あなたは「ミステリ」って一体どういう小説のことをいうと思いますか?
のっけから唐突な質問で恐縮です。
鯨統一郎の連作短編小説集「邪馬台国はどこですか?」に狂言回し役として登場する気鋭の歴史学者・早乙女静香なら、
「それに答えるには上下二巻の本を書く必要があるわ」
という答えが返ってくるところでしょうが、ここではクールで常識を超えた主人公・宮田六郎を真似て言うことにして、
「ミステリとは謎解き小説のことさ」
とでもしておきましょう。
なぜそんな話をしているのかというと、「邪馬台国はどこですか?」というとぼけたタイトルを持つこの短篇小説集は、創元推理文庫から出版されているにも関わらず、常識的には到底ミステリとも推理小説とも呼びようのない奇妙奇天烈な作品だからです。
この作品の舞台は「スリーバレー」という名の小さなバー。そこで在野の歴史学者・宮田六郎が、常識に挑戦する突拍子もない奇説を展開して、ほかの三人の登場人物を煙に巻く、というのが全編を通して共通する単純明快なパターンの短篇集なのです。
日本古代史が専門の大学教授・三谷敦彦は落ち着いた聞き手役、お人好しでちょっとおとぼけのバーテン松永は、宮田の奇説に納得する役回り、そして気鋭の若き歴史学者・早乙女静香の毒舌全開の突っ込みが話を盛り上げます。
というわけで、この「人も死ななければ、事件も起きない」不思議なミステリについて、これから「できる限りネタバレ無し」で紹介してみたいと思います。
(内容について触れるだけで、一種のネタバレになりますので、各短編タイトルから分かる以上のことは、極力触れないようにしております)
収録短編を一挙紹介! 小説としての面白さと限界について一言。特に女性の読者の方への注意点 「悟りを開いたのはいつですか?」については、こちらの記事もどうぞ 収録短編を一挙紹介! さて、この「歴史謎解きトンデモ短編集」に収められた作品のタイトルを、まずは眺めてみることにしましょう。
「悟りを開いたのはいつですか?」 「どんな人物が、どんなふうに、いつ」悟りを開いたのか、まず読む前に想像をたくましくしてお楽しみください。
邪馬台国はどこですか? 表題作であり、文献を丹念に読み解き続けるだけで、「あっ」という結末を導き出す「ケッ作」です。
聖徳太子はだれですか? 最近では「聖徳太子はいなかった」という説も唱えられていますが、果たして聖徳太子は「だれ」だったのでしょう?
謀叛の動機はなんですか? 日本人なら誰でも知ってるあの「謀反」は、なぜ起こったのか。
歴史「探偵」宮田六郎が、心理学を駆使した華麗な謎解きで、あなたを唸らせます。
維新が起きたのはなぜですか? 維新が起きた理由を説明するには、もちろん「上下二巻の本を書く」必要がありますが、日本の近代史のターニングポイントであるあの「革命」が、ある一人の人物の「奇術」によってなされていたとしたら...... びっくり仰天しちゃいますよね。
奇蹟はどのようになされたのですか? 世に奇跡の種は尽きませんが、世界的にも有名なあの「奇跡」をなんとも合理的に「説明」してしまう、宮田六郎の華麗な文献読み解き術をお楽しみあれ!
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小説としての面白さと限界について一言。特に女性の読者の方への注意点 この短編集の第一の魅力は、なんといっても
常識をちゃぶ台返しにする、奇想天外でトンデモな「真説」を、 詳細な文献の読み込みと、アクロバティックな議論によって「もっともらしく」説明するところにある といって間違いないでしょう。
そのとき、大変残念なことなのですが、登場人物の設定と、その間での言葉のやりとりに関しては、「十分にうまくいっている」とまでは言えません。
もちろん「トンデモな謎解き」だけで、完全に楽しく読めますので、謎解きが好きで、歴史にも興味のあるあなたには、蝶おすすめ作品です。
ただし、一つだけ注意点があります。
というのは、狂言回しの役を果たす「早乙女静香」氏の設定が、かなりアナクロ感漂う、過度にヒステリックな「綺麗なだけで実力の伴わない若手女性学者」となっていることです。
男のぼくでも、このヒステリックな感じは「うるさいな」と思うくらいなので、あなたが「男女の不平等に敏感」な女性の場合には、これはちょっと読んでられないなー、くらいに思われるかもしれません。
