はてなのみなさん、ネパールより、ナマステジーっ。
前回の Adsense ネタの記事
アマゾン・アフィリエイト、note.mu 、そしてアドセンスまで - ぼくのネット上小遣い稼ぎの黒歴史 - *魂の次元*
では、Amazon Associate (記事 30 本ほどで 2,500 円ほど) や note.mu (記事 100 本ほどでやはり 2,500 円ほど) といったささやかな収入も合わせ紹介しましたが、今回は Adsense シリーズの続きとして、その後四ヶ月が過ぎたところでの微々たる進展について報告したいと思います。
さて、前回の記事の Adsense に関わる内容は、「九ヶ月の期間に 70 本ほどの記事を書き、約 700 円の収入があった」という話でした。
どう控えめに表現しても、小遣いと呼ぶには「遥かに遠く及ばない」というしかいいようのない金額ですが、千里の道も一歩から、これがいつか巨万の富に結びつかないとは、誰にもいうことはできません。
...... というような、わらしべ長者的セリフはこのくらいにして、その後の四ヶ月の進展を簡単に書いてしまいましょう。
この四ヶ月も、気が向くと記事を書く、といった程度の適当な更新を続けていた http://meratade.blogspot.jp ですが、書いた記事数が 15 本と少ない割りには、300 円ほどの収入があり、Adsense の第一関門 1,000 円を超えることができました。(やったーーっっ)
※ちなみに、Google Adsense の規約では、google からの支払額以外のデータは公表してはいけないことになっています。この記事では、細かい数字は出していませんので、たぶん問題にならないはずですが、万一問題にされれば、最悪 Adsense アカウントの停止といった事態にならないとも限りません。大変危険ですので、良い子のみなさんは、絶対真似しないでくださいね♬
まったく不真面目な Adsense 利用者である私は、第一関門突破を意味する、4 月 13 日付けの、住所確認書類を送った由の google のメッセージに、半月以上も経った今日ようやく気がついた次第で、さきほど実家の弟に「郵便をチェックしてPIN コードを教えてちょ」とメイルしたところです。
(この PIN コードを Adsense アカウントで入力することで、google からの支払いを受ける準備がととのうことになります。)
1,000 円の関門は、単に住所確認だけで、実際の支払いは収入の累計が 8,000 円を超えないとしてもらえません。
夜中たわしさんが、
親族により70余年封印された本『悪魔を出し抜け!』オーディオブック版感想 - 夜中に前へ
という記事で、ナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け!」を紹介しているので、ぼくも便乗してちょっと書いてみます。
この本はいわゆる自己啓発本ですので、「お金を儲けたい」あなたや、「有名になりたい」あなた、そして、「とにかくネット上でビッグになりたい」あなたなどには打ってつけの本ということになります。
そして、さらに言えば、「ニートな悟りを決めたい」あなたにこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊だったりもするのです。
ぼくはどちらかというと、マイナー「指向」にしてマイナー「思考」な人間ですので、題名に「悪魔」という言葉が入っていなかったら、この本を本屋で手にとることもなかったでしょう。
そうです、この本のとっても面白いところは、悪魔があなたに「ビッグになる」方法を教えてくれるところなんです。
ナポレオン・ヒルは、アメリカにおける自己啓発本の本家本元みたいな人ですが、その彼が「ある精神的な危機を経て、悪魔とコンタクトを取れるようになった」というのが、この本に書かれている文字通りのいきさつです。
たわしさんは、悪魔とコンタクトを取ったというのは方便であり、刺激的すぎる内容を直接自分の言葉として語るのは差し障りがあるので、悪魔の言葉として語ることにしたのだろうと、書いています。
確かにそうかもしれません。
けれども、「命に関わるような精神的な危機」を経験することによって、普段は入ることのない「変性意識状態」に入るということは、十分ありうることでして、ナポレオン・ヒルが「実際に悪魔と対話した」と思っていたとしても、これはなんらおかしなことではありません。
少し時代はさかのぼりますが、イエス・キリストさんだって、神の声を聞いたと思ったわけだし、周りの人たちもそれを信じたわけですから。
さて、そこで悪魔が何を教えてくれるか、ということなのですが、それは
「いかにして悪魔が人間をコントロールしているか」
という方法なんですね。
で、ナポレオン・ヒルさんは、どういうわけか悪魔と友だちになってしまい、悪魔のやり口を教えてもらってしまいましたから、これを逆転することによって、「悪魔を出し抜く」ことが可能になるわけです。
悪魔を出し抜きさえすれば、ほら簡単、あなたはあっという間にビッグになれるという次第です(嘘)。
で、いかにして出し抜くかということですが、これを一言でまとめてしまうと、
「ヒプノティック・リズムにはご用心」
ということになります。
たわしさんはそれを
「悪魔にコントロールされないためには、周囲に流されず、自分の頭で考えろ」
と表現なさっています。
はしょって説明すると、悪魔の目的は「自分で考えない、周りのいいなりになる人間を作ることで、この世界を堕落させる」ことにあるわけです。
