というわけで、はてな村のみなさま。 ...... と、申しますのも。 なにがなんだか分かりませんし、どこがどういうわけなのかは、さて置くことにさせていただきますが、標高 1,800 m のカトマンズから、標高は知りませんけれども、とにかくインドと地続きの平野部の、ルンビニに戻ってきてしまったもので、暑さにうだり、蚊の猛攻に苦しめられているとし兵衛でございます。 それでは、皆さんのご要望通り、とっとと、本題に入りましょう。 「夜中たわし」の秘密発見、致命的「欠陥」と言及されざる「真実」(再度、敬称略) はい、この見出しの意味ですが、これは、 『夜中たわしさんが何かの「秘密」を発見した』 というのではなくて、ぼくが 「たわしさんの秘密を発見したーーっ」 と、勝手に思っているだけの話なのですので、誤解は禁物ですよ。 さて、しばらく前のたわしさんの記事、 ・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ に「インスピレーションする」という話があったことは、はてな村住民のみなさまには周知の事実と思います。 たわしさんの記事には、いつもその愉快さに楽しませてもらっていますが、こちらの記事は、たわしさんのアイディア出しの舞台裏が書かれた「相当にグッド」な記事、言いかえれてみますれば、「ヴぇリーグーーっど」な記事であります。 で、その、「インスピレーションする」ということなんですが、これは、たわしさんが記事のネタを考えるときに、布団に入って考えることを意味する「たわしさんち用語」なのですが、たわしさん曰く、この方法には「致命的な欠陥」があるというのです。 その「欠陥」というのは、9割以上の確率で寝てしまうこと。 これは一読して「致命的」に思えますよね。 ところがです。 たわしさんのすごいところは、この一見無用に思える方法をここで捨てさったりせずに、しっかり改良を試みるところです。 なんと、眠ってしまうのを防ぐために、たわしさんは 「寝床の中で、ガムを噛む」 ことにしたのです。 これなら、簡単には寝たりしないはずですよねー。 ところが。 ガムを噛みながら、やっぱりたわしさんは寝てしまいます。 (さすがは、たわしさん、やるやるとは聞いていたが、ここまでやるとはっ、はっはっはっっ) さて、このあとに続く更におもしろい話は、たわしさん自身の筆にお任せしましょう、ここで、もう一度リンクを貼っておきますよ。 ・夢の中へのアイテム持ち込み制度 - 夜中に前へ そしてぼくは、「夜中たわし」の秘密を見た、書かれざる「真実」の光を (再度、敬称略) というわけで、今日は、カトマンズからルンビニへと、 「ネパール横断・悪路・サス悪バス・十二時間移動」 をして疲れ果てておりますので、「起」部から、いきなり「結」部に入らせていただきますが、わたくしは、夜中たわしさんという、「闇を背負ってウン十年」的な名前を持っている方の、どうにもおちゃらけた記事の中に、なんと、一縷の「真実の光」が隠されていることに、気がついてしまったのです。 それは、たわしさんの記事に反応して、 秘伝・悪夢解消術・悪役編 - *魂の次元* という記事を書いてから数日後のことでした。 そのころのぼくは、寝ても覚めてもはてなに書く記事のことを考えるほどの熱の入れようだった(当社比)のですが、その晩、なんのはずみか丑三つ時に目を覚ましたぼくは、次々に weblog に書くべきネタが生まれてくるのに気がつきました。 そして、そのとき、 「ほぇー、寝たあとで、こんなにネタが出てくるとはなぁーー」 と思っているうちに、さらに一段深い悟りへと至ったのです。 「これだったのかっっっ!!!」ぼくは思いました。 察しのいい読者の皆さんには、もはや、わざわざ言うまでもないでしょうが、夜中たわし尊師は、実は夢使いの達人だったのです。 「寝ちゃうからアイディア出しの役に立たないよーん」 と記事ではいいながら、実際には、 「寝ちゃうからどんどんアイディアが出てくるんだもんねーー」 という一子相伝のはずの「秘技」を、われら衆生のものに授けてくれていたのです。 なんという僥倖でしょうか。人に生まれたというだけでも、身に余る幸せであるというのに、「アイディア出しの仏陀」とまで言われる夜中たわし師匠が、惜しげもなくその「神技」を、実にさりげなく、 「あーら、こんなこと、あたくし、ただ日常茶飯にボケとツッコミをやってるだけですのよ」 風な現場に託して、われら凡夫に指し示していただく場面に遭遇していたとはっっっっっ !!!!!????? というわけですので、みなさんも、無理に夜ふかしせずに、さっさと布団に潜り込むのがアイディア出しの秘訣だったりするかもしれませんですのよのことよ。 いえ、逆に「徹夜ハイ」でのアイディア出しとかもあると思いますから、皆さんのお望みのままにやっていただければいいだけの話なんでございますけれどもねぇー。 てなことで、今日の記事も無駄に長くなってしまいました。 ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてな村の皆さん、日夜不眠不休で電網怪海を漂流する全世界推定百億の昼と千億の夜の皆さん、今日も今日とて、他人のふんどしを借りて言葉の阿呆踊りを続けるぷちウェブ作家のとし兵衛です。 いかにしてタイトルをつけるか、あるいは辛子明太を漬けるか、それが本題だ 今日の意味不明の表題は、相田ケイ(関西系大学四年)さんの記事、 一瞬で驚くほどアクセス数を急増させたいなら「感情マーケティング」を学べ - オモロク に載っていた「ダメ出し」タイトルの末尾に「い」を追加して作成させていただきました。 