言葉が生きてるのは知ってる? ぼくはこの言葉が、誰かに届くことを信じて書いている。
だって、言葉は生き物なんだから。
この十本の指先から生まれた、確かに命を持つ不思議な生き物たちが、今きみの心に働きかけているのが、ぼくには見えるんだ。
そして同時に、こうして生まれるせっかくの命も、きみ以外の多くのヒトたちにとっては、ただの雑音でしかなくて、わざわざ注意を払うほどの価値を持たないことだって、よーく分かってるのさ。
だからこれは、ほかの誰に宛てたわけでもない、ただ、きみだけのために綴られた〈孤独の伝言〉ってわけなんだ。
言葉が生きてるのは知ってる? あきらめないって、どういうことだと思う? がんばりすぎてないって、自信を持って言える? あきらめと頑張りの間で振り子は揺れ続けるのかもね。 あきらめないって、どういうことだと思う? 母の生暖かいはずの、なのにどうしてだか冷たさしか憶えていない腹の中をなんとか抜け出して、自分で選んだわけでもないこの世界に産み落とされちまってからというもの半世紀、ぼくは毎日毎日、刻一刻と、何かをあきらめながら生きてきた。
だからぼくは、あきらめないなんて考え方は、自分には縁のないものだとずっと思ってたんだよ。
だけど、不思議なもんでね。
本当はぼくは、ちっともあきらめてなんかいなかったんだ。
子どもの頃からずっと、この世界のどこかに、どんなものかは分からないけれど、確かにヒミツが隠されてるはずだって、そう意識して思ってたわけじゃないんだけど、ぼくはやっぱり知ってたんだな。
そんなだから、毎日毎日、何もかもをあきらめて生きてきたのに、そのヒミツのことだけは、ずっと心の奥底の、自分にすら触れることのできない、不思議なおもちゃ箱の中に、こっそりしまいこんで大切にしてきてたらしいのさ。
それでぼくは、世間のヒトたちの言う「あきらめない」なんて言葉には、ちっとも感心しなかったけれど、自分にとって本当に大切なものをあきらめないことの意味だけは、ずーっと知ってたってわけ。
で、ぼくは言いたいのさ。
もしきみが、人生につきものの「あれもやったほうがいい、これもやったほうがいい」みたいな、世間から吹き込まれる価値観にうんざりして、そんなことはめんどくさいだけのことだから、何もかもあきらめて不完全燃焼の日々を生きて、それで自分の人生はオーケーなんだと思っているとしたら、
「おめでとう! きみの人生はもう一山越えれば、ゴールに到着します!!」 ってね。
だって、きみはすべてをあきらめちゃったんでしょ?
ってことは、ぼくの場合とおんなじで、大切なものはこっそり心の奥にしまって、決してあきらめずに守っているはずだからね。
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がんばりすぎてないって、自信を持って言える? きみはすべてをあきらめてるんだから、何かをがんばったりはしてないはずだ。
ヒトの目を気にして、それに合わせるためにがんばるなんて、ばかばかしいことだし、大体さぁ、そういうのがうまくできないから、何もかもあきらめる羽目になったんだもんなー。
というわけで、当然きみは何かをがんばったりはしない。そして、すべてをあきらめちゃっていて、わざわざエネルギーを費やしてやることなんてありゃしないんだから、淡々と自分のペースで生きてるはずだ。
まわりのヒトたちからは、「自由に生きてていいよねー」みたいなことを言われたりしてね。
それなのに、どうしてこんなに自分の人生はがんじがらめで、息つく時間が足りなくて、無気力・無意欲・ウツ一歩手前の低空飛行を続けなくちゃならないのか、それがぼくらの人生の課題っていうわけさ。
でもそれも、見方を変えれば当たり前の話って気がしてくるはずさ。
ぼくらは決してがんばったりはしない。
にもかかわらず、それとはまったく裏腹に、きみは実は、この一瞬一瞬をがんばってるんだって言われたら、つまり、今までずっとがんばり続けてきたんだって、そう言われたらどう思う?
ヒトっていう生き物はさ、自分のことは自分で分かってる、自分の決めた道を自分は歩いてるって、たいてい思ってるはずだよね。
だけどほんとは、自分のことなんてこれっぽっちも分かってないかもしれないじゃない?
自分で決めた道を歩いてるつもりが、自分の無意識が敷いた線路を歩いてるだけかもしれないじゃない?
そんなふうに考えたことはないかな?
この世界って、案外そんなふうに回ってるんじゃないのかな?