そのとき悪魔は、「ヒプノティック・リズム」という人間を催眠状態に落とし入れる波動によって、人間をコントロールしているとのこと。
そのことを十分に意識していない限り、人は簡単に「周りに流される、いいなり人間」になっちゃうって話なんですね。
そしてこの「十分に意識する」っていうのが、めちゃめちゃ難しい。いろいろなエピソードを通してその「難しさ」についてもきちんと書いてありますので、あなたが本当に「悪魔を出し抜きたい」のだったら、役に立つことは間違いないです。
この本は自己啓発本ですから、全体のストーリーは「流されない人間になって、ビッグになろう」というふうなものなのですが、基本的な考え方は、お釈迦さまの説く、初期仏教ともそっくりだなと、ぼくなどは思います。
ぼくの場合、涅槃・寂滅を目指す、仏教的なストーリーの方に、どちらかといえば惹かれるわけですが、キリスト教的でビジネス畑のナポレオン・ヒルさんの書く「真実の書」が、「世間に流されない人間になろう」という主張において、仏教とほぼ同じ結論に達していることには、とても興味深いものを感じます。
というわけで、「ビッグになりたい」あなたにも、「ニートな悟りを決めたい」あなたにも、蝶おすすめの一冊ということなのでありました。
ほいでは、気になる方は、ぜひアマゾンでチェックしてくださいねー。
ナポレオン・ヒル「悪魔を出し抜け!」きこ書房2013
はてなのみなさん、ご無沙汰してまーす。
ネパールの首都カトマンズからほど近い、ドゥリケルという山腹の小さな街に来ています。
晴れた日には、宿の窓からも、遠くヒマラヤの峰々が、白く輝く清々しい姿をお披露目してくれているのを拝めるのですが、今日は階段を何百段か登って、見晴らしのよい尾根に立つ、カーリー寺まで、奥さんと二人、足を伸ばしました。
朝早いうちに登る山道は、空気も冷たく爽やかで、道の所々に設置されているヒンドゥー教の神様の像を、これはクリシュナさんだね、こっちはラーマさんかな、などと拝みながら、ゆっくりゆっくり歩いていきました。
道の両側には背の高い木が生えているのですが、ネパールはしゃくなげの木が多く、食堂の名前などにもラリグランスというしゃくなげの英語名がつけられていることがありますが、ここでも普通に見かけました。
けれどもしゃくなげの花の時期にはまだ早く、青々と葉を茂らせるばかりで、道端の小さな草には可愛い花をつけているものもありましたが、花をつける木はありませんでした。
いつかしゃくなげの花の頃に来たいものだなと、思っていると、背の高いしゃくなげの木のてっぺん辺りに、赤い花が三輪ほど咲いているのが見えました。
山道を登るぼくらをみおろして早々と咲く赤いしゃくなげ
そのあと、もう少し登ると、カーリー寺に着きました。
寺といっても屋根つきのお堂があるわけではなく、土台は立派な石造りでちょっとした広場のようになっているのですが、そこに露天の石の祭壇があり、カーリー女神の小さな石像がまつられています。
そこで、荒ぶる女神カーリーの力を分けていただき、初夏ののどかな空気に霞むヒマラヤの山々がうっすらと見えるのをしばし楽しんで、持っていったパンとバナナをおいしく食べました。
....と、そんな呑気な日々を送っているとし兵衛でした。
それではみなさん、ナマステジーっ。
一日で三本目のつもりの記事です。日本時間では日付が変わってますけど。
はてな村交友録・マミーさんの巻 谷口ジロー追悼 はてな村交友録・マミーさんの巻 ここ、はてな村にて、しばらく前からかまっていただいているマミーさんは、「かわいい」という形容詞が似合う、すてきな女性だと思う。
大阪からの1泊小旅行 その2 - こたつ猫の森 という記事は、マミーさんが岡山へ旅行した体験をつづったものなのだが、冒頭からスマホのストレージがいっぱいになって、写真を撮ることができなかった経験が語られる。
仕方なく、夕食の後に、古い写真をスマホからせっせと消去するという、チマチマ単調な作業をする羽目になりました。
めんどくさかったです!(←どうでもいい報告)
こうした、なんの衒いもなく、100%いい意味で無邪気な書きっぷりが、彼女の魅力である。
その後は、大原美術館の話で、ロダン、エル・グレコ、レオン・フレデリックなどの名が挙げられ、へー、倉敷にそんな素敵な美術館があったんだーー、と思ったことだよ。
さて。
ぼくは倉敷は一度だけ行ったことがあります。高校の旅行でのことでした。
「天領だった江戸時代の風情を色濃く残した倉敷美観地区」は、いい町並みだなぁと思いましたが、生意気盛りのわたしらは、観光などせずに喫茶店に入って、どこに行っても普段通りの行動をする、これが粋ってもんだ、みたいな分からぬ理屈で意気がっておりました。
ですから、大原美術館など存在も知らず。
まあ、当時は特に美術に関心がなかったから、知ってても行かなかったかな。
それよりも、一緒に行動していた友人の一人が、どうもこの辺に古本屋がありそうだ、とかいうのでついていくと、確かに古本屋があって、当時すでに東京では入手困難だった早川SFシリーズがいっぱいあって、そいつを買い占めたのがいい思い出です。ぼくが勝手に独り占めしたので、仲間の一人には、俺だってほしかったのにと、さんざん文句を言われてしまいましたが。
今更ながら反省。
谷口ジロー追悼 さて、件のマミーさんの記事で、はてな村での交友関係が紹介されているのですが、その中のお一人セネシオさんの記事を見て、谷口ジロー氏の訃報を知りました。
