嘩」について書くことにする。 「安易な」批判から喧嘩は始まった ある人物が、あるタイプのブログを「批判」する内容の記事を書いたのだという。 この人のことは批判くんと呼ぼう。 個人の雑記ブログが、普段とは関係のないスキャンダラスな時事ネタの記事を、ページビューを稼ぐためだけに入れてくるのはいかがなものか、という趣旨のことが、その記事には書かれている。 「自分はこう思いました」という感想としては、この主張に何もおかしな点はない。 けれども、その記事では、そうしたブログを書いている人について、「余計なお世話」的批評の言葉が並べられ、したり顔で先輩ぶった「助言」がなされており、「仲間向け」のひとり言的記事にすぎないとは言え、読む人が読めば不愉快な内容だった。 もちろん、何を書いたって自由だ。批評でも助言でも好きにすればいい。その内容をわざわざ否定するまでもない。 だが、それに「かみつく」人が出てきたとしても、いた仕方のないことだとは思う。 「狂犬」があらわれた なぜここで「狂犬」があらわれることになったかの説明は省く。 人生には不条理な事態がつきものだ。 不条理なことに「狂犬」があらわれたのだと考えてほしい。 とにかく「狂犬」はあらわれて、批判くんに噛みついたのだ。 しかし、人のことを「狂犬」呼ばわりするのは礼儀にもとる。

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全国推定 8,000 万人の三日坊主のみなさん、朗報です。 根気がなくても、習慣づけができなくても、この方法を使えば、あなたの人生、大成功になること請け合いです。 それは、あなたの持っている「分散力を発揮すること」です。 集中力がなくて困っているあなた、そんなことで困る必要はもうありません。 集中力がないということは、裏返して言えば、 素晴らしい分散力を持っている ことに他なりません。 この記事では、あなたの持つ「分散力」という素晴らしい力を使ってネット上でお小遣い稼ぎをする方法を書きますが、 勉強や仕事の効率を上げたり、 人間関係を円満にしたり、果ては、 分散力によって集中力をつける ことまで、なんにでも応用できますので、ぜひ試してみてくださいね。 それではこの記事のお題目です。 分散力ってなんなの? それってなんかの役に立つの? 分散力を使えば、新しいスキルを身につけるのも蝶簡単♫ ぼくのネット上でのお小遣い稼ぎ 今のところグーグル・アドセンスが一番有望 アマゾン・アソシエイトについて noteってなんなの? 儲かるの?? ※8,000文字以上の長文ですので、おひまなときにどうぞ。 分散力ってなんなの? それってなんかの役に立つの? (お断り: 化学用語のロンドン分散力とはなんの関係もない造語ですのでご了解ください) 分散力とは、文字通り集中力とは反対の、意識を分散させる力です。 意識を分散させる力? そんなものが、なんの役に立つのでしょうか?? 人間、何かをやるときには、集中が必要です。 集中してやるべきときに、意識が分散してしまっては、気が散ってやることもやれなくなってしまいます。 これはまずい。 でも、本当にそうでしょうか? 「やらなければならない」仕事や勉強でも、ある程度の時間続けたら、集中力が切れるのは、むしろ当然です。 その状態で無理に続けても、作業の効率は下がってしまうでしょう。 このときこそが「分散力」の出番です。 集中力が途切れ、気が散り始めるということは、あなたの中で分散力が動き出したことを意味します。 無理に続けることはやめて、一旦別のことをしてみましょう。 ただし、フェースブックを見るとか、ゲームをするとか、ついつい時間を浪費してしまうようなことは、ぐっと我慢をします。 その代わりに、机の片付けをするとか、洗濯物を洗濯機に放り込むとか、普段つい後回しになってしまうけれども、やっておいたほうがいいことをします。 (頭を使わずに、体を動かす単純作業のほうがベターです) そして、それが一段落したら、またもとの作業にとりかかるのです。 一時間仕事をしたら10分の休憩を、というようなやり方もありますが、集中力が切れたら分散力を発揮して、ほかの作業をする、こうすれば休み時間中に別の仕事ができるのですから、こちらのほうが、全体としての効率が上がることは明らかでしょう。 ☆目次 分散力ってなんなの? それってなんかの役に立つの? 分散力を使えば、新しいスキルを身につけるのも蝶簡単♫ ぼくのネット上でのお小遣い稼ぎ 今のところグーグル・アドセンスが一番有望 アマゾン・アソシエイトについて noteってなんなの? 儲かるの?? 