そういうふうに仮定してみれば、納得いくと思うんだよね。
男女平等が行きすぎて、
女も男もなんでも同じようにやらなければならない というようなことを言う人がときどきいて、それは少しおかしな話に思えます。
女性と男性には、身体的にも、心理的にも大きな違いがあり、一般的に言って、女性が向く仕事や、男性が向く仕事、という区別がありうるからです。
もちろんこれは一般的な区別であって、「女性が向く仕事」に向く男性もいますし、その逆もありますから、「この仕事は女性のもの、この仕事は男性のもの」というような決めつけはよくありません。
また、「男性に比べて女性は劣っている」という偏見も根強く残っていますから、この点については、わたしたちはまだまだ認識を改める余地があるでしょう。
こうした男女問題や女性の社会参加の問題について、言葉によって論じることも大切なことですが、アニメというエンターテイメントの分野にもこのテーマを盛り込んだ作品があります。
今回は朝日新聞のこちらの記事
・男女に差なんて、ない プリキュア生みの親、秘めた信念:朝日新聞デジタル
を参照させていただき、女の子に大人気アニメ「プリキュア」シリーズの初代プロデューサー・鷲尾天さんの言葉を紹介し、アニメに代表されるサブカルチャーと女性の社会参加の関係を肴に書いてみようと思います。
「女の子がりりしく、自分の足で地に立つことが一番」 企画書に書いたコンセプトは「女の子だって暴れたい!」 男は火星人、女は金星人 「男女平等社会」を作り出すサブカルチャーの力 [追記] プリキュアの最近の作品についての疑問 「女の子がりりしく、自分の足で地に立つことが一番」 現在、東映アニメーションの執行役員であり、プリキュアシリーズの初代プロデューサーである鷲尾天さんは、プリキュアという女の子向けのアニメ作品に込めた思いをこう語っています。
女の子がりりしく、自分たちの足で地に立つということが一番だと思って、プリキュアを作ってきました。子どものときには、意味がわからなくてもいいんです。テレビで見ていた女の子が成長して、思い返したときに「こういう意味だったのか」と気づいてもらえれば。
プリキュアシリーズは、2004年の「ふたりはプリキュア」で始まって以来、2018年現在放映中の「HUGっと!プリキュア 」に至る、大人気のアニメシリーズです。
このシリーズのお話は基本的に一年ごとに完結しますが、ごく普通の中学生の少女が、異世界からやってきた妖精に頼まれて「伝説の戦士プリキュア」に変身し、妖精の世界の支配し、地球を我がものとしようとする悪の組織を倒して、平和を取り戻すというパターンを持っています。
プリキュアに変身した少女たちは、悪の組織が送り込む怪物と戦ってやっつけます。
怪物の名前は、ザケンナー、ウザイナー、ジコチュー、サイアーク、オシマイダーなどなど。
人間の心に潜む黒い部分や、社会の矛盾をキャラクター化することによって、正義と悪の対峙という神話的なストーリーが展開されるのです。*1
プリキュアの戦闘には、男の子のキャラクターは参加しません。イケメンの男の子も登場するけれど、非力な存在です。女の子が主役で、自分たちで物事をとにかく突破することを見せたかった。どんなに巨大なものに立ち向かうときも、自分たちで解決する気持ちが一番大切だろうと思っていました。
平和な社会を破壊しようとする「悪の組織」に立ち向かい、男の力を借りずに、それを解決する少女たち。
この物語が若い世代の女性に与えつつあるインパクトには、計り知れないものがあるに違いありません。
こうして、アニメなどのサブカルチャーを通して、女性の自立、ひいてはさらなる女性の社会参加につながるような「意識の革命」が静かに進行しているのかもしれません。
企画書に書いたコンセプトは「女の子だって暴れたい!」 鷲尾天さんは、東映アニメーションに入る前は、秋田朝日放送で報道記者やドキュメンタリーの制作をしていました。
修業軌間を経てアニメのプロデューサーとなり、「金田一少年の事件簿」や「キン肉マンⅡ世」などの男の子向けの作品を手がけたあとで、鷲尾さんは、初めての原作なし・女の子向けの作品として「プリキュア」に取り組むことになります。
そして、「小さな子どもは、男の子も女の子も変わらない」という考えをもとに、その作品コンセプトを
「女の子だって暴れたい!」 とし、ヒロインが変身して、「アクションによって悪役をやっつける」という、ユニークなアニメ・シリーズを生み出しました。
アニメーション監督を担当した西尾大介さんとの間では、「嫌な映像を作るのはやめよう」と話をし、 「食べ物の好き嫌いをする」とか、「親に口答えする」といったシーンは入れないようにしました。子どもが夢中になって見ているアニメ作品にそうした場面があれば、子どもにすり込まれてしまうと考えたからです。
男女の差についての話も決して盛り込まず、「女の子だから」「男の子だから」といったセリフも入れませんでした。
また、「親が『あの子は、これできてるじゃない』」というような場面もないのだそうです。「比較されること」は子どもが一番嫌がることだから、と鷲尾さんは説明します。
こうして作られた「プリキュア」シリーズは、3歳から8歳の女の子に絶大な人気を誇る長寿アニメ・シリーズとなりました。
このシリーズがこうして小学校低学年までの年齢層の女の子の心をつかんだことは、
「小さな子どもは、男の子も女の子も変わらない」、 「女の子だって暴れたい!」 という鷲尾さんの考えがずばり的中した結果に違いありません。
同時に、小学校高学年になってくると、生物的・社会的性差が広がってきて、女の子の関心が「戦い」から別のものに向かっていく様子も想像されます。
大人になっていくことで、女と男にはどんな違いが出てくるのか、そしてそこから生まれる社会的な役割分担について、ここで少し考えてみましょう。