漫画家谷口ジロー氏へのオマージュ (パリ国際ブックフェア) - ベルギーの密かな愉しみ
セネシオさんの記事によると、谷口ジロー氏は、ベルギーやフランスでも人気が高いとのことで、へー、と思って読んでると、BDの作家がどうこう、と書いてあります。
BDってなんやねん、と思いながら読んでいくと、バンド・デシネという言葉が出てきて、なんか聞いた覚えあるな、と思いました。
谷口さんはベルギー・フランスのバンド・デシネの漫画家の影響を受けたというのです。
そして、メビウスの名前が出てきて、ようやく了解しました。
大友克洋も影響を受けた、バンド・デシネの巨匠です。
なるほど、谷口さんもね。そういわれて改めて見直すと、分かる気がします。
と、ここまで書いといて今さらこんなことを書くのもナニですが、ぼくは谷口さんの作品を読んだことがありません。
でも、彼が関川夏央氏と組んで描いた「『坊ちゃん』の時代」はずっと気になっていました。
日本は今、歴史的な転回点にあると、ぼくは思っているのですが、漱石の生きた明治時代というのは、現代日本を考える上で、知っておかないと話にならない時代です。
ところが、ぼくは、明治時代のこともロクに知らないし、漱石のことも同様。
日本に帰ったら、早速この漫画を読んで勉強したいと思います。
☆興味のある方は、アマゾンでチェックしてください。
新装版『坊っちゃん』の時代
極小網作家(ぷちウェブライター)*1のとし兵衛です。
今日は高知県在住赤茄子網日記家(トマトブロガー)さん(仮名)の教えにしたがい、たぶん私のはてな史上初の「一日あたり複数更新」でお送りしております。
この記事では、鶏ハムを作るのは果たして手間がかかることなのか、という人類の今後を考えるダメためにも必要不可欠な、蝶重要問題をみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
ただし、これを書いているわたくしは、ch3ch2ohという脳幹突破物質によって、意識の変性状態にありますので、本文の内容については、一切の保証はできかねます。
したがって、以下の文章を読むあなたは「アズ・ユー・ライクのシャディです」といった気持ちであってはならないことが期待されますので、以上、十分ご注意の上でのご高覧をお願いいたします。
酔っ払って書いてるのでどうかすべてを大目に見てください 水島真司とDAICON 3に西言葉を教わったぼく ここで鶏ハムの時間です 料理における「手間」ってなんなんよ? 酔っ払って書いてるのでどうかすべてを大目に見てください 浅田彰という三十年ほど前に一世を風靡した経済学者*2に「構造と力」という著書がある。
//というか「構造と力」という最初の本*3で一世風靡セピアしたんですわ。
その著書の内容については猫の額ほども触れないうちに立ち去ることにするが、今はなき、東京渋谷の旭屋書店において、その後書きを読んで蝶違和感を感じたわたしは当時若干19歳であったことだよ。
ほんで何に違和感感じたかというと、後書きで、浅田さんが「自分のこの著書は未熟なもんだから、いろいろ足りないこともあると思うからごめんね」みたいなことを書くときに、その「ごめんね」が「ご寛恕願いたい」かなんか書いてあったんよ*4。もう、もう、違和感120% 。日本の謙遜の文化を、これっぽっちも知らずに育った昭和の世田谷原住民としてはね。
半世紀以上生きてきて、最初の奥さんの、お母さんの出身が群馬、お父さんの出身は長野だったり、今の奥さんは、お母さんが広島で、お父さんは熊本、そして、ぼく自身は母も父もだいたい東京だけど、南伊豆に二年ほど、東広島に一年半住んだりもしたもんだから、「日本は、その大きさにまで拡大した東京ではない」という東京圏以外の人から見たら、あたり前田のクラッカーな*5の事実も、あたまで分かってる。
だけど、やっぱり体じゃ分かっちゃねーってことだろなぁー。>おれ
いや、この話はね、浅田さんとぼくの世代の違いだけじゃなくて、西の彼と東のぼくでは、その言葉のもつ意味が違うはずだってことでね。
つまりこの話は、「ご高覧」という、ぼくからしたら「ゾンビ感」丸出しな言葉を、当時26歳の浅田さんが使っていたことが、いま思い返すとぼくにとっては、西と東の似て非なる言葉遣いをそれとは知らずに意識した初めての機会だったんだなってことなんよ。
水島真司とDAICON 3に西言葉を教わったぼく さてさて。
お昼ごろに、ルンビニバザールの雑貨屋で、ネパール国謹製タイガービール500ml缶(ひと缶150ネパールルピー、ほぼ150円)をふた缶買って、聖地公園の入り口向かいの屋台で、インドやネパールではチョウメンと呼ばれる、我々日本人からしても焼きそばとしか呼びようのない食べ物(ハーフサイズ約25円)をつまみに、ひと缶飲みました。
そして、その屋台でKurkureという日本で言えばカラムーチョみたいなスナックのMasala Munch味(約10円)を買って帰り、それをつまみに宿(ツィンルーム一泊約400円*6)でもうひと缶飲んで、前節まで書いていたのです。
ひと眠りして今は四時半すぎ、漢語では酒精と呼ばれる、現在地球上のほとんどの国家で合法的に購入することのできる向精神物質の影響からほぼ回復し、続きを書き始めたところです。
なお、この項以降、内容をネットで確認する手間を省き、紋白蝶いい加減モード全開でお送りしますので、記憶違いなどあるかもしれません。あらかじめお詫び申し上げます。
水島真司という、野球漫画で知られる漫画家さんがおりますが、ぼくが小学生の頃(ってことは、1975年とかそのくらいですね)に「男どアホウ甲子園」という漫画を少年チャンピオンで連載されてました。
