あなたはなぜ「人生詰んだ」と思っているのでしょうか? どうして「もう自分の人生は終わりだ」と感じるのですか。 あなたが莫大な借金を抱えていたとしても、健康を失い寝たきりになってしまったのだとしても、あるいは人間関係に悩み、社会に絶望しているのだとしても、実はそれは「人生の終わり」ではなくて、 「再出発のチャンス」なのだ と聞いたら、「何をアホなことを言ってるんだ」と思うでしょうか。 人生に絶望してますか? 刑務所行きになったからって人生が終わるわけじゃない 医者に「あとひと月の命です」と言われたら? 具体的な方法・その1、日本を離れる。 具体的な方法・その2、生活保護を受ける。 「何を言われても、そんなの聞いてる余裕なんかないんだよ!」というあなたに。 最後にぼくのこと。五十も過ぎてふらふらしてても、なんとかなる。 人生に絶望してますか? あなたが「人生に深く絶望している」、その気持ちを否定するわけではありません。 「人生詰んだ」と思うからには、自分の人生はもうダメだ、もうどうにも打つ手がない、と感じるあなたの気持ちに嘘はないでしょう。 けれども、どんなにヒドイ状況であっても、例え医者に「余命はひと月です」と宣告された場合であっても、その状況を「人生の終わり」と思うか、「新たな再出発」と思うかは、 あなたの「考え」次第なのだ、 ということに気づいてほしいのです。 刑務所行きになったからって人生が終わるわけじゃない たとえば、ホリエモン氏のことを考えてみましょう。急成長したIT企業ライブドアの社長だった堀江貴文氏は、その絶頂期に証券取引法違反で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けました。 普通の人なら、実刑判決を受けた時点で「人生詰んだ」と思うに違いありません。 けれども彼は、まさにそれを「人生の再出発」と捉えていたはずです。 刑務所に入ることは恥にはなっても、決してほめられることではないはずなのに、その直前に秋葉原で壮行会を行ない、モヒカン刈りに go to jail (刑務所に行け) という出で立ちで現れました。そして刑務所暮らしを有料メルマガで配信し、日本一の登録者数を誇ったというのですから、見方によってはあきれるしかありません。 二年弱の刑務所生活を模範囚として終え、出所してからも自由に生きる彼の姿には共感する人も多いでしょう。 ホリエモン氏のような例は、特殊な才能を持つ、有名人だからこそ可能なのだ、とあなたは思うでしょうか? 確かに彼には「特殊な才能」があるとぼくも思います。けれどもそれは「お金を稼ぐノウハウ」とかそういうことではありません。 彼が持っているのは「常識にしばられず、自由にものを考える」という才能です。 絶体絶命のピンチの状況にあっても、そこに活路を見出すだけの「自由な視点」を持つことができれば、「人生詰んだ」などと思う必要はないのです。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 医者に「あとひと月の命です」と言われたら? もうひとつ、こんな例はどうでしょうか。 あなたが体調を崩し、医者にかかったとしましょう。 すると医者は顔色を変えて、すぐに入院して検査をする必要があると言います。そして入院して精密検査をした結果の医師の言葉が 「あとひと月、持つかどうか……」 というものだったとしたら――。 現実にこのように余命宣告を受ける人は、年齢に関係なくいるのですし、確かにこのような宣告を受けた人の多くは、医者の見立てに近い期間でなくなっているはずです。 けれども中には、余命を越えて生きる人もいますし、その中には完全に回復して元気に生き続ける人すらいるのです。

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今日は、ゆきにーさんの ・【質問への回答】ある程度は数字を気にしてもいいけど、ブログは好きなこと書けば良いんですよ。 - 超メモ帳(Web式)@復活 という記事からお題をいただきつつ、 「なぜネット上で文章を書くのか」 という言い尽くされた感があるけれども、語れば尽きることのない定番の話題について、新年らしくつれづれに書きます。 閲覧数についてゆきにーに質問したのはわたしでーす。 ゆきにーの実直で暖かい言葉に打たれました。 で、のんくら本です。閲覧数を上げるための基礎トレーニングでもしましょうか。 無駄に長いオレのブログ歴に、今年こそ磨きをかけて輝く宝石にするぞ! 突然ですが、沖縄そばと沖縄移住計画もどきの話です。 これがはてなブログ執筆における今年の課題3つです。 閲覧数についてゆきにーに質問したのはわたしでーす。 今日はゆきにーの記事にぼわんと影響を受けて、つれづれモード前回で書きます。 きっかけは、ゆきにーの ・一人で統合失調症のイメージ変えようなどと考えてたりしてたけどどうしようもない。 - 超メモ帳(Web式)@復活 という記事でした。 統合失調症という偏見がつきまとう「病気」をわずらうゆきにーが、その「病気」への偏見、メディアの扱いの偏りについて、淡々と気持ちを書いてらっしゃいます。 その中に、ブログ村の統失カテゴリーの話が出てきて、そこからの閲覧数は多くはないんだけど、量よりも質を大切にしているのだけど、順位が下がっているので今後どうしようか、という話がありました。 そこで、読者数400名を超える中堅どころのはてなユーザであるゆきにーに、「閲覧数などについて質問してみたい!」との思いがむくむくと湧き起こり、 閲覧数はどのくらいあるの? 閲覧数、気にしてますか? 閲覧元はどこが多いですか? と聞いてみたわけです。 ゆきにーの実直で暖かい言葉に打たれました。 すると早速お返事があり、 閲覧数は、ピーク時には30,000ほどあったが、12月は18,000ほど。 閲覧元の60%は検索流入。 「雑記ブログでは安定した定期的な更新頻度が重要」、「アナリティクスでどの記事が読まれてるか、検索ワードは何かのチェックはしているが、それで書く内容は変えない」 とのことでした。 