男であれば誰だろうと「おっぱい(巨乳)」という言葉に反応するだろう。
そして男が反応する以上、女だって「おっぱい(巨乳)」という言葉に反応せざるを得ないのだ。
ところであなたは「ナッジ」という言葉を知っているだろうか。
英語で nudge というのは、「肘でつついて軽くうながす」というくらいの意味だが、行動経済学では、
「強制的に何かをさせるのではなく、自発的にそれをするような選択肢を提供する」 というような方法論を意味する。
この記事では、月間100万PVを目指すあなたのために、いかにして「おっぱい(巨乳)」をナッジとして使うかを考えてみることにしたい。
実例: さいちゃんは「おっぱい(巨乳)」で1日37,000PV達成。月間100万も夢じゃないぞ。 なぜ「おっぱい」はナッジとして使えるのか。その生理学的な根拠と100万PVへのヒント。 人は見た目で出会いを決めるのか。出会いサイトのデータが語る真実。 実例: さいちゃんは「おっぱい(巨乳)」で1日37,000PV達成。月間100万も夢じゃないぞ。 軽やかな筆致でユーモアたっぷりのブログをつづっているさいちゃんの記事、
・【悲報】Googleはおっぱいに屈しました。Google推奨Chrome砲で1日3万7千PVを記録。 - さいちゃん、銀行辞めたってよ
は、みなさん読みましたか。
Netflix のリアリティ番組「テラスハウス軽井沢編」を
・テラスハウスを見て巨乳は絶対的正義ではないことが判明した - さいちゃん、銀行辞めたってよ
という記事で紹介したところ、Chrome砲の直撃を受け、1日37,000PVを記録したことをおもしろおかしく語ってらっしゃいます。
1日37,000PVですから単純にこれを30倍すれば、月100万PVを超えます。
もちろん現実はそんなに甘い予測を許してはくれませんが、「おっぱいの底力」を感じさせる実例として、まずは以上、紹介させていただきました。
なぜ「おっぱい」はナッジとして使えるのか。その生理学的な根拠と100万PVへのヒント。 人間がこの世に生まれ落ちて最初に求めるもの。
それがおっぱいです。
だがしかし、工業化された現代社会に生まれ育った我々の中には、不幸にもおっぱいと戯れる無邪気な幼年時代を経験することのできなかった者たちもいます。
粉ミルクの発明によって、幾多の不幸な子どもたちが生まれたことでしょうか。
そのことを考えると、胸が痛み、夜眠ることもできなくなるほどですが、その話はこのくらいで切り上げることにしておきましょう。
結局のところ、あなたが哺乳類として生まれてきた以上、女か男かなんてことはこの際一切関係ないってことなんです。
つまりあなたは、「おっぱいを求める者」としてこの世に誕生したのです。
そして世のヘテロセクシャルな男どもが、夜な夜なおっぱいを求めて、現実の夜の街へ繰り出し、ネットの広大な海原へと冒険の旅に出ること自体が、誰にも否定しようのない自然の摂理としかいいようがないではありませんか。
以上見てきたように、男性の視線というものは、ごく自然な反応としてて「おっぱい(巨乳)」に焦点を当ててしまうように幼年時代から条件づけられているのであります。(一部の例外を除く)
アムステルダムのスキポール空港では、小便器の内側に一匹のハエの絵を描き、
「人は的があると、そこに狙いを定める」 という「習性」を利用して
清掃費を8割も減少させること に成功しました。*1
そうであれば、あなたが自分の記事に
「おっぱい(巨乳)」という「的」を置くこと で、男たちの狙いをそこに定めさせることができるのは、ナッジ理論に照らし合わせて明らかとしか言いようがありません。
そしてです。
人間の注意を惹きつけるものは、決して「おっぱい」だけではありません。
あれだって、これだって、さらにはそっちのほうのものだって、やっぱり人間の注意を惹きつけてしまうというのが、この世界の現実なのです。
であるからには、どんなものが、人間の注意を惹きつけるのかを注意深く観察し、それを有効に利用することによってこそ、我々は「100万PVへの道のり」を一歩々々着実に歩いていくことができるのであります!
