下記の通りライブの企画をしている。
東京近辺の方(に限りませんが)は、気が向いたら遊びにきてちょ。
http://d.hatena.ne.jp/u2edogawa/20080818
最近「悟った」ことがある。
自分がなぜ生きているのか、それが少し不思議だった。
はっきり言って、生きてるのは面倒くさい。
ぼくは面倒くさいのは嫌いだ。
なのにぼくはなぜわざわざいきているのか?
それが最近ようやく分った。
ぼくは、生きてるのは、はっきり言って面倒くさい。
だけれども、わざわざ死ぬのは、それ以上に面倒くさい。
したがってぼくは、死ぬのが面倒くさいから生きてるだけなのだ。
人生に普遍的な意味などなく、各人が見いだす価値があるだけ、と思っているぼくは、
あっ、おれって、死ぬのが面倒くさいから生きてるだけだったのか、
と分ってだいぶ肩の荷が下(お)りた。
これ、ほんと。
で、みなさんは、いかがですか?
夏休みの雰囲気が好きだ。
子どもの頃 夏休みになると、おやじが車を運転して家族五人、伊豆の海まで
二泊三日くらいでよく行った。
それも楽しかったのだが、それよりなにより、毎日をぼーっと過ごすのが
気持ちよかったような気がする。
四十代も半ばになって、十歳かそこらのことを思い出すとき、他の人はどうか
知らないが、ぼくにとっては ほとんどが おぼろな記憶でしかなく、数少ない
印象的な場面のほかは、断片的で曖昧な状況の切れ端にすぎない。
きのう昼すぎに近所のスーパーに買い物に行って、その道すがら、ああ、
こうやって日射しが強い中、蝉の声を聞きながら、とことこ歩いていくのは
なんだかいいなぁ、と感じて、そうだ、おれって、こういう夏休みの空気が
好きなんだよなぁ、と改めて思ったのだ。
今をときめくアニメ監督、押井守が1984年に撮った映画に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」がある。
あたるやラムなどおなじみの面々が友引高校の学園祭の準備をしているのだが、
準備前日が永遠に繰り返されるという不条理な設定の傑作なのだが、
なぜかぼくの中では、学園祭の前日ではなくて、永遠の夏休みにすり替えられて
記憶されていた。
「ビューティフルドリーマー」では、高校の周りの友引町が荒廃していたり、
行方不明者が出るなど、どちらかといえばサスペンス仕立てで怖い感じなのだが、
それがどうして、ぼくの中では永遠の夏休みという楽しく思われがちなものに
変わってしまったのか。
永遠の夏休みは、実は、ぼくにとってそれほど楽しいものではない。
ぼくのような妙な育ちをした人間にとって、この世界自体が子どものころから荒廃し
続けていたのかなぁと思うし、ぼくが本当に心の奥底まで見せられる人は、ぼくが
生まれたときには すでに行方不明になってたんじゃないか、という気すらする。
だから、たぶんぼくは、ひとりぼっちでもいいから、なんとなくお祭りの感じに
まぎれられればいいなぁ、とか、何をしなくても許される空気の中でひとりぼーっと
してたいなぁ、とか、そんな状態ががずっと続けばいいのになぁ、でも、続くわけ
ないよなぁ、などなどと、思い続けて生きてきたんだろう。
そんなことで、ぼくは夏休みの雰囲気が好きだ。
いや、みなさん、今年の夏はほんとに蒸しますなぁ。
昨日はほとんど一日、クーラーも扇風機もない部屋でだらだらと
過ごしていたんですが、何ですか、あの蒸し暑さ。パンツ一丁でも
全身汗まみれになるほどぢゃないですか!
