ヨーガ教室参加

縁があって先日、マックス・ストローム氏(http://www.maxstrom.com/)の ヨーガ教室に一日参加した。 ヨーガは本を見て真似する程度のことしか経験がないのに、 ヨーガの先生向け、五日間のコースの一日目に参加することに なってしまったので、十分にその良さを味わうことができたかは 疑問なのだけれど、ぱらぱら見させてもらったテキストには いいことが書いてあったし、二十人ほどの先生たちと一緒に ヨーガの形を真似るのはなかなか楽しかった。 フェルデンクライスもそうだけれど、体をしっかり動かすのは やっぱり気持ちいい。 最近ボーリングやテニスをやる機会もあったが、そういうのもまたいい。 どうせなら、もう少し日常的に体を動かしたいところ。

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とらわれを減らす

三週間ほどタイに行ってきた。 行って何日かは、もう慣れてしまったタイに面白みを 感じられずにいた。 振り返ってみると、初めての街に行き、落ち着かない気持ちでいた せいだったようだ。 三週間のタイで、気持ちを落ち着けることができたので、 日本に帰った今、前より少し、とらわれる気持ちが減ったように思う。 何かをしなくちゃならないからするのではなく、 何かがどうしてもしたいからするのでもなく、 それでもどこかでは、しなくちゃとか、したいとか思いながら、 してもいいし、しなくてもいい、ただ淡々と生きていけば いいんだと確認しながら、自分の体を大切にし、自分の気持ちを 大切にし、一瞬一瞬を大切にしながら日々を暮らす。 言うほど簡単にできるものではないけれど、とりあえず今これを 書いている瞬間は、気持ちのいい落ち着きの中にいる。 こうやって、少しずつでもとらわれを減らしていければ、 ぼくの人生は、たぶん、それくらいでいいや、なんて感じで。

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ロアンナさんはアメリカの先住民族のひとつ、ホピの メディスンウーマンである。 日本風にいえば、伝統的な民間療法の治療家ということに なろうか。 東京の練馬駅から歩いてすぐのところに OHANA CAFE という店がある。 そこでロアンナさんが話をするというので聞きに行った。 OHANA CAFE は初めて行ったが、自然食レストランといった風の店で、 六時半から話が始まるというところ、着いたのは五分かそこら 前のことだった。 二階への階段を上っていくと、店の入り口の前に、褐色の肌の小柄な 女性と、こちらには背を向け立っている白い肌の背の高い女性がいた。 二人は何か話していたのだが、小柄な女性がロアンナさんだと思って、 彼女の視線がこちらにきた機会をとらえ微笑みかけると、向こうも 微笑みで応えてくれた。 あとのことは今はうまくかけない。 その場に来ていた人に対して、その場となった建物に対して、 そしてその場を作った太鼓に対して、彼女は感謝を言葉として 伝えていた。(あすぃくゎり) そして彼女の素朴な太鼓と力強い謡い。 話が終わったあと、列の最後で、彼女に清めの水をかけてもらい、 体を力強くなでてもらうことで気を流してもらい、軽く、でも しっかりと抱きしめてもらうことで、ぼくの中の何かがほどけた。 たぶん、そんなようなこと。 今は言葉にするのは、このくらいにしておく。(くぉっくゎい) [注]この項は、一見からだとは関係ないと思われるかもしれないが、 微妙につながっているので、[体で遊ぶ]に置く。

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首を寝違える

昨日、知り合いの芝居の稽古に行った。 芝居の稽古といっても、それらしいことはほとんどしない。 フェルデンクライスをやって、音楽を聴いてそれに合わせて自由に踊る。 大体いつもそれくらい。 昨日はフェルデンクライスで首の力を抜くのをやった。 仰向けになって、自分の手を額の上に置いて、頭を左右に転がす。 同じように人に転がしてもらう。 また仰向けになって自分で転がす。 次はうつ伏せになって。 それをやったおかげで首から力が抜けてよかったのだが、 稽古を終わって飲み会に行ったのがどうもまずかった。 ある程度飲んで帰り道、なんとなく首に引っかかりを感じる。 それで、すこしポキポキ鳴らしたりして、でも、そのときはまだ 問題なかった。 それが、家に帰って寝たあと、夜中トイレに起きたら首が妙に痛い。 ふとんに横になるが首が痛くて仕方がない。 あれこれ姿勢を変えるがどうにも痛い。 いつも枕を使わないので、毛布を丸めて枕代わりにし、 右を下にして寝ると比較的いい。 でも、しばらくすると痛くなるので、また別の姿勢を探す。 などということをやっていたので、今日は寝不足。 一日コンピュータに向かって仕事をしたので、首の痛みは増してる感じ。 とまあ、そんなわけですので、こんな風になる人はそんなに多くはないと思いますが、 なにごともやりすぎは禁物です。 お酒の飲みすぎにも気をつけましょう!! ああ、あしたになって少しは良くなってるといいなあ......

