世界がどのようにつながっていて、何が何にどんな影響を与えているかなんて、そんなこと簡単に分かるはずもなければ、一言で伝えられるわけもないんです。 ぼくたちは周りで起こるできごとを見聞きし、活字や映像を通して情報を仕入れ、自分なりの「世界」を創り上げるんですよね。 そうやって創り上げた「世界」が、現実の「世界」とどれだけ似てるのか、似てないのか。 そいつも一つの問題ですが、それと並んで問題なのが、この「世界の写像」が、個々人ばらばらで、実のところ、共通性なんて、これっぽっちも当てにできないってことです。 それなのに不思議なことに、ぼくたちは、みんなが同じ「世界」を見ているつもりで生きているわけです。 そして、みんなが同じ世界に生きているということ自体は、ある意味、客観的な事実ですから、問題は棚上げされて、多数派に安住する限り、余計なことは気にせずに生きてけるってわけです。いやあ、めでたい。 おっさんのダメ出しが第三次大戦を引き起こして世界は大惨事になる、などと言えば、それはただの妄言にすぎません。 しかしながら、それとこれとが隣り合わせにあることは、僕の頭の中の世界ではただの事実にすぎないので、アホなお人がアホなことを言っておるなあと思われることも承知の上で、これはぼくにとっての事実にすぎませんよとくだくだしく述べた上で、もう一つ妄言をしるして今日はタブレットを置くことにします。 大惨事になって初めて知る、三時のおやつのありがたさ。 ☆http://twitter.com/tosibee もよろしく。

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世界は響き合っている、今日も。 そう、ぼくは思うんです。 それは、むろん、ぼくが「勝手に思っているだけ」のことなんです。 ネット上のあちこちに、静かに放たれる言葉を見るとき、あれっ、これって、ぼくがこのあいだ放した言葉が、響きを生み出したのかな、なんて思うことがあります。 ただの「自意識過剰」かも、しれません。 でも、それも、いいじゃないですか。 その響きに囚われて、おごった気持ちになってしまうのなら、つまらないことですけれど、なんとなく、響きを感じて、それとなく、響きを楽しんで、万物の生成と消滅を味わうだけならば、なんの問題も起こりやしないんですから。 ネットのあちこちで、静かに放たれる言葉を見るとき、その言葉に動かされて、ぼくも言葉を放ちたくなります。 おせっかいで、えらそうな言葉を、つい放ってしまったりもします。 でも、ほんとは、ちょっとさみしいだけなんです。 言葉のやり取りを、楽しみたいだけなんです。 だから、直接なげつけるような言葉はもうやめることにして、そっと静かに言葉を放すことにしようと思うんです。 そして、そんなふうに、いったん人の手を離れた言葉は、それ自体の命を持って、それぞれに響き合うことになるのでしょう。 世界は響き合っている、今日も。 違いますかね? ☆しばらく前の記事ですが、こちらもどうぞ。会社なんてやめても、どうにかなるよ、という話です。 【気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか】 http://meratade.blogspot.jp/2016/07/blog-post_26.html

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ダイアリーのみなさん、こんにちわ。 blogspot に便所の落書きが金の卵を生むガチョウになるネット錬金術と瞑想の効用についての駄文を書きましたので、よろしければどうぞ。→ いんたーねっとトハ超次元的ニ縫イ合ワサレタ便所ノ落書ノ網目ナリ http://meratade.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

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ここは超亜空間なんだよね。 キミさえその気になれば、どんなことだって起こりうるってことなんだよ。 ぼくみたいに感受性の低い人間は、カスタネダと一緒で、魔法のキノコの助けが必要だったりするんだけどね。 そのなんでも起こりうる素敵な迷宮のなかで、どうしたわけか便所の落書きと戯れてるアホウが、ここに一人いるってわけでさ。 ま、いいじゃないか。 便所の落書きで、その要塞を守ってるつもりなんだ。 好きにやれば、いいじゃないか。 自分なりの神殿ができあがれば、それで万々歳じゃないか。 ひとから見たら、便所の落書きにしか見えなくても、自分にとっては最高の呪文ってことだってあるだろう? 頭の中に作り上げた掘っ立て小屋の宮殿で、おれは一人さ悟りを決めさせてもらうよ。 ☆というわけで、こちらも読んでくれたまえ。 便所の落書きが、錬金術によって、至高の瞑想となる瞬間を、荘厳に描き出しておいたからさ。 【いんたーねっとトハ超次元的ニ縫イ合ワサレタ便所ノ落書ノ網目ナリ】 http://meratade.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

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ゲゴンのバクソクから逃れようと思いついたのは、 もう何十年も前のことです。 思いつくのは簡単ですが、実行は難しいのです。 ゲゴンのバクソクから、ずいぶん逃れたつもりでいたのです。 けれど、全然、まだまだだなと、当然気がついたりするものなのです。 西インドのプシュカルという聖地で、 インドの痩せ気味の黒い人たちを街で見ていると、 自分が日本人だなあという気がしてくるのです。 ゲゴンにバクソクされているのです。 バクソクされているのは、ゲゴンばかりではありません。 カッコとかガクテツとか、吹けば飛ぶよなネンガイに、 バクソクされまくりのありさまなのです。 ああ、ぼくは、 もうバクソクなんてやめにして、 すべてのものからレガノって、 ただただ風にでもなってしまいたいのですが、 まだまだその境地には遠すぎます。 遠すぎることをいつも忘れないように気をつけて、 その日に向かって歩き続けるだけなのです。 ☆こちらもどうぞ。 エッセイ的読み物です。堀田善衛「広場の孤独」にも軽く触れました。 【改憲に王手。ニッポンはホントーに大丈夫なのか?】 http://meratade.blogspot.jp/2016/09/blog-post_26.html