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ネット上にはさまざまな炎上の種が転がっており、少しのきっかけで炎が上がります。
うっかりすると水のつもりで油を注いでしまって、なにもしなければボヤですんだのに、手のつけようのない大火事になっちゃった、なんて話もいくらでもあります。
この記事では、ネットを使っていれば、どこかで目に入ってきてしまう「炎上」について、その「よしあし」を考えてみたいと思います。
はあちゅうさんに見る「意図せざる炎上」の効用 イケダハヤトさんに見る「釣り炎上」の功罪 「炎上」の「よしあし」と、その「啓蒙」効果 はあちゅうさんに見る「意図せざる炎上」の効用 まず炎上を2つの種類に分けてみましょう。
意図せずして生じる「自然炎上」と狙い撃ちで起こる「釣り炎上」です。
「自然炎上」の例としては、ネット有名人作家のはあちゅうさんによる「動物最強」ツイートが記憶に新しいところです。
はあちゅうさんが、マーケティングの道具としてペットを飼うことを「暗に」すすめる発言をしたため、動物愛護派の人たちから多数の批判を集めました。*1
はあちゅうさんは、炎上を誘うようなツイートを「不注意に」する名人です。
そして、それを自分のブランド力のアップに使う巧みな能力の持ち主でもあるため、何気なく情報を発信していると、自然に炎上が起こり、たくみな炎上さばきによって、ファンを増やしていくという「炎上スパイラル」が得意技です。
自分の「不注意な」発言に批判が集まったときに、その批判を巧みにかわし、自分の正当性を主張し、聴衆の一部でも納得させることができれば、多くの聴衆の中から新たなファンをつかむことが可能となるわけです。
こうした技は、炎上による心理的打撃に打ち克つだけの「鋼の心」の持ち主以外には使えませんが、「読まれてなんぼ」のネット社会においては、その効用を乱用するものが後を絶たないのが現状です。
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イケダハヤトさんに見る「釣り炎上」の功罪 「自然炎上」の効用に気づいた人間は、「意図的に」炎上を起こそうとたくらみます。
「炎上芸人」の異名を持つ、高知のトマトブロガーことイケダハヤト氏こそ、狙い撃ちによる「釣り炎上」の達人です。
二年ほど前に、彼が放った「ホメオパシーねた」は、カミソリ級の切れ味のものでした。
ホメオパシーは、その科学的根拠の不確かさから、ネット上では「疑似科学商法」として叩かれるのが定番となっているのですが、イケハヤ氏はそれを承知の上で、ホメオパシーの商品をすすめる記事を書いたのです。
氏の狙いは見事的中し、多数の批判が殺到し、大炎上が発生。
しかし、それによってホメオパシーの商品が売れたとは思えません。
大炎上の翌日、イケハヤ氏は初めから準備していたと思われる批判に対する「反論」記事をすぐさま公開し、そこには
「ホメオパシーが人気を集める原因の一つである『プラシーボ効果』」
について説明した本のアマゾン・アソシエイト・リンクが貼ってあるんですね。
彼はもともと「ネット本屋」として活動していた方ですから、
どんな本をどうプロモーションすれば売れるか、 ということが手に取るように分かってらっしゃるのでしょう。
イケハヤ氏のファンや、「炎上」によって彼を知った新しい読者が、ずいぶんたくさんその本を買ったんじゃないかなと、想像する次第です。*2
しかしながら、こうした方法は、「釣られた」側の「ヘイト値」をいやがおうにも上げてしまい、当然いらぬ恨みを買うことになります。
ダイアモンド並みの心の強さを持たないあなたには、決しておすすめできないやり方です。
「炎上」の「よしあし」と、その「啓蒙」効果 以上に見たような「有名になるための炎上」は、はたから見ていて決して気持ちよいものではないでしょう。
また、そうした形で「炎上パワー」を利用するかどうかに関わらず、「炎上」というもの自体が、「力と力の衝突」という性質を持ちますから、火事場の野次馬的な興味以外には、あまり意味のないもののようにも思えます。
結局のところ炎上は、対立する意見同士のぶつかり合いにすぎないかもしれません。
しかし、
「ぶつかり合い」があるところには、人生にとって「何か大切なもの」がある ということは考えられないでしょうか。
はあちゅうさんの例で言えば、「動物を大切にする」ということ。
イケハヤ氏の例で言えば、「現代医学に頼りすぎない」ということ。
炎上というものは、人間社会にとって大切な問題提起を、「派手な形」でぼくたちの目の前に示してくれる「ショー」のようなものにも思えるんです。
同種療法とも呼ばれるホメオパシーは、現代科学ではその根拠が証明されていないため、疑似科学でしかないとの批判があります。
けれども、どんな物質にもプラシーボ(偽薬)効果は当然ありますから、ホメオパシーのレメディ(糖衣錠)を服用して症状が改善する人がたくさんいるのも当たり前のことです。
ここでは、仮にプラシーボ効果しかないとした場合に、
ホメオパシーにはどんな意義があるのか、また、 プラシーボ効果しかないホメオパシーは批判すべきものなのか、 という二点について、以下、簡単に述べます。
そして、前回の記事
・人気の代替医療・ホメオパシー早わかり - 科学的「根拠」はなくても効くんです - *魂の次元*
にいくつかコメントをいただいていますので、その回答も添えておきます。
☆id:jo_30さんにありがたいコメントをいただきました。[2018.03.01 追記]
よくわかります。
宗教を安易に科学で批判したら信者が傷ついちゃうでしょ、ということですね。(*‘∀‘)b!