分散力を使えば、新しいスキルを身につけるのも蝶簡単♫ 上に書いた例は、作業効率を上げる方法として、どこかで見かけたことがあるかもしれません。 けれども、分散力の使い方はそれだけではありません。 たとえばあなたが、IT のスキルを身につけたいとします。 学校に行って習うにしろ、自分で独学するにしろ、とにかく時間をかけて練習と実践を繰り返すことが必要です。 なにしろ、一つのことをきちんと身につけるのは、並大抵のことではありません。 それに、学校に行ってひと通りは覚えても、使わなかったらすぐに知識は錆びついてしまいます。 せっかく専門の学校に行ったのに、その知識を役立てることができず、別の分野の仕事をしている人も多いことでしょう。 けれども、こうしたことも別に問題でもなんでもないのです。 ひとつのことが続けられない、というのは、まったく普通のことだからです。 ぼくは大学でコンピュータのソフトについて学び、大手企業に技術職として就職しましたが、二年弱で退職し、その後は技術職にはついていません。 今は趣味のレベルでネットを使い、それにまつわるプログラミングを時々する程度ですので、専門職として仕事をするような知識はありませんが、大学で学んだことは十分に役に立っているという実感があります。 学んだことをそのまま放り出さず、時折それに関連する情報をネット上で更新したことがものを言っていると思います。 つまり、何かのことを継続的に学んで、それを仕事としてもずっとやっていく、というようなことは、「集中型」の人にとっては当たり前のことなのですが、そうではない多くの「分散型」の人の場合、決して当たり前ではないのです。

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日本最大手のゲームメディアであるファミ通.comが、アメリカ産の男性同士の恋愛シミュレーション・ゲームについての紹介記事の題名などで「(同性愛は)禁断の愛」と表現したことについて、問題視する声があります。 ・オヤジ臭さは危険な香り? 独身イクメン同士で禁断の愛にハッテン可能なお父さんデートシム『Dream Daddy』 - ファミ通.com 同性愛を「禁断の愛」と表現することは、いけないことなのでしょうか。 いけないことだとすれば、どこがどういけないのでしょうか。 たぶん日本の多くの方にとっては、「別にいいんじゃないの?」くらいの反応ではないかと思いますので、どのへんがどういけないのか、少し書いて見ることにします。 なお、この件については、damonge.com のこちらの記事が、ファミ通の記事を執筆したミル☆吉村氏の説明も含め、よくまとめられていますので、興味のある方にはご一読をおすすめします。 ・同性愛を「禁断の愛」と表現したファミ通 – DAMONGE ゲイをはじめとする少数者に対する差別問題を、もう少し考えたらいいのになー 少数者が生きやすい社会は、みんなにとって生きやすい社会 抗議の声もあるのに、なんでファミ通はそのままにしてるの? ぼく自身の同性愛に対する感覚 〈追記 2017.11.23〉ミル☆吉村氏からのお返事と「ファミ通」の社会的責任 ミル☆吉村氏から「表現として微妙ではあるのでもう使わない」というお返事がありました ファミ通の社会的責任について一言 ゲイをはじめとする少数者に対する差別問題を、もう少し考えたらいいのになー 今回話題になっているゲームは Dream Daddy というアメリカのゲームで、英語版だけが配信されているものです。 アメリカの wired.com には、次のような大変好意的な紹介記事が出ています。 ・Gay Dating Simulator 'Dream Daddy' Might Just Be the Gaming Miracle of the Year | WIRED ゲームの内容は、 10代の娘を持つ父親が、近所に暮らす7人の独身男性と恋愛も含めて親交を深めてゆく というものなのですが、wired.com の記事では、「切なく、考えさせられる、とてもヒューマニスティック」な作品であり、「恋愛シミュレーションだけに限らず、オールジャンルで今年一番のゲーム」とまで高く評価されています。 紹介記事の題名には「同性愛者(queer)の恋愛ゲーム」とありますが、アメリカでは「ゲイ文化」なんて当たり前ですから、「禁断の愛」などといった、少数者文化を興味本位で見るような表現は、使わないわけです。 もちろん、日本とアメリカでは文化状況がことなりますから、なんでもアメリカの真似をすればいいというわけではありません。 