*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

うちの奥さんは明太子だった話

はてな村の皆さん、まいどお早うございます。

今日は watto さんの、
ダブルミーニングについて - しいたげられたしいたけ
と、夜中たわしさんの、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
をネタに、言葉と人間の記憶について、つらつら考えたことをつづります。

ナポリタンがコーヒーのお代りをする話

さて、watto さんは、上記の記事で、夜中たわしさんの記事につけた
「確かにしいたけは私だ」
というブックマークコメントを披露してらっしゃいます。

この文章の意味するところは、『「妻が椎茸だったころ」という本をたわしさんに贈ったのが、自分である』ということと同時に、その『自分というのが「しいたげられたしいたけ」を名乗る watto である』ことをも意味する、「watto さんは、このギャグが書きたかったから、わざわざ贈り物までなさったのですね」と褒め称えるしかない、高度なコミュニケーション技法と言えます。

ここで、『「しいたけ」を贈ったのはわたしだ』を意味するほうの、「しいたけは私だ」という言い方を「うなぎ文」と呼ぶことは watto さんも書いているとおりです。

これは、食堂で
「きみは何にする?」
と聞かれたとき、
「ぼくはうなぎだ」
と答えることで、うなぎを注文することを表すことからつけられた呼び名なのですが、
『「ぼくは人間」なのに「ぼくはうなぎ」とはおかしいじゃないか』
というようなことから、日本語の助詞「は」にはどういう機能があるのか、といった観点など、いろいろと取り沙汰されている話なのでした。

(詳しい話が知りたい方は、うなぎ文の一般言語学 | marges de la linguistique「フランス語のウナギ文」再び - 翻訳論その他 などをご覧ください)

ちなみに、「ぼくはうなぎだ」の形の文は日本語に特有のものではなく、英語では、むしろ日本語よりも広い範囲での使い方がなされることがあるようです。

たとえば、アメリカのハードボイルド小説で、探偵がカフェの中、二人の男の動向を観察している場面を思い浮かべてみてください。

ナポリタンがコーヒーのお代りを注文した。すると、カルボナーラが突然立ち上がった。

ナポリタンを食べていた男と、カルボナーラを食べていた男のことを、それぞれ、「ナポリタン」と「カルボナーラ」で表しているわけです。

これは言語学的には比喩表現の一種である「換喩」表現と考えるようで、
「この間、白バイにつかまっちゃってさ」
のような表現だったら、日本語でもありえますよね。

「白バイに乗っている人」のことは「白バイ」と呼び、「ナポリタンを食べていた男」は「ナポリタン」と呼ぶ、というわけです。

というわけで、「うなぎ文」ちっともおかしくないし、日本語に固有のものでもありません。

ですから、日本語は、それほど特殊な言語というわけではないし、「非論理的」な言語などではまったくありません。

英語など、西洋の言語形式とは少し異なる構造を持つというだけの話で、むしろ「非論理的」なのは、「学校で習う国文法の説明」のような気がする今日この頃です。

ぼくの奥さんは明太子だった話

すでに少し触れましたが、watto さんはたわしさんの「しいたけ画像」を自分のアイコンとして使っているので、そのお礼に「妻が椎茸だったころ」という不思議な題名の本をたわしさんに贈ったのだということです。

こいつは、はてな村で生まれうる、暖かい交流を象徴するかのような、実に麗しいエピソードでありまして、後世に語り継がれること間違いのない美談ですが、
『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ
で紹介される「妻が椎茸」な話には、また泣かされます。

(ところでたわしさん、「葬儀から週数間過ぎた頃」は、「数週間」の打ち間違いと思います。こんなところでのお知らせで失礼っ)

「妻が椎茸だったころ」というのは、中島京子さんの短篇集の表題作なのですが、作中、60歳の主人公が亡くなった妻のレシピ帳に、
「もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」
という謎の記述を見つけます。

そして、妻が通っていた料理教室の先生にそのことを話すと、先生は
「人は誰でもそうだ」
と答えるのです。

料理が分かっている人間は、誰でも「自分が、使っている素材だったときの記憶を持っている」というのです。

ぼくは、ここまでの紹介を読んで、これは、仏教的な輪廻転生および因縁生起の壮大な世界観を背景に、人間の記憶の不可思議さの無量大数を描く、稀代の傑作に違いないと確信しました。

そして、たわしさんの奥さんも、この作品の、主人公がレシピを通して今はもう会えない妻に想いを馳せる場面に感極まり、号泣に継ぐ号泣、大号泣が続き、たった 30 ページの掌編を読んだだけなのに、気分転換にシャワーを浴びても、なお 30 分以上、涙が止まらなかったというのです。

ここまでくれば、今年のはてな村文学大賞(仮称)は、もうこの作品に決定したといっても構わないでしょう。

どうか、みなさんも、下記のリンクからアマゾンでご購入、ご拝読の上、当ページのコメント欄、ブックマーク、つぃったーなどで、「2017年はてな村文学大賞投票(仮称)、妻が椎茸だったころ」と書いて、清き一票をご投票ください。

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一票でも投票があった場合、『「妻が椎茸だったころ」2017年はてな村文学大賞(仮称)受賞のお知らせ』を書くことにしたいと思います。好ご期待!!

  *  *  *

ところで、この節の表題である「うちの奥さんは明太子」な話を簡単にして、今日の記事を締めることにしましょう。

先の小説では、「奥さんが椎茸」なのが問題になったわけですが、「うちの奥さんは『明太子が問題』」になってしまったことがあるんです。

それはぼくらが知り合ってまだ間もないころのことだったのですが、とあるカフェレストランに入ったとき、メニューを見ていた彼女が、
「めんたいこって何だっけ?」
と何気なく言ったのです。

これを聞いたぼくは、ぶったまげました。

料理を作るのが面倒なときなどは、コンビニで明太子スパゲッティを買って、一緒に食べたりしてましたから、彼女が明太子を知らないわけはないのです。

そして、当時彼女は精神的な不調を抱えていたものですから、ぼくの頭の中には、
「これは、相当やばいんではないか。ぼくの気がつかないうちにすごいストレスがかかって、記憶がいかれてしまったんだろうか」
みたいな恐ろしさサラウンドな想像が広がったと記憶しています。

しかしながら、結果から言うとこれは、ただの「ど忘れ」というやつの変形であったようです。

それにしても、「よく知っている人の名前を忘れる」という類のものは、多くの人が経験すると思うのですが、食べ物の名前を「ど忘れ」するって、どのくらい普通のことなんでしょうね?

人間の記憶というのは、本当に人それぞれなので、明太子をど忘れしたことがある方も、広い世の中には多数いらっしゃるのではないかと、推察するのではありますが...... 。

てなわけで、以上で、「妻が椎茸」だったり「奥さんは明太子」だったりする話を終わりたいと思います。ちゃんちゃん。

それでは、みなさん、ナマステジーっ。

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