*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

[大好評] 奥様は明太子だったのです・シリーズ完結編「帰ってきた蝶巨大明太子の逆襲スペシャル(βバージョン)」

長ったらしい表題で恐縮です。

うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元*
明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元*
明太子はどこから来たのか、韓・中・露のはざまにて - *魂の次元*

と続いて参りました「奥様は明太子だったのです」シリーズですが、日本語の謎、記憶の謎に挑んできた本シリーズの最終回は、人間の知覚の謎に焦点を当ててみたいと思います。


もう十年以上前の話になりますが、うちの奥さんの実家が熊本だもんで、熊本を訪れた折り、帰りに熊本空港から羽田へと飛行機に乗りました。

その熊本空港で、博多の明太子がおみやげとして売られていたんですね。

東京辺りで普通に見かける明太子は、長さ十センチもあったら割とでかいほうでしょうか。

それが、その熊本空港で売られていた明太子は、なんだかとにかく莫迦でかかったのです。

大・中・小とあって、「大」はとにかく莫迦でかい、「中」もまだまだ莫迦でかい、
...... と莫迦でかい明太子が、ドカンと並べて売られているものですから、「小」を見ると、どうしても見劣りがします。

とはいうものの、「大」はとにかくいいお値段、「中」もまだまだいいお値段、「小」もまずまずいいお値段がするのです。
(といいつつ、お金に弱い上、昔の話なので、具体的な金額ははっきり覚えておりません。たぶん 2,000 円くらいだったのかなぁ)

ですが、こんなに立派な明太子は、東京辺りでは絶対お目にかかれないものですので、せっかくの機会だからと、一番小さいやつを、
「ちょっと見劣りはするけれど、それでも、いつも見てるのよりは、だいぶ大きいよな」
くらいの気持ちで買いもとめ、羽田行きの飛行機に乗り込み、自宅を目指したのでした。

驚いたのは、自宅に帰り着いて、その明太子の包みを開けたときのことです。

「いつも見てるのよりは、だいぶ大きい」
くらいだったはずの「大・中」と比べるとかなり見劣りのした明太子が、
「いつも見てるのの、五倍(体積、重量比。当社調べ)」
は軽くある、蝶巨大明太子に大化けしていたのです。

ここまで、読んでいただいた賢明な読者の皆さまには、すでにこの現象のトリックがお分かりのこととは思いますが、人間の知覚というものは、相当程度に「比較」によって左右されるものなんですよね。

つまり、熊本空港では、「超蝶々巨大」な「大」、「蝶々巨大」な「中」の明太子と並んでいたために、それほど大きく見えなかった「小」の明太子も、いつものおうちのいつもの物に囲まれた環境で見たときには、その本来の実力を十分に発揮して、「蝶巨大」感をしっかりと発揮してくれたというわけなのです。

ちなみに明太子の原料であるスケトウダラの卵巣、八年以上ものでは、1キロにもなることがあるようで、ほんとにとんでもなくでかいです。
(cf: http://www.nishihamaya.com/mentaiko/egg.htm)

「人間の知覚」ネタとしては、「1993年の桜はなぜいつもの桜と違って一生記憶に残るほど美しかったのか」という話もあるのですが、それはまた、機会を改めて書くことにしたいと思います。

というわけで、以上が「蝶巨大明太子のお話」でした。

それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

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