ぼくが言いたいことの核心をずばり突いていただいたコメントです。
プラシーボだと知っていても、プラシーボは効くんです なぜ疑似科学を「批判」すべきでないのか コメントへのお返事コーナーです プラシーボだと知っていても、プラシーボは効くんです id:tanukichi087さんから次のようなコメントをいただきました。
ホメオパシーがプラシーボ効果に基づくものだって理解した上でも、プラシーボ効果は発生するのかな?人間って不思議だ。
プラシーボであると知っていても、効果があるという研究の紹介がこちらにあります。
・プラセボ効果の威力恐るべし。それが偽物だとわかっても効果が持続するその理由とは?(米研究)(2015年7月31日) - エキサイトニュース(1/2)
不思議といえば不思議なのですが、これは、
暗示によって自己治癒力効果が発揮される という話であり、無害かつ有益な自然療法と言えましょう。
もちろんこうした効果はホメオパシーのみのものではありません。
疑似科学としてやり玉に挙げられるEM菌にしても、それが効くと思って飲めば、「本当に」効くのです。
風邪をひきかけたときに、ホメオパシーのレメディやEM菌を飲めば治るのだ、と信じている人が、実際にそれを飲めば風邪の症状の悪化を防げる可能性は十分あるのですから、それを「やめろ」とは言うことにはあまり正当性がありません。
もちろん、新生児に投与するビタミンKのような化学物質について、代わりにレメディを投与する、というような場合は、話が異なります。
ビタミンKを投与したからといって新生児メレナが防げるとは限りませんが、お母さんの側に余程強力な理由がない限り、お母さんに対する「プラシーボ効果」を考えて、ビタミンKは投与するのが筋でしょう。
ビタミンKの「毒性」がどうしても気になるお母さんには、それをキャンセルするレメディを処方すればよいものと思われます。
以上、見たように、プラシーボ効果しかない療法であっても、
現に「役に立つ」と思っている人がいる以上、それは「確かに役に立っている」 のですから、それだけで、十分に社会的な意義があると言えます。
標準医療から見て、過度の適用がないように、適切な助言は必要でしょうが、科学的に根拠がないのだから使うべきではない、というような言い方はするべきとは思えない、という話です。
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みなさん、ホメオパシーという代替医療のことはご存知でしょうか。
現代医療の抱えるさまざまな問題に疑問を感じる人たちの間で、人気が高まっている代替医療と呼ばれるものの一つです。
実は、このホメオパシー、ネット上の科学重視派の人たちからは毛嫌いされるんですが、一体どんな内容のものなのか、さっそく見てみましょう。
GIGAZINE で紹介されたホメオパシー ホメオパシーって、なんか問題なの? GIGAZNE の記事についたコメントについて GIGAZINE で紹介されたホメオパシー 情報サイトGIGAZINEに、2018年2月23日付で次のような記事が掲載されました。
・現代医学に懐疑的な人々に人気の治療法「ホメオパシー」とはどのようなシステムなのか? - GIGAZINE
こちらでは、youtube に投稿されたビデオをもとに
ホメオパシーの「原理」 現代の科学では、ホメオパシーに科学的根拠はないと考えられていること けれどもプラシーボ効果によってホメオパシーには「実際の効果」があること が分かりやすく説明されています。
ホメオパシーは同種療法とも呼ばれ、「症状の原因となる物質を極限にまで希釈して使うことで症状を治療することができる」という「仮説」にもとづいています。
この考えにもとづいて、「毒」を希釈して作った砂糖コーティングの丸薬をホメオパシーではレメディと呼びます。
ところが、通常使われるレメディは、科学的に考えると原因物質が1分子も入っていないまでに薄められてしまっています。
もとの物質が入っていないのですから、普通に考えればこれは「砂糖玉」でしかありません。
けれどもおもしろいことに、この「砂糖玉」によって、実際に病気の症状は改善するのです。
これは医学的によく知られた事実で、「プラシーボ(偽薬)効果」と呼ばれます。
プラシーボ効果とは、「効果のない物質でも、効果があると思って飲めば、実際に効果があらわれる」という現象で、暗示の作用によって人間の自然治癒力を引き出すものです。
以上で、ホメオパシーには「科学的根拠はない」にも関わらず、「確実に効果」があることがお分かりいただけたでしょうか?