こんなふうに箇条書きにしちゃうと味気なくなってしまいますが、これを答えてくださるゆきにーの言葉の調子が、落ち着いていて暖かみがあって、とてもいいんですよね。 少し引用させてもらいましょう。 ブログでは多くの人々の読まれるよりは、むしろリピーターを増やしていくのを心がけるのが肝心じゃないか?と思われます。のんくら本ではリピート率70%まで増やせ、と書いてありますけど、それぐらいまでリピート率を増やすとGoogleのアルゴリズム変動があっても安定したPV数が稼げます。そのためには雑記ブログでは安定した定期的な更新頻度なんかが重要じゃないかなーとは思いますね。 ぼくにはなかなか真似できないのですが、「少しでもそういう味わいを取り入れていく」というのが今年の課題の一つになります。 で、のんくら本です。閲覧数を上げるための基礎トレーニングでもしましょうか。 ぼくはネット界隈の事情にはうといもので、今回はじめてのんくらさんを知りました。 ゆきにーさんが、迷える子羊のわたしめに、 ☆のんくら(早川 修) さんの「Google AdSense マネタイズの教科書[完全版]」(ソフトカバー、2018/11) を紹介してくださったのです。 出版元の日本実業出版社の紹介ページで、のんくらさんはこんな風に語っています。 私が10年以上サイト運営に取り組んできた中で気づいたことは、自分本位でなく常にユーザーを中心に物事を考えることができていれば、たとえ時間がかかったとしてもGoogleから高い評価を必ず得られるということです。 短期で稼ごうとするサイトほどGoogleに嫌われる – 日本実業出版社 「ユーザ中心に考えれば、必ずgoogleから高評価を得られる」かというと、これはちょっと違うかなという気もします。というのは、googleと言えども、やっぱり営利企業ですから、大手のスポンサーの意向には配慮してるはずですし、実のところ各国政府の意向にも配慮しているはずです。 とはいえ、 ユーザは何を求めて検索しているのか、 googleはユーザに何を提供しようとしているのか、 という二点については、 「やっぱ日頃から意識しておいたほうがいいよな」 と改めて感じます。 一方、ゆきにーがのんくら本に注目しているのはこれとは真逆の部分で、 リピート率を70%まで上げる という話です。 ゆきにーはアクセス元の60%が検索流入ということなので、「リピート70%」はかなり高い目標ですよね。そもそものんくら本は、雑記型でなく、特化型のブログ向けの内容ですし。 そしてねこの60%検索流入って、ぼくからすると断然リピート率高く見えます。ぼくのブログは、ほっとくとすぐ90%以上が検索からになっちゃいますので。 ゆきにーおすすめの「安定した定期的な更新頻度」、これを大いに心がけたいところです。 さっき確認して感心しましたが、ゆきにーは昨年、一昨年とほぼ毎日更新してらっしゃるようです。すごい。 絶対ぼくには真似できません。 てゆーか、おととし本格稼働したこのブログ、初年119本、二年目87本しか書いてません。 しかも、まったく定期的じゃなくて、気分が乗ったときだけ。 なんだかんだで、それなりに閲覧数も増えてきたので、それはそれでよしとしますが、今年は少し趣向を変えて、週2本の更新を目標にしたいと思います。記事数は変わらなくても、定期更新のほうが読者のみなさまには親しみを持っていただけるかと思いますので。 というわけで、のんくら本についてはほとんど書けませんけれども、ただ煽るだけじゃない、しっかりした本であることは、各種書評からもびしびし伝わってきますので、今度日本に帰ったら購入してじっくり読むことにします。

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いつもながらに話題作りのうまいキンコン西野氏が、11月に発売した新著を12月19日に早速ネット上で公開しました。 ・11月発売&絶賛ヒット中のビジネス書『新世界』を全ページ無料公開します(西野亮廣)|新R25 - 20代ビジネスパーソンのバイブル 今までの著書と同じく、とってもおもしろい本ですので、スマホやパソコンでささっと目を通すもよし、書店やアマゾンで購入してじっくり線を引きながら読むもよし、ご自分に合った方法で楽しんでいただけたらと思いますが、「そこまでする時間はないよ」という皆さんのために、この記事では「新世界」の概要をご紹介したいと思います。 「大丈夫、行けるよ」 キンコン西野が経験した「苦難と成功」 新しい挑戦とさらなる苦難の道 「大丈夫、行けるよ」 r25.jp 上の「新世界」のページを開くと、記事タイトルの上に小さめの赤い字で 「大丈夫、行けるよ」 という西野さんの呼びかけのメッセージが書いてあります。 この言葉に「新世界」という本に込められた西野さんの気持ちが詰まっているのを感じます。 今の世の中、正直に言って息苦しいとは思いませんか? 株や仮想通貨で誰かが儲けているような景気のいい話をメディアで見聞きする機会はあっても、自分の周りではそんな浮ついた話は聞いたことがありません。 ごく一部の人たちが儲けているのを遠目に見ながら、一般人のぼくたちは、一生懸命働いても稼ぎはたかが知れてるし、仕事につけずに悩むものも多い。 かといって会社に見切りをつけて起業ができるかといえば、それもどこか遠くの世界の話で、ほとんどの皆さんが現状に我慢して、なんとか毎日を過ごしている、そんな姿が目に浮かびます。 そこに西野さんという溢れるエネルギーを持つ青年が、 「大丈夫、行けるよ」 と、あなたの肩をぽんと叩いて、今とは違う新しい可能性を教えてくれるのがこの本、「新世界」なのです。 キンコン西野が経験した「苦難と成功」 西野さんは高校を卒業すると兵庫の田舎街をあとにして、大阪の「新世界」、家賃4万円の部屋で一人暮らしを始めます。 吉本の養成所で出会った梶原雄太氏とコンビを組み、死物狂いの努力をします。