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はーい、みなさん、サワッディーカッ(プ)!
note.mu という手軽に有料でコンテンツを販売できるサービスが、ずいぶんと普及してきたのを感じる今日このごろですが、
「ネット上でのお小遣い稼ぎの方法論」 を、久しぶりにみなさんと共有したいと、タイの田舎街で思うとし兵衛です。
さて問題は、お小遣い稼ぎはどこでやったらいいか、という話だ アマゾンのアフィリエイトをnote.muで使うのは、初めてのお小遣い稼ぎには最適かもよ アマゾンでふろむださんにお小遣い稼ぎをさせてもらった話 お小遣い稼ぎの王道はやっぱりグーグルアドセンスでしょうか。 社会不適応気味なキミは、ネットでお小遣い稼ぎにチャレンジしてもいいかもね さて問題は、お小遣い稼ぎはどこでやったらいいか、という話だ この記事を読んでらっしゃるあなたが、すでにはてなブログをやっているならば、素直にはてなブログでお小遣い稼ぎをするのが順当でしょう。
でも、なんとなく「はてな村に馴染めない」と感じているのなら、「いっそ引っ越しちゃう」とか、別のサイトを始めるというのも手かも。
ぼくは最初グーグルのblogger.comを使ってました。
blogger.com 限定のアドセンスが簡単に申請通ったもんで。
検索流入をこつこつ拾っていけるあなたで、wordpress は面倒くさいし、アドセンスの普通の申請もやってられない、という場合は blogger.com がいいかもしれません。
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アマゾンのアフィリエイトをnote.muで使うのは、初めてのお小遣い稼ぎには最適かもよ note.mu というサイトは、テキスト、音楽、静止画像を誰でも手軽に有料で販売できるのが特徴です。
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アフィリエイトリンクを貼ること自体は問題ございません。
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lifehacker の記事、
・【書評】『自分の「人間関係がうまくいかない」を治した精神科医の方法』 | ライフハッカー[日本版]
で、精神科医であり、発達障害でもあるという西脇俊二さんが、ご自分が障害を克服した経験をまじえ、発達障害とどう付き合ったらよいかを述べた本、
『自分の「人間関係がうまくいかない」を治した精神科医の方法』
が紹介されています。
今日は、西脇さんの説く発達障害との付き合い方を簡単に説明するとともに、「自分は発達障害かも?」と考えているあなたに、ちょっとしたヒントをお伝えできたらと思います。
精神科医にはなったけど、中学時代から30代まで20年も人間関係で悩み続けた西脇さん 「自分は発達障害かも?」と思っているあなたへ - 悩みが深刻ならお医者にかかってみるという手もあります 最後に「発達障害」は病気なのか?と考えてみる 精神科医にはなったけど、中学時代から30代まで20年も人間関係で悩み続けた西脇さん 西脇さんは、中学時代から30代まで20年も人間関係で悩み続け、「医学以外の分野」でその答えを探し続けましたが、結局その答えが見つかったのは自分の専門分野である「精神医学」の中だった、と言います。
自分が発達障害であり、アスペルガー症候群(AS)とADHD(注意欠如・多動症、注意欠陥・多動性障害とも)の二つの要素を合わせもっているのだと気づいたとき、発達障害に特有の行動パターンを意識的に変えていくことで、対人トラブルを減らすことに成功したというのです。
アスペルガー症候群は生まれつきのものであるとされ、有効な治療法は確立されていないため、現在の治療の基本は、問診が中心で、その人に応じたさまざまな指導が行なわれるといいます。
たとえばアスペルガーの人は、段取りが悪かったり、時間管理が苦手だったりする場合があります。
そういう人は、TO DO リストを作ってスケジュール管理をすることで「苦手」を減らせます。
具体的には、
1. まず一日のタイムスケジュールを書き出して行動の流れを把握する。
2. さらに週間・月間の予定表を作って、今週やること、今月やることを確認しておく。
3. 毎朝、朝の十五分を利用して「今日やること」のリストを作るようにします。仕事なら、ミーティング、レポート提出、会議資料のコピー、商品サンプル確認、メールチェックなど、やることを(五~七点までと数を決めて)書き出します。
4. 今日やることリストに、「A」「B」「C」の優先順位をつけていきます。
「A」絶対に今日やること
「B」なるべく今日やること
「C」明日でも大丈夫なこと
5. 「A」が複数あるときは「A1」「A2」「A3」としてさらに優先順位を決める。
このように毎日するべきことを朝の15分でまとめることで、段取りよく行動できるようになるのだと言います。
また、発達障害であることは、必ずしも悪いことばかりではありません。
アスペルガーの人は、特定の物事への興味やこだわりが強く、集中力も高い場合があります。
こうした特徴を持つ人は、こだわりや集中力を活かして専門性の高い分野の仕事に向いている可能性があります。
発達障害のために起こっている「苦手」に対処する方法を身につけると同時に、自分の「得意」な分野を活かすような職業につくことで、あなたの「生きにくさ」を改善できる可能性が出てくるわけです。