けれども、ゲイを初めとする少数者の人たちが、笑いのネタにされ、ばかにされて、肩身の狭い思いをするような今の日本の状況は、ちょっとなんだかなー、と思うのです。 あなたは「自分には関係ないから」と思うかもしれません。 でも、ほんとうにそうでしょうか? 少数者差別がまかり通る社会って、だれにとっても息苦しい社会じゃないでしょうかね?? 少数者が生きやすい社会は、みんなにとって生きやすい社会 差別が起きる理由にはいろいろなものがありますが、社会的なストレスが大きいとき、スケープゴートを求める形で、弱い少数者をターゲットにした差別が激しくなって、ストレスのはけ口になることがあります。 有名な例では、関東大震災のときの、朝鮮人に対するデマがありますよね。 関東大震災で大きなストレスを抱えることになった人々が、「朝鮮人が暴動を起こす」というデマを信じたために、多くの朝鮮の方が犠牲になるような暴力行為が行なわれました。 (参照: 芥川龍之介ら文豪たちが記録した関東大震災朝鮮人虐殺) こういった極端なケースでなくても、日々の社会的なストレスが、「あなた」の中の「差別心」をあおって、少数者の人を笑いのネタに使ってしまうようなことは、ままあるはずです。 そういう意味で、「少数者差別が根強い社会は、ストレスの大きい、生きづらい社会だ」ということができます。 言葉の上だけ、表現の問題だけ変えていけばいいというものでもありませんが、一人ひとりが「差別」について考えていくことで、結局は社会全体を住みやすいものにしていくことができるはずだと思うのです。 抗議の声もあるのに、なんでファミ通はそのままにしてるの? 社会的な責任のあるメディアとして、ファミ通さんにはぜひ記事の表現を改めてほしいところですが、現状では執筆記者からの説明以外は、特に何の対応もないようです。 (参照: Twitter) 少数でも抗議の声がある以上、ただ説明するだけでなく、差別を助長するような表現は改めるべきと思いますが、日本のメディアにそういうデリカシーを期待するのは無理というものでしょうか。

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みなさん、はてなブックマークは使ってますか? ソーシャル・ブックマークと言われるやつで、ネット上で気になったページをブックマークすることで、 自分のメモとして使えるだけでなく、 他の人がどんなことに関心を持っているかなども分かり、また、 コメントをつけることで、コミュニケーションの道具としても使え、おまけに ブックマークがたくさんつくと、あなたのブログが宣伝されてたくさんの人に読んでもらえる というように、いろいろとメリットのあるすぐれものなんです。 けれども逆に「不愉快」なコメントをつけられたりすることもあるので、 諸刃の剣 でもあります。 今日はそのやっかいなほうの面に焦点をあてて、はてなブックマークの「互助会」について、そして派生的に、はてな村の「自警団」についても、少し書いてみます。 互助会ってなんなの? 互助会嫌いの「自警団」の人たち 可哀想な「自警団」の人たちのメンタリティ 〈2017/11/24 追記〉「互助会」問題に対するはてな側の対応の実例 互助会ってなんなの? 「互助会」という名前はついていますが、実際にそういう組織があるわけではなくて、はてなブックマークのユーザ同士が、「おつき合い」として互いのブログをブックマークしあうとき、 「あの人たち、互助会だな」 というように使う「はてな言葉」です。 これの何が問題なのか、というと、こうした互助会グループが大きくなっていくと、互助会システムによって多数のブックマークを得た「それほどおもしろくない」ページが、はてなブックマークの 「人気」や「新着」 に掲載されることになりますから、「有用」で「おもしろい」記事を「効率よく」読むためにブックマークを利用している「リテラシー」の高い人からすれば、「見なくてもいい記事が目に入って目障り」なことになるわけです。 けれども、この問題については、はてな側でも対策をしているようで、 「互助会」によって人気エントリしまくってると数か月(遅い)ほどで数十のブクマでは人気エントリ入りしなくなるよう はてなブログの互助会へ2週間潜入した感想 - めっちゃええやん とのことです。 というわけで、互助会については、 「あー、そんなこともあるのね」 程度に思ってればよいもので、「普通」にはてなのサービスを使っている人が気にするほどのものではないと、認識しております。 ちなみに、上に引用させていただいた、ええやんさんの記事は、「互助会」への潜入ルポになっていて、とってもおもしろいので、おすすめです。 