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ゆめからきたのか

そうか、ぼくはゆめから、来たのだったよな。 そんなことは忘れて、ぼくは毎日生きていたのさ。 それでいいじゃないか。 それでいいじゃないか。

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人生は乗るか反(そ)るか、 そういうことだと、ぼくは思うのです。 乗るという意味を、安全牌の方向で考えて、 公務員になるのもいいですよね。 大学のSF研の友だちが、うまいエロ漫画を描ける奴なんだけど、建築学科だったりして、 都庁に潜り込んでるのには感心しました。 ぼくは、公務員どころか、会社員も務まらない莫迦ものなので、 はじめから二年くらいでやめようと思っていた会社勤めを、 二年足らずでやめて、気楽にも、悩ましい人生を送り続けて、 早三十年です。 ほどほどには乗れてます。 そんなに苦労はしてません。 だけれども、反れっぱなしで、どこにも戻りようにありません。 とはいえ実のところ、誰だって戻りようのない人生を、 一度限りの人生というものを、 きっぱりと生きる以外に道はないのですから、 ぼくも、この、反れっぱなしの人生を、 きっちりと、きっぱりと生きるだけなのです。 というわけで、みなさん、楽しもうじゃないですか、 この乗るか反るかの人生という奴を。 ☆こちらもどうぞ。会社なんてやめても、どうにかなるよ、という話です。 【気分はオフグリッド・あなたは自由に生きたいですか、生きられますか】 http://meratade.blogspot.jp/2016/07/blog-post_26.html

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東の果てのひょうたん島で、ぼくらは夢を見たのだ。 大人になどなりたくなかったのに、ある日「きみはもう大人だ」と言われ、仕方がないので、その日から大人の仮面をつけて、今日まで生きてきた。 すると、大人に成りきらなかった友が遠くで、「虚構(ゆめ)は現実に負けたりしない」と言うじゃないか。 それでぼくらは、友が創り上げた壮大な夢を見たのだ。 その夢は、大人になってしまった裸の王様たちには、子ども騙しにしか見えやしない。 だからぼくたちは、その夢をこっそりと楽しむことにしたのさ。 こっそりと、しかし、おおっぴらにね。 ☆ぼくたちの「夢」の映画「シン・ゴジラ」についてはこちらにも書いています。 【きみは「シン・ゴジラ」に日本の未来を見たか(ネタばれ御免)】 http://meratade.blogspot.jp/2016/08/blog-post_7.html

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寝言の王子さま

なんの因果で、と今ぼくは思っているのです。 なんの因果でぼくは、こんな寝言の王子さまを、かばっているのだろうかと。 たぶんそれは、ぼく自身の出自が、寝言王国にあるためなのかもしれません。 寝言王国の臣民の皆さん、どうか、「アホウ」の王子を見捨てないでください。 この「どアホウ」を立てる以外、今の我々に道はないと思うのです。 あ゛あ゛。 【寝言の王子さまについて詳しくは、こちらで書いております】 http://meratade.blogspot.in/2016/07/blog-post_23.html

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なんでも東の最果ての国で、大きな人気投票があったらしい。 その国では人気投票で祭りごとを決めるもので、その結果を見ては、一喜一憂する人がいるのだそうだ。 それでぼくは思うんだが、人気投票をする権利があることを、祭りごとの決定権があるのだと「想定」するというのは、はたしてどんな「理性」のなせるわざなんだろうね。 祭りごとの現状に鑑み、少しはまともに思える人物に、わざわざ自分の時間を使ってまで人気投票するというのに、その一票が虚空に消える経験しかしたことがない人間が、自分には祭りごとの決定権などないのだと「勘違い」するとき、そのことを誰がどんな理由で否定できるというんだろうね。 西の最果ての国でも似たような話があるらしいじゃないか。 ねぇ、みなさん。みなさなは、こんな人気投票なんて茶番にすぎないと、ほんとは気づいてるのに、これに代わる気の利いた方法が思いつかないもんだから、わらしべにすがるつもりで、こいつにしがみついてるのかね。 それとも、このうんざり感たっぷりの状況の中で、悪い夢を見続けるのが、スリリングで一番いいってわけなのかい? それなら別に、何も言うことはないさ。 ただ、もしも。 もしも、もう少しいい夢を見たい、という気持ちが、少しでもきみに残っているのなら、どうか、深呼吸をして考えて欲しいんだ。 人の命を食らってまで、楽に生きようとするのは、後ろめたいことじゃないかってことをさ。 [http://meratade.blogspot.com/2016/07/2016.htmlに「三宅洋平」氏の「惨敗」について書きました]

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中