そして頭角を表し、20歳の頃には東京で「はねるのトびら」という深夜番組にメインとしてレギュラー出演するまでになります。 けれども、このスピード出世が仇になって、秒刻みのスケジュールと、期待に答えられないための批判の声がストレスとなり、相棒の梶原さんは精神に失調をきたし、失踪してしまいます。 マネジャと話し合って、一人では活動をせず、自宅待機をすることに決めた西野さんは、梶原さんの復帰を待ちながら、自宅でネタを書き続けます。梶原さんはいつ戻ってくるのか、本当に戻ってこれるのか、不安にかられながらも、彼は待ったのです。 そして三ヶ月、復帰した梶原さんとともに西野さんは活動を再開し、自宅待機中の経験を肥やしにして活躍します。 「はねるのトびら」はゴールデンタイムに進出し、日本一の視聴率を取るまでになります。 25歳のときのことでした。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 新しい挑戦とさらなる苦難の道 けれども西野さんは、その「売れっ子芸人」の地位に満足しませんでした。 西野さんはこう書いています。 ボクは、「どうして今の自分に、芸能界のトップを走る先輩方を追い抜く気配が備わっていないのか?」を考えてみることにした。 そしてそれは、先輩方の敷いたレールに乗って走っているからなのだと気がつきます。 西野さんは「新しいレールを敷く」という大胆な挑戦を始めます。 すると周りからは大バッシングの嵐が巻き起こります。新たな苦難の始まりです。 ここで西野さんは読者に語りかけます。 「キミは今どこにいる? 一歩踏み出したいけど、踏み出せない? 変わりたいけど、変われない? 一歩踏み出したら、ぼこぼこに殴られるんだもんね、怖いよね。

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☆ロックでカッコよかったアベマが「ゴシップとフェイクニュースにまみれた」凡庸なメディアに「成り上がった」経緯がこれです。 この記事では、プロ奢ラレヤーこと中島太一氏(多分21歳)の 「働かないで生きる人生」 を紹介するとともに、彼がなぜアベマのアイドルキャスターに 噛みつかざるを得なかったか を、この事件の当事者双方を傷つけることなくお伝えします。 なお、簡単に経緯をまとめますと、 プロ奢氏の生き方に「当てられた」キャスター氏が番組中泣いてしまい、 プロ奢氏はそれに淡々と対応していたために、「逆恨み」を買い、 その結果「いやらしい」質問をされたプロ奢氏がキャスター氏に噛みついた、 また、キャスター氏はその他にも番組中で事実と異なる説明をしており、 プロ奢氏は、そのような内容を放送するアベマを「フェイクニュースを流している」といって批判、 結論としては、この事件の「責任」はお二人にではなく、アベマtvにある ということになります。 プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? アベマでのアイドルキャスターとの因縁の出会い。なぜプロ奢氏は彼女を泣かせてしまったのか? 大晦日のリターンマッチ。キャスター氏の「反則技」からプロ奢氏も場外乱闘へ。 プロ奢ラレヤーこと中島太一氏って何者? ここではプロ奢さんについて、簡潔に紹介します。 中学二年のとき、友だちが亡くなったことをきっかけに、彼は「生きるとは何か」を考えるようになります。(中二病そのものですね!) 彼は「『何か』を残さなきゃ」生きていることにならないと思って、それが何なのかを考え続けました。 大学進学半年で彼は、その問いに一つの答えを見つけます。 それは、未知でした。 私のいままでの「なにか」は、いつも未知の世界にありました。わからないことを思い切ってやってみると、なんだか、いまを生きている心地がしたのです。友人や初対面の人たちに、いままでの私の人生について尋ねられ、意識的に記憶を振り返ってみたときに思い出す「こと」は、いつもその瞬間に生きた心地のしていた「こと」でした。 わからないこと。生きた心地。 それが私の、「なにか」になるのかもしれない。 もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note そうして彼は大学をやめ、「未知」を生きるために、5,000円の寝袋とコンビニで買い占めたホッカイロと現金3万円を持って、冬のプラハに旅立ちます。 英語もロクに話せず、現地の言葉はまったく分からない。そんな彼が零下20度にもなる冬のプラハでの三ヶ月を、どうやって生き延びたのか……。 とにかく彼は三ヶ月を過ごしたチェコをあとにして、元気に日本に帰ってきます。しかもスロヴァキアの姉さん女房までお持ち帰りして。 帰国後 VALU と出会った彼は、そこを舞台に大活躍します。 https://valu.is は個人が会社のように「資金調達」できるようにするサービスで、彼はここで「自分の生き方」をお金に変える方法を学び、のちにそれが「奢られて生きる」という、プロ奢ラレヤーの誕生につながるわけです。 窮屈な日本社会で、 働くのが苦手な若者が、 軽々と自分らしく生きる。 この3つの要素によって、プロ奢さんが今ネット上で静かに熱いブームを作り出している理由を説明することができるでしょう。 ここまで読んでプロ奢氏に興味を持たれた方は、彼が書いた次の2つの記事を読むと、「うーむ」とうなること請け合いです。 ・もう怒ったぞ。全部タダで見せてやる。|プロ奢ラレヤー|note ・「6カ月でフォロワー2万人を獲得した ツイッター戦略」|プロ奢ラレヤー|note ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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この記事では「東大卒」という烙印が、人生にどんな影響を与えるかを、主に負の側面から、特に文系女性の場合において考察します。 「『東大生』というと人間扱いされない!」