なんだかまた がたがた ですわ
まあ そんなときも ありますわ
ほな さいなら
三月十日のことのような、あちら側のことはすぐ忘れてしまう、
こちらのことにかまけていると。
おとといたまたま職場の同僚のお母さんが長崎で被爆してるのを知った。
思い出して、思い出して、思い出しておかないと、そんなことも
すぐ忘れてしまう。
ほんとにすぐ忘れてしまう。
クリント・イーストウッドの撮った「硫黄島からの手紙」をしばらく前に見た。硫黄島の戦いを日本人の視点から描いたものだ。
戦争の絶望的な局面を淡々と撮っていたように思い出す。
戦争の映画だから、淡々、と言っても激しい感情表現がたくさんあるわけだけれど。日本の人が撮ったら、もっと大袈裟になりそうだな、と。
一年ほど前これを見たときは、どんな気持ちでこれを撮ったのかなとちょっと不思議に思った。
けれど今思うのは、この映画は鎮魂の映画なんだろうな、ということ。
アメリカの人も日本の人も必死で戦った。戦場にいる以上、戦う以外なかった。そして多くの人が死んだ。
そのことについての鎮魂の物語が六十年の歳月が流れてからようやく語られることになる。
その年月の重みに想いを巡らせてみよう。
世界で初めて軍事目標に限定しない無差別爆撃を行なったのは、日中戦争における日本軍の
重慶爆撃だったとする説がある。
そのあたりのことを検索していて防衛省OB太田述正氏の記事が目に入ったのだが、
氏の記事によると(もっぱら wikipedia からの引用だが)、重慶爆撃が史上初の無差別爆撃とは
必ずしも言えないらしい。
ぼくも、事実がどうであったかということを検証することにはそれなりに意味があることだと
思うのだけど、「あれが最初だった」「いや、その前にこれもあった」「あれは無差別じゃない」
「途中から無差別になった」などなどの水かけ的議論をすることにはどうも不毛なものを感じる。
所詮われわれは、一つの真実というものにはたどり着けないのであって、「あちらの見方」も
「こちらの見方」もそれぞれにそれなりに正しいのだ。
だから、むしろ必要なのは、「わたしはこう考えますが、あなたはそう考えるのですね」という
ことであり、「わたしは苦しかったし、あなたも苦しかったのですね」という相互理解なのだと
思う。
ぼくの皮肉屋の友だちは「相互の理解は共通の誤解」と言ったが、そう、お互いに理解するなど
簡単にできることではない。
簡単ではないけれど、いや、簡単ではないからこそ、自分の気持ちを見つめることから出発して、
そこに至る道を探していくことが、たぶんぼくの人生なのかな、などと思ったりするのです。