*魂の次元*

論理と直感の間で綱渡りをする魔術師になりたい。

拝啓シロクマ先生、ブロガーの大人の事情と私小説の関係について考えてみました

この記事の内容のいい加減な要約:
「ブログに文章を書く」ことをはじめとするすべての表現は、貨幣との交換が可能となった時点で、私小説的な「恥をひさぐ」行為となりかねない。
恥をひさいで悪い理由もないが、貨幣との交換を前提としながら「恥をひさがない」表現の可能性を模索するのも一興である。

シロクマさんは、はてな村の精神科のお医者さんだそうです。

シロクマさんのこちらの記事を見て思ったことなどを、今日はつづってみます。

大の大人がブログを書き続けているんだぞ!わかっているのか! - シロクマの屑籠

シロクマさんの話の適当な要約

シロクマさんは、書きます。

考えてもみろ、アラサー、アラフォーにもなる大の大人が、ブログを書き続けているってことを。そこには意図があり、欲求があり、目的があり、衝動がある。そういったもの抜きではブログなんて書きつづけられるわけがない。 マトモなキャリアを真っ直ぐに突き進んでいく人は、決してブログなんて書かない。私も含め、数年以上にわたって頻繁にブログを書き続ける人間は、どこかおかしいし、どこか憑りつかれている。 マトモじゃあない。ほかにすることはないのですか。だけど書かずにはいられないからブログが生き残っていく。それは、めでたいことかもしれないが、おめでたいことかもしれないのだ。

「カネのため、承認欲求のため、表現欲求や衝動の発散のため」人はブログを書きます。書くには書くなりの大人の事情があるわけです。

けれど、その理由がどんなものであれ、

  • 大の大人が、少なくない時間とエネルギーをブログに投げかけている

という点で、それは

  • 尊いと同時に、アホらしい

ことだというわけです。

シロクマさんは、他の人の書いている三つのブログを「からかい」つつ、応援しています。

それは、自分も同じ理由でからかわれることを承知した上でのことです。

「他者を否定し、その上で肯定すること」を通して、自分を否定し、その上で肯定する。

実に精神科のお医者さまらしい、二律背反の厨ニ病症候群ではありませんか(褒め言葉です、念のため)。

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plagmaticjamさんの「ブログだけじゃなくインターネット自体に意味がない」論について

まずはその無効性から

シロクマさんの記事が目に入ったのは、plagmaticjamさん(以下プラグマさんと呼ばせていただく)のこちらの記事のおかげでした。

ネットとかブロガーについて - メロンダウト

プラグマさんの主張は、

  • ブログを続けることに意味なんてないし、インターネット上に言葉を投げる他のすべての行為も同様

ということになりましょう。

論理的には、「全くそのとおり!!」と思うのですが、これを敷衍すれば

  • 人生自体になんの意味もない

という当然至極なのにも関わらず、あまり人気のない見解に辿りついてしまいます。

とすると、「ネット上の表現は無意味だ」と主張することにもあまり意味はないようです。

そして「人生自体が無意味」であるからこそ、シロクマさんの「否定してから肯定」が心情論として、意味を持ってきます。

「生きることに誰かが与えてくれる意味などない。だがすべての生きるものに幸いあれ」

というわけです

次にその議論の有意性とその優位性の超越

とはいえ、もともとプラグマさんが述べているのはあくまで

  • インターネットは実人生に比べれば意味が薄い

というようなことでしょうし、その地平においては、

「ネットで寝言を垂れ流してる暇があったら、少しは汗流して意味あることしろよ」

みたいな発言にも当然意味はあります。

ぼくたちはネット上においても「経験」を重ねることはできますが、それはあくまでも、デジタル端末が「再生」できる範囲での「経験」でしかありません。

あなたがどんなに情熱を込めて書いた文章でも、それがデジタル・メディアとして流布される以上は、あなたが誰かと向い合って同じ内容を語るときの「リアリティ」は、そこには存在しえません。

このことを考えれば、ネットという檻の中だけの体験で人生を完結させず、積極的に「実世界」を生きることには確かにプラスの意味がありましょう。
(以上、プラグマさんの議論の有意性)

しかしながら、「デジタル端末の再生の限界」にも関わらず、人間の精緻な頭脳は、「過剰な再生」を行なうことによって、完璧なまでの「脳内現実」を作り出すことができます。

そのようにして「実体験」に劣らない「経験」をすることは、簡単とは言えませんが、確かに可能なことなのです。

とすれば、ネット上の発信者の多くは、「劣化した実体験」上で「寝言」を垂れ流すことしかできないでしょうが、「実体験」を超える「経験」をもたらすような「神業の発信」がその中に交じって存在しないとも限らないわけです。

ブログを書くことが恥をかくことだとすれば、ブロガーが現代の私小説作家と言うこともできましょう。

その昔、くだらない暴露趣味の私小説が、読まれた端から捨てられ忘れられていったように、ほとんどすべてのネット上の情報は、右の目から入って左の目から出ていってしまうこと請け合いです。

けれども、もしもあなたに、

  • ほどほどの情熱とちょっとした才能があって、そして
  • 百万分の一のくじを引く運さえあれば、

あなたのキーボードから溢れ出る言葉が、多くの人の心を動かし続けるという僥倖に巡り合わないとも限らないのです。

そんなことを頭のどこかに思い浮かべているからこそ、ぼくはこうして今日もこうして間抜けな文章をつづっているわけですし、これを読んでいるあなたとの間で、そんなぼんやりとした夢を共有することができたら望外の喜びというものです。

それでは最後に、シロクマさんの言葉を引用してこの記事を終わることにしましょう。

「すべてのブロガー、すべてのインターネットのアウトプット者に幸いあれ。」

てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬

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〈写真はインドのシヴァ神のミニチュア祭壇〉

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