それから、 ・相互ブクマはてなブロガーリスト というページを見ると、「相互にブックマークしあっているはてなブログユーザ」がポイント化されて表示されます。 このページを作っている Tatsuo Yamashita さんは、こうした「互助会」的な使い方を否定しているわけではなく、コミュニケーションの手段としてブックマークを使うグループが「人気エントリ」に入らないですむような「仕組み」を考えてらっしゃるのですが、後述の「自警団」の人からは、こちらのページは「互助会ブラックリスト」として「重宝」されているようです。 ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 互助会嫌いの「自警団」の人たち さて、先述のええやんさんは、相互ブックマークについて 「確実に迷惑行為だからやめましょう」 というのですが、果たしてそうでしょうか? Tatsuo Yamashita さんは「相互ブクマはてなブログだけのホッテントリ」というリストも作っておられて、今日の時点では、 ホットエントリー 217 個のうち 10 個(4%)が 相互ブクマはてなブログ でした。 とのことです。 4% 程度の「雑音」に対して、迷惑行為だ、と思う方がいらっしゃっても、それはそれで当然だと思いますが、このくらいの「雑音」について 迷惑行為だからやめたほうがいい、 とまで言うことは果たして合理的なことでしょうか。 判断が別れるところだと思います。 「リテラシー」の高い人がみんな、それを「迷惑行為」と考えるか、というと、それも違うような気がします。 「効率優先」で、他者の価値観には「無頓着」なかたが、自分の「正義感」だけを根拠に、「迷惑行為」を認定しているような気がするんですけど、違いますかね? そういう個人的な「正義感」を基準に、他者を批判するタイプの人を、ここでは「自警団」と呼ばせてもらうことにします。 (ええやんさんも、Tatsuo Yamashita さんも、別に「批判」はしてませんので、自警団というわけではありません。念のため) 可哀想な「自警団」の人たちのメンタリティ 今回この記事を書くことにしたきっかけは、碧乃あか男さんの ・怖いのはステロイドだけではない!抗生剤の副作用にも注意が必要! おまけの1コマ有り - 新・ぜんそく力な日常

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みなさま、今日もネット上であれこれと、検索をなさったり、交流をなさったり、お元気でお過ごしのことと思います。 今日の元気のもとは、みなさま一人ひとり、いろいろ違うこととは思いますが、今日まで生きてこられたからには、みなさん、いろーんなスキルを身につけてきたことかと存じます。 「読み書きソロバン」はちょっと言葉が古いですが、日本語だけでなく、英語もやらなきゃとか、コンピュータのプログラミングくらいやってみたいとか、 いろいろなスキルが要求されちゃう ようなグローバルな時代にわたしたちは生きているわけです。 そこで今日は、スキルを身につけるためのスキルである、メタスキルのうちでも、こいつは最強とぼくが思っている 「習慣を変えること」の習慣化 について書こうと思います。 (なお、この記事ではスキルという言葉を使いますが、「やせたい」とか、「タバコをやめたい」とか、「習慣を変える」ことならなんにでも、この技は使えます) それからついでに、ブログ関係の技術的な話題で、pico cms というシステムについての簡単な紹介もしちゃいます。 新しいスキルを身につけるためには、どうしたらいいのか あなたの人格の99%(当社測定値)は、「習慣」でできているにすぎない 習慣は変えられるということを、身を持って知るためには? とりあえず左手で箸を持ってみる pico cms というphpベースのフラットなシステムをxrea で動かしてみた アップロードするだけで動くはずなのに動かない! phpのバージョンを7.0から5.3に下げたら動きました、まる 新しいスキルを身につけるためには、どうしたらいいのか あなたが何か新しいことを始めようとしているとしましょう。 たとえば、英語がもう少し喋れるようになりたいとします。 すると、英語を勉強し、練習する必要があるわけですが、どんなふうにしたら、効率よく英語を喋れるようになるのでしょうか? ここでは具体的な方法は書きませんが、とにかく自分にあった方法を探すことが大切です。 多くの人にとって有効な方法が、あなたにも有効とは限らないからです。 そして、まずは「この方法でいこう」と決めた上で、 十分な時間その方法で練習をする 必要があります。 