ラーマクリシュナさんはインド・ベンガルで十九世紀という時代を生きた人。
今その人の伝記「インドの光」(田中 嫺玉、中公文庫 1991)を読んでるのだが、
認識の高みに登った人の物語を読むのは楽しい。
ぼくの印象では、この人は、お釈迦さんやイエスさん、あるいはムハンマドさんに
匹敵する人物だと思うのだが、生きた時代が現代に近いぶん、人間味が感じられて、
つまりそれは伝承による神格化が進んでいないということなんだけれど、そこらあたりで
あらためて感じたのは、悟るとか、神を見るとか、神の声を聞くとかいうのは、
おぼろに感じるところから、かなりはっきり分かるところまで、様々な拡がりがあるに
違いなくて、それは終わりのない道行きだから、完全に 悟るとか神を知るとか、
そういう状態は所詮ないってことなんだよね、たぶん。
そういうわけで、ぼくも、どこまで行けるかしらないけど、ぼちぼち道を歩いていこうかなと、
元気のあるときは思っとるんですよ、はい。
# ところで この本は、amazon でみるとなかなかいいお値段がついてます。
# ぼくは職場が都内なので、相互貸出で隣の区の図書館のを借りました。
# 東京都は図書館横断検索というのがあってとっても便利です。
豚インフルエンザの起源はどこにありや、などとおぼろげに考えていたところ、工場労働者氏の記事が目に入った。
今回の豚インフルエンザのような感染症が世に現る原因の一つとして、多国籍企業による畜産の工業化といったようなトピックが挙げられるようで、いやはや、不可思議な世の中になってきたものである。
☆こんな記事も書いています。
・「科学万能主義」のみなさんは「牛乳有害説」なんて鼻で笑うでしょうけど、やっぱり牛乳は有害なんとちゃう? - *魂の次元*
以前森下一仁氏の weblog で見かけて気になっていた
山田正紀「オフェーリアの物語」理論社 2008 を読んだ。
森下氏の言葉を引くと
明治維新後の理性が支配する日本と、それ以前の夢想がそのまま現実と溶け合っていた日本とを
不思議な言語理論で対比する意欲的な作品
ということになるが、その対比は、西洋と東洋、現実と夢、言葉と言葉以前、さまざまな
形として描かれている。
ぼくはついカスタネダのトナールとナワールを思い出してしまうのだが、この対比がとても
本質的なものだということですよね、つまりは。
維新前後の日本だけれど、どこか幻想の場所のような、そうした舞台設定の上で、
小さな女の子の人形使(にんぎょうし)とビスクドールを主人公に据え、異形の世界の奇妙な
植物も盛り沢山(消粟[けし]が一番気に入りました)、謎解きミステリの形をとった
このアクション哲学マンガ、きちんと終わっていないのがなんとももったいないので、
ぜひ続編を期待したいところです、はい。