ぼくが相田さんの記事への「莫迦」ブックマークから流した tweet に星をくださり、follow までしていただいて相田ケイさんには、謹んで感謝の意を表したいと思います。ぼくもこうしたマメさを見習いたいところです。 ちなみにこの相田さんの記事は、はてなのお隣さん id:mamichansan がブックマークしておかげで、目に入りました。 お隣さんのブックマークを紹介してくれる「はてなブックマーク - マイホットエントリー」には重宝しとります。 それで、最近「頭より心」みたいなことを考えていたもので、 「ふーん、感情マーケティングね、何が書いてあんのかな」 と思って読んだら、 「損得、新ネタ、限定ネタ、共感が受けるよ」 みたいな話で、当たり前と言えばそれまでの内容ではあるのですが、素直な書きっぷりで、そこそこにギャグも決まり、なかなかおもしろく読ませていただきました。 はてなで地道に記事を書いている方の場合、この記事の内容をそのまま真似してもあまり意味がない、というか、むしろ読者を減らすような内容かしらとも思いますが、「多くの人に見てもらいたい」という人情からすれば、こういう話も押さえておいて損はないと思います。 なお、当方、マストドン・インスタンスを立てる予定はとりあえずなく、マストドンは、Medium で知り合った若い友人のところに間借りしております。 id は tosibee@don.de-liker.com とすればよいのかな。 ほとんど使ってませんけども。 そして、予告だけでなかなか書かれない「巨大明太の逆襲」もう少々お待ちくださいね。 というところで、明日移動で今日は時間があまり取れないもので、これにて幕引きとさせていただきます。 ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのみなさん、こんにちわ。 このところ毎日更新が続いているもんで、今日も更新します。 でもでも、あんまり長い記事を書ける心境ではないので、短いネタを二つ組み合わせてサクッと行きます。 はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 はてな村の「巫女」さんと知り合ったような話 はてなのサービスは、横のつながりができると、いろいろと楽しいと思っておりまして、「はてな村交遊録」などと勝手に名づけておりますが、ぼくは人のページはロクに読めない人間で、へんてこ雷理さんのページも表題以外ほとんど読んでませんでした。 けれども、やっぱり人間、人付き合いは、無理のない範囲で積極的にするのがいいですよね。 それで、雷理さんの記事、 中学・高校の時 アルバイトしていた件 - へんてこ雷理の を読んでみたら、なかなか情緒があっていいじゃないですか。 そして、そこに紹介されている、はてな初めての記事、 巫女(みこ)だった - へんてこ雷理の こいつはすごく気に入りました。 雷理さんがアルバイトで巫女さんをしていたときの思い出を綴ったものですが、これまたいい雰囲気の文章です。 ぼくは日本の文化にはうといので、巫女さんが神楽を舞うなんて見たことがありませんが、なんとも幽玄ですばらしい。 しばらく前に広島に住んで、神楽の面白さは堪能しましたが、まだまだ知らない世界があるのを再確認しました。 もう半世紀以上生きてしまいましたが、これからの余生が楽しみです wW というわけで、まだ「知り合った」というほどではなく、「交友」に至っていませんが、とにもかくにも「はてなの巫女さん」のご紹介でした。 弾き語りの「巫女」さんをおすすめる話 「巫女」さんというと、思い出さずにおれない友だちがいます。 森田智子さんというシンガーソングライターで、こちらがホームページです。 ・森田智子 ::: 倭美 x Blues ::: Top 音楽を言葉で表現するのは難しいですが、「ジャパニーズ・ガール」の頃の矢野顕子にも似た 「日本の伝統的な味わいをベースに、現代的な雰囲気で飾った音楽」 とでも言えばいいでしょうか、なかな独特な、情念の歌を聴かせてくれる人です。 で、その彼女が、巫女さん姿でライブをしていたんですよね。 (というのは、今もしてるのかどうか知らなくって......) 初めて彼女のライブを見たとき、 「今日は巫女さんのかっこうじゃなくてごめんなさい」 と言われて、 (ははぁ、世のおじさんは、そういう「制服」が好きなんだなぁ) と、思ったのをよく覚えています。 ぼくは特にそういう趣味はないので、ジーパンにTシャツで歌っていた彼女の、爽やかな姿と、その歌いの情念のバランスが素敵だなぁ、と思って聴いていたのですけれども。 ぼくは見てないのですけれど、youtube にも動画が載ってますので、興味のある方は検索してみてください。 てなわけで、今日は、二人の「巫女」さんの紹介をさせていただきました。 それでは、みなさん、ナマステジーっ。

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ボン・マタン、はてな村のみなさん。 今日は朝からマトンの赤ワイン煮ネパール風をシルブゥプレっ。 ...... とのっけから、わけの分からない挨拶で申し訳ありませんが、ぼくの頭の中が意味不明なのはいつものことですので、その点につきましてはご寛恕いただくことにいたしまして、先を続けさせていただきます。 うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* 明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元* 明太子はどこから来たのか、韓・中・露のはざまにて - *魂の次元* と続きました、「奥さまは明太子だったのです」シリーズは、今日はお休みしまして、次回作「蝶巨大めんたいこの逆襲」は、もう少々お待ちいただきます。 