テレビも新聞も見ないし、日本列島的にはどういう天気になっているのか、
そいつはあっしには分らないのだけれど、とにかく今年の関東平野の蒸し暑さは
半端じゃない。
ちなみにあっしの住んでるのは千葉県市川市の低い方。
地盤の緩い、障気でも上がってきそうな土地柄です。
湿気が充満していて息をするのも一苦労というものです。
昨日夕方買い物に行って、八百屋の姐ちゃんに、きょうは蒸すねぇ、と
声をかけたら、あ、あたし、もう、気が狂いそう... と、息も絶え絶えに
元気よくおっしゃる。
それを聞いてあっしも、思わず力強くうなづいてしまいました。
さて、こういう話の流れできますと、温暖化がどうの、気候変動がどうので、
だからいろいろ節約しなきゃならないてなケチくさい話についなりがちな
ご時世ですが、なに、そうした話の音頭を、遅ればせながら取ってるメディア
だの企業だのが、どれだけ真面目にやってるかと言やぁ、こいつは眉に
つばってもんでして、われわれ庶民としては、パンツ一丁で夏を乗り切る
心意気、これさえあれば後のことは勘弁してもらいやしょう。
「ところで熊さん」
「なんだい八つぁん」
「この夏はどうも蝉の声を聞いた気がしないんだがな」
「そうかい。けどみんみん蝉なら何度か聞いたよ」
「そうか、みんみん蝉あらおれも聞いたな」
「じゃぁ いいじゃねぇか」
「いやよくねぇ。こんな蒸し暑いのにあぶら蝉がジージーやってくれなきゃ
片手落ちってもんだ」
「あぶら蝉も夏バテかもなぁ」
「そいつも違う。あぶら蝉だけに石油(あぶら)の高騰で燃料不足だ」
お後がよろしいようで...
「呪術師カスタネダ」リチャード・デ・ミル、マーティン・マクマホン; 高岡よし子、藤沼瑞江訳; 大陸書房1983
カルロス・カスタネダに関心のある人には、ぜひこの本の第二部を読んでほしいと思う。
だいぶ前からこの本のことは知っていたのだけど、大陸書房から出ているので、
ちょっと怪しさ を感じ、放っておいた。
それが、この間フロリンダ・ドナーの「魔女の夢」を読んでみたら面白かったので、こっちも
読んでみることにした。
とてもまともで、しかも面白い本である。
アメリカでは別々に出版されている本をを一冊にまとめたもので、
第一部「呪術師ドン・フアンの世界」は、カスタネダの最初の三冊の
著作を手際よくまとめたもので、人類学専攻の学生向きの参考書だと
いうのもおもしろい。
この部分は、カスタネダをまだ読んだことのないひとが試しに読んで
みるにもいいし、カスタネダをもっと読み込みたい人には便利に使える
だろう。
この本の真骨頂は第二部「カルロス・カスタネダの旅」にある。
カスタネダの著作はとかく、ノンフィクションなのかフィクションなのか、
という視点で論じられやすいが、著者であるデ・ミルは綿密な資料に基づき
カスタネダの著作は事実に基づくフィクションであると断定する。
けれど彼は、一部の学者の先生方のように、だからカスタネダの著作は
でっち上げのうそっぱちで、これっぽっちも価値がない、というのではない。
膨大な資料に基づき、自身の経験を交えて紡ぎ出されたカスタネダの著作を、
C・S・ルイスにも比べられる力を持った小説として評価するのである。
カスタネダへの愛情に満ちた、だかちこそ辛口の批評満載の、評伝かつ評論
であり、カスタネダに関心を持つ人には是非読んでもらいたい本である。
きっと新しい発見があるだろう。
なお、デ・ミルがまな板に載せているのは以下の四冊である。
呪術師と私―ドン・ファンの教え
呪術の体験―分離したリアリティ
呪師に成る―イクストランへの旅
未知の次元
ちなみにリチャード・デ・ミルは元々心理学をやっていた作家とのことで、
もう一冊カスタネダについて"The Don Juan Papers" という本を出している。
こちらもそのうち読んでみたい。
自分のことを振り返って、心・言・動が一致してないなぁと反省していた
矢先のこと。
先に来た zilo(♂)さんと不忍池のほとりで、
彼が言うにはニホンという国できちんと心・言・動が一致している人種と言えば
ヤクザの方々以外にはいないと。
あとから来た caoli(♀)さんを交えて小綺麗な喫茶店 --- 禁煙席なのにわりと
煙い --- で三人話していると、彼女が言うに、僕という人間は怒りを
表現しているとき心・言・動が一致しているから分りやすいと。
それで僕は思った、なんだ、おれってヤクザだったのか、まずまずおとなしめの
ヤクザだから人に手を挙げる訳じゃなし、枠組みが多くの人とは違うから
