*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

鉄人28号はなぜ二本の操縦桿だけで操縦できるのか、あるいは巨大ロボットよ、永遠なれ

みなさんは巨大ロボットものって好きですか?

古くは「鉄人28号」から「マジンガーZ」をへて、「ガンダム」、「エヴァンゲリオン」と、巨大ロボット物のアニメも進化を続けてきました。

さて、今日も例によっての相乗り記事で、わっとさんのこちら
巨大ロボットを操縦する方法あれこれまたは主人公に感情移入させる方法について - しいたげられたしいたけ
が、いろいろとタメになり、刺激をいただいたので、さらっと書いてみようと思います。

見出しはこちらです。

〈ネタばれ注意〉巨大ロボットアニメの元祖はフランス産ですと!?

わっとさんの記事にはいくつものおもしろい話があるのですが、ぼくが一番驚いたのは、巨大ロボットアニメの元祖がフランス産のシリアスな作品だったことです。

その作品については、「やぶにらみの暴君」というタイトルだけは知っていましたが、1952年公開のこの作品が、アンデルセン原作のファンタジックな物語なのに、操縦者が搭乗するタイプのロボットを、世界で初めて扱ったものだったとは、まったく意外なことでした。

というのはこの作品は、スタジオジブリの宮崎駿氏や高畑勲氏などに影響を与えたことで知られ、「ルパン三世 カリオストロの城」には宮崎氏本人も認めるオマージュ的表現が散りばめられているものだからです。

だって、「やぶにらみの暴君」なんていかにも「文学っぽい」タイトルだし、「カリオストロの城」から巨大ロボットものは、ちょっと想像できないじゃないですか。
(もちろん、宮崎氏には「ナウシカ」の巨神兵があり、それがのちの「エヴァンゲリオン」とつながってくることにもなるわけですが)

「やぶにらみの暴君」の原作となったアンデルセンのお話はこちらで読めます。
ひつじ飼いの娘と煙突そうじ人|たくのブログ

ただし、この場合、「原作」というよりは「原案」というほうが正しいようで、「やぶにらみの暴君」の監督ポール・グリモーさんは、次のように言っています。

元の物語から残っているのは、羊飼い娘と煙突掃除人の登場人物だけと言ってもよいですね。

1980年、監督ポール・グリモーが語る「王と鳥」 - 映画『王と鳥』公式サイト

ちなみに現在では、このアニメを見ることはできないようです。

というのは、「やぶにらみの暴君」という作品は、共同制作者の意向により、資金回収をはかるために公開された作品で、監督には不本意なものだったんです。

そこで監督のグリモーさんは、

作品の権利とネガを買い戻し、製作資金を10年がかりで集め、『やぶにらみの暴君』を『王と鳥』として改作することにした

王と鳥 - Wikipedia

というわけなんです。

制作スタッフも声優も変わり、音楽も別のものが加えられてまったく別の作品といってもいい形に仕上がった新作は、「王と鳥」のタイトルで1980年に公開され、フランス国内での評判もよく、興行的にも成功を収めます。

そうした経緯から改作前の「やぶにらみの暴君」は監督の意向によってお蔵入りしてしまい、現在は見ることができないのです。

そのストーリーはというと、

砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名も、国王シャルル5+3+8=16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「処分」していった。

望みさえすれば、なにものでも手に入れることが出来るはずの王シャルルは、ひとりの美しい羊飼い娘に片思いをしている。

城の最上階に隠された秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中にその娘はいて、隣合わせた額縁の中の煙突掃除屋の少年と深く愛し合っていた。

嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽のふしぎな鳥の助けを借りて城からの脱出を試みる。

王と鳥 - Wikipedia

とのことで、この一羽の鳥が主人公の役割を果たし、鳥と王との対決が物語の主軸をなすのです。

そして最後はロボットが暴れて、城や街が破壊されちゃうんだそうで、どんな描き方がされているのか興味津々です。

改作前のものも、新作も、機会があってたらぜひ見てみたい、実に面白そうな作品だと思います。

・ポール・グリモー「王と鳥・ディレクターズカット DVD」

鉄人は二本のレバーで操縦できるのか

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さて、日本における巨大ロボットの元祖といえば、横山光輝氏の「鉄人28号」です。

この作品の特徴は「巨大ロボットをリモコンで操縦する」というところにあります。

wikipedia によると、

鉄人は小型の操縦器( リモコン )によって操縦される。ある程度の命令の範囲内での独立稼働が可能な自律思考回路も備えてはいるが、格闘戦や災害救助活動時等の精密で多様な判断が必要な場面では目視操縦が基本である。

鉄人28号 (架空のロボット) - Wikipedia

とのことなので、敵はリモコンを奪おうとしたり、リモコンを操縦する金田正太郎くんを狙ったりすることで「攻撃」をしかけてくることで、スリリングなストーリーが展開するというわけです。

さて、この「鉄人28号」が1980年にリメークされたとき、視聴者の間から、

「正太郎くんが、リモコンの二本のレバーを操作するだけで、鉄人にあんなに複雑ことをさせられるのはおかしいじゃないか」

という声が上がりました。

一見もっともにも思えるこの意見、みなさんはどう考えますか。

この疑問に対して、

「あの二本のレバーは、『がんばれ鉄人』と『負けるな鉄人』の二つのメッセージを送っているだけなのだ」

という「お笑い」の答えがあって*1、これはおもしろいと腹を抱えて笑ったものですが、よくよく考えるとこれって、必ずしも「お笑い」ではないんですよね。

ネット上でこの問題を書いている人も、いっぱいいるんじゃないかと思いますが、たとえばこちらのページ。
◇鉄人28号のリモコン;自律性と制御: 万象酔歩

鉄人が自律型のロボットであり、いいことでも悪いことでも手当たりしだいやってしまうことから、リモコンはそれをコントロールするためにあるのだということが説明されています。