という、ぼくの男友だちの悲痛な叫び 東大卒文系、一般企業就職の女性が受ける「受難」の日々 東大卒、文系、一般企業就職の女性をどうすれば「地獄」から救えるのか? 「『東大生』というと人間扱いされない!」という、ぼくの男友だちの悲痛な叫び まずは個人的な話から入りましょう。 ぼくは東京の人間で、私立の中高一貫制の男子校を卒業して、1980年代の半ばに大学生活を送りました。 そのときの同級生で東大卒の友だちが何人かいますが、ぼく自身はそんなに勉強はできなかったので、別の国立理系大学に進学しました。 大学時代も高校からの友だちとつき合いを続け、よく酒を飲みましたが、その中に、仲間のうちでも一番頭のよい、そして感受性も人一倍強い奴がいました。そいつは東大で数学を専攻していました。 彼は酒の席で、同じ店にいる見知らぬ人とも平気で喋る、ちょっと変わった奴だったのですが、その彼があるときこう言ったのです。 「『東大生』だと分かると、人間扱いしてもらえないから、酒の席で見知らぬ人と喋るときは、『千葉大に通ってる』と話すことにしている」のだと。 当時のぼくは彼が少し過敏すぎると思っていたので、そんなことまでしているとは「こいつはホントに変わった奴だな」くらいにしか思わなかったのですが、今となれば、感受性の強い彼が、実際の経験から相手の反応をよく確かめた上で、「実質のある」会話をするためにはそうせざるをえないと考え、わざわざそのような手の込んだフェイクを使っていたのだな、ということがよく分かります。 つまり、世間一般の人間というのは、それほどまでに「東大生・東大卒」というものを 恐れ、敬い、軽蔑し、バカにしている ということです。 こんなふうに書いても、そうした経験のないみなさんにはにわかには信じがたいことかもしれません。 現役の東大生が書いた ・東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note - (1) tonoike という記事や、東大卒の20代女性が書いた ・それでも世の人は、東大を舐めずにはいられない|桂|note - (2) 桂 という記事を読んでいただければ、 東大生の特殊性と、 それに対する周りの人たちの特別な反応について、 いくぶんかは納得していただけるのではないかと思います。 東大卒文系、一般企業就職の女性が受ける「受難」の日々 次に上に挙げた (1) の桂さんの記事から引用して、東大卒の女性が社会において受ける「差別」のひどさと、その錯覚資産*1ならぬ錯覚負債について少し見ることにしましょう。 まず、桂さんの子ども時代の経験から、彼女がいかに精神的に「虐待」され、屈折した「エリート意識」を持っているかを確認します。 私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。 「謎の強迫観念」と冗談めかして書いていますが、「起きている時間はずっと勉強」をしているとは、「ほとんど病気」としかいいようがありません。 この方はこのような「地獄」を切り抜けられて、現在は健康に過ごされているようですが、 一歩間違えれば人生が破滅しかねないレベルのストレスを受けていた といっても言いすぎではないでしょう。 この「苦痛を乗り越えた」という実感が、「屈折したエリート意識」につながります。 新入社員として自己紹介をし、学校を聞かれて「東大」と言った瞬間、周りの人の目から光が消えたのを覚えています。 「まあ、仕事には勉強は関係ないからね」 東大、と言ったそのすぐ後に、その場にいた一番偉い役職者の方が仰いました。私は「東大だから仕事ができます」のようなことは一切口にしていません。ただ、学校を聞かれたから、東大です、と事実を答えただけでした。 その場にいた一番偉い人がそんなこと言うもんだから、周りの先輩がたも次々に同調しました。「仕事は人と人との関わりですからね、勉強できることは関係ない」「ですよねー、俺の同期の高学歴のやつも全然営業できなくて」「経験の方が大事ですよね」・・・。私は、東大卒というプロフィールを持っているだけで、なぜこんなに怒られているんだろう、そういう違和感をその時、初めて抱きました。 ここまでは、世間を知らなかったお嬢様が、初めて現実世界の冷たい風に晒されたときの実感が、実に率直に述べられています。 私は一般企業に入社して最初の一年、東大を卒業したことを心底後悔しました。 大学名を聞かれ、言った瞬間に構えられる。 マウントを取っていないのに逆にマウンティングされる。 人より苦手なことがあると、人の数倍バカにされる。 東大を出て、一般企業でいいことなんて何もなかったです。 この最後の一文に、彼女の「屈折したエリート意識」が見え隠れしています。 つまり、 「東大を出たのだから、一般企業でもいいことがたくさんあると思っていたのに、こんな目に合うのはおかしい。みんなはもっと自分の優秀さを認めてくれていいはずだ」 という 「虐待」されて育った 可哀想な「子ども」の 悲しい「自意識」が見て取れる ということです。 これを「エリート意識」という言葉で説明するのは、少し誤解を招くところかもしれませんが、うまい言葉が思いつきませんもので、「屈折したエリート意識」とさせていただきました。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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現役の東大生がご自分の受験の経験を書いた記事がネットの片隅で話題になっています。 ・東大を舐めている全ての人達へ|tonoike19950604|note 今日はこちらの記事を題材に、わたしたちが 東大に対して抱(いだ)く幻想と錯覚について 少しばかり考えることにします。 平均してみれば、東大生は頭はいいものの、あなたやわたしと変わらない、 利己的かつ偽善的で、欺瞞に満ちた愛すべき愚者である というのが一つの結論です。 なお、これは上にあげた記事を書いたtonoike氏がそのような人間であるといっているわけではありません。