今日はメンタイからイクラへといくらか話をそらし、言葉のお遊びを続けることにしましょう。 メンタイからイクラへ、知りもしないロシア語で遊ぼう イクラはとってしまったので、他人のふんどしだけ借りてみよう メンタイからイクラへ、知りもしないロシア語で遊ぼう 前回の記事では、メンタイというスケトウダラを意味する言葉の語源はどうやら韓国・朝鮮語にあるらしいことを書きました。 ただし、朝鮮・韓国語では「ミョンデ」のような発音ですので、中国語やロシア語を経由して「ミンタイ」の音が変化して伝わり、日本語の「メンタイ」となったのではないかと思われます。 この場合、逆にロシア語の「メンタイ」がもとで、それが中国や半島に伝わったのではないか、という推測も成り立ちますが、ロシア語の音韻構造からすると、その可能性は低いようです。 ちなみに、イクラもロシア語由来の言葉であることは、割とよく知られているかと思いますが、これは ikra といった発音で、真ん中の「ク」はもともとは子音だけの音ですね。これはイクラ自体を指すのではなく、魚卵一般の意味とのことです。 この辺りの海にまつわる言葉でロシア語からきたものでちょっとおもしろいのが、セイウチです。 セイウチはロシア語の「シヴッチ sivuch」が訛ったものですが、「シヴッチ」は「アシカ・トド」類の総称で、「セイウチ」とは別の仲間なんですってよ、ご存知でした、奥さま? えー、つまり、こういうことですね、セイウチを指して、日本人が 「あれはなんだ?」 と聞いたら、アシカかトドのたぐいだと思って、 「シヴッチ」 と答えたロシアの人がいた、ということなのでしょう。 カンガルーの語源はさらに有名だと思いますが、ちょっと似てますよね。 カンガルーを指して白人さんが 「あれはなんだ?」 と聞いたら、オーストラリアの先住民族の方が 「カンガルー(知らない)」と答えたのを、名前だと勘違いしたという話です。 イクラはとってしまったので、他人のふんどしだけ借りてみよう 先日の記事で、食堂でうなぎを頼むときの「ぼくはうなぎだ」とようなタイプの文章を「うなぎ文」と呼ぶ話をとりあげましたが、id:watto さんから、「こんにゃく文もあるでよ」というお知らせをいただきました。 「こんにゃくは太らない」、「しいたけも太らない」というたぐいの文です。 せっかく差し出されたふんどしを借りて、相撲は取りませんが、よれよれと言葉の踊りでも踊ることにしましょう。 「こんにゃく文」は「は」が主語を表す助詞だとすると、こんにゃくが太ったり、太らなかったりすることになってしまいますから、おかしなことになります。 けれども「は」はほんらい主題の提示を意味してるんですよね。 「こんにゃくについて言えば、太らない」といった意味です。 また、「こんにゃくは太らない」というのは、あくまで口語的な表現で、完全な文章とするためには必要な要素が省略されています。 省略をおぎなえば、 「こんにゃくは食べても太らない」 というようなものになるでしょう。 英語などでは主語がいつも必要ですから、そこを説明のためにあえてつけ加えれば、 「人は、こんにゃくは食べても太らない」 のようになりますが、日本語としてはこれは返って不自然になってしまいます。 省略可能な主語はつけないほうが、日本語としては自然ですよね。 なお、何がどの程度省略できるか、というところは、言語によって異なり、日本語はかなり自由な省略が可能です。 ですから、たとえば英語圏の人からすると、その辺りの読み取りが難しいのも当然で、twitter などで活躍しているガメさんという日本語堪能なイギリスの方も、日本語は書くのは簡単なんだけど、記事を読むのは時間がかかる、とおっしゃっており、なるほどなぁ、と思いました。(もちろん、文化的背景知識の問題やら何やら、ほかの要因もあるとは思いますけれども) 最後に「こんにゃく文」の例でネット上で見つけたおもしろいものを一つ。 日本語教師になろう! 外国人が「???」と思う日本人の日本語 という日本語教師の方の書く記事にあった話です。 駐車場に「子どもは危険ですから、ここで遊ばないでください」の看板。 それを見たカナダの人が、 「日本の子どもは、そんなに悪いことをするのですか?」 「は」が主語を意味すると習っていたら、「子どもは危険な存在である」としか解釈できませんもんねぇ。 日本語を教える立場としては、こういう文章が出てきたときに、 『「は」は主語を示すときもあるが、機能的には主題を表す』 ということと、 『英語とは違って自明の主語は省略されること』 を説明し、だからこの文章は 「子どもについて言えば、ここで遊ぶことは危険だから、あそばないように」

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はてな村のみなさん、アロハ・オエーっ。 と、いっても、別にハワイでフラダンスのレッスンをしているわけではなくって、ネパールの山の上の気持ちのよい田舎街から、ほこりっぽい首都カトマンズに戻り、明太子の研究を続けているとし兵衛でございます。 うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* 明太子と奈良漬と忘れ去られたものたち - *魂の次元* と続き、大きにご好評に預かり、ご愛顧いただいております「奥さまは明太子だったのです」シリーズですが、前回予告いたしました「蝶巨大めんたいこの逆襲」は、前人未到の大作とするべく、現在鋭意構想を練っているところでありますので、今日は明太子の起源を巡る小冒険に出かけたいと思います。 