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※東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について追記しました。
東大生ないし東大OGの「高学歴BL女性」と思われるみくさ (id:tomananaco)さんが書いた
・東大生強制わいせつ事件傍聴人が「彼女は頭が悪いから」を読んだから - 人生万事こじらせるべからず
という記事がとても面白かったので、その紹介をかねて、小説と現実の違い、知的エリートの心的貧困などについて書いてみようと思います。
東大生強制わいせつ事件とは? 姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か 「モテる東大生」というフィクションと、可哀想な東大生の現実 「東大生への下心」を嫌う東大生の蝶屈折心理 [追記 2018.12.15] 東大で行われた「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」について 東大生強制わいせつ事件とは? 2016年5月、5人の東大生が強制わいせつの疑いで逮捕されました。
5人は「誕生日研究会」という女性目当てのサークルの仲間で、そのうちの一人の部屋に被害者の女性を誘い、無理やり酒を飲ませて、わいせつ行為を行なったのです。
主犯格のエム1容疑者は、女性を全裸にした上で馬乗りになり、その状態でカップ麺を食べ、その具や汁を女性にかけて遊んだり、股間にドライヤーの熱風を当てるなどの暴行を加えたとされます。
被害者の女性は、共犯格のエム2容疑者と恋人関係だったことがあり、被害にあったときも、エム2容疑者とセックスフレンドの関係にあったようです。
何の罪もない女性をこうしてモノのように扱い、辱めることは、決して許されることではありませんが、こうした事件の背景にはどのような人間心理が隠されているのでしょうか。
姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」という小説 姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」(2018 文藝春秋)
という小説は、この東大生強制わいせつ事件を題材にしたフィクションです。
報道ではエム1容疑者の「鬼畜性」が全面に出され、「異常な東大生」がクローズアップされたのに対し、この小説では、
被害女性がエム2容疑者とセフレの関係にあったこと に焦点を当てることで、被害女性の心理に迫ります。
アマゾンの内容紹介では、
私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。
現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」!
横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。
被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。
「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる「事実を越えた真実」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。
この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。
となっています。
小説では「分かりやすい物語」にするために、加害者のエム2容疑者が被害者を「愛していた」という設定になっていますが、現実にはそのような事実はなかったようです。
その辺りを、みくさ (id:tomananaco)さんの記事で確認してみましょう。
エム1容疑者の派手な暴行より、エム2容疑者のサイコパス性が核心か この事件では、逮捕された5人のうち、2人は示談となり不起訴、エム1容疑者、エム2容疑者のほかに、部屋を貸したケイ容疑者が起訴され、この三人には一審で執行猶予付きの有罪判決が下りています。
裁判の傍聴もした上で、みくささんは三人について、
私の主観だけで言えば、エム2容疑者はサイコパスクズ男、エム1容疑者は際限を弁えずにやりすぎてしまったバカ、ケイ容疑者は家を貸しただけの善人に思えた。
(原文で実名になっている部分は仮名とした。以下同)
と書いています。そして、
確かに、エム1容疑者とは面識はほぼ初対面だったのであるが、被害者女性はメンバーの一人エム2容疑者に惚れていた。飲み会の最中、松本から「こいつ俺の女だから」という旨の発言をされても強く否定しなかったという。
エム2容疑者は、彼女からの好意には気づいていたが、それに応じる気が無かった。当時本命の恋人もいた。何より彼自身の特性としてサイコパス気味だった。
人間、自分の興味の無い相手からの好意はうっとうしいものだ。そして、自分に惚れこんだ相手は「都合のいい」存在になり、軽んじる。
だからエム2容疑者は、飲み会の盛り上げ役として、この都合のいい女を持ってきた。
と述べ、派手な暴行をした主犯格のエム1容疑者よりも、共犯格のエム2容疑者の「サイコパス性」がこの事件の核心にあることを強調しています。
そうして、被害者の女性は
勘違いした女でも、セカンドレイプされるべき対象でもない。どこまでも、ひとりの普通の人間だ。
と、彼女にはなんら責任がないことが、はっきりと述べられています。
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高知新聞の2018.08.17付けの記事