氏はむしろ、率直で自分の限界を心得た、極めて謙虚な人物であると感じます。 東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 東大を「舐めている」人たちへの伝言 - どんどん「舐めて」やってください 東大お受験狂騒曲 - ぶんなぐられながら勉強する子どもたち 「これはまったくヒドイことになっているな」 というのが、tonoike氏の中学受験の体験談を読んで真っ先に浮かんだ感想です。 母親がPS2を餌に子どもに勉強をさせる。 「そんなやり方はやめといたほうがいいのに」とこのことについても思いますが、それは序の口です。 子どもが勉強をするまでつきっ切りで干渉し、あげくの果てには手を上げてまで勉強を強要する。 それでも子どもがやらないと父親まで動員して暴力を振るわさせるとは、 このお母さんは気が狂ってるのだろうか、 と正直ぼくは思いました。 けれども、それを書いている東大生のご本人は、そのときは地獄だったけれども、「今は家族関係は良好だ」というし、「そんな程度の話は周りでいくらでもあるんだ」というのですから、このお母さんがおかしいというわけではなく、日本の社会そのものが「異常」であるというべきか、あるいは、 人間自体が「標準」を常に逸脱し続ける「異常」な存在なのである、 とでも考えるしかないのでしょう。 けれども、世のお母さんにここで一つだけ考えていただきたいのは、 暴力を使うかどうかに限らず、子どもの意志をねじ曲げてまで勉強させようとすれば、あなたの大切な子どもが死んでしまう場合だってある、 という冷酷な事実です。 tonoike氏が書いている 部活を親が半ば強制的にやめさせようとしたら人生の方をやめてしまった人もいました。 というのは、ぼくの読み間違いでなければ、彼のごく身近にもそのような形で亡くなった方がいるということですよね。 あるいはしばらく前に社会的な大問題にまでなった「電通過労死事件」についてはどうでしょうか。 東大卒の女性が「過労死」したあの事件も、見方を変えれば、お母さんがわが娘を「殺してしまった」事件なのだと見ることはできないでしょうか? これは娘の死に関して、お母さんに責任があると言っているわけではありません。 お母さんの期待に答えて、一所懸命に勉強して東大に入り、世間知らずだったために電通という「魑魅魍魎」の会社に入社してしまい、嫌ならやめればいいだけなのに、「よい子」でいなければならないので会社をやめることもできずに「死んでしまった」彼女に、期待をかけすぎ、その自由をしばってしまっていたのはお母さんなのではないのか、という推測にもとづく仮説を述べているだけのことです。 彼女がお母さんを思っての言葉を残して亡くなっているだけに何とも不憫ですし、このような形で娘に先立たれたお母さんの気持ちを考えると言葉もありませんが、もしも彼女とお母さんとの関係が、もう少しだけ素直に気持ちのやりとりができるものだったならばと考えると、本当に心が痛むのです。 もし、これを読んでくださっているみなさんの周りで、自分の子どもに勉強を無理強いしているのではないかと思われるような親御さんがいらっしゃったら、どうかそのお子さんに声をかけてあげてはいただけないでしょうか。 そういう親御さんに考えを改めてもらうことは非常に難しいと思いますが、お子さんに暖かい理解の言葉をかけることは、そのお子さんの苦しい心情を救う大きな力になりえます。 うまく声をかけられなくても、気をかけてあげ、微笑んであげるだけでもお子さんにとっては力になるでしょう。 「東大」に行かさせられるために、肉体的、精神的な虐待を受けるなどということは、極めて特殊な事例ではありますが、言われない苦痛を受ける子どもたちが少しでも楽に生きられるようにと願ってやみません。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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「.」 (ピリオド あるいはドット) で始まるファイルの作成で困ったことはありませんか? (この記事ではドットファイルと呼ぶことにします) ・[:title] という記事を見ていたら、 macの人はvi が使えないとドットファイルの編集で困る ということなので、どんなエディターを使っていてもできるlinux/unixらしい簡単なやり方を書いておきます。 (けどこれってほんとですか? ほんとならmac os ってかなり変態的....) 普段使っているエディタでドットファイルが編集できない場合は、cp コマンドを使ってひと手間かけるだけで、簡単に編集作業が行なえるという話です。 ※ターミナル/シェルが使える方が対象です。 .bashrc の作り方、編集の仕方 .bash_profile を編集する方法 まとめ .bashrc の作り方、編集の仕方 1. ホームディレクトリで、お好みのエディタで edit.bashrc というファイルを作成する。(edit の部分は好みで変更可) 2. シェルに cp edit.bashrc .bashrc と打ち込んで、edit.bashrc を .bashrc にコピーする。 これだけです。 次に編集するときは、1. が作成でなく編集になるだけです。 ☆確認するには ls -a .bashrc とします。 ☆ドットファイルは隠しファイルになっているため -a オプションをつけないと表示されません。 .bash_profile を編集する方法 0. シェルに cp .bash_profile edit.bash_profile と打ち込んで .bash_profile の中身を edit.bash_profile という名前のファイルにコピー。 1. お好みのエディターで edit.bash_profile を編集。 2. シェルに cp edit.bash_profile .bash_profile と打ち込んで、edit.