「蝶巨大めんたいこはどうしたっ」と機嫌を悪くすることなく、賞味期限切れになる前に、できたてほやほやの「めんたいこ起源めぐりの旅」をお楽しみください。 それでは、みなの衆、レッツ・ラ・ゴーっ!! 1. まず、東京あたりでは明太子と言えば、たらこの唐辛子漬けである「辛子明太子」を意味します。 そうして、明太(めんたい)は韓国・朝鮮語でスケトウダラを意味するミョンデからきたものですから、明太子は朝鮮・韓国語と日本語の重箱語と考えられます。 (半島では「明太子」ではなく「明卵・ミョンナン」というようです) ただし、明太という言い方は中国でもするので、ひょっとして中国系のどこかの民族の言葉かも、と思わないでもないのですが、一応ここでは韓国・朝鮮語起源らしい、ということにしておきます。 なお、ロシア語でもスケトウダラのことを「ミンタイ」と言うそうで、これも朝鮮・韓国語起源の言葉と考えられています。 以上のように、明太子は「スケトウダラの子」の意味ですから、もともとはタラコと一緒ですよね。 「明太子=タラコ」というのは、五十を過ぎた東京原住民のぼくには、割と当たり前のことですが、「フラット化した」現代の日本を生きる最近の若い人たちには、必ずしも当たり前ではないのかもしれません。 この周辺の話題として、「辛子、唐辛子、胡椒」問題もとても興味深いのですが、それはまたいずれの話としまして。 2. 次に、辛子明太子の起源はどこか、という問題の核心にいきなり迫ってしまいましょう。 ぼくは今日調べるまでは、辛子明太は、「韓国のキムチと日本のタラコが出会ってできあがった、日本発のフュージョン料理」なのではないか、と勝手に想像していました。 ところが、これは間違いで、朝鮮・韓半島の食材である明卵漬(ミョンナンジョッ)が起源で、これを 「『ふくや』創業者の川原俊夫氏が日本風にアレンジし、辛子明太子の名前をつけた」 ということで間違いなさそうです。 ちなみに半島では現在、明卵漬はほとんど作られておらず、韓国でも辛明太子が日本のものだと思っている方も多いようです。 3. さいごに取ってつけたような、おまけの話となりますが、韓・中・露と日本の関係について少しだけ。 といってもロシアはちょっと遠い国ですので、「アイヌの人たちがもともと住んでいた場所を、ロシアと日本で取り合いをするもの、なんだよなー」くらいの感想にとどめまして、韓・中と日本の間の、兄弟げんかというか、親族争いの話をごく簡単に。 まず、韓国・朝鮮と日本は、兄弟といってもいいくらいもともとの文化は親しい存在であり、日本は弟分といっていいと思います。 なお、ネット上には、この見解を認めない方も多いかと思いますが、そうした方々と論争する気はさらさらなく、ただぼくはそのように思っている、というだけのことです。 どちらが兄で、どちらが弟であるにせよ、兄弟げんかもたいがいにしたほうがいい、というのがぼくの考えで、まあ、実際の兄弟でありましても、結婚して「家」の外の人間の思惑が絡んでくると、「生ぐさい」相続争いなどが兄弟間で起こるのが現実のようですから、国家同士の間で勢力争いが起こるのも、いた仕方のないことなのでしょうけれども。 また、中国との関係について言えば、辺境の国「日本」からすれば、長らく進んだ文化を輸入させてもらっていた国なのですから、やはり敬意をもって友好な関係を持ちたい「大国」であると思います。 もちろん、明治に入って急速な工業化に成功した日本の文化は、大いに評価すべきものと思いますし、十五年戦争について言えば、日本の植民地拡大戦争としては、今以上にしっかり反省する必要を感じますが、欧米列強の植民地であったアジア各国の独立運動に強い息吹を吹き込み、日本敗戦後にアジア諸国が独立するきっかけを作ったことを考えれば、単純に否定するのではなく、肯定できる部分はきちんと肯定する必要を感じるところです。 昨今のメディアでの扱いなどを見ますと、ロシアとの関係も含めて、韓国・朝鮮や、中国に対する悪いイメージを振りまき、「関係性」をわざと悪くすることで、権力を拡大したり、経済的な利益を得ようというような思惑が、どうにも強まってきているのではないかと思われます。 もちろん、各人各様に、それぞれの立場でのご意見はありましょうが、極東における無用の衝突により、無益に人命が損なわれるような事態に落ちいることのないよう、お釈迦さまの生まれた国ネパールより、心より祈る次第であります。 てなことで、やや、よれよれな文章になっておりますが、とにもかくにも、今日も最後までおつき合いいただきまして、誠にありがとさんでござんした。 ほいでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてな村のみなさん、こんにちわー。 一昨日は うちの奥さんは明太子だった話 - *魂の次元* なる記事で、「妻が椎茸」な話や、「奥さまは明太子だったのです」といった話題を展開させていただきましたが、ふだんは記事ひとつ書いて閲覧数が 20 もいけばいいくらいの当閑古鳥サイトといたしましては、破格の三桁越えの来訪者を数えましたことにつき、読者の皆さまのご愛顧の程に深く感謝する次第であります。 そこで今日は、「超巨大めんたいこの逆襲」と銘打って、好評の明太子シリーズ第二弾を...... 、と思ったのですが、ちょっと疲れて気味でいるものですから、その話はまたいずれ、ということにさせていただいて、前の記事の「奥さまは明太子」の続きと、そこにいただいたコメントを紹介する形で、人間の記憶の不思議について軽く思いを巡らせてみたいと思います。 昨日の記事では、うちの奥さんが、いつも食べてるにも関わらず、「明太子」という文字をメニューで見て、「明太子ってなんだっけ?」