ぼくはこの漫画をコミックスで全28巻買い揃えていたのですが、この漫画がいわゆるところの大阪弁とぼくの出会いであったといっていいでしょう。
ときは過ぎゆき、ぼくは高校生になります。あれは1980年だったでしょうか、世の中には「日本SF大会」というイベントがあるのですが、まあ誤解を承知で、しかも分からない人にはやっぱり分からない例えで説明しますと、コミケことコミックマーケットみたいな、つまりは、SF好きな人が集まって、「SFに関する話題で一年に一度盛り上がろう」的なお祭りなわけです。
そのSF大会が、たぶん1980年に大阪で開催されたわけですね。DAICON 3 という愛称がついてるんですけど。
なお、このDAICON 3というイベントが、のちに世界を席巻する日本のアニメの代表作「新世紀エヴァンゲリオン」を撮ることになる大監督、庵野氏の、まだアマチュア時代ではありますが、実質的な活動の始まりということになります。
こんなことを書いていると、自分が時代の生き証人になったような気がしてきて、なんだか面白いですね。
で、そのDAICON 3に参加の申し込みをすると、今こんな感じで準備を進めてますよー、というお知らせを送ってきてくれるんですが、そのお知らせの中にカセットテープが入ってたんですね。
そのカセットテープは、大阪流のギャグが詰まっていたわけですが、そのうちの一つが大阪弁講座だったわけです。
日本全国から集まるSFファンのみなさん、「せっかく大阪にきはるんやったら、大阪弁くらい話してーな」*7というわけです。
もう内容はほとんど覚えてませんが、たとえば、
大阪弁の挨拶は、
「もーかりまっかー」
「まーぼちぼちでんなー」
ですよ、
みたいな感じで、語学教材風に作ってあり、これがなかなかよくできてるわけですよ、なにしろガイナックスの人たちが、会社を起こす前に作ってたわけですから。
おもしろい場面に立ち会っていたものだなあと、あとからしみじみ思うものですね、青春時代って。
ここで鶏ハムの時間です さて、ぼくのリアルでの知り合いには、はてなを使っている人などほとんどいないのですが、そのはてな村友のうちで、太古の昔よりの人生の先輩であるネギ氏が、鶏ハムについて記事を書いていたのが、ことの発端なんです。
ネギ氏が、鶏ハムを作って食べたって話で、それの感想が
「うまいはうまいけど、ちょっと手間がかかるから、割が合わない。これだったら、ただ茹でて食べるだけでいいか」
というものだったんで、
「ふーん、どんな料理で、どの辺が手間なんかなー」と思ったんですよね。
鶏ハムというのは、悪名高い有名な巨大ネット掲示板 2 channel 生まれのレシピということで、
鶏の胸肉に蜂蜜、胡椒、塩をつけて冷蔵庫で寝かせ、
これを沸騰した鍋に入れ、
再沸騰したら15分ゆでて、
そのあとしばらく鍋をそのままにしとけばできあがり、
という仕込みだけすればあとは手間いらずって料理なんです。
これを知って思いました。
さすが、ネギ氏、「手間の概念が凡人とは違う」って。
この感想は、ネギ氏のことを、これっぽっちもばかにしてるわけじゃなくて、むしろ、尊敬すると同時に、すっごく面白がってるだけなんです、懇切丁寧に説明しておきますけど。
料理における「手間」ってなんなんよ? ということで今日はここで、料理における「手間」について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
「常識的」な意味では、鶏ハムは「手間いらず」なレシピです。
このとき、「手間」という言葉が意味するのは、
頭の中で、
けせらん ぱさらん けせらん、ぱっ、ぱっ
けせらん ぱさらん けせらん、ぱっ、ぱっ
という、謎のミュージックが流れています。
毎度どうも、ぷちウェブ作家のとし兵衛です。
あなたはいつもweblog*1を書くとき、どんなことを心がけていますか。
ぼくは、そういうことをきちんと言葉にするような人間ではないので、weblogということで言うと、特にこれだっていうのは、今思いつかないんですけど、文章全般の話をまずすれば、二つばっと思いつくことがあります。
「カタカナや漢語をなるべく使わないこと」と、「漢字が多くなりすぎないようにする」ってことです。
てなことで、今日はいっちょう「真夜中の文章術」*2ということでいってみましょうか。
余計なことは考えないでいい、とにかく書くんだ 文章は爆発なり、故に表現は自由なり 「自由にやれ」とはいうものの、一人よがりにはなりたくないあなたへ 小手先の技ではなく人生を真似る文章術 余計なことは考えないでいい、とにかく書くんだ インターネットの普及によって、わがニッポン国*3においては、「情報を発信したい」という意志さえあれば、誰もが無料(ただ)*4ないし、きわめてお安い値段で情報発信できる時代になっちゃったんですのよ、奥さん*5。だってそうでございましょう。ほら、今うちの次男が行ってるんですけど、ネパールみたいな国に行ったら、まだまだまずしい方がいっぱいいらっしゃって、ネットどころじゃないらしゅうざますわよ。えっ、あたし? あら、あたしとしたことが申し遅れましてすみません。あたくし、とし兵衛の母のかよ*6と申します。いつも息子がお世話になっておりましてー。あら、やだ、九時半、もうこんな時間だわ。ちょっと買い物に行ってきますわね。それではごきげんよーー。
というわけで、ネパールは今、朝の六時。窓の外からは小鳥のさえずり、カラスの「あ゛ーー」という鳴き声が聞こえてきます。