つまり、リモコンを使って細かい動作を操作しているわけではなく、

鉄人のリモコンで行う操作は抽象度の高いものなのです。
「そいつを倒せ!」「いいぞ!もっとやれ」「よし止まれ」 といったレベルのものです。

というわけです。

「がんばれ!」「負けるな!!」と大して変わらないじゃないですか(笑)。

ここで重要なのは、鉄人には自律的に動くだけのAIは備わっているものの、善悪の判断の点では不完全であるということでしょう。

ですから、敵を攻撃中に無関係な市民に危害を与えるような自体になったときに、そのまま攻撃していいのか、それとも攻撃を中断して退避したほうがいいのか、といった判断は、操縦者である人間がしたやる必要がある、というわけです。

現代のAI搭載の兵器が、効率を優先するために完全に自律的な判断によっており、敵も味方も関係なく攻撃してしまうおそれがあることを考えれば、実践におけるリアリティの問題は確かにあるのですが、

「敵とは誰で、味方は誰なのか。また、何なら破壊してよくて、何は破壊すべきでないのか」

といった点を操縦者が判断しなければならないという設定は、社会派のドラマを構成するためには結構使えるものに思えます。

この点に関しては、わっとさんの記事で紹介されている
横山光輝(ジャイアントロボ)VS手塚治虫(マグマ大使) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
というページで、id:iireiさんという方が
「手塚治虫のロボット物はバラ色の未来を描くだけでまったく単純、それに対し横山光輝のロボット物のほうが物ごとの表裏、陰陽が書かれていておもしろい」
という由のことを書かれていて、確かに言えていると思います。

まあ、手塚氏はロボット物に関しては、子どもの「夢」を広げるような未来を描きたかったんだろうなとは思いますが、横山氏は、先行する未来のアトムに対して、「現実」のロボットは技術的に小さくするのは難しいと考えて巨大な鉄人を設定したという話もあり、こうやって同時代の作家をくらべてみることもなかなか興味深いところです。

わっとさんの「手塚=天才≒スーパーヒーローもの」という指摘もおもしろいですね。

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エヴァンゲリオン、心のメタファーとしてロボット操縦

最近では「シン・ゴジラ」の制作によって話題になっている庵野秀明監督ですが、彼がまだ学生だったころ、大阪から上京して、「ナウシカ」のスタッフ募集に応募し、宮崎駿監督に評価された結果、劇場版アニメ「風の谷のナウシカ」(1984年)においてクライマックスの巨神兵のシーンの原画を担当したことは、この界隈に関心のある人には広く知られた事実でしょう*2

その庵野氏の出世作が、言わずと知れた「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ版、1995-1996年) です。

巨大ロボット物に大胆な心理劇を持ち込み、最終話に至っては「手抜き」とも思われかねない斬新な描写を駆使して、主人公の内面世界を描くことで視聴者のど肝を抜き、賛否両論を巻き起こしました。

エヴァと呼ばれる「巨大ロボット」は、見かけはロボットですが、実際には

アダムもしくはリリスと呼ばれる「生命の起源」を人類がコピーして作った巨大な生命体を、本来の力を抑え込むための拘束具を兼ねた装甲板で人型になるように覆ったもの

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エヴァンゲリオン_(架空の兵器)

で、作中では人造人間であり、汎用人型決戦兵器であるとされています。

このエヴァの操縦方法はというと、操縦者がエントリープラグという操縦室に入ると L.C.L という液体でその中が満たされ、L.C.L は操縦者の肺の中まで入り込みます。

L.C.L にはエヴァと操縦者を神経接続する働きがあり、両者がシンクロすることによって、操縦者は意志の力でエヴァを操縦できるようになるのです。

現代の科学によっては到底実現不可能な方法ではありますが、SF的な設定としてはなかなか魅力のあるものと言えます。

そして、シンクロのためには、 A10 神経という人間の脳の中で現実に重要な役割を果たしている神経の接続が重視されていたり、L.C.L が羊水のメタファーになっていたり、あるいは「巨大ロボット」ともあろうものが、アンビリカルケーブル(へその緒の意味です)と呼ばれる電源ケーブルにつながれたまま稼働したりと、さまざまな仕掛けが用意されているところがエヴァンゲリオンの魅力でしょう。

さて、「マジンガーZ」や「ライディーン」、あるいは「機動戦士ガンダム」や「宇宙の戦士」など、ロボットにまつわる話はつきないのですが、だいぶ長くなりましたので、この記事はこの辺でおしまいにします。

ところで、ロボットの操縦法にもいろいろなものがありますけれど、みなさんだったら、どんなスタイルでロボットを操縦したいですか?

えっ、妹コントロールで、うちのロボットは口だけでなんでも操縦できるですって?

それはいい妹さんをお持ちでたいへん結構なことです。

あとで逆襲されないようにくれぐれもご注意ください。

てなわけで、みなさん、ナマステジーっ♬

*1:この説は漫画家のとりみきさんが唱えてたと思うのですが、うろ覚えです。

*2:庵野監督のデビュー当時のエピソードは、こちらのインタビューが面白いです。庵野秀明監督「アニメーターの技術は、今でも『オネアミスの翼』が最高峰」と断言 - 自らのキャリアを語る (1) 『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の原画に感動した庵野秀明監督 | マイナビニュース また島本和彦氏の漫画「アオイホノオ」にも、この辺りの話がいろいろ描かれていて楽しめます。

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