と聞いた、という話を紹介しましたが、まずは、この不思議な「ど忘れ」について、もう少し話を続けることにします。 うちの奥さんはものを思い出すとき、そのものの映像が頭の中に浮かぶタイプの人です。 ですから、普通なら「明太子」という文字を見ると、「明太子の映像」が頭の中に浮かぶわけです。 逆に言うと、「ど忘れ」してしまったときには、「明太子の映像」が出てこなかったわけです。 そして、今日話していて分かったことは、彼女は普段漢字の「明太子」ではなく、ひらがなの「めんたいこ」として、[明太子] を捉えているということでした。 つまり、「めんたいこ」というひらがなの文字映像から「明太子の映像」への記憶回路は、いつも使っているからすぐ出てくるのに、「明太子」という漢字の文字映像を見たときには、「明太子の映像」が出てこず、[めんたいこ] という「読み=音」は出てきたのだけれども、その先の「明太子の映像」にまでは至らなかったものと思われます。 さて、id:ad2217 さんにいただいたコメントですが、彼は「明太子」と「めんたいこ」がつながらないことはある、とのことで、察するに、彼も映像想起型の記憶回路の持ち主と思われます。 ちなみにぼくの場合は映像想起型ではなく、「明太子」という文字映像を見ると、まず頭の中に [めんたいこ] という音のようなものがぼんやり浮かびます。と同時に、なんらかの「明太子複合体」が活性化され、「明太子ってのはあんなのだよなー」というようなぼーっとした何かが想起されるのが、ぼくにとって「何かを思い出す」ということを意味します。 (あんまり説明になってなくてすんません) そしてこのとき、決して映像は出てきません。 というのも、ぼくは頭の中で線一本、丸一つ描くことのできない特殊無能力者だからです。 小学校の国語の時間に先生に、「ではみなさん、目を閉じて、このお話の情景を想像してみてください」などと言われて、まあ、先生に言われるんですから、一応目を閉じてみたりはするのですが、頭の中に絵を描くなんて、そんなことができるわけはないのですから、先生の言っている意味が分かりません。 「ほかのみんなは目をつぶって何をしてるんだろう」などと思いながら、そっと目を開けて周りを見回していたりしたのも、今となるといい思い出です。 それはともあれ。 id:mamichansan からは、食べ物の名前はしょっちゅう忘れる、直近では奈良漬を忘れた、というご報告をいただきました。 また、id:tawashix さんの奥さんも、食べ物の名前はしょっちゅう忘れるそうで、しかも何を忘れたかも思い出せないという、ストレートなお答えをいただきました。 ぼく自身、人の名前や場所の名前は忘れても、食べ物の名前はあまり忘れないことを考えると、女性と男性の行動の違いから、女性のほうが食べ物の名前を忘れやすいと言えるのかもしれません。 ちなみに、うちの奥さんの場合は、頭の中に [明太子] を思い浮かべて「明太子」という言葉が出てこなかったわけではなくて、逆に「明太子」という文字を見て、[明太子] が何か分からない、映像が出てこない状態だったわけですので、こちらのタイプの「ど忘れ」が、どのくらい普通のものなのかについては、今後の研究課題とさせていただきます。 また、うなぎ文である「奥様は明太子」関連のコメントとして、id:watto さんより、「こんにゃくは太らない」、「しいたけも太らない」というたぐいの「こんにゃく文」の存在をご教示いただきました。これについても「明太子はやせるのか」など、調査研究を続行したいと思います。 そして、id:kenzy_n さんからは、今回はじめてコメントをいただきましたが、こちらは「妻が椎茸」ネタで、「みんな前世は美味しいものだった」という心温まるお言葉でした。 わたしも、かつて日本海を泳ぐ鱈の腹の中で明太子だったころの記憶が、うすぼんやりと頭の中よみがえってきたような気がします。あっ、漁船が近づいてきて、お母さんが網にかかってしまった...... 。 とまあ、そんなところで、おあとがよろしいようで。 それでは、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのweblogサービスを利用なさっているみなさん、こんにちわ。 みなさんは、はてな匿名ダイアリーというサービスはご存知でしょうか。 匿名のサービスとしては、蝶有名な巨大掲示板の 2 チャンネルというものがありますが、あちらはかなり癖があり、ぼくのようなシロウトにはやや縁遠く感じられる存在です。 それに比べると、はてなの匿名ダイアリーは、だいぶライトなタッチでありまして、書き込みをしたことこそありませんけれども、ブックマーク経由で知った記事をたまに読むことがあり、日本の社会環境の中では、こうした匿名サービスにも一定の役割があるものだよなぁ、と感慨に耽る今日このごろです。 というわけで、今日ははてな匿名ダイアリーの [ニート日記]ニートが夢から覚めたとき という記事について、つらつらと書いてみることにいたします。 今日の結論は、 「ブッダの夢、最高。呼吸と体の感覚を見るだけで、幸せが手に入るんだもん」 です。 