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マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想に興味のあるあなたに朗報です。 瞑想って実はとっても簡単で、しかも効果抜群なんです。 なにしろ、 気が向いたときに「鼻から三回深呼吸する」、 たったこれだけのことを続けていけばいいんですから。 簡単すぎて、信じられませんか? それではもう少し詳しく見ていくことにしましょう。 ※なお、この記事ではマインドフルネスもヴィパッサナーも含めてすべて瞑想と呼ぶことにします。 なぜ鼻で三回深呼吸するだけで、頭がすっきりするのか? 判断せずに今を受け入れる。瞑想の長期的な目標は「好き嫌い」をなくすこと。 「好き嫌い」がなくなったら、人生味気なくない? なぜ鼻で三回深呼吸するだけで、頭がすっきりするのか? 瞑想の効果にはいろいろなものがありますが、たとえば、 頭がスッキリする、 頭の回転がよくなる、 気持ちが落ち着く、 自分に自信が持てるようになる、 といったことが挙げられます。 どうしてこういう効果があるかというと、 頭の中を空っぽにすることで、 悩みごとが少なくなり、 余計なことに頭を使わなくてすむようになるから なんですね。 悩みごと、考えごとが減れば、頭はスッキリし、スッキリした頭は回転もよくなります。 頭がスッキリすれば、気持ちも落ち着くし、気持ちが落ち着けば、自分に自信が持てるようになるわけです。 それで、実際の瞑想のやり方ですが、 鼻から胸いっぱいに、ゆっくりと息を吸う、 同じくゆっくりと長く、全部の息を鼻から吐き出す、 このとき吸っている息と吐いている息に意識を集中する、 これを三回繰り返す、 というだけの簡単なものです。 (できれば吸う息も吐く息も鼻からがいいのですが、やりにくければ、吐く息は口からでもかまいませんし、鼻が詰まってしょうがないときは口からでもいいでしょう) 3番目の吸う息と吐く息に意識を集中する、というところが大切です。 何か考えごとをしながら呼吸をするのではなく、 鼻の穴を入っていく空気は冷たいか、 鼻からのどを通って肺にまで入っていく空気が感じられるか、 肩や胸、お腹はどんなふうに動いているか といった自分の体の感覚や動きをよく意識して観察してみてください。 こうして意識を今自分の体に起こっていることに向けることで、頭を空っぽにして、心と体のバランスを取り直すことが可能になります。 わたしたちは過去を思い悩み、未来を心配することで、知らず知らずのうちに頭を使いすぎてしまい、体も緊張して、リラックスできない状態になっています。 体には本来、自分の元気を回復させるための仕組みがあるのですが、緊張しすぎるとその仕組みがうまく働かなくなってしまいます。 三回深呼吸の瞑想によって頭を空っぽにしてやることで、体が本来持っている元気を回復させるためのプロセスを活性化してやれば、心と体のバランスも自然に回復することになるのです。 気がついたときに三回の深呼吸をするだけでも、それが一週間、二週間、そして、ひと月、ふた月と経っていくうちには、瞑想の効果がはっきりと感じ取れるようになるでしょう。 また、余裕があれば、三回に限らず、時間の許す限り何回でもやってみるとさらに効果が上がります。5分から15分もすると、かなりはっきりと心が落ち着くのが分かってくるはずですし、1回30分から1時間程度を自然にできるようになれば、あなたはすでに瞑想の中級コースに足を踏み入れたことになります。 無理をせず自分のペースで、瞑想を楽しんでみてください。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

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グーグルが研修プログラムとして採用したため、現代のアメリカのビジネス界で非常に有用視されるようになったマインドフルネスですが、ネット上であれこれ見ていると、日本でも静かなブームがやってきているのが分かります。 映画監督の想田和広さんは、スリランカのお坊さんスマナサーラさんとこんな本 観察 「生きる」という謎を解く鍵 単行本 – 2018/1/25 アルボムッレ・スマナサーラ (著), 想田和弘 (著) https://amzn.to/2G5ZXkp を出していますし、このサイトでも何度か紹介したビジネスマン・ブロガーのふろむださんは、こちらの記事でご自身の瞑想方法を紹介しています。 ・意外と知られてない、おっさんでも頭のキレと集中力が一日中続くようにする方法 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場 この記事では、マインドフルネスについて簡単に紹介したあと、その大本になった初期仏教のヴィパッサナー瞑想についても少し細かい点まで説明しますが、マインドフルネスについてよく知りたいと思っているあなたなら、読んでおいて損はないはずです。 マインドフルネスとは 仏教におけるマインドフルネス 呼吸を使ったマインドフルネスの実際 ゴエンカさん方式とその他のヴィパッサナーとマインドフルネスの関係 マインドフルネスとは マインドフルネスという言葉は、今この瞬間に起こっていることを、知的に判断することなく、客観的に観察することを意味します。 