・高知県立大学で蔵書3万8000冊焼却 貴重な郷土本、絶版本多数|高知新聞
を見ると、高知県立大学が図書館の新設にともない、社会的に問題となるような「愚行」を行なったかのような印象を受けます。
ネット上には、この「愚行」を高らかに批判する人が、少なからず存在しました。
ところが実際には、この大量の図書処分に関して高知県立大学は、批判の余地はあるにしても、適切と呼びうる範囲の運営を行なっているようです。
この件について少し詳しくみた上で、「叩きやすいモノを叩くヒトたち」との付き合い方について考えてみましょう。
高知新聞の主張と、それに対する反論 「分かりやすい悪役を見つけた時はちょっと立ち止まった方がいい」 「叩きやすいモノを叩くヒトたち」とどう付き合えばいいか 高知新聞の主張と、それに対する反論 高知新聞によれば、
約3万8千冊に及ぶ図書や雑誌を焼却処分にしていたことが8月16日までに分かった。中には戦前の郷土関係の本をはじめ、現在は古書店でも入手が難しい絶版本、高値で取引されている本が多数含まれている。焼却せずに活用する方策をなぜ取らなかったのか、議論になりそうだ。
ということで、この記事を見る限り、
高知県立大学では適切な図書の管理がなされず、貴重な県民の財産が不用意に処分されてしまった、 という印象を受けます。
この件について、しんざきさんという方が、
・「考え無しに愚行を行う組織」という物語と、それに魅惑される人たち: 不倒城
という記事を書いており、高知県立大学側の説明も検討した上で、
(除却書籍の選択についての是非などで)批判の余地が全くないとまでは言えないが、大学図書館の業務としては普通に考えられる範疇であり、間違っても愚行とまでは言えない
という結論を出してらっしゃいます。
そして、
どうも、「組織は考えなしの愚行を行うもの」という先入観というか、「愚行を行う組織に対する強い攻撃意識」みたいなものがどっかにあって、高知新聞もそれを煽ることを狙ってああいう記事を書いたんじゃねえか、という感触があります。
ともおっしゃっています。
また、地方で10年以上古書店勤めをする閻魔堂さんという方は、
・高知大学蔵書の処分は適切だったのではないか|閻魔堂|note
という記事で、処分された書籍について詳しく検討した上で、
現在は古書店でも入手が難しい絶版本、高値で取引されている本が多数含まれている という高知新聞の主張に疑問を投げかけています。
さらに匿名で、
・高知県立大焚書記事問題を元大学図書館の人視点から
という記事を書き、図書館における蔵書の扱いを丁寧に解説してくださっている方もいます。
この方は、
高知新聞の記事見出しを見たとき、ツタヤ図書館的なことを
大学図書館がやるなんて世も末だなと衝撃受けたけど
記事読んだら通常業務してるだけじゃねーか!と二度びっくりした
と書いています。
そして、高知新聞は2018.08.22付けで ・プロセス入念に焼却 図書3万8000冊処分の高知県立大|高知新聞
という「訂正」といってもいい内容の記事を出すに至ります。
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ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイの創業者社長である前澤友作さんの記事、
・僕が考える世界を平和にする方法|前澤友作|note
がなんともユニークです。
僕が考える世界を平和にする方法は「世の中からお金をなくす」ことです。
(中略)
お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から人々が解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。
本来の人間らしさを取り戻すのです。
というのです。
この意見は「空想的な理想論」でしょうか。
それとも人を欺く「詐欺師の弁」でしょうか。
一抹の真実が含まれると思われる「お金をなくせば世界は平和になる」という意見について、少しばかり考えてみることにしましょう。
お金をなくしてしまったカンボジアのポル・ポト政権 「お金の副作用」をなくすためには、あなたの感じ方を変えればいい 世界を平和にすることはできなくても、自分の心を平穏にすることはできる お金をなくしてしまったカンボジアのポル・ポト政権 20世紀の社会主義国家はさまざまな「実験」を行ないましたが、カンボジアのポル・ボト政権が行なった「実験」の中には「通貨の廃止」も含まれていました。
ポル・ポトという特殊な例を元にして、「だからお金をなくしても平和にはならない」という一般論を引き出すことはできませんが、
「お金をなくせば平和になる」 と言えるほど簡単な話ではないことは、このことからも分かってもらえるでしょう。
前澤さんが言うとおり、
お金を増やす経済活動こそが、それを最優先しない国の人々にとっても正義なんだという押し付けのもと、戦争が仕掛けられ、人や建物がことごとく爆撃され、戦勝国にとって都合の良い再生が繰り返されてきました。
というような、「お金の副作用」というものは確かにあります。
けれども、強権的にお金をなくすことでは、こうした人間の「欲望」を抑え、そこから起こる「人類の不幸」をなくすことは、どうやらできそうにありません。
それでは「お金の副作用」をなくすには、どうしたらよいのでしょうか。
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「お金の副作用」をなくすためには、あなたの感じ方を変えればいい 実は前澤さんは、すでに答えを述べてらっしゃいます。