周りからちょっと --- いや、だいぶかも --- 怖がられるけど、まぁ、仕方ないか、
心・言・動ばらばらと思ってたけど、怒りについては、そうだ、確かに一致してる、
お墨付きまでもらっちゃって嬉しいなと。
そんな気づきのあった上野の日だった。
[意識を流れとしてあらわすため、あえて書き言葉としてはあまりまとめないまま
お送りしています]
未明から起き出し、ネット遊びをしている。
少し前までは、こんなことをしていると、またつまらないことで
時間を潰して... などと後ろ向きなことを感じてしまっていたのだが、
今は、んっ、いいじゃない、好きなことすればさ、と割と肯定的に
受け止められるようになってきた。
- amazon の affiliate でお小遣いを稼げるか(?)と鈴木芳樹の「スローブログ宣言!」を
読んで以来、ちまちまと努力を続けているが、この二年ほどで紹介料は283円である。
特殊な本しか紹介してないので、そんなもんか、というところだが、
「エスリンとアメリカの覚醒―人間の可能性への挑戦」と「ボディワイズ―からだの叡知をとりもどす」を
一緒に買ってくれた人がいて、こんな weblog でも やっててよかったな、と思った。
- もう、空はすっかり明るくなってきた。
というところで、みなさん、またいずれ。
- [追記 2010.09.27]
なお、鈴木芳樹「スローブログ宣言!」についてはこちらに書いております。
フロリンダ・ドナー「魔女の夢」近藤純夫訳、日本教文社1987
この本は、カスタネダのお仲間である女性人類学者フロリンダ・ドナーが、
ベネズエラで女治療師のもとに住み込むことになり、その経験を縦糸に、
そして、その女治療師のところに訪れる「患者」から聞くエピソードを
横糸に紡がれた物語である。
ここには、人間が他の人間ににどういう影響を与えうるのか、ということが鮮やかに
描かれている。
カスタネダの著作より文芸的な完成度は高く、ホルヘ・ルイス・ボルヘスや、ガルシア=マルケスにも近い、南米のねっとりとした人間関係が感じられて面白い。
あいにく絶版のようで入手は困難だが、図書館で探してでも読んでほしい本である。
フロリンダ・ドナー「魔女の夢」近藤純夫訳、日本教文社1987
☆なお、フロリンダ・ドナーの「シャボノ」というアマゾンの奥地に住む先住民族ヤノマミの暮らしを描いた作品があり、ヤノマミの人々の原初的・魔法的な世界観が、すばらしい筆致で心動かされる物語として紹介されている。冒頭の一部の私訳を公開しているので、よろしければご一読を。
http://meratade.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html
湊由美子「ゆみペンギン南の島で」東京図書出版会 2008
ゆみペンギンこと湊由美子さんはタイの島サムイでダイビングショップを
経営している京都出身の女性である。
この本はそんなゆみペンギンさんのダイビングインストラクター修業時代の
記録である。
ヴァヌアツ共和国エスプリッツ・サント島での、
水深40m以上の沈没船ダイブと、
サメに襲われても続行する、サメの餌付けダイブ。
この二つはダイビング本としてのこの本のハイライトである。
危険というものが商品になってしまう現代社会の不可思議さを感じる。
ダイビングインストラクター修業時代の記録と書いたが、ダイビングにまつわる
エピソードは、上のヴァヌアツの話でほとんどで、あとはニュージーランドでの
語学留学の様子と、そのあとのニュージーランド、オーストラリア、そして
タヒチ、ニューカレドニアを巡る旅の記録であり、そう言う意味ではよくある
旅日記の形式でしかない。
しかし、中身はおもしろい。
一つにはゆみペンギンさんがあまり下調べをせずに状況の中に飛び込んでいく
ために起こるハプニングからくるものだろう。
羊を飼っている牧場でファームステイをしたいと思い、情報誌でようやく
受け入れてくれる牧場を見つけ、やっとのことでその牧場に辿りつく。
ところが、そこで待っていたのは牧場の仕事ではなく、なまけものの主婦が
散らかし邦題にしている家の片付けと掃除だった...
そして、こうしたハプニングに対するゆみペンギンさんの、これはまいった!
と思いつつも健気に大らかに向き合っていく、その姿勢がすがすがしくも
気持ちよい。
笑えるエピソードがいっぱいで、その前向きな生き方からは毎日を生きる力を
分けてもらえること間違いなしの、旅好きの人には是非おすすめの一冊です。
なお、ゆみペンギンさんのやっているペンギンダイバーズのホームページは
こちらです。