とまあ、そんなわけで、一億総発信者の時代を迎えた我が国において、ネット上で文章を公開し、後悔する機会も増えたわけですが、ここでまたぼくの頭の中では、
けせらんぱさらんけせらん、ぱっ、ぱっ
けせらんぱさらんけせらん、ぱっ、ぱっ
という、謎のミュージックが流れて始めました。
そとではにわとりが「おっえおっおぅーーー」と元気に鳴いとリます。
こんなことをやっていると話が進みませんから、横道にそれずに話を進めることを心がけていきましょう。
ここまで、こんなにどうでもいい文章をつづったののはなぜかというと、「とにかく書け」という原則にしたがったからです。
すべりまくる冗句でも、誰もが頭をかかえる奇妙な文体でも、とにかく書いてみないことには、表現は始まりません。
どんなにたくさん文章術の本を読んでも、実際に書かなかったら、読またかったも同然です。
あれこれ思い悩むよりは、とにかく書いてみること。
当たり前すぎますが、これが文章術のアルファにしてオメガです。「狛犬さん、あ・うん」*7です。すべてものごとは、Aから始まってZで終わるのです。
おーむ、しゃんてぃ、しゃんてぃ、しゃんてぃ*8。
☆本の紹介: 数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫)
YukiWiki の作者として知られるプログラマーにして作家の結城浩さん、こんな本も出してるんですね。
アマゾンのレビューを見てみると、なかなか面白そう。数学嫌い以外の人は読んだら役に立つと思います。
文章は爆発なり、故に表現は自由なり 芸術は爆発です。文章も爆発です。
爆発に決まった形はありません。爆発は自由なんです。
そうです、文章は自由なんです。あなたの好きな通りに書けばいいんです。
ですから例えば、こんなのだってありです。
。ねよいいものるみてい書らか右はにまた
うーん、これは我ながら新鮮だなー。最後の句点が右寄りになってくれないのが、ちょっと気になるけど。
これは文章術に限らないんですけど、人の術を参考にさせてもらうとき、ぼくは大体話半分(当社推定値)に聞いてます。
っていうのは、相手と自分の前提が、多くの場合違うからなんですよね。
たとえば「weblogはこう書け」みたいな内容で、「親しみやすい文章を心がけましょう」とあったとしますよね。
じっさいぼくも、親しみやすい文章を心がけてるつもりです。
多くの人に読んでもらいたいならば、これはたいてい間違いのないやり方でしょう。
でも、あなたが書きたいものが少数の人でいいから、心の奥底まで届くような文章だったとしら、この「親しみやすい」という基準は正しい基準になりうるでしょうか。
もちろん、なる場合もあります。
多くの人に読んでもらった上で、その中のごく少数の人の心の奥底まで届く、という道筋の場合は、「親しみやすい」文章を書くことは、あなたの目的と矛盾しません。
けれども、心の奥底まで届く「あなた」の文章を求めている人は、ありきたりの「親しみやすい」文章には目もくれず、「とっつきにくいけれども、何かが感じられる文章」を求めているかもしれません。
この場合は「親しみやすい文章」を心がけないほうがいい、ということになります。
というわけで、文章術に王道なし、あなたの好きな道を行ってください。
長く歩けば、歩いただけ、あなたなりの表現が生まれてくるというものです。
☆本の紹介: 岡本 太郎「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」 (光文社知恵の森文庫)
元祖「芸術は爆発だ」の岡本太郎氏。なかなかの怪人物にして快人物です。
この本は五年ほど前に芝居をやってる友だちから知って読みましたが、ぜんぜん古びた感じがしませんでした。
表現の自由さを知る上で読んでおいて損はない本だと思います。
「自由にやれ」とはいうものの、一人よがりにはなりたくないあなたへ 一人よがりになって、悪い理由というのも、実はありません。
底抜けの自己満足だったとしても、自分がそれで楽しいなら、問題なーい、ですよね。
ただし、他者攻撃のたぐいは、人目につかないところでやるようにしてください。
みなさん、ナマステジー、とし兵衛です。
ネパールのルンビニにいます。
ここにはコンビニはありません。(ずるっ)
今日は、敬愛するはてなの先輩、夜中たわしさんの切実なご要望にお答えして、悪夢解消の方法について、みなさんと一緒に考えたいと思います。
なお、今回解消する悪夢は、何者かから攻撃されるタイプの悪夢です。
夢の悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」 おっとその前に、「明晰夢の術」 初めての明晰夢 明晰夢を見るコツ たわしさんにお願い。悪役と友だちになってちょ。 そして新たな秘技「ガム噛みの術」 夢の棒術使い・夜中たわしよ、今こそ立ち上がるのだ!! 夢の悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」 たわしさんのご要望は、「悪夢を解決したい」というものなのですが、
夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へによると、
>>私の見る夢は大体悪夢です。週に1回は見知らぬ人やモンスターから攻撃を受けています。<<
ということですので、かなりのご苦労をなさっていることかと、想像します。