「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ 心のもつれを解くために体を動かす ふたたびのニートの夢、そしてブッダの夢 「ブッダの夢」は、とある王子の苦悩から生まれた ブッダの教えた「苦しみを越えるシンプルな方法」 正しく見るためのシンプルな瞑想法、ヴィパッサナー ぼくたちは、いかに「ありのまま」を見ていないか 呼吸と体の感覚を見るだけで、なぜ「真理」に到達できるのか ブッダの夢ふたたび 「大学を出れば何とかなる」というニートの夢 上記の匿名ダイアリーの記事では、現在、三十路目前で、ずっと在宅で引きこもり浪人をされてきた青年が、 「大学に入りさえすれば明るい未来が開ける」という夢を見続けてきたが、現実を直視したとき、浪人や留年が 2 年以上になってしまうと就職に不利であるという定説からすれば、十年も引きこもりをつづけた自分が、どんな大学のどんな学部を卒業しようが「まともな職につけるはずがない」、「大学さえ出ればなんとかなる」などという夢を見るのはもうやめて、「就職を考えたほうがいいのだろうか」 といった内容を書いてらっしゃいます。 ところで、匿名ダイアリーは英語では「アノニマスダイアリー」ということになっており、こちらの中三文字を取って、「マスダ=増田」というのを、記事の書き手の呼称として使う習いになっていますが、こちらの増田さんを、当記事では「三十路目前」というところから「もくぜん」さんと呼ぶことにします。 このもくぜんさんの記事に対して、29歳で大学三年の別の方が、 現在29歳で大学3年生の者です。将来のことを不安に思うお気持ち、よくわか.. で、 「20代後半から30代で大学に入りなおす人間は意外に多いし、大学には相談できる職員やカウンセラーもいるので、必ずしも就職のためではなく、経験の幅を増やすためにも大学に行くことをすすめる」 という内容の記事を書いてらっしゃいます。 こちらの方には「就職しなければならない」というようなこだわりは一切感じられず、まったく健全かつ楽観的な方ですので、「けんぜん」さんと呼ぶことにしましょう。 もくぜんさんの「悲観」に対し、けんぜんさんの「楽観」のほうが生きる力に満ち溢れているのは明らかですが、もくぜんさんタイプの方がけんぜんさんタイプの楽観を身につけるためには、何が必要なのでしょうか。 また、「健全な楽観」に価値があるのは明らかですが、「病的な悲観」にはなんの価値もないのでしょうか。 根拠のない「楽観」と、人生に対する「投げやり」な態度、そして、油断すると頭をもたげてくる「うつ的気分」とともに、ニート的半世紀を生きてきた年寄りとして、その辺りのことについて、考察を続けることにしましょう。 重い「想い」を吐き出して、悲観から楽観へ もくぜんさんは記事中、 まったく自信を無くし、食欲がなくなり、悪寒と冷や汗、夜は眠れず朝は早く目が覚めます。 無意味かもしれないと思いながら机に向かいます。不安で真っ黒の頭は計算ミスを繰り返すばかり。 こみあげる吐き気と闘いながら机に向かいます。 と絶望的な不安感と壮絶なまでの闘いを繰り広げながら、勉強をし続ける様子をつづっています。 読んでいるこちらまで思わず緊張してしまい、胃のあたりに軽いむかつきを感じるほどです。 けれども、もくぜんさんは、こうして自分の様子や気持ちを素直に表現し、ネット上で助言を求めることができました。 また、ネット上にはもくぜんさんに共感し、暖かい言葉をかけ、助言をしてくださる方々も多数おります。 しんどい気持ちを手放し、暖かい気持ちをまわりから受け取ったもくぜんさんは、現在の状況を肯定的に受け止めることができるようになり、夜間や放送大学などにも視野を広げて「大学を目指してもいいのかな」と前向きな気持ちになります。 そして、その前向きな気持ちが家族にも伝わったのでしょう。記事の追記にこのようにあります。 どういう風の吹き回しか今日は母と焼き鳥屋へ行きました。酒の席は生まれて初めてのことです。 酒が入って口が軽くなったので腹を割っていろいろ話しました。今までこのように話したことはありませんでした。 私はずっと何も言わない家族を、腫れ物に触わるような扱いをされているのだと疎外感を感じていました。 干渉すれば反発してやる気を失うと思ってずっと見守ってくれていたそうです。 こうしてお母さんとお互いの気持ちを話すことができたもくぜんさんは、思い込みの「孤独」から解放されて「健全な楽観」に着地します。 やっと勉強ができるようになったのだから続けてほしいというのが母の希望です。 今日はぐっすり眠れそうです。まったく勉強しなかったけれどいい一日でした。 自分の気持を、まず、ネット上で表現し、そのことがご家族との対話につながり、もくぜんさんがその悩みに解決の糸口を見いだせたことを、我がことのように嬉しく思います。 心のもつれを解くために体を動かす もくぜんさんは、自分の置かれた状況を客観視し、その状況の中での自分の気持ちを表現し、それがご家族との対話につながって、心理的なもつれを解くことができたわけですが、記事中には、このようなことが現実に起こる前に、彼の中で起きた注目すべき変化がしるされています。 それは、彼がこの三年間、日記をつけていることと、二年前から運動を始めたことです。 日記をつけることによって、状況を客観視すること、気持ちを表現することができたのが、今回の記事を書くことにつながったことは、容易に理解できます。 同時に、運動を始めたことによって、うつ的な気分が改善されたことも、間違いないことと思われます。 もくぜんさんは、「はじめは家で筋トレをし、それを日記に記録」していたのですが、「そのうち週に何回か外を走れるようになり」ます。 そして、「走れる距離とスピードが面白いように伸びていき、自信をつけた」といいます。 こうやって体を動かすことで、精神状況が改善した結果、勉強時間も増やすことができました。一か月前、インターバルタイマーをつかって時間を管理したところ、一日 2 - 3 時間だった勉強時間が 8 時間まで伸びたというのです。