お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から人々が解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。
「お金の副作用」をなくすためには、
お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から解放されればいい だけのことなのです。
「でも、お金がないと生きていけないじゃない?」
とあなたは思うかもしれません。
けれども、考えてみてほしいのは、たとえば現在の日本では、社会保障の制度の中に「生活保護」というものがあり、事情によりお金を稼ぐことができない人でも最低限の収入は保障されていて、制度上は
「お金がないから死ぬ」 ということはありえません。
現実には、経済的な困窮のために命を落とすことが、わずかとはいえ存在することも事実です。
こうした方が亡くなるのは、制度を知らないことにもよりますが、困ったときでも「他人に頼ってはいけない」という
「洗脳的な固定観念」によるものだ と言ったら、言いすぎに感じるでしょうか。
こうした「洗脳的な固定観念」を、少しずつはずしていくことができれば、あなたは一歩いっぽ、「お金の副作用」を減らしていくことができるはずです。
あるいはこんな話はどうでしょうか。
ヤフーニュースで流れているプレジデント・オンラインの記事、
・通勤電車でバレる「幸福な人、不幸な人」(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
に200ほどのブックマークされているのですが、そこについたコメントが記事の内容と「スレ違い」まくっているところが興味深いので、「エビデンス重視」と「ストーリー重視」という価値観の違いに関連して、一言書いてみます。
「自己肯定感」の高さが、幸せな人と不幸な人を分けるってホント? - エビデンス・ゼロなんですけど...... プレジデント・オンラインの記事を書いたライターさんは、どなたですか? - でも、それにケチをつけているあなたの自己肯定感、大丈夫ですか!? 自己肯定感の大切さについて、一言 「自己肯定感」の高さが、幸せな人と不幸な人を分けるってホント? - エビデンス・ゼロなんですけど...... 記事で紹介されているのは、心理カウンセラーの大嶋信頼さんが書いた
『「自己肯定感」が低いあなたが、すぐ変わる方法』(2018 PHP研究所)
という本です。
大嶋さんは、
自己肯定感とは「自分で自分のことをOKだ!」と思えることであり、生活のあらゆる場面で意欲や幸福感に影響を与えます。
というのですが、ここでどうしてそのように言えるのかという「エビデンス」については一切触れないという、「文系」の本ではありがちなアプローチをとっています。
そして、「混雑した電車の中で、周りの人を観察する」というシチュエーションで、自己肯定感の低い人の実例がいくつか示されます。
まずは、
「偉そうな態度を取っている人」 です。
「偉そうに見える」から「自己肯定感が高いかも」と思ってしまいがちですが、自己肯定感が高い人は「俺はすごいんだぞ」という態度をする必要はないので、こういう人は「自己肯定感が低いのだ」と主張します。
ここでもエビデンスはゼロです。
以下、
「混雑している電車の中でもゲームに没頭できる人」は、「ゲームに没頭していなかったら、将来の不安とか人間関係の問題が次から次へと浮かんでくるから、何も見ないようにしている」のであり、やはり自己肯定感が低い、 「同僚のフォローができる人」は、「同僚のフォローの形を取って、自分のアピールをしてるだけ」だから、これも自己肯定感が低い、 という具合に、「主観」だけで、話を進めていきます。
自己肯定感が高い人についても同様で、
「自然体」でいられる人からは「不快感」を覚えないのですぐに興味を失ってしまうのだけれど、そういう人は「威嚇もしないし、ビクビク感もなく、過剰に何かに集中している必要もない」から、自己肯定感が高いのだと、「散文的」に結論づけて、この記事は終わってしまいます。 これでは「エビデンス重視」の人が
「この記事なんなの?」 と思ってしまうのも当然ですよね。
プレジデント・オンラインの記事を書いたライターさんは、どなたですか? - でも、それにケチをつけているあなたの自己肯定感、大丈夫ですか!? 上に見た通り、プレジデント・オンラインの紹介記事は、エビデンスの点からは内容ゼロですし、ストーリーの点から見ても、続きを読みたくなるようなものではありません。
(内容としては特別間違ってるとは思いませんけど)
この紹介記事を書いたライターさんは、たぶんまだ修行中の方なのでしょう、がんばってください、としか言いようがありません。
(と、初め思ったのですが、ライターさんは指定の場所をただリライトしただけなのかもしれません。その場合、エディターさんのセンスの問題ですね。沈みゆく出版業界で、目の回る日々を送ってらっしゃるのだろうとは思いますが、エディターさんもがんばってんださいねー。)
でも、問題はそこじゃないんです。
その記事にわざわざ否定的なコメントをつけていらっしゃるあなたの「自己肯定感の低さ」が気になってしまうじゃないですか。
(余計なお世話の話しであり、ぼく自身の自己肯定感の低さがなせるわざでしょうけれども :-)
大嶋さんにならって言わせてもらえば、
「ネット上で目についたダメな記事にわざわざ文句をつけるような人」 は、みずから「自己肯定感」の低さを宣伝しているようなものです。
あなたのような人こそ、大嶋さんの本を読んで「自己肯定感」を高めてほしい......