以前の記事 悪夢から力をもらう方法 - *魂の次元* でも書きましたが、悪夢を見ることにもちゃんと意味があり、悪夢を見ることで頭の中の整理がされる、と考えられるのですが、
「悪夢なんて、できれば見たくない」
というのは、誰でも同じですよね。
ぼくも見たくないですが、昨晩は久しぶりに見ちゃいましたね。
起きたら冷や汗かいてました(笑)。
ゴロツキに絡まれて、もう少しで大怪我、というところで目が覚めました。
さて、夢に出てくる悪役というのは、こちらが怖がっている限り、調子に乗って悪役を続けます。
ですが、こちらが落ち着いて、友だちになろうと思えば、向こうも友だちになってくれるらしいんです。
「らしい」というのは、ぼく自身はこの方法、まだうまくできたことがないからです。
だって、「夢の中で悪役と友だちになれ」って言われても、夢の中でそんなこと、うまく思い出せないですもんね。
おっとその前に、「明晰夢の術」 ところが、これにはコツがありまして、悪役を友だちにしちゃう「悪役変化の術」はまだ使えないぼくですが、「明晰夢の術」は、ときどきなら使えるんです。
明晰夢というのは英語の lucid dream の訳語なんですが、夢の中で夢を見ていることを意識できている夢のことなんですね。
// うっ、「夢」が三つも出てきてすごい日本語になっちゃった。
そういう夢は、視覚や音や体感など、はっきりくっきり東芝さん(ずるるっ)*1なことが多いので、明晰夢って名前にしたんでしょうね。
夢の中で「これは夢だな」と気づくと、原理的にはどんな体験でもできることになります。例えば空を飛んだり、壁を突き抜けたり、みたいなことです。
(もちろんもっとロマンティックなこともできますよ、うふふ)
ぼくは、もともと空を飛ぶ夢をよく見ていて、それだけでも普通に気持ちがいいんですが、夢であることが分かった上で空を飛ぶと、普段よりさらに豪快な飛び方ができたりするので、なかなか楽しいものなんですよ、この明晰夢ってやつは、ほんとに。
まあ、なんでもできると言っても、実際には、途中で夢が覚めてしまったりするので、思い通りにコントロールするのは難しいのですが、とにかく、現実とも、普通の夢とも違う特殊な経験なので、おもしろい体験であることには間違いありません。
さて、この明晰夢を見るコツですが、基本は、眠る前に「明晰夢を見るぞ」と十分決意することです。
その上で、カルロス・カスタネダの「力の話」という本に書いてあるやり方では、夢の中で自分の手を探す方法が取られます。
これは、眠る前に「今日は夢の中で自分の手を見るぞ」と決心するわけです。
初めての明晰夢 ぼくはこの話を知ったその晩に「これはおもしろい」と思って、早速ためしてみました。
そのときのぼくは、相当気合が入ってたんだと思いますが、一旦寝たら、夢を見ることなく、一時間半ほどで目が覚めちゃったんですね。
寝るのが得意なぼくは、「よし今度こそ見るぞ」と思って、もう一度眠りました。
そうしたら、また一時間半ほどで目が覚めちゃったんです。今度も夢は見てません。
ありゃりゃと思い、「今度こそは」です。
ところがやっぱり一時間半ほど経つと目が覚めちゃう。
これを何度繰り返したでしょうか。
ちなみに、この一時間半というのは REM 睡眠という、夢を見る睡眠状態のサイクルなんですね。夢を見ると同時に、覚醒に近い状態なので、目が覚めやすい状態でもあります。
で、一回一時間半ほどのサイクルですから、たぶん、四回目だったかもしれません。
夢の中で自分の手を見ることに成功したんです。
そのときの夢がどんな夢だったかは、残念ながら忘れちゃったんですが、そのとき以来、ときどき明晰夢が見れるようになりました。
初めのころ見たやつで、自分の手の五本の指先から青い光線がすーっと出たのは、ちょっと神々しくてかっこよかったですね(笑)。
明晰夢を見るコツ 夢の中で手を探す方法以外にもコツがあって、ぼくが試して有効だったのは、起きているときに「それが夢でないか確かめる」というのがあります。
もちろん起きているのは分かってますから、夢じゃないに決まってるんですけど、そこであえて「これホントは夢とちゃう?」と自分に問うわけですね。
そうすると、それが癖になって夢の中でも現れて、「あれ、これなんかおかしいな、夢ちゃうか?」と気がつけるようになるんですね。
世の中には自由自在に明晰夢が見れる人もいるらしく、ちょっとうらやましいですね。
ぼくは結局、自由に明晰夢が見れるところまではいかないまま、最近はあまりみなくなっちゃってますが、これをきっかけにまた少し練習してみようかと思います。
はてな村の村民たちよ。
きみたちは熊に年四回の誕生日があるのを知っているか。
知らないのなら、それはそれでかまわない。
なにもかも知り尽くすなど、所詮できるわけもないことだからな。
熊の年四回については、春休みの自由研究で調べてもらうことにして、今日は我輩の年三回の誕生日について、説明しよう。 吾輩は、平均的人間とは言いようもないマリリンモンロー・ノータリーンな人間ではあるが、そうは言っても、ただの凡百の人間に過ぎない。
生まれたときには誕生日は一つしかなかった。
とはいえ、江戸時代以前には、日本人には各人固有の誕生日など実質的になかったのだから、ゼロと比べれば無限大の祝福とともに生まれてきたのだと言っても、ばちは当たるまい。
その我輩が、二つ目の誕生日を手に入れたのは、m.x.に登録した日のことだ。
m.x.に限らぬが、ネット上のサービスというものは、いつも相手の寝首をかこうと、虎視眈々と狙っているおそろしい忍者のような存在だ。
けっしてぞんざいに扱うべき代物ではない。