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ホメオパシーって、なんか問題なの? GIGAZINE の記事では、
ホメオパシー医療に対しては、「本当に現代医学の力を借りるべき時に、頼ることを躊躇させる」などの批判があります。
とさらりと触れているだけなのですが、日本の場合、大手の新聞も「医療忌避」につながるとしてホメオパシーに否定的な報道をしています。*1
これは日本におけるホメオパシーの普及に助産師の方々が関わっており、一部の助産師の間では、行き過ぎとも考えられる「現代医療否定」の傾向があることと関係があります。
ホメオパシーの原理自体は、決して現代医療を否定するものではありません。
現代医療を否定するかどうかは、最終的にはホメオパシー利用者の判断の問題です。
助産師さんたちの活動は、過度に医療化・男性化された現代の「お産」の形を、女性に取り戻すものであり、それには大きな意味がありますが、活動が先鋭化して「現代医療の否定」にまでつながれば、これは「カルト的」と言わざるをえません。
ホメオパシーを「カルト化」させないためにも、ホメオパシーを推奨する助産師のみなさんには、行き過ぎた「医療否定」に落ち入らないよう、十分注意していただきたいと思います。
GIGAZNE の記事についたコメントについて ・はてなブックマーク - 現代医学に懐疑的な人々に人気の治療法「ホメオパシー」とはどのようなシステムなのか? - GIGAZINE
ツイッターで、
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている という情報を目にしたぼくは、
「これは怪しいぞ」
と思いました。
何が怪しいって、ぼくの好みは14歳のときになんか、絶対決まってませんから。
確かに当時耳に入ってきた、ピンクレディーの「UFO」や山口百恵の「秋桜」、そしてキャンディーズの「微笑がえし」といった歌謡曲は、いつまでも脳裏に焼きついたままでしょうが、ぼくの音楽の好みは高校時代に形成されて、そのあとも変わり続けていますから。
というわけで、今回のお題は、
女は13歳、男は14歳で音楽の好みが決まるのか? です。
[:contents]
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まるのか? 今回の話題のネタ元、FNMNLの記事
・大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている - FNMNL (フェノメナル)
には、
私たちの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽によって形成されていることが、新たな研究により明らかになった。
とあるのですが、この書き出しからしてデタラメです。
(FNMNLさん、がんばれ!)
FNMNLが紹介している元記事は、NY Times の
・The Songs That Bind - The New York Times
というものなのですが、タイトルの意味は「心に刻まれる歌」ぐらいの意味ですね。
こちらの記事を書いているのは、セス・スティブンス=ダヴィドウィツ Seth Stephens-Davidowitz というグーグル勤務の経歴を持つビッグデータが得意な人で、Spotify から提供されたデータをもとに今回の分析を行なっています。
以下、セスさんの元記事を参照して、
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる ということの意味を説明していきます。
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる人が多い 結論からいうと、
女は13歳、男は14歳で「音楽の好み」が決まる人が一番多かった というシンプルな話です。
この分析に使われたのは、Spotify のすべての楽曲について、どれだけの頻度で聴かれているかを男女別、年齢別に分類したデータです。
NY Times のサイトよりお借りした次の画像を見ると、女性は13歳が最多で、11 - 14 歳の4年間の影響が大きく、男性の場合それより少し遅くなり、14歳が最多で、13 - 16 歳の4年間の影響が大きいことが分かります。
これは、女性のほうが、思春期に入る年齢が早いことと関連しているのでしょう。
また、グラフの分布を見ると、女性は男性に比べて、年齢の若い左側が盛り上がった形で、年齢の高い右側が急に落ちてからなだらかになっている様子が見て取れます。
女の子は「おませさん」で、子どものうちに「好み」が決まりやすく、少年はむしろ、大人になるにつれて「好み」を選んでいく傾向が強いということになるでしょうか。
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はてな匿名ダイアリーの
・人生何者にもなれなかった、けど
という記事がとてもよい文章だったので、今回はそれにまつわる話です。
ナニモノくんの嘆きと悟りと可能性 世間の目と自分の目 - 何者にもなれないことを反芻する - fujiponさんの場合 主観的なニーズの変形と、「何者かになった」のに「何者にもなれなかった」人だっているという現実 - シロクマ先生の分析 ナニモノくんの嘆きと悟りと可能性 件のダイアリーの書き手をナニモノくんと呼ぶことにしましょう。