......と言いたくなるところなのですが、そういう「エビデンス重視」のあなたには、大嶋さんの本は向きそうにありません。
あなたにおすすめの本は、「分裂勘違い君劇場」でお馴染み、ふろむださんの
『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」できまっている』(2008 ダイヤモンド社)
です。
この本を読めば、自己肯定感なんて高めないでも、実力以上のあなたを演出できますし、なによりきちんとエビデンスつきですから、100%納得できること請け合いです。
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73年前の夏に無条件降伏という形で敗北を喫した対米戦争について、
極端な精神主義に落ち入った非合理的な軍部の暴走によって行われたもの、 というふうに考える人は多いに違いありません。
けれども、歴史的な資料を検討すると、精神主義的傾向の強かった陸軍においても、「秋丸機関」の報告書によって、圧倒的な経済力を持つアメリカを相手にした場合、その戦争に勝利することが極めて難しいことは、はっきりと理解されていたことが分かります。
にもかかわらず、軍部はなぜ対米戦という「非合理的で危険な賭け」に出ざるをえなかったのでしょうか。
この理由が、軍部の知性の欠如によるものではなく、人間の「自然な心理的傾向」によるものであることが、行動経済学のプロスペクト理論によって合理的に説明できます。
まずはプロスペクト理論について簡単に例を見てみましょう。
人は目先の損失を嫌って、損を挽回するために「危険な博打」を打つ 対米開戦時の2つの選択肢 - 戦わずして屈服するか、一か八かの賭けに出るか 対米開戦を選ぶように「仕組まれた」日本 「賢い」政策はどうすれば可能になるのか 人は目先の損失を嫌って、損を挽回するために「危険な博打」を打つ あなたが仕事でミスをして、3,000万円の損失を出してしまったとします。
このとき、ある取引先から「うまい話」を持ちかけられ、その取引がうまくいけば、3,000万円の利益が得られることが分かったとします。
ただし、3,000万円の利益が得られる確率は 20% で、80% の確率で逆に1,000万円の損失を重ねる可能性があります。
このとき、
A. 「うまい話」には乗らずに、損失の 3,000 万円を確定する。
B. 「うまい話」に乗る。
のうち、選択肢 B. を選ぶと損失の期待値は、
(3,000 万 - 3,000 万) x 80% + (3,000 万 + 1,000 万) x 80% = 3,200 万円
となって、A. の損失 3,000 万円を上回ってしまいます。
ですから、数学的な意味での合理的な判断としては、A. を選んで 3,000 万円の損失を確定したほうがいいのですが、心理学的な実験の結果から、多くの人は、現にある「目先の損失」3,000万円を嫌って、B. という危険なギャンブルを選んでしまうことが知られています。
これは必ずしも人間が「非合理的な思考」をしているということを意味するわけではなく、人間が自然界で生存するためには、このような判断基準が十分に「合理的」なものだったのだということも分かっています。
つまり多くの人間は、数学的な意味での合理的判断とは違う、「心理学的な合理性」の世界を生きていることになります。
対米開戦時の2つの選択肢 - 戦わずして屈服するか、一か八かの賭けに出るか 上で見た構図を対米開戦時の日本の状況に見ることができます。
a. 資金を凍結され、石油を禁輸された日本は、対米開戦しなければ「ジリ貧」になり、 2-3年後にはアメリカに屈服せざるを得ない。
b. 開戦した場合、強大な国力のアメリカに惨敗して「ドカ貧」になる可能性が高い。しかし確率は低いが、短期決戦で一定の勝利を得れば、アメリカに屈服しないですむかもしれない。
この場合、
「ジリ貧」や「ドカ貧」の内容をどの程度に見積もるか、 勝利を得る確率をどの程度と見るか によって、数学的に合理的な選択がどちらになるかは変わってきますが、プロスペクト理論の効果が働くため、どうしても b.
