この項ではまだ動きには入らないが、まず自分の体の様子を確かめて みることにしよう。 なお、これからの練習は、楽な服装で、畳かじゅうたんの上など、ある程度 柔らかさがあり、手足が楽に伸ばせる広さがあるところで行なう。 では、引用を。([ ]内は、那賀乃の注釈) ○全身の状態をくわしく吟味する あお向けに横たわる。両脚は楽な幅に開く。両腕は頭上に伸ばして 軽く開き、左腕が右脚の、右腕が左脚のほぼ延長線上にくるようにする。 [つまり、だいたい大の字で、手は頭の上に近く、足はそれほど開いていない形] 目を閉じて、からだのどの部分が床に触っているかを確かめる。よく 注意を払って、かかとがどんな具合に床についているか、両かかとに かかっている圧力は同じくらいかどうか、触っている場所は両かかと とも同じところかどうかを調べてみよう。同じ要領でふくらはぎの 筋肉、膝の裏、股関節、遊離肋骨、上部肋骨、肩甲骨が床と接触 している状態を吟味する。 [遊離肋骨は肋骨のうち下側にあり胸の前で閉じていないもの(第八から 第十二肋骨)、上部肋骨は上側にあり、胸骨とつながって閉じているもの (第一から第七肋骨)] 両方の肩や肘や手首と床の隙間をそれぞれ注意深く調べる。 しばらく吟味してみると、肩、肘、肋骨、その他の部分がからだの左右で 相当な差異のあることがはっきりするであろう。多くのひとは、この姿勢を とると、肘が全然床に触らず、宙に浮いていることに気づくだろう。腕も 床にくっつかず、吟味を終えるまでこの姿勢を続けているのが苦しくなって くる。[引用ここまで] 体を動かすことに慣れていない人、体の様子に注意を向けた経験の少ない人には、 たったこれだけのことも、なかなか大変かもしれない。 また、ふだん体をほとんど動かしていない人や、体を痛めている人の場合、こうして 横たわって体を吟味するだけでも、体に無理な負担をかけてしまうこともありうる。 決して無理をしないで、自分の気持の良いペースでゆっくりやってみてほしい。 疲れたら、ゆっくり横向きに転がって、ゆっくり立ち上がり休みを入れる。 急な動きは体を痛める場合があるのでご注意を。 かかと、ふくらはぎ、膝の裏、股関節、肋骨、肩甲骨、そして肩、肘、手首と、 足の先から手の先まで体の様子をなんどか確かめてみよう。 次の項では、この項で確かめた体の状態について解説する。 (ネタ本はこちら。「フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく」)

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この項では、フェルデンクライスの考え方をもう少し説明してみる。 まずは「フェルデンクライス身体訓練法」から引用(123ページ)。 このレッスンでは、随意筋のコントロール機構の基本的な諸特質の いくつかが見分けられるようになるだろう。筋肉の基本的トーヌス(張力)、 すなわち、意志によって活動させる前の筋肉の収縮状態を変化させるためには、 ゆっくりとした軽く小さい動きをおよそ三十回くらいくりかえすだけで よいことがわかるだろう。ひとたびトーヌスに変化が生じれば、それは、 最初に動かした部分を含むからだの片側全体に広がることになる。動作は 楽に行えるようになり、動きは軽やかになり、そのときには、からだの 中心部の大きい筋肉が大半の仕事を行い、四肢は力の働く方向へ骨を導く だけとなっているのである。 フェルデンクライスでは筋肉のトーヌス(張力)というものに注目する。静止した 状態にあるときの筋肉の収縮、ないし緊張の状態のことである。 習慣的、無意識的に筋肉が余分に緊張していると、楽な動きができなくなるので、 単純な動きを繰り返すことで、この緊張を取り除き、トーヌスを変化させる ことで、動作を改善する。 その結果、骨盤につながる大きい筋肉が主に動作に使われるようになり、四肢の 筋肉は余分な仕事をせず、方向を調整する本来の目的に専念できるようになる。 次の項では、トーヌスがどうなっているか、自分の体で確かめてみることにしよう。 (ネタ本はこちら。「フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく」)

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01.はじめに

フェルデンクライス・メソッドという体の調整法があって、これは モーシェ・フェルデンクライスというイスラエルの人が始めたものでして、 単純な体の動きを繰り返すことと、それに対して十分意識を向けることにより、 日々の体の使い方を無理のない効率的なものとし、ひいては、心のレベルでも 安定した生き方ができるようになる、とでもいったらよかろうか、なかなか 結構な方法論である。 単純な動きの繰り返しにもかかわらず、やったあと確かに体から余分な力が 抜けて軽くなるのが分るので、わたしの場合、やはりもどきでしかないのだが、 夜、ふとんに入ったときや、朝、起き出す前に、気が向くとやってみては 体をほぐしている。 また、知り合いの芝居をやっている人が、稽古にこれを取り入れているので、 たまに参加して何人かで一緒にやると、一人で適当にやってるときとはまた 違って、一段と深く入ることができて、これまた気持ちよい。 さて、そんなわけで、「フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころを ひらく」(ここをクリックするとamazonへ)をテキストに、この素敵なメソッドを 紹介してみようと思う。 せっかく手元に本があるのにわたし自身ロクに活用してないので改めて勉強 がてらね。 それでは、次回を乞御期待。 (ちなみにフェルデンクライスジャパンのページはこちらです。 http://www.feldenkrais.jp/what.html)

