2025年5月3日、参院京都府選挙区選出の議員、西田昌司氏が、沖縄で開催された『第4回憲法シンポジウム/安倍晋三先生顕彰祭』において、ひめゆり平和祈念資料館の展示について「歴史の書き換え」と発言したことが問題になっています。 細かい経緯は、例えば、こちらの朝日新聞の記事 https://www.asahi.com/sp/articles/AST591QY0T59UTFK00BM.html などを見ていただければと思いますが、はっきり言って西田氏の発言は支離滅裂としか言いようがありません。 自分の記憶の中にしか存在しない曖昧な記憶を「事実」だと主張し、自分は事実を述べただけだから発言の内容については撤回しないと言うのです。 そして、そのことの報道の仕方にも「異常」なものがあります。 朝日の記事から引用すると、 『『 「無神経に沖縄の県民の方々の心を乱すようなことになってしまったと感じた」とした。 一方で「自分の言っていることは事実だという前提でいまも話している。問題は、事実(かどうか)ではなく、県民の感情を分かっていなかったことだ」とも主張。講演の中で「沖縄の場合には、地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」などと発言したことについては、「(謝罪・撤回は)しません」と述べた 』』 ということなのに、その記事の見だしは「自民・西田氏、ひめゆりの塔巡る発言を一部撤回 沖縄県民らに謝罪」となっています。 県民感情を傷つけたことは認めたものの、謝罪も撤回もしていないのに、こうした見出しを掲げることは、報道機関としての信頼性を自ら投げ捨てているとしか言いようがありません。 東京新聞も発言の「撤回と謝罪」があったと報道しており、まったく理解に苦しみます。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/403822 実際に戦争を体験した人たちで存命の方はごく少数になり、わたしたちの記憶の中で戦争は影の薄いものとなってしまっています。 その上、沖縄が本土決戦のための時間稼ぎの場として捨て石とされたという歴史的事実すら忘れてしまうとすれば、日本の将来は極めてあやういものになってしまうのではないでしょうか。 80年前の戦争について、本土の人間(ヤマトンチュ)には分かりにくい、沖縄県民(ウチナンチュ)の思いを知るためには、下記のような沖縄の人が編纂した本を読むことが大切だと思います。 ☆沖縄タイムス社編「沖縄戦記 鉄の暴風」 (ちくま学芸文庫) https://amzn.to/4m5ILM9 (以下、アマゾンより内容紹介を引用) 第二次大戦末期20万人もの命が奪われた沖縄戦。本書はその惨状を従軍記者が克明に綴った記録だ。現代史第一級の史料を初文庫化。解説 石原昌家 === 第二次世界大戦における最激戦地の一つ沖縄。軍民合わせ20万人もの尊い命が犠牲となった。本書のタイトルの「鉄の暴風」とは、1945年3月26日から3カ月間にわたり途絶えることなく続いた艦砲射撃や空爆のすさまじさを表現した言葉だ。1950年の初版刊行以降、沖縄戦を象徴する言葉として定着した。地形が変わるまで打ち込まれた砲爆弾、壕に逃げ込んだ住民を炙り出す執拗な火炎放射、そして民間人にまで及んだ自死の強制。本書は行動を軍とともにした記者たちが自らも体験したその壮絶な戦場の実態を、生存者をたずね克明に記録したもの。現代史第一級の史料を初文庫化。 【目次】 ちくま学芸文庫版『鉄の暴風』まえがき 重版に際して まえがき ひめゆり塔の歌 第一章 嵐の前夜 一、揺らぐ常夏の島 二、十・十空襲 三、死の道連れ 四、逃避者 第二章 悲劇の離島 一、集団自決 二、運命の刳舟 第三章 中・南部戦線 一、米軍上陸 二、北・中飛行場の潰滅 三、神山島斬込み 四、軍司令部の壕 五、南へ南へ 六、鉄火地獄 七、伊敷・轟の壕 八、月下の投降 九、防召兵の話 十、牛島・長の最期 十一、出て来い 第四章 姫百合之塔 一、女学生従軍 二、南風原陸軍病院 三、泥濘の道 第五章 死の彷徨 一、第三外科の最期 二、運命甘受 三、女学生の手記 四、草生す屍 五、壕の精 六、平和への希求(姫百合之塔由来記) 第六章 北山の悲風 一、北へ北へ 二、山岳戦 三、真部・八重潰ゆ 四、国頭分院の最期 五、さ迷う兵隊 六、護郷隊 七、敗残 八、武士道よさらば

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・megamouthさんの「好きなことで生きていく」 https://www.megamouth.info/entry/2025/04/30/104014 という記事を読みました。ビジネスにおけるモチベーションの話ということで、思い出したのが、ワインバーグさんの「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL という本です。

・さて、megamouthさんの記事、DeNAの南場さんの話から始まります。会社に入って一年目の人間に対して、「仕事としてやる以上、個人的なモチベーションのことばかり言ってたらダメ」、という意味のことを南場さんが言ったというのですが、まあ、もっともなことでしょう。だって、大学のサークルの話じゃなくて、仕事の話ですもんね。