ナニモノくんはもうじき大学を卒業して就職します。
このダイアリーは、何者かになりたいとあがいてきたそんな彼が、もう何者にもなれないことを自分に納得させようとして書いた、ひとりボケつっこみなストーリーです。
ナニモノくんはこの記事の追記で、「こんなクソみたいな文章」と自己卑下して見せるのですが、何をおっしゃる兎さん、彼の文章はかなり読ませる技巧派のものです。
本人が言うとおり、「書いてる事しっちゃかめっちゃか」な文章ですので、メジャー受けするものとは言えませんが、もうひと捻り、ふた捻りすれば、メタフィクションとして成立する可能性のある、二人称と一人称が入り混じり、いい塩梅にねじくれた文章と言えましょう。
熱情と嘆きの間を往還し、最後には悟りの片鱗すら見せるダイナミックなバランス感覚には、将来花開くかもしれない原石の魅力があります。
さてその内容ですが、ナニモノくんは、周りの友だちと比べて、自分を否定します。
周りの友だちは、ちょっと努力するとどんどん上達していくのに、自分は自分なりに頑張っているのに、ちっとも上達しない、才能がないんだ、と。
でもナニモノくんは、ないものねだりをしてるだけなんですよね。
周りの友だちは多分、時流に合わせることができる標準的な才能がある人たちだったんでしょう。
そういう人たちの多くは、やっぱり何者にもなれずに、普通の大人になっていきます。
ナニモノくんは、それなりの才能は持っているのに、他の人の目でしか自分を測ることができないから、自分の良さが全然わかってないんです。
あなたには十分な才能があります。
マイナー道半世紀のぼくが保証します。
ぼくが保証したからといって、きみが何者かになれるわけではないけれど、きみがあきらめずに「表現」を続けるならば、何者かになれる可能性は、きみの人生が続く限り、いつだってあり続けるんです。
とはいえ、何者かになろうと思って「表現」をするのは、もういい加減やめたほうがいい時期に、ナニモノくんは差し掛かっているのでしょう。
何者かになれた人たちのうち、少数ではありますが、何者かになろうとしたわけではなく、好きなことをしているうちに自然に何者かになった幸福な人たちもいます。
ナニモノくんが目指すべきなのは、そうした「幸福な少数者」です。
でも、こんなことはぼくが言うまでもないことですね。
ナニモノくんは、とりあえず「善く生きる」ことこそが大事なんだと、ちゃんと分かっているんですから。
ナニモノくんは、生きている限り「表現」を続けることでしょう。
「善く生きる」こと自体が「表現」であり、すべての人間にとって、自分の人生こそが最大の「作品」です。
この世に生まれ落ちて、山あり谷ありの一生を送る。そうやってでき上がった「人生という名の作品」を残していく我々すべてが、人の目にどう映ろうと、確かに「何者か」として生きたことになるのだと思います。
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世間の目と自分の目 - 何者にもなれないことを反芻する - fujiponさんの場合 fujiponさんが
ネット有名人のはあちゅうさんが、
「手っ取り早くSNSで有名になりたかったら猫か犬を飼うとよいらしい」
(https://twitter.com/ha_chu/status/964297202070794240)
とツイートしたことに対し、ペット遺棄の問題を重視する動物愛護派の人たちからの抗議が殺到し、炎上事件が発生したことについては、
・はあちゅうさんの「動物最強!」発言の炎上について、共感能力の視点から考察してみました - *魂の次元*
ですでに書きました。
そのはあちゅう氏の発言の問題点について、女優のはるかぜちゃんこと春名風花氏が、次のような指摘をしています。
SNS のためにペットを飼い、それに飽きたら捨てるような人は現実にいる。 それを助長するような発言はネット上でしないほうがいい。 はあちゅう氏は大きな影響力を持つインフルエンサーなのだから、どうかそうした点に注意をしてほしい。 さて、こうした意見に対するはあちゅう氏の応答は、どんなものだったでしょうか。
また、はるかぜちゃんの想いは、はあちゅうさんに届いたのでしょうか?
少し詳しく見てみることにしましょう。
はあちゅうさんは「事実」で、はるかぜんちゃんは「連想ゲーム」? はあちゅう氏は、こうツイートしています。
事実を書くだけで「そういうことを推奨するのは間違ってます」ってつっかかってくる人って日本語がもはや通じてないんだよなぁ。田端さんも三浦瑠璃さんの炎上時に、ネットの連想ゲームクレーマーについて書いてたけど、勝手に頭の中で情報書き換える人に相手してらんない。
https://twitter.com/ha_chu/status/965044603102535680 このツイートは、はるかぜちゃんに向けられたものではありませんので、はるかぜちゃんの発言に沿って言い換えれば、
「事実を書いているだけなのだから、連想ゲーム的にペット遺棄問題の話をされても困る」
ということになるでしょう。
ここで問題になるのは、はあちゅう氏の発言は残念なことに「事実」を述べたものとは言えない点です。
彼女は、
「猫か犬を飼って『手っ取り早く』SNSで有名になった人」
を実際にご存知なのでしょうか?
