悟りの三原則

一、完全に悟ることはできない。 二、完全に悟ったとしても、それを完全に伝えることはできない。 三、完全に伝えられたとしても、全ての人に伝えることはできない。

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カート・ヴォネガット「国のない男」によると、マルクスが宗教を共産主義と相容れないものとして否定した、 というのは後世の人の誤解のようだ。 以下、引用。 スターリンの教会破壊や現在の中国での教会破壊についてだが、この種類の宗教弾圧はカール・マルクスの 次の言葉が原因になっているらしい。つまり「宗教は民衆のアヘンである」というやつ。 マルクスがこう書いたのは 1884 年、アヘンおよびアヘン誘導体がだれもが手に入れることのできる唯一の 効果的な鎮痛剤だった頃のことだ。マルクス自身もアヘンを使用していて、その場限りであっても苦痛を やわらげてくれるアヘンに感謝していたという。 マルクスは客観的な事実を述べているのであって、宗教がいいとか悪いとかいう話をしているわけではない。 宗教は、経済的、あるいは社会的な困難に対する鎮痛剤になりうるということだ。 つまり、宗教を否定しているわけではない。 まあこれは、誤解というよりは、スターリンやそれに類する人が、マルクスの言葉を自分に都合よくねじ曲げて その解釈を流布したということだろうけど。

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「欲望と消費 トレンドはいかにして形づくられるか」スチュアート&エリザベス・イーウェン、 小沢瑞穂訳、晶文社1988 ぼくたちは、ぼくたちの生きる社会を「資本主義」社会として受け止めているのだろうか。 それとも「消費主義」? あるいは「浪費主義」? それはある意味「広告主義」の社会なのかもしれない。 十五世紀半ばのヨーロッパに始まる印刷の歴史から説き起こし、現代におけるメディアの意味を 解読するこの本は、三十年近く前に出版されたにも関わらず、インターネット全盛の今という時代を 客観的に見ようとするものには必読の書といっても大げさではないだろう。

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山田正紀「地球・精神分析記録(エルド・アナリュシス)」 心理学的冒険sf。 今から三十年ほど前、中学生の時に読んでさっぱり分らなかったが、帯の惹句、 「狂っているのは私なのか、それともこの世界なのか」というのが忘れられず再読した。 いささか古めかしいし、若書きの感は否めないが、日本sfの源流を探るためには 外せない連作長編だろう。 二番目の短編「憎悪 オディウス」のインドの街ヴィシュの設定は、「ブレードランナー」や 「ニューロマンサー」に先駆ける雰囲気が感じられ、海外放浪の経験を持つ山田正紀ならではと 思う。

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ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」 十八世紀から十九世紀にかけて三十四年の短い歳月を生きたドイツの人の短編集です。 やや古めかしくはありますが、奇妙な味の短編好きのかたなら一読して損はない。 表題作の「チリの地震」など悲劇的な因縁譚が中心で、ぼくは芥川龍之介やディーノ・ブッツァーティを 連想しました。 巻末の「マリオネット芝居について」はボルヘスを思わせる哲学小説。面白いです。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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