※ 参考記事 http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/08/17/190000
誰にでも苦い過去というものがある。
苦い過去の記憶を、苦いままに持ち続けて悪い理由もないのだが、その苦さに曇った結ぼれの記憶を、洗い浄めて水晶のように澄み切った結晶にすることもできる。
一度限りの人生を最大限に楽しむためには、苦労してでも知っておく価値のある命の技法だ。 この世に生まれ落ちて、誰かに頼らなければ生き延びることのできなかったぼくたちは、周りの価値観を手当たりしだいに飲み込まざるを得なかったのだし、そうやってエゴを育てることで、今のキミは創られてきたのだ。
けれどもエゴというものは奇妙な存在で、快楽を求めるがゆえに、不快な感覚にすら慣れ親しんで、そこからも快楽を得ようとする。
たとえば自己憐憫という甘い快楽だ。
どうしてあのときキミは、あんなことをしてしまったのだろう。
友だちのためを思って、優等生のキミは行動していたはずなのに、実際にはキミは友だちにウソをつき続けていたのだ。
友だちにだけではない、キミは自分にもウソをつき続けていたのだ。
だからキミはその友だちに「嘘つき」と呼ばれたときの、恥ずかしいような逃げ出したいような気持ちを忘れることができず、その気持ちを思い出しては自己憐憫に浸ることになる。
そうして、その自己憐憫を抱え続けている間は、キミは自分を欺く人生を生き続けるのだ。
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自己憐憫とは「偽りの自分」を甘やかし、「本当の現実」からキミの目を背けさせるための甘い誘惑だ。
一度限りの人生を心の底から楽しみたいのなら、そんな自己憐憫に浸っている暇はない。
過去の自分の罪悪感など、その気になればいつでも捨て去ることができる。
そのことをまず、キミは思い出さなければならない。
記憶というものは結局、脳神経に刻み込まれた動的で複雑怪奇なパターンにすぎない。
手品のようにそのパターンを、一瞬のうちに書き換えることはできないが、それを変えようとキミが本気で望むのならば、丸ごと捨て去ることだって不可能ではないのだ。
キミはまず、子どもだった自分が、自分を騙し、友だちを騙しながらも、ベストを尽くして生きてきたことを思い出さなければならない。
「子どもだったキミの限られた経験値の中では、あのとき自分に正直になった上で、友だちにも正直に接することはできなかったのだ」
という過去の現実を、罪悪感なしに客観的に見ることが、大人になったキミには可能だ。
「自分は嘘つきで友だちに責められるダメな人間だ」
という記憶を
「子どもだったぼくには嘘をつくことしかできなかったけれど、そこから学んだぼくはもう嘘をつく必要はない」
という新しい記憶に置き換えてやればいいのだ。
そのとき「嘘をついた自分」に「嘘つき」と言ってくれた友だちの姿は、光り輝く大切な記憶となって、キミの心の奥底にしまわれて、いつもキミに生きる力を与えてくれる存在になるだろう。
過去を書き換える方法を知らないキミは、今日も自分に嘘を言い続けている。
うんざりしながらも、他人に親切な振りをして、自分の心をすり減らし続けているのだ。
そうして自分にはこのやり方しかないのだと、自己憐憫の甘い快楽に浸り続ける。
けれども過去を書き換える方法が分かった以上、いつまでも昨日のやり方にしがみつく必要はない。
キミが他人に親切にするのは、誰かから押しつけられた価値観によってではなく、それがキミにとっても気持ちよいときだけにするのだ。
無意識のうちに取り入れてしまったルールを一つひとつ検討し、記憶と行動のパターンを再構成してやるのだ。
あせらずにできる範囲で、できるところから、自分の記憶を書き換え、自分の行動を置き換えていけばいい。
話としては簡単でも、実行はもちろん難しい。
満足できるところまで書き換えるのには、うんざりするような長い道のりが待っているかもしれない。
それでもキミは、今からその道のりを歩み始めるのだ。
自分の人生に納得できないのは、自分に嘘をつき続けてきたからだと、キミはもう知ってしまったのだから。
最高の人生を生きるためには、それ以外の道はないことに気づいてしまったのだから。
id:Vergil2010さんという、かなり「左がかった」方の
・天皇裕仁のワースト・オブ・ク○「思し召し」大会
という記事が1,100を超えるブックマークがついて話題沸騰中です。
そこで今日は、昭和天皇の戦争責任と、民主主義社会の実現にはどんな考え方が必要かを考えてみます。
結論としては、
昭和天皇には戦争責任があるし、 民主主義の実現には、罵り合いではなく、「熱い議論」が必要である、 という話になります。