もちろんきみたちも、個人情報の保持には、十分注意を払っていることだろう。
そして、凡百の人間にすぎない我輩ではあるが、m.x.のようなサービスに戸籍上の誕生日を素直に伝える必要がないことくらいは分かっておった。
そこで吾輩は、新しい誕生日を手に入れることになったのだ。
この方法を使えば、人はいくらでも誕生日を増やしていけるわけだが、何が楽しくて、わざわざネット上のサービスに登録するごとに、誕生日を増やしていこうなどと思うだろうか、いやない。
そうそう、我輩の第三の誕生日のできあがった理由は、また別の事情なんよ。
あれは45歳になる年の、たぶん初夏の頃のことだったと思います。
当時、精神福祉の界隈で働いていたぼくの先輩が、自分のうちに音楽スタジオみたいなスペースを作っちゃったんですよね。
で、先輩の音楽仲間にまぜてもらってたぼくは、そのスタジオで初ソロライブをやることになっちゃったんです。
で、そのときのライブのタイトルを、「45ライブ」としたわけです。
そのとき見に来てくれたお客さんは、せいぜい二十人くらいだったのですが、それなりの玄人肌の方も見に来てくださって、何かを感じてくださったようだったのに気をよくして、ぼくはよし、ここはもう一発、きちんとしたライブハウスでやってやるぞ、と怪気炎を上げました。
とはいっても、ぼくのようないい加減な人間が、本当にちゃんとしたライブハウスでやるのは、ちょっとばかし、大変なことです。
そこで、たまたま知り合いが二人も常連で出ているハコで、しかも、誰でも簡単に出させてもらえる、東京は高円寺の無力無禅寺に出ることにしたのです。
そのときのライブの日取りが、「45ライブ」のちょうど半年後だったもので、今度は「45.5ライブ」と銘打ったわけです。
このときは、ぼくが勤めていた精神の作業所に通っている、うら若き女の子が二人見に来てくれたし、「45ライブ」の仕掛け人の先輩も見に来てくれて「那賀乃さんはこういうライブハウスでやるのが、ホントに似合うねぇー」と言ってくれたり、これまた、充実の経験が持てました。
とまあ、そんなわけで、我輩には、年に三回の誕生日があるわけなんよ。
んでもって、きのうは、「.5」の誕生日だったんよ。
えー、以上で、熊と我輩の誕生日の話はおしまいです。
んでもって、熊の名はパディントンです。
ほいじゃー、またねーーっ。
[那賀乃とし兵衛(ながのとしべえ) 2017.03.20 ネパール・ルンビニ]
はてな村のみなさん。
そして、超時空・電網怪海につどうすべてのみなさん。
今日はわたくし、ぷちウェブ作家那賀乃とし兵衛の52.5歳の誕生日なんです。
みんなで歌ってください、はっぴばーすでー、とーゆー、って。
灯油はいりませんが、ガスコンロ用のガス缶ならご寄付も受け付けております。
インドではなかなか手に入らないんです。
今はネパールのルンビニにいますから、あともう少しでカトマンズまでたどり着けば、手頃な値段で手に入るはずなんですけど。
いつもの通りのとっ散らかった文章で申し訳ありませんが、お時間ある方は何も期待せずにお付き合いください。
今日のテーマは、一応「人生において仕事とは何か」です。
それに対する、アルコール依存と軽い鬱のけがあるぼくの結論は、
「働かなくたって別にいいじゃん」
です。
ぼくは働くのがきらいなんです そういえば勤労の義務ってあったよね 物乞いの権利だって、ありだと思う ポストモダンなぼくたちの憂鬱 実感に裏打ちされた楽観 医療と福祉について ぼくの昨日、今日、明日 ぼくは働くのがきらいなんです ぼくは賃仕事というものがきらいです。
お金をもらうために働きたくなんかないんです。
何を子どもみたいなことを言ってるのか、と思われるかもしれません。
でも、シッダールタさんだって言ってるじゃないですか。
自分は見返りのための説教はしないし、畑を耕しもしないんだって。
彼は賃仕事なんか一度もしたことがないはずですよね。
王子様として生まれて何不自由なく暮らして、やがて出家して乞食坊主として一生を終えたんですから。
もちろんぼくには、シッダルタさんのような魂の器はありません。
そして、彼のようなストイックさの持ち合わせもない。
ですから、ぼくは今のところ乞食坊主としては生きていないし、たぶん将来もそういう生き方はできないでしょう。
インドには、サドゥーと呼ばれ、路上で暮らす乞食坊主の人たちがいっぱいいます。
すごいことだと思います。
ぼくにはとても真似はできません。
それなのに、ぼくは仕事なんかしたくないって、だだをこねてるわけです。
仕事をするのが当たり前、という健全な価値観をお持ちの方からすれば、どうにも手に負えないロクデナシということにもなりましょう。
さてそれで、その健全な価値観っていうのは、どんなものなんでしょうかね。
そういえば勤労の義務ってあったよね わが日本国憲法は、世界中の国々の憲法の中でも、最高に平和的で民主的なものの一つですが、その中に勤労の義務ということが書かれています。
まったく健全な価値観です。
でも、勤労の義務と言っても、利子生活が禁止されてる訳じゃないし、どっちかっていうと、働ける方はどうぞ働いてください、ってことなんじゃないですかね。
日本の社会にありがちな、働かない人間は人非人、みたいな考えって、マゾヒスティックに転倒しちゃいませんか。あげくに死ぬほど働いて、ほんとに死人が出る社会って、なんかおかしくないですか。
物乞いの権利だって、ありだと思う それから、勤労の義務と対をなすかのように、軽犯罪法では、乞食をすることが禁じられてるんですよね。