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スターリンの教会破壊や現在の中国での教会破壊についてだが、 この種類の宗教弾圧はカール・マルクスの次の言葉が原因に なっているらしい。 つまり「宗教は民衆のアヘンである」というやつ。 マルクスがこう書いたのは1844年、アヘンおよびアヘン誘導体が だれもが手に入れることのできる唯一の効果的な鎮静剤だった頃の ことだ。マルクス自身もアヘンを使用していて、その場限りで あっても苦痛をやわらげてくれるアヘンに感謝していたという。 マルクスは客観的な事実を述べているのであって、 宗教がいいとか悪いとかいう話をしているのではない。 宗教は、経済的、あるいは社会的な困難に対する鎮痛剤になりうる ということだ。 つまり、宗教を否定しているわけではない。 ---カート・ヴォネガット「国のない男」(金原瑞人訳、nhk出版 2007、p.24) より

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最近あらためて思うのは、たぶん、やはり、この世界は完璧なのであって、 それがわからないのは、こちらの意識が十分磨かれていないからなんじゃない かなぁということ。 フツーの人間らしさから言ったら、戦争はいけないとか、 逆に、偽悪的になれば、人を食い物にして何が悪いとか、 そんなふうな気持ちになったりするわけだけど、そういう、 それぞれの多様性を飲み込んで、ここに実現している世界の凄さ、 恐ろしさ、それを恐れず、嫌がらずに見たならば、とにかく今は これなんだし、それでよいとしか言えないわけだし、 もし、あしたを言うならば、あしたの別の風を楽しもう としか言えないことになるはずだし、あしたをこうしようと 思うのはたぶんそれでいいんだろうけど、あしたがそうならない からと言って嘆くのはやっぱり愚か者という気がする。 いや、もちろん、愚か者でいいんだよ。 おいらもじゅうぶんおろかもんだし。

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自然の成り行き

さて、人生においてさまざまな困難に出会うことは 避けがたい。 困難に出くわしたとき、悲しみに襲われたり、 怒りが湧き上がったり、気持ちの波にさらわれる こともありがちなこと。 そしてその気持ちの波にさらわれたことで さらに自分の気持ちが落ち込むことも、 人によっては自然の成り行き。 けれど、このいずれの局面もがまったく自然なことであって、 それぞれの局面を否定せず受け止めればいいことに気づき、 それを受け止められない自分を許し、ゆっくりと変わってゆく 自分を待つことができれば、そして、その先にやってくる 真実の恐怖と向かい合うだけの力を蓄えることができるならば、 ひとは自由への道を歩き続けることができるだろう。

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「精霊の呼び声―アンデスの道を求めて」エリザベス・B. ジェンキンズ著、高野昌子訳 (翔泳社1998) アメリカで心理学をやっていた女性がペルーに行って シャーマニズムの修行をするお話。 カルロス・カスタネダの著作に比べるとやや甘口な印象を 受けるけど、インカの流れの世界観は、カスタネダの描く トルテカの世界観と重なりつつも、違いもさまざまあり、 新鮮。 おもしろい本だと思います。

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開け心

ymoの人たちが六ヶ所村の核燃のことやるなんてね、 おもしろい時代になったよね。 「開け心」だからね。

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人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。 君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。 しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。 というのは、君はいつでも好きなときに 自分自身の内にひきこもることができるのである。 --マルクス・アウレーリウス「自省録」(神谷恵美子訳、岩波文庫四十九頁)

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中