・で、南場さんの話は、けれどもチームにおいてはモチベーションも大切、というふうに続きます。ですから、そこを読まずに、南場はダメだなと思ったら、それはやはり勘違いというものでしょう。 (いや、別にね、南場氏について、どんな勘違いをしようと、そんなの大した問題じゃないんですけど)

・というような前振りの話はともかくとして。

・megamouth さんが、プログラマとして自分にとっておもしろい仕事だけをしていたい、という気持ちは全くよく分かります。

・『lintチェックを無効化して、any使ったら5分で終わる作業を1日かけてGenericにして、lintエラーを出なくする「だけ」の、お前それ費用対効果どうなってんだという作業』をしている自分を見て、 megamouth さんは冷静に、このままではちょっとやばいかも、南場さんのお叱りは愛の鞭かも、などと思うわけです。

・けどですよ、費用対効果の算盤勘定はともかくとして、技術的なパズル遊びが許される職場環境があるのならば、仕事の(たぶん)合間に、そういう遊びをやったからといって、特に悪いこともないんじゃないかとも思いますよね。

・さてそれで、そういう技術遊びをしながら生き延びてきた megamouth さんが、プロジェクトマネジャの仕事を頼まれる。そこでチームの若手のプログラマが「1週間ほどかかる」というタスクについて、急げば二日かな、と考えつつも、「急ぐ必要もないので、1.5週でやりましょう」とゆるい提案をして、チームの信頼を得た、というのが記事の主題なんですね。

・megamouth さんは派遣で働いているわけですが、派遣先のディレクタから、「○○さんはうちの難しいエンジニアとうまくやってるけど秘訣は?」と聞かれて笑顔で誤魔化します。『彼らの内面を暴かないこと、社会人としての外装をうまく取り繕う手伝いをすること、が本当の秘訣だ、が、それを正直に言うほどお人好しではなかった』というわけです。

・この話は、なんとも日本的なエピソードだなと思いますが、これをエンジニアと管理者の「共犯関係」と捉えるのか、それても「共生関係」と捉えるのか、その辺りが人生の分かれ道になるような気はします。

・こういう、ある意味ぬるい「共生関係」も、まったくいいよなと思いつつ、ちょっと別の方向で思い出したのが、ワインバーグさんの本です。

・「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL と大層な題名がついていますが、マネジャとして管理する人だけでなく、チームとして仕事をする人なら誰にでも役に立つ内容の本です。といっても、人間同士のやり取りを詳細に分析していますから、そういうことに関心のない人には読みにくいでしょうけれども。

・とはいえ、エンジニア的視点から書かれていますから、一般の心理学関係の本のようなまだるっこしい内容ではなく、人間関係のメカニズムをクリアに理解するための助けになるはずです。

・第12章「人を助けることのむずかしさ」に次の文章があります。(手元に訳本がないため、原文から勝手に訳しています)

『あなたが誰かのモチベーションを高めたいと思うのならば、それが直接的であるにせよ、環境を整えることによるものであるにせよ、まず第一に、あなたが相手を大切に思っているということをきちんと分かってもらうことが必要です。そしてきちんと分かってもらうための一番確実な方法は、実際に相手を大切にすることなのです』

・先ほどの megamouth さんのやり方も、実はここに書かれたことの実例になっているとは思いませんか? エンジニアは管理者から尻を叩かれながら働きたいとは思わないでしょう。自分が気持ちよく働ける環境を、管理者には作ってもらいたいと思っているはず。エンジニアのそうした気持ちを大切に思うからこそ、megamouth さんはゆるい提案をすることによってそれを実際に行動として示し、その結果エンジニアの信頼を勝ち取ったわけです。そしてそうなれば、自然にエンジニアのモチベーションも上がるというものです。

・……というような解説が本当か嘘かはともかくとして、ワインバーグさんの本には、コンサルタントとしての彼の経験に基づいた様々なエピソードが披露されていますので、興味が湧いた方はどうぞご一読してみてくださいね。

・てなわけで、みなさん、ナマステジーっ♪

☆ジェラルド・M・ワインバーグ「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL (原題: Becoming a technical leader : an organic problem-solving approach)

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Moto g53y を手に入れ、termuxを入れたところ、フォントがひどくって可読性がぼろぼろ……。

この端末はandroid14だが、13辺りから仕様が変わったらしい。

cp /system/fonts/DroidSansMono.ttf ~/.termux/font.ttf

とシェルに打ち込んで問題解決。


☆termuxでpython、初心者の方も初期投資なしで楽しめるので、おすすめです。

こちらの本、参考になります。

「スマホでPythonをはじめよう: AndroidスマートフォンとTermuxアプリを使ったプログラミング入門&学習 Pythonを始めよう」 https://amzn.to/4gg9fGG

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「何もない」と認識する立場は当然ありうる。 しかし、そのとき、そう認識する主体はあるはずだ。 とすれば、「何かがある」と認識する立場のほうが、もっともらしく思える。 そのとき「何がある」ことになるのかは、言葉で厳密に言い尽くすことはできない、と思われる。 時間、空間、物質、エネルギー、そして自己。そんなものが多分あるのだろうが、それが何なのかを言い尽くすことはできない。 #竹林の愚考