この「十分な時間、何かをする」というのが、新しいスキルを身につけるためには「不可欠」であると同時に、一番むずかしい「関門」ということになるでしょう。 あなたの人格の99%(当社測定値)は、「習慣」でできているにすぎない あなたは自分のことをどんな人間だと思ってますか? 飽きっぽい? それとも我慢強い? 柔軟性がある? それとも一つのやり方にこだわる? どんなふうに思っていても、それを否定的にとらえる必要はありません。 そして、今あなたが「自分はこうだ」と思っていても、 それは変えられるんだ と知ることが、新しいスキルを効率よく身につけるための第一歩です。 あなたの人格というものは、もちろん、生まれたときから決まっている部分もあるのですが、 99%(といっても言い過ぎでないくらい) ほとんどの部分が「変えられる」もの なんです。 というのも、あなたの人格のほとんどは、あなたがこの世に生まれ落ちた瞬間から、周りの人のあり方を真似ることによって、あなたが身につけてきた「習慣」にすぎないからです。 「でも、待ってよ、ぼくは人見知りで、初めての人とぱっぱと話すなんで絶対できないよ」と、例えばあなたは言うかもしれません。 確かに「いきなり変えろ」と言われても、それはできない相談でしょう。 でも、順を追って、少しずつできることを増やしていけば、あら不思議、 いつの間にか、初めてあったどんな人とでも、自信を持って、しっかり話せます、 という人間に、あなたが変身することも、決して夢ではないのです。 習慣は変えられるということを、身を持って知るためには? と、上のような話を読んでいると、「まあ、そうかもしれないな」と思うかもしれませんが、実際には習慣を変えるということは、そう簡単なことではありません。 「三日坊主」という言葉がありますが、やろうと決めたことを、三日もしないうちに忘れてしまうことは、多くの人が経験するところでしょう。 逆に「石の上のも三年」というように、一つのことを三年も続ければ、かなりのスキルを身につけることができます。 そこで、今まで「三日坊主」で終わってしまっていたあなたが、習慣を変え、新しいスキルを身につけるためには、「三年もあれば、なんでも変えられる」ということを 身を持って体験する ことが、まず重要になるのです。 とりあえず左手で箸を持ってみる 「習慣を変える」ためには、簡単なことから始めるのが一番です。 あなたが右利きだったら、箸を左手で持ってみましょう(左利きの人は右と左を入れ替えて考えてください)。 箸を左手で持つのが初めてだったら、右手のように器用には動かせません。 左手で全部ごはんを食べるのは大変でしょうから、最初の一口を左手を使って食べるだけで、あとは右手に持ち替えてかまいません(余裕のある人は、全部左手だけで食べてみるのもいいでしょう)。 はじめのうちは、うっかり右手に箸を持って食べ始めてしまうかもしれません。 それはそれで別にかまわないので、気がついたときに左手に持ち替えて、とにかく一口食べてください。 周りの人が何を言っても、気にする必要はありません。 「頭の体操」だ、とでも説明すればいいでしょう。 そうして、いつでも普通に左手に箸を持ってごはんを食べ始めることができるようになったら、このミッションは終了です。 そのまま続けてもいいし、もうやめてもいいし、好きなようにしてください。

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はてな村のみなさん、こにゃにゃちわ。 以前、有料サービスはてなブログProに申し込んで、独自ドメインの設定をした話を書きました。 ・[解決ズバット]サーチコンソールのアドレスの変更、やっとできた三日目の正直 - *魂の次元* その記事で、グーグルのサーチ・コンソールのアドレス変更方法について書いたことがきっかけで、「救世主」認定していただくことができましたので、今日はその承認欲求の喜びを報告させていただきます。 承認欲求が大充足、ブログに記事を書けばあなたも「救世主」になれます!? ついでに承認欲求とマズローの欲求段階説 承認欲求が大充足、ブログに記事を書けばあなたも「救世主」になれます!? みなさんは、どんな理由でブログをやってますか? 「書くのが好きだから」とか、「人とのやり取りが楽しいから」とか、「お小遣いを稼ぎたいから」とか、いろいろあるとは思いますが、自分の書いた記事が人の役に立ったり、人からほめられたりしたら、すごく嬉しくなって、 ブログやってて、よかったーー って思いますよね。 