*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

人はみな自由に生きている

人はみな自由に生きている。
そう考えると、この社会について、わりと納得しやすい気がする。


自由と言っても無論、やりたい放題というわけではない。
だって、みんながしたい放題、勝手気ままにやってたら、今よりもっと
混沌とした社会になるだろうからねぇ。


そうではなくて、この場合の自由と言うのは、みんな自分のしたいことを
自分で選んでやっている、ということで、つまり、ある人が何かを
我慢しているとすれば、それはその人が我慢したいからしてるんだと、
そうゆうふうな考え方のことなんです。


これは[しなければの錯覚]の話を、別の角度から見ていることにも
なるのだけれど、その意味では、ぼくらが現にあることをやっている以上、
それはやりたいからやっているのだと受け止めることにする、という
考え方の問題ということになります、はい。


また、別の言い方をすれば、ぼくらの心の中に相対立するいくつかの
欲求があったとき、その中でどれを実際に選ぶかというのは、
この意識的な自分が選ぶのか、それともある衝動にまかせてしまうのか、
はたまた自分で選んでるつもりなのに無意識的なものに支配されて
決めてしまっているだけなのか、いろいろなパターンが考えられるけど、
そのどれであるにしても、結局のところ「自分」で決めているには
違いないのだから、それは自由に決めてると言っていいだろうと。
(無意識的に決めちゃってる場合は、「決めた覚えなんてない!」と
いうことにもなりますが...)


まあ、そんなわけで、自分がやっている以上、やりたいことを自由に
やってるんだと思ったほうが、自分でもすっきりするし、人を見て、
あの人、なんであんなことするんだろうと思った場合でも、その人が
好きでやってる以上、わざわざ口出しする筋合いもないわけで。
(もちろん口出ししたい人は、それもご自由にね)


そして、みんなが自由に生きてる結果として、これだけ秩序立った
社会があらわれてるのを見るとき、ああ、やっぱりこの世界は完璧に
違いない、という思いにつながっていくのです。
([この世界の完璧さについて]参照)

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