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はてなブログから自前のサーバに引っ越しました。 まだ、表示がかなり変ですが、とりあえず動いてるからいいことにします! なお、はてなのサイトは下記のアドレスで残っておりますので、念のためお知らせまで。 https://dimofsoul.hatenablog.com/

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--- マミーさん (id:mamichansan) に。 子どもの頃、父方の祖父母と一緒の家で暮らしていました。 昭和四十年代の話です。 祖母も祖父も、ぼくが小学生のうちに亡くなりましたが、どちらとも話をした記憶すらないのは、うちが少し奇妙な家庭だったということかもしれません。 その奇妙さについては今は触れませんが、とにかく祖父母とは、一緒の家で暮らしているものの、まったく疎遠で、改めて考えてみると、言葉はおろか、手を握った記憶もなければ、視線を交わしたことすら覚えがないほどです。 * * * ぼくには三つ歳上の兄がいます。 しばらく前に実家で、母が出してきた古い写真を見ていたら、まだ小さい兄を祖父が手を引いている写真があって、へー、あのじいちゃんも、長男のときには可愛がってたのか、などと思いました。 なにしろ、祖父については、まともに喋っている姿すら見たことがない有り様で、同じ家には住んでいるけれど、なんとなく他人のような存在でしたから。 それで、というべきなのか、よく分からないのですが、ぼくには祖父のことが好きだとか、嫌いだとか、そういう感情がありません。 そして、実のところ、祖父に関して、あまりいい思い出はないのです。 * * * 祖母が元気な頃は、祖父と祖母は、ぼくたち家族とは別々に食事を取っていました。 やがて、祖母は心臓を悪くして入院し、しばらくして亡くなりました。 そのときになって初めて、ぼくたちは祖父と一緒に食事を取るようになりました。 その頃には、祖父もずいぶんと歳を取っており、言葉もはっきりとしなくなっていました。 そして、ぼくの母に用事があって何かを言うのですが、うちの母がまた、そういう場面で勘が働かず、そつなく話す話術もなく、ただ何度も聞き返すと、祖父はいらだって大きな声を上げ始めます。 子ども心に、苦しくて堪りませんでした。 今これを書いていても、腰が緊張で締めつけられます。 また、祖父は食事のとき、何かをのどに詰まらせては、大きくむせます。 長方形の食卓の短い辺のところに祖父は座っています。一番遠くの反対側の短い辺のところには、二つ年下の弟が座っています。 手で口を覆うこともせず、大きくむせるので、食卓の上じゅうに祖父の口の中から出たものが飛び散り、向かいに座っている弟は直撃を受けます。 父も母も、そつがありすぎて、何も言葉も出ず、場面は冷んやりした空気に包まれます。 今これを書いていると、その場面を思い出して、滑稽さに笑いが込み上げてくるのですが、同時に、腰には緊張が残ったままという、奇妙な心身状態です。 * * * さて皆さんは、初めて見た夢の記憶がおありでしょうか。 一説によると、夢は毎日見ているもので、ただ記憶に残らないだけだ、というくらいですから、本当に初めて見た夢の記憶というのは、普通ありえないものだと思います。 ですから、これは憶えている限りもっとも古い夢はどんな夢だったのか、といった程度の話です。 ぼくの場合、幼稚園の頃に見た、自分なりに、これが初めての夢だ、というものの記憶があります。 不思議なことに、その夢に祖父が出てくるのです。 夢の中でぼくは祖父に手を引かれています。 そして、そこにお化けが現れます。 お化けだからといって、すごく怖いという感じではないのですが、うっすらと怖さを感じていたような印象が残っています。 ぼくの記憶に残る初めて見た夢は、そんな、ほんの切れ端だけのものなのですが、今ひさしぶりにこの夢のことを思い返してみると、あんなに疎遠に思っていたにも関わらず、ぼくはやはり祖父に守られていたんだなあ、と感じるのです。 母をどなったり、食卓でむせたりする、年老いた祖父しか印象に残っていないぼくにとって、祖父はなんとも近寄りがたい存在でした。 それでもとくに嫌いだと思わなかったのは、記憶にもない小さな頃に、あの写真に映る兄と同じように、祖父に手を引いてもらった経験が、多分あるからなのでしょう。 記憶には残っていない、祖父のその手が、夢のなかのかすかな記憶としてつながって、今もぼくを守ってくれているのだと、遠い過去に想いを巡らせながら、ぼくは実感するのです。 ぼくたちは、おそらくそうやって、気がつかないままに多くの人に守られていて、だからこそ、しんどいことも多いこの地上で、楽しいことや幸せな時間を見つけるために生きていけるのではないでしょうか。 * * * あなたの初めて見た夢は、どんな夢でしたか。 機会があったら、教えてください。 それでは、また。 ☆+魂の次元+ http://mitona.org/ もよろしく。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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宇宙のど真ん中