ぼくは、住所不定無職で、インド方面を放浪中、ゆえに始終金欠気味なんですが、しばらく前に、清水の舞台から飛び降りるつもりで、はてなブログPro を二年コースを14,400円で申し込んだんです。 ドメインは、以前取得してあまり使っていなかったものを流用して、独自ドメインの設定もしました。 で、グーグルの検索アクセス解析サービス・サーチコンソールも使っていたので、これのアドレス変更をすることになるのですが、いやー、こいつには苦しめられました。 もともとの「はてなドメインのアドレス」と、新しい「独自ドメインのアドレス」の両方が自分のものであることを「確認」しなければならないんですが、他の人がネットに書いてある方法だと、これがどうにもうまくいかなかったんですよね。 あれこれ試して、苦労して、やっとできたのが、「ドメイン名プロバイダ」を使った方法です。 あなたがこの問題で困ってたら、ぜひこちらの記事を見てください。 手順はやや面倒ですが、きっと解決するはずです♬ ・[解決ズバット]サーチコンソールのアドレスの変更、やっとできた三日目の正直 - *魂の次元* 本筋からやや話がそれてますが、とにかくそういうわけで、自分の困った経験を、ネット上で共有していたところ、きまぐれねずみさんの次の記事で言及していただくことになりました。 ・サーチコンソールのアドレス変更できない場合は別の方法を試そう - きまぐれねずみのきまぐれ帖 そこで現れた救世主様がこちらのサイト。 本当にお世話になりました。ありがとうございます!!神です(ノД`)・゜・。 とまで、書いていただき、 ブログやっててよかったー、 おれが今まで生きてきたのは、この記事を書いて、この瞬間を味わうためだったんだーーっ(←蝶おおげさ) というような、とってもとっても大変とっても暖かい気持ちが胸中に拡がり、いつもは満たされない承認欲求がばんばん充足される素晴らしい経験となりました。 はてなブログの場合、星やブックマークがいっぱいついたりするのも、もちろん嬉しいのですが、少数の人でも、こうやって本当に役に立つことができると、これはまた格別なものです。 いやー、ブログってほんとうに素晴らしいものですね。 (水野晴郎風でお願いします) ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ついでに承認欲求とマズローの欲求段階説 ところで、ネット上でのやりとりなどをいろいろ見ていますと、「承認欲求」という言葉を見かけることがあります。 この言葉の原点はアメリカの心理学者アブラハム・マズローの欲求段階説というものなんですね。 マズローは人間の心理的成長というものを、五段階に分けて考えました。 生理的欲求 - 食事、睡眠など一番基本的な欲求 安全の欲求 - 経済的なものや、健康など、安心して生きるための欲求 社会的欲求 - 愛情や所属など、人間関係に関する欲求 承認(尊重)の欲求 - 他者や集団からの評価を求める欲求 自己実現の欲求 - 自分の持つ能力や可能性を発揮して生きる欲求 この四番目の「承認欲求」というのが、ネット上ではよく使われるようになったわけです。 ちなみに、もともとの英語は esteem という言葉なので、評価や尊重の意味になります。 で、マズローは他人からの評価よりも、自己尊重を重視しているので、「承認」という言葉は、ちょっと違う気もするんですが、まあ、ネット上で使われる「承認欲求」という言葉は、マズローの欲求段階説とは「もはや別物」と考えたほうがいいのかもしれませんね。 子どもの「ほめて、ほめて」とか「かまって、かまって」というようなものが「承認欲求」の一番単純なものなわけですが、「ネット上に言葉を放つ」という行為が、この「承認欲求」にもとづいて行なわれることがよくあり、場合によってはそれが、「うるさい」ことになったりしますので、その結果あれこれ取り沙汰されることになり、そんな文脈でこの言葉が人の評価を下げるために使われることも、ままある、とまあ、そんな次第です。 (あいつは「かまってちゃん」だからなー、みたいな言い方とほとんど一緒ですね) マズローはこの欲求段階説だけでなく、至高(絶頂)体験 (peak experience)という概念を提唱したことでも有名です。 これは、ごく普通の人々にときおり訪れる「神秘的」な体験のことなのですが、 世界がいつもとは違った輝きを放っているのを感じたり、 不思議な幸福感に包まれて、自分にはなんでもできるという気持ちになったり、 といった経験をしたことのある人が、案外多くいる、みたいな話なんですね。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中