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ぼくの場合、酒のない人生は今のところ考えにくい。 タバコは体に合わないのだが、ニコチンの力に負けてついつい吸ってしまう。 (多くて日に五本ほどだが) 世の中にはそのほか様々な嗜好品、そして嗜癖があり、みなさんの多くも なんらかのたしなみを持っていることだろう。 さて、なにごとも度を過ごすのはよくないことだが、 ここのところ、酒浸りの日々が続く。 ロクに仕事をしてないもので、それをいいことについ昼間から酒を飲む。 缶チューハイを一本、二本。 夜もそこそこ飲むので、翌朝は、はっきり宿酔い、というほどではないのだが、 なんとなく体が重い。 ところが、布団の中で五分、十分、体をほぐしていると、起き上がる頃には 不思議と調子が戻ってしまっている。 そんなふうだから、体に悪いとわかってはいても、ついつい酒に浸る日々が 続いてしまうのである。 なるべく控え目を心がけつつ、もう少し様子を見てみようと思う、 今日この頃である。

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「ハコミを学ぶ」ロン・クルツ 「からだは語る」ロン・クルツ&ヘクター・プレステラ ハコミ・セラピーないしハコミ・メソッドの、からだに注目しつつ、 相手に寄りそう感じは、好感を持てる。 人間の、子どもの頃からの経験から来る「思い込み」がからだに現れる というのは、たぶんそうだろうと思うし、それを見た上での働きかけは うまくやればかなり効くのだろう。 きちんと相手を受け止めて、相手を操作しないといううたい文句は正しいと 思うが、結局は実践する人次第ですね。

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ハコミセラピーでは、「けっしてクライエントを引っ張らない」し、 「相手をよくしようとも思わない」という。 クライアントの主体性にまかせるということなんだと思う。 ぼくの関わっている場は、作業所なのだが、通ってくるメンバーの 主体性を大切にしよう、という了解を、曖昧ながらも、共有している感じ。 そうはいっても、こちらの勝手な都合もあるし、こうゆうふうに やってくれたらなあ、というところで誘導しようとするときもあるし、 けれど、命令的なことは基本的にしない場だから、 誘導して誘導しきれるわけでもない。 相手の主体性にまかせる、というのも、こちらの勝手なやり方に すぎない、と思うときもあるし、簡単には答えが出ないところなので、 こっちの勝手な気持ちを押し付けないように気をつける、 くらいの感じで、ぼちぼちやっている次第。 (参照 http://d.hatena.ne.jp/bun_tao/20061107/p1)

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テンセグリティ

テンセグリティといえば、カスタネダがはじめたボディワークに つけられた名前で、「呪術の実践―古代メキシコ・シャーマンの知恵」 という本に紹介されているのだけれど、[こちら]で紹介されてるのは おおもとのバックミンスター・フラーが名づけた建築構造の方であった。 けれど、その建築構造を、ジョゼフ・ヘラーとウィリアム・A.ヘンキン という二人の人が、ボディワークと関わるところで 「ボディワイズ―からだの叡知をとりもどす」という本に書いている ということで、ふむ、いろいろ面白いものです。

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四十肩というのだろうか、左の肩の背中側が筋を違えた感じでかなり痛い。 腕を上げるのはさして痛くないのだが、寝床についてしまうと寝返りを 打つのが一苦労だし、また起き上がるときに痛みを予期しながら、 それに耐えねばならないのが、なかなかしんどい。 この二、三年の間に何度か似たような経験をしているので、やはり歳のせいか とは思うのだが、いやはや、ふだん多少なりと体に意識を向けているつもりで いるものの、そうは簡単に体が言うことを聞いてくれるわけではないようだ。 しかし、こうやって症状としてでてきてはじめて、日々の暮らしの中で少しずつ 溜まってきている<何か>を意識できるということはありがたいことで、それが<何か>ははっきりしないまでも、今感じる痛みとそこからくる不便さを大切に して、<何か>が左肩のあたりでひっかかっているんだなあと、その感じを頭の 片隅に置いて、一日一日を重ねていきたいと思うのである。

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体のことに意識を向けるようになったきっかけの一つに、 竹内敏晴の「からだとことばのレッスン」を読んだことがある。 この人は演劇・教育系の人なのだが、この本に書いてあるワークのまねをして 体の力を抜いてみようとしたところ、これが、全く抜けない。 首から肩にかけての緊張を、自分ではどうすることもできないのだ。 そんなことがあってから、ヨガの本を読んだり、たまたま知り合いに気功を すこし教わったりして、気が向くと体を動かすようになった。 毎日やっているわけでもないし、きちんと教わったこともないから、あくまで ヨガもどき、気功もどきにすぎないのだけど、そうやって体を動かして体に 意識が向くようになることで、少しばかり生きるのが楽になったような気がする。 呼吸に意識を向けることもそうだけれど、体に注意を払って、まずはその緊張に 気づくこと。 心も頭も体とともにあるわけだから、まずはその緊張に気づいて それをほぐしていくこと。 習慣となってしまっている考え方や感じ方にしばられて、なんだか窮屈に感じるとき、 それを変えていくためには、体のほうから入っていくのも、なかなか有効な手段だと 思うのです。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中