福祉という仕組みがきちんと機能していれば、そういう法体系も理解はできます。
けれども一方で、イヴァン・イリイチのように、人間にはもともと物乞いをする権利があるんだ、って主張する思想家もいます。
ぼくはこの意見に共感します。
物乞いをする権利というものがなかったら、シッダルタの悟りはなかったでしょうから、仏教というものは存在しえなかったでしょう。
ぼくは別に、仏教最高っ、て思ってるわけじゃないですけど、物乞いが禁じられてしまって、仏教も存在できないような世界は、窮屈すぎて住みたくないなと思うんです。
ポストモダンなぼくたちの憂鬱 憂鬱って文字、字画が多くて、ほんとに重苦しいですよね。
重苦しいことは忘れて、実感に裏打ちされた楽観の話でもしたいところですが、まだそこまでたどり着きません。
工業化された社会で衣食住に困らないぼくたちは、健全な社会の一員である限りは、そこそこ困らずに生きていけるのですが、なんらかの意味でそこからはみ出して、漏れだしてしまうと、得体の知れない不安を感じながら生きていかざるを得なくなったりするんですね。
ポストモダンの憂鬱ってのは、なんかそんなような話です。
ちゃんと社会の一員としてやってらっしゃるみなさんは、ほんとに立派だとぼくは思ってます。
それは、僕の場合、自分が社会の一員として「ちゃんとやってない」自覚があるからこそです。
けれども「ちゃんとやってない」自分はだめな人間なのか、というと、「別にだめじゃないです、これも一つの生き方です」と胸を張って言いたいと思ってます。
不安や憂鬱に負ける必要なんてないんです。
常識にしばられて、自分の首まで締める必要なんて、これっぽっちもありません。
もちろん、働けるということは素晴らしいことです。
けれどそれと同様に、働かないで生きることだって、十分素晴らしいことなんです。
実感に裏打ちされた楽観 ぼくにはアルコール依存と軽い鬱のけがあります。
けれども、今は医者にはかかっていませんし、「障害」があるとまでは言えない、曖昧な立場の人間です。
ここに書いているようなことは、そうですね、かれこれ四半世紀ほどは折りにふれ考え続けている話なんですが、この数年ヴィパッサナー瞑想をするようになって、ようやく頭で考えるだけでなく、体で感じる実感としての理解が芽生えてきたところです。
世間の人は、働けと言うでしょう。
働ける人は働いてもいいんです。
でも、どうしても働きたくなかったら、そして、働くのが苦しくて苦しくてたまらないのなら、無理をしてまで働く必要はないんです。
そのとき、働かない人間になんの価値があるのかと、思ってしまうかもしれません。
でも、この世に生きているということ自体が、あなたの命に価値があることの証明なんです。
このことさえ覚えておけば、あとのことは時間が解決してくれます。
こちらの記事
ムスリムの子は給食をどう食べているのか - お母さんが超大変 - めんどくさいとやらないブログ…だった
に、「ムスリム(イスラム教の信者)の方が学校給食に合わせること」の苦労話が紹介されています。
理想は、給食がハラル(ムスリムの方が食べられる食事)に対応することだと思いますが、現実にはいろいろと難しいのでしょうね。
それにしても、この件について、ネット上で見受けられる意見には、信教の自由についての理解がないものも多く、その「排外的」な口調には「不穏」な空気も感じてしまいます。 上記の記事のブックマークコメントで、id:maruXさんが「日本は宗教に寛容じゃなくて宗教に無神経って言ってた人がいた」と書いていますが、この言葉には深くうなづきました。
日本のように集団主義が社会全体を覆っているような国では、「給食を食べない」ということ自体が「排除」や「差別」の原因になりかねませんから、ムスリムの方に対して、「給食は食べず、給食費を払わなければいい」というのは、十分な答えとは言いがたいでしょう。
また、「アレルギー対応は命にも関わる健康上の問題であり、信教の問題とは比べられない」という意見もありますが、信教の自由も憲法で保障されている以上、学校給食についても、健康上による個別対応だけでなく、ハラル食についても個別の対応を考えることは、当然必要なことと思います。今すぐには無理だとしても。
「親の妄信のせいで子どもが食事を取れないのは子どもに対する虐待である」という意見も、個人のご意見としては尊重しますが、信教の自由も、宗教の価値もご存じないままに、文化の多様性をばっさり切り捨てるそのきっぱりとした態度には、安倍政権に象徴される日本の「総天然色全体主義」がくっきり現れすぎていて、悲しさとおかしさと怒りがないまぜになった、奇妙な感情が沸き上がってまいります。
なお、id:isshokuさんの、『クルアーンには「無理ならしゃーない」(意訳)って書いてあると聞いた』という件についてですが、ハラルのみを食べるということは、別に無理なことではありませんから、経験なムスリムの方がわざわざハラル以外の食事をすることを避けるのは当然でしょう。
たとえば、料理に大麻草を使う地域もありますが、知らずにそういう料理を食べさせられて、大麻に酔ってしまったら、多くの日本の方は不快に思うのではないでしょうか。
そうした地域で、日本の方が大麻草の入った料理を食べないように気をつけるのは、ごく自然なことではないでしょうか。
異文化を考えるときには、相手の立場に立たされた自分を、よく考えてみることが必要ではないかと思います。
てなことで、日本に比べると、圧倒的に文化が多様なインドより、那賀乃とし兵衛がお送りしました。
それでは、またーー。