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はてな村の皆さん、まいどお早うございます。 今日は watto さんの、 ダブルミーニングについて - しいたげられたしいたけ と、夜中たわしさんの、 『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ をネタに、言葉と人間の記憶について、つらつら考えたことをつづります。 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 ぼくの奥さんは明太子だった話 ナポリタンがコーヒーのお代りをする話 さて、watto さんは、上記の記事で、夜中たわしさんの記事につけた 「確かにしいたけは私だ」 というブックマークコメントを披露してらっしゃいます。 この文章の意味するところは、『「妻が椎茸だったころ」という本をたわしさんに贈ったのが、自分である』ということと同時に、その『自分というのが「しいたげられたしいたけ」を名乗る watto である』ことをも意味する、「watto さんは、このギャグが書きたかったから、わざわざ贈り物までなさったのですね」と褒め称えるしかない、高度なコミュニケーション技法と言えます。 ここで、『「しいたけ」を贈ったのはわたしだ』を意味するほうの、「しいたけは私だ」という言い方を「うなぎ文」と呼ぶことは watto さんも書いているとおりです。 これは、食堂で 「きみは何にする?」 と聞かれたとき、 「ぼくはうなぎだ」 と答えることで、うなぎを注文することを表すことからつけられた呼び名なのですが、 『「ぼくは人間」なのに「ぼくはうなぎ」とはおかしいじゃないか』 というようなことから、日本語の助詞「は」にはどういう機能があるのか、といった観点など、いろいろと取り沙汰されている話なのでした。 (詳しい話が知りたい方は、うなぎ文の一般言語学 | marges de la linguistique や 「フランス語のウナギ文」再び - 翻訳論その他 などをご覧ください) ちなみに、「ぼくはうなぎだ」の形の文は日本語に特有のものではなく、英語では、むしろ日本語よりも広い範囲での使い方がなされることがあるようです。 たとえば、アメリカのハードボイルド小説で、探偵がカフェの中、二人の男の動向を観察している場面を思い浮かべてみてください。 ナポリタンがコーヒーのお代りを注文した。すると、カルボナーラが突然立ち上がった。 ナポリタンを食べていた男と、カルボナーラを食べていた男のことを、それぞれ、「ナポリタン」と「カルボナーラ」で表しているわけです。 これは言語学的には比喩表現の一種である「換喩」表現と考えるようで、 「この間、白バイにつかまっちゃってさ」 のような表現だったら、日本語でもありえますよね。 「白バイに乗っている人」のことは「白バイ」と呼び、「ナポリタンを食べていた男」は「ナポリタン」と呼ぶ、というわけです。 というわけで、「うなぎ文」ちっともおかしくないし、日本語に固有のものでもありません。 ですから、日本語は、それほど特殊な言語というわけではないし、「非論理的」な言語などではまったくありません。 英語など、西洋の言語形式とは少し異なる構造を持つというだけの話で、むしろ「非論理的」なのは、「学校で習う国文法の説明」のような気がする今日この頃です。 ぼくの奥さんは明太子だった話 すでに少し触れましたが、watto さんはたわしさんの「しいたけ画像」を自分のアイコンとして使っているので、そのお礼に「妻が椎茸だったころ」という不思議な題名の本をたわしさんに贈ったのだということです。 こいつは、はてな村で生まれうる、暖かい交流を象徴するかのような、実に麗しいエピソードでありまして、後世に語り継がれること間違いのない美談ですが、 『妻が椎茸だったころ』を読んだ嫁、謎の大号泣 - 夜中に前へ で紹介される「妻が椎茸」な話には、また泣かされます。 (ところでたわしさん、「葬儀から週数間過ぎた頃」は、「数週間」の打ち間違いと思います。こんなところでのお知らせで失礼っ) 「妻が椎茸だったころ」というのは、中島京子さんの短篇集の表題作なのですが、作中、60歳の主人公が亡くなった妻のレシピ帳に、 「もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う」 という謎の記述を見つけます。 そして、妻が通っていた料理教室の先生にそのことを話すと、先生は 「人は誰でもそうだ」 と答えるのです。

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はてな友だちのマミーさんが、 富士山を見て感じること。 - こたつ猫の森 という記事で、「富士山を見ると恥ずかしく感じる」というおもしろい現象について書いてらっしゃいます。 今日はこの不思議な現象について、私見を述べてみたいと思います。 マミーさんは件の記事で、「富士山を見るとどうにも恥ずかしく思うのだが、一体これはどういう心境なのだろうか」との問いを投げかけています。 これに対するぼくの仮説は、 「偶像を知ったあとで、実物を知ったときの違和感が、時によって恥ずかしさとなって現れる」 というものです。 もう少し説明すると、 実物より前に富士山の「理想化」ないし「戯画化」された「偶像・絵」を知っている。 そのあとで、実物を知る。 「絵」と「実物」の「ギャップ」あるいは逆に「特徴がうまくつかまれている点」に違和感を感じる。 この「違和感」について、日本人はいろいろなことを「恥」としてとらえることから、実物が「俗っぽい絵」(銭湯の壁のタイル絵など) に似すぎている点が「恥ずかしさ」として感じられる。 