子どもの頃からぼくは、この世界の実在性については素朴に
信じて生きてきたようだ。
そんなだから、いわゆる思春期というような頃には、どうしてこの世界は
こんなにかっちりしてるんだろう、もっとぐにゃぐにゃとしてれば
いいのに、なんてことも思ったりしてた。
けれど、今にして思えば、この世界は十分ぐにゃぐにゃしてるんで
あって、かっちりしてたのは、幼いぼくの、狭い物の見方のほう
だったんだな。
人が、認識を通してしか、この世界の実在性を捉えられない以上、
「本当に」実在しているものと「本当は」実在しないものを
はっきりと区別するなんてできるわけがないじゃない?
「木」や「水」は実在してると感じやすいけど、「愛」や「正義」
なんて「本当に」あるのかな?
「悪」や「過ち」があるとするなら、「霊魂」や「死後の世界」は
なぜないって言えるんだろう?
少なくても科学にはこの種の問題に答える力はないし、結局は
人それぞれがどう考えるかにつきるんだと思う。
で、ぼくはインド的な考えを借りてきてこう言ってしまおう。
「この世はすべとまぼろしである」と。
ぼくという人間はどうにも興味が分散している。
なにか一つことに集中するということが苦手で、
あっちを少しかじり、こっちを少しかじりといった塩梅で、
とにかく腰がすわらない。
そんなぼくが始めるこのページに普通の意味でまとまりがつく
わけもないのだが、一方で、ぼくなりのまとまりはつくはずでも
ある。
まぁ、仮にまとまりがつかないにしても、誰かは読んで面白がって
くれるはずだし、万が一誰も面白がってくれないとしても、
それはそれでいい。
なにしろこれは、ぼくが、ぼくの必要性から、自分自身の楽しみのために
書いてるページなんだから。
そう、ぼくがやりたいのは、貝が自分の身を守るために貝殻をつくる、
そんなようなことなんだ。
その貝殻を見て、美しいと思う人もいるかもしれないし、
美しいと思ってもゴミ箱に捨てる人もいるだろう。
そんなふうに回ってるこの世界の中で、とにかくぼくはこんなふうに
生きている。
それが、このページにぼくが書くことのすべてってわけ。
記事アドレス打ち間違えました。ごめんなさい。
正しくはこちらです。
https://dimofsoul.mitona.org/entry/toudaiYonzyuuku
※この記事は実質的に私信であるため、過去の日付で公開しております。
矢川冬(id:yagawafuyu)さま。
先日わたくしが書いた「あいだま〇と氏」に関する記事がお目に入って、不愉快な思いをしていらっしゃるだろうこと、大変申し訳なく思います。
また、冬さまだけではなく、記事中に「あいだ氏」の「特殊な趣向」の作品を部分的に引用したことなどから不愉快に思われた方がいらっしゃいましたら、そうしたみなさまにも深くお詫びいたします。
先日の記事で扱った内容は、読み手によっては不愉快を通り越して嫌悪や精神・身体的な反応を引き起こす可能性があることを頭では分かっていたにもかかわらず、身体的なレベルでの理解が不十分であったため、適切なゾーニングができず、目にしたくない情報を目にしたくない方々の目に入れてしまったであろうこと、お詫びの言葉もありません。
このことは、記事を書いて少しした時点で気がついたときにすぐに書くべきだったのですが、どう書いていいものか思いあぐねているうちに遅くなってしまったこともお詫びせねばなりません。
今この記事を書いているのは、「しま〇こ氏」の二つの記事を読んで、これは一刻も早く冬さまにお詫びせねばと思ったからです。
以上取り急ぎお詫び申し上げます。
また、詳しい説明と謝罪は、今は時間が取れないため、記事を改めて書くことにいたしますので、どうかご了承くださるようお願い申し上げます。
2019年3月10日
那賀乃とし兵衛 拝
追伸。「しま〇こ氏」の記事についても書きたいことがあるのですが、これも後日改めて書きたいと思っています。