昭和天皇の戦争責任が問われなかったのは、アメリカのご都合主義の賜物である 昭和天皇が「どのような発言をしていたのか」を知ることには意味がある 「罵り合い」によっては民主主義は実現されない 民主主義の実現のために必要な「熱い議論」について 追記: タイトルに関するお詫び 昭和天皇の戦争責任が問われなかったのは、アメリカのご都合主義の賜物である 昭和天皇は国家元首として太平洋戦争(ないし十五年戦争)を遂行したのですから、彼にその戦争責任があるのは当然のことです。
軍の上層部が情報を操作していたために、昭和天皇が十分に合理的な判断を下せなかったのは事実でしょうが、仮に彼が操り人形にすぎなかったとしても、法的な責任が彼にあるのは明らかです。
それが「どの程度の責任だったのか」は、戦勝国が法廷で裁くべきだったのであり、それを免責してしまったのは、アメリカのご都合主義としかいいようがありません。
昭和天皇が「どのような発言をしていたのか」を知ることには意味がある アメリカのご都合主義によって昭和天皇が免責されてしまったために、昭和天皇の責任というものを検証する機会が、実質的に奪われてしまったことは、戦後日本の民主主義にとって大変不幸なできごとだったと言えます。
このとき昭和天皇が、
「実際にどのような発言をしていたのか」 を知ることには大きな意味があります。
Vergil2010さんの記事は、「左寄り」の一方的な立場から都合よく編集したものにすぎませんが、多くの日本人が
「昭和天皇とはどんな人物なのか」を知らない という現実を考えれば、こうした片寄った記事にも一定の価値は認められます。
それが「極端な意見」であることに気づいた上で読めば、
「昭和天皇が、いかに世間離れしており、今の時代感覚では理解できない意識の持ち主か」 ということを知る上では、確かに役に立つものだからです。
「罵り合い」によっては民主主義は実現されない Vergil2010さんの記事の最大の問題点は、事実を述べる形を取ってはいるものの、そこに「『敵』を罵倒する意図」が見え隠れするところにあります。
昭和天皇裕仁のク○な「思し召し」
(罵倒語の伏字化は引用者による)
というような表現は、「民主主義社会の実現を望む人間」が使うものではありえません。
現在の間接民主制の根本的な問題の一つは、
「敵を罵ることで、見方の支持を得る」 というやり方にこそあるのではないでしょうか?
世界中に蔓延しているそうしたやり方は、本来は手をつなぐべき人間同士を、パワーゲームの駒としていたずらに分断するだけであり、民主社会の実現のためにはまったく有害な方法であると思われます。
「天皇ヒロヒト」というような記号化された存在に、「民衆の憎悪」をぶつけるように導く言動を行なうことは、カビの生えた「民衆扇動法」に過ぎず、民主主義とはなんの関係もない、ただのパワーゲーム的戦略でしかありません。
苗字も、職業選択の自由も持たずに生きた、「一人の人間」としての裕仁さんの「苦悩や悲哀」というものについて理解することなく、彼の愚かさや醜さだけを言い立てるのは、戦争の歴史を振り返るためにも、彼の戦争責任を考えるためにも、ほとんど役に立たないものでしょう。
Vergil2010さんが、今のニッポンの「全体主義化」を憂いているのであれば、こうした点について、ぜひともご一考を願いたいところです。
民主主義の実現のために必要な「熱い議論」について 民主主義の実現のためには、「罵り合い」は必要ありません。
かといって、冷静な議論だけでも、民主社会は実現しません。
なぜなら、頭のいい人間が、議論や情報操作によって大衆を操作するのが資本主義社会の方法であり、それを乗り越えていくためには、人の気持ちに訴えていく方法論が必要だからです。
人の気持ちに訴えかける「熱い議論」というものが、現代のような状況の中で、どのように可能なのかは、ぼくにも分かりません。
けれども、インド独立の立役者であるマハトマ・ガンジーを始めとして、参考にするべき人物や方法論は、歴史の中にたくさん埋もれていることでしょう。
Vergil2010さんの記事自体は、賞味期限切れに思える「左翼的文脈」の中にとどまるものとは思いますが、それを読んだ人の中から「熱い議論」が生まれてくることを期待します。
この記事を書くきっかけを与えていただいたVergil2010さんには、深く感謝いたします。
てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬
追記: タイトルに関するお詫び タイトルに伏字とは言え「ア○ウ」という言葉を使っていることについて、あらかじめお詫びしておきます。
「強い言葉を使って注意を喚起する」という以上の意図はないのですが、一部の方が不愉快に思われるだろう言葉をわざわざ使っているのは不徳の至りであります。