日本では「念」という言葉で知られる仏教の言葉を英語に訳したもので、現代の言葉で言い直せば「気づき」ということになります。 ベトナムのティク・ナット・ハンさんというお坊さんなどのもとで禅の修行をしたジョン・カバット・ジンというアメリカの学者が精神療法に取り入れたことが、アメリカのビジネス界にマインドフルネスが広まるきっかけとなりました。 マインドフルネスの練習では、今起こっていることに意識を向ける練習をします。 人間というものは、昨日のことを思い悩み、明日のことを心配し、あれやこれやと考え続けることで、自分にストレスをかけ、苦しみを作り出すやっかいな動物です。 その苦しみが、 今ここで起こっていることにきちんと注意を向けることができさえすれば、時間はかかってもだんだん解消していく、 というのがマインドフルネスの基本原理なのです。 そうしてさまざまな苦しみに悩まされる時間が減っていけば、勉強もはかどり、仕事もうまく生き、人生も楽しく生きられるようになるというわけなのです。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 仏教におけるマインドフルネス 漢訳の仏典の中に大安般守意経というものがあり、これはアナパナ・サティというインドの経典名を「アナパナ→安般(音を当てた、呼吸の意味)」、「サティ→守意(意味を当てた)」として訳したものです。 このサティという言葉が、「マインドフルネス=念=気づき」のことなのです。 そして「アナパナ=呼吸」こそが、気づきの対象として意識するべき一番大切なものということになります。 呼吸は自律神経によって制御されていますから、みなさんもよくご存知の通り、自分では意識しないでも自動的に行なわれるようになっています。 同時に意識することによって、止めることも出来れば、ゆっくりすることも、速くすることもできます。 呼吸には無意識と意識の両方で制御されうるという性質があるため、呼吸を意識することで、自分の無意識的あり方に気づき、ストレスを減らしていくことが可能になるのです。 普段から呼吸を意識して行なうだけで、「今自分に起こっていることを判断せず客観的に見る」というマインドフルネスの力を養うことができるようになるということです。 呼吸を使ったマインドフルネスの実際 マインドフルネスの練習は慣れてしまえば、いつでもどこでも気がついたときにできるようになるのですが、はじめのうちは朝起きてすぐや、夜寝る前など時間を決めて、五分程度からやってみるといいでしょう。

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日本の政治状況に少しでも関心のある方なら、安倍政権が現在、どれほど戦後民主主義を破壊しているのか、もう十分にお分かりでしょう。 もはや瀕死の状態にある日本の民主主義体制を守るために、一体何が出来るのでしょうか? 「守ることなどできないのだ」というのが私の答えです。 「守れないとはどういうことだ?」という声が聞こえきます。 けれども私は守らないでいいと言っているわけではありません。 どういう意味か説明しましょう。 3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった 最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある 怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう 3.11がきっかけとなり、第二次安倍政権の成立によって、戦後民主主義の破壊は避けようのない既定路線となった 73年前に産声をあげ、否定的な空気がいつもありながらも、十分な追い風を受けてすくすくと育ったのもつかの間、やがて逆境にさらされて、長い年月を苦闘することになり、それでも73年の時を生き抜いてきた日本の戦後民主主義ですが、「ついに終わりを告げようとしている」と思われるこの命を、守れるものならば私だって守りたいのです。 けれども、人間にも寿命があるように、国家の制度にも寿命があるのではないでしょうか。 3.11の震災と原発事故があり、第2次安倍政権が成立し、安倍政権の横暴が止めようもなく続く今、全く悲しいことですが、もはや戦後民主主義を救う手立てはないと思っている識者の方々も多いのではないかと思われます。 最後まで日本国憲法と戦後民主主義を守る意志が大切、しかし「暴言」はいただけない けれども瀕死の状況にあるからこそ、日本国憲法に基づく戦後民主主義を守るために、最後の最後まで努力を続ける必要がありますし、たとえ安倍政権を倒すことができなくても、安倍政権に反対の声を上げ続ける必要があります。 その時、私は聞きたいのです。 あなたは 何のために安倍政権に反対しているのですか? あなたは日本国憲法を守り、戦後民主主義を守り、世界の平和のために、日本の人々の幸せのために、安倍政権に反対している。そうではないのでしょうか? もしあなたが、この世界の平和を本当に望んでいるのなら、政権を批判するときも、そこには愛の気持ちが必要です。相手を尊重する心がなければなりません。 