ここで感じる「恥ずかしさ」は、実物に「もっとかっこよくなければ、あかんやろ」みたいな気持ちの表れ、ということになりましょうか。 マミーさんの記事では、太宰治が「富嶽百景」( http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html ) で「どうにも注文どほりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」と書いていることや、絵本作家の長谷川義史氏がテレビで富士山に対して「恥ずかしい」を連発していたことを傍証に、この「富士山恥ずかしい症候群」がマミーさん固有のものではなく、普遍的なものであることを示唆しております。 そして、このとき、 マミーさんは大阪の方、 太宰は青森の人 (ですよね) 、 長谷川氏も大阪の方、 というところに、「実物より先に偶像を知っている」という共通性が見出されます。 また、似たような現象として、 「キンモクセイの香りをトイレのにおいとして知っている子どもが、実物のにおいを知ったときに感じる『花がトイレのにおいをハナつ』ことに対する違和感」 というものが知られております。 なお、これに関しては、「金木犀は恥ずかしい」といった文豪がいるかどうか今のところ不明ですので、今後の研究が待たれるところです。 ちなみにこれを書いているぼくは東京生まれの世田谷原住民であります。 幼少の頃、幼稚園に行く道すがら、冬の晴れた日には坂の上から、遠くに雪をかぶった小さな富士山を友だちのお母さんが指差すのを見て、「あー、今日は富士山が見えるなーー」などとぼーっと思ったりしながら育ちました。 でありますので、太宰が、 東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。 と書いたりするのに対して、 「あらまあ、太宰さん、そいつは大変ね、さぞかし苦しい人生だったことでしょう」 と同情こそすれ、内容についてはまったく共感するところはなく、 東京から見る富士は、どうにもちつぽけではありながらも、わたしにとっては日本の原風景とも言えるやうな存在であつた というような感想が浮かんできますね、ぼくの実感としては。 富士山については、ほかにもいろいろ思い浮かぶ挿話や感興がありますが、それについてはまたいつか書くかも、ということにして、今日はこの辺でおしまいにしようと思います。 てなことで、みなさん、ナマステジーっ。

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はてなのみなさん、こんにちわ。 昨日の記事 Google Adsense 戦史 - あるいは、ネット上で小遣いを稼ぐまでの遥かなる道行き - *魂の次元* では、すっかり放ったらかしていたグーグルアドセンスのページを久しぶりに見にいったら、収入が 1,000 円を超え、グーグルからの支払い準備のための住所確認の段階に達したという、ささやかな報告をさせていただきました。 今日は、こちらもまたまた、ごっそり放っぽらかし状態のアマゾン・アソシエイトを覗いてみたところ、今年に入ってから 300 円ほどの収入が確認されましたので、防備録がてらの記録ついでに、お買い上げのあった商品を紹介してみることにします。 1. 紹介して売れた本 ・EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)[ 2点お買い上げ] こちらは、双子の姉妹、なほとまほが、普通の社会人をやめて、世界を旅しながら自由に人生を生きるようになるまでの姿をつづったノンフィクションの物語です。 「アウト・オン・ア・リム」や「アルケミスト」をご存知で、精神世界・スピリチュアル方面に関心のある方には蝶お勧め、アヤワスカ体験の記述もすぐれもので、日本発のサイケデリックノベルとしても大変おもしろく読めます。 もう少し詳しい紹介はこちらの記事をどうぞ。 魂の次元: [本の紹介]不思議な双子の物語、Naho & Maho「あーす・じぷしー」 ・なまけ者のさとり方 (PHP文庫) [ 3点お買い上げ ] こちらも精神世界系の本で、古典的といってもよい作品ですが、楽に、快適に人生をすごすための、世界観と心構えを書いた本とてほもいったらよいでしょうか。 ややオカルトめいた記述もありますが、広い意味では自己啓発本といってもよい内容で、そういった系統の本に興味のある方にも、少し毛色の変わった本として自信を持っておすすめいたします。 2. その他、ぼくのリンクを辿ったのち買っていただいた商品 (お買い上げは各 1 点ずつ) ・オカルト探訪マガジン 怪処 3号 -特集 西日本異景/即身仏/ソウルフード ・オカルト探訪マガジン 怪処 5号 - 特集 奇怪なるハコモノ/つくりびと知らずアートの世界 世の中にはこんな雑誌もあるのですね。アメブロつながりの知人が買ってくれたもののような気がするのですが、なかなかディープで楽しいラインアップです。 ・思いが伝わる、心が動く スピーチの教科書 佐々木繁範さん、元ソニーCEOスピーチライターの方の著書です。 話ベタなぼくに、この本を読んで勉強するべしとの、神様のお告げでしょうか。 ・マイ・ウーマン エンジェル・オルセンというアメリカの女性シンガーソングライターのアルバム。不勉強にしてまったく知りません(笑)。 てなことで、本日もご精読ありがとうございました。 それではみなさん、ナマステジーっ♪

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

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