マスメディアにおいても、ネット上のソーシャルメディアにおいても、安倍政権を攻撃し、あざ笑い、馬鹿にするような「暴言」が溢れています。 相手を攻撃し否定するような態度は、対立を生むだけであり、平和な社会を作る役には立ちません。 アメリカの民主党と共和党の悪口合戦が、今まで世界平和の役に立ってきたと言えるでしょうか? 日本の現状をよしとする主流派の人たちが、卑劣な手口で反対派を抑圧しようとする、その愚かな手法を私たちが真似する必要はありませんし、アメリカの姿はむしろ反面教師とするべきものでしょう。 私たちは正々堂々と、論理的な思考と落ち着いた気持ちを持って、全体主義化していく日本の現状に否を唱え続ければよいのです。 その結果、私たちの考えに賛同してくれる国民が増え、街に出て直接的な行動をするようになれば、安倍政権が倒れることだってないとは限りません。 残念ながら力及ばず、安倍政権がこのまま続いて改憲がなされ、憲法に緊急事態条項が盛り込まれるようなことになったとしても、それはそれで受け入れざるをえないのです。 しかしこれは決して敗北主義ではありません。 ただ冷静に未来を予測しているだけのことです。 73年前に戦争があのような形でしか終わりを迎えることができなかったことを考えれば、今の安倍政権がどれほど無茶なことをやっていようと、おそらく日本の社会にはそれを自浄的に止める力はないのだと思えるのです。 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがある 今ここで憲法改悪を止めなければ、日本に明日はない。これが「最後のチャンス」だ。 そういう言い方は勇ましくはありますが、真実を伝えるというよりはただ人の尻を叩こうとするだけの、空騒ぎのアジテーションに感じられます。 アメリカの意向で日本に育ち始めた戦後民主主義が、これまたアメリカの勝手な都合で歪められ、ねじくれて、ついに末期的状況を迎えたのが現在の日本だとすれば、その過程でいったい何度の「最後のチャンス」があったのでしょうか。 反体制派が「最後のチャンス」と叫べば叫ぶほどに、その「最後のチャンス」のとき、破れれば破れるほどに、多くの人たちは民主的な考え方に絶望し、長いものに巻かれるしかないのだと落胆し、多数派に帰依せざるを得なかったのではないでしょうか。 今、安倍政権の目指す憲法改悪に反対することは、日本の戦後民主主義を守るための「最後のチャンス」などではありません。 仮にここで憲法が改悪されたとしても、本当の民主社会が実現する日を願う人々の心は、決して打ち負かされることなく、たとえ一旦は人の目に触れづらくなったとしても、未来永劫続いていきます。 私たちに平和を願う心がある限り、私たちにはいつでもチャンスがあるのです。 怒りの気持ちは吐き出して、落ち着いて「未来へつながる言葉」を発しよう 急速に雪崩を打って崩れ落ちてゆく日本の政治状況を見るときに、 「いったいこれはどうなってるんだ、どうにかする方法はないのか」 と絶望的な気持ちになり、口汚く罵りたくなるのも分かります。 その気持ちを押し殺す必要はありません。きちんとわかってくれる人の間で そうした気持ちも共有し、心のもつれを解いていくことも大切です。 ただ、そうした気持ちを吐き出すのは、安全な分かり合える人同士の間でのことにしたほうがよいでしょう。 そして、一旦公の場で言葉を発する場合には、それがネット上の気安く言葉を投げられる場であったとしても、どうか、感情的になって怒りの言葉を発する前に、少しの時間をおいて、大きく息を吸って、そして吐いて、心を落ち着けたあとで、冷静に論理的な言葉で、あなたの気持ちを語ってほしいのです。 「安倍のバ○野郎!」というのではなく、せめて「安倍首相のこのやり方には呆れ返る」といったくらいの落ち着いた言葉で語ってほしいのです。 あるいはあなたがユーモアのある方なら、あざ笑いをぶつけるのではなく、みんなが心から笑える、素敵なジョークで批判してみてほしいのです。 対立を煽る言葉ではなく「未来につながる言葉」をお願いしたいのです。 一人でも多くの皆さんが、こうしたことを胸に留めて「未来につながる言葉」を発するようになれば、日本の民主主義がそう遠くはない将来に息を吹き返す可能性も高まるというものではありませんか。 ネット上で、憲法と平和を守るために発言してらっしゃるみなさんのうちに、この文章を見て、もし不愉快に思われる方がいらっしゃったら、あらかじめ謝らせていただきます。 けれども、ぼくが言いたいのは 「ネット上で暴言を吐くな」ということではない ということだけは確認させてください。 「強い言葉」を使いたいときにそれを使うことは、言論の自由によってみなさんに保障される権利です。 ただ、その自由を行使される前に、そのとき「強い言葉」を使うことが本当に必要なのかどうかを、どうかご一考していただきたい、ということなのです。 最後まで長文におつき合いいただき、ありがとうございました。 日本と、そして世界の平和のために、今日も一日を楽しく生きることにしましょう。 それでは、またお会いできる日まで、さようなら。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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