おそらくご存じないでしょう。
猫や犬を飼うだけで「手っ取り早く有名になれるわけがない」ことを、はあちゅう氏ほどの人物が知らないわけがありません。
もちろん、犬や猫を「使って」
(1) ある程度のPVを稼ぐことはできるでしょう。
しかし、それと
(2) 手っ取り早く有名になる
のは、まったく別の話です。
はあちゅう氏こそが、「(1) の事実」を「(2) の都市伝説」に拡大して、連想ゲームをしていらっしゃるのではないでしょうか?
はあちゅう氏は、マーケティングに詳しいのが売りの作家さんなのであれば、世間話レベルでの、単なる「伝説」や「噂話」でしかないものを、「事実」として伝えるという誤報をしてしまったのですから、責任は重大です。
誤報を流したことを謝罪すると同時に、
ペットを使うことで、PVを稼ぐことは可能だが、それによって手っ取り早く有名になることはできない という事実を、きちんとツイートするのが筋というものではないでしょうか?
はるかぜちゃんは、はあちゅうさんの情報発信につっかかる「当たり屋」なのか はあちゅう氏は、こう書きます。
みんな結局、社会を変えたくて誰かに意見しているのではなく、人を叩くのが楽しいから叩いているだけ。まぁ、「発信」もじわっと社会を動かすことの一つではあると思うんだけど、相手の言い分も見ずにいきなり汚い言葉で攻撃してくる人って当たり屋でしかないと思うのよ。炎上の半分は当たり屋の仕業。
https://twitter.com/ha_chu/status/965063521942749185 はあちゅう信者のみなさんには、この言葉だけで、120% の説得力があることでしょう。
「自分の発言最高。それに意見するやつはみんな『当たり屋』」
ってわけですから。
この「無敵の自信」こそが彼女の魅力でしょうから、今回の炎上事件でも、ファンのみなさんは、
「はあちゅうさん、最強♡」
と拍手喝采していることは、間違いありません。
しかし、はるかぜちゃんの発言が「当たり屋」的なものでないことは、常識のある皆さんには明らかなことでしょう。
むしろ、はるかぜちゃんの真っ当な意見に対して、はあちゅうさんの発言にあおられたかのように、「当たり屋」さんたちがからんでいるのが現実です。
はあちゅう氏の発言戦略の巧みさに比べると、はるかぜちゃんの発言は残念ながら愚直すぎるようです。
エネルギーあふれるはるかぜちゃんも、今回のような流れで「当たり屋」系の方々とやりとりをすることには、かなり消耗してらっしゃる様子です。
とすれば、ツイッター上で意見を述べてくる人間のほとんどが、
建設的な議論がしたいのではなく、相手をやっつけたいだけ でしかない事実を十分に見きわめた上で、「当たり屋」さんたちについては、さらりと流すような対応をなさったらいいのではないかなーと、老婆心ながら一言提案させていただきます。
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人生には苦しい場面というものもつきもので、そういうときは少し頑張って「なんとかしなくちゃ」という気持ちが大切になりもします。
でも、もしあなたが毎日のように
「なんとかしなくちゃ」 と思っているとしたら、それって結構しんどいですよね。
それほどのことはないあなたの場合でも、何か「事件」が起きたときに、
「どうしよう、なんとかしなくちゃ」 と思って、あせってしまい、かえって問題をこじらせた、なんて経験はないでしょうか?
というわけでこの記事では、「なんとかしなくちゃ」と思ったときの究極の対処法をお伝えします。
「なんとかしなくちゃ」と思ったとき、まずするべき唯一のこととは? どうして「なんとかしなくてもいい」と考えるのか 「なんとかしなくてもいい」って言われても...... 「なんとかしなくちゃ」と思ったときには、ついでに体のリラックスも心がける 「なんとかしなくちゃ」と思ったとき、まずするべき唯一のこととは? 何か困ったことが起きて、「なんとかしなくちゃ」と思ったとき、
「なんとかしなくてもいいんだ」 ということを、必ず思い出すようにしてみてください。
これを実践するだけで、あなたの人生はぐっと楽になります。
「そんなアホな!」と思うかもしれませんが、ぼく自身の経験からいって、これはまぎれもない事実です。
どうして、そんなことが言えるのか、もう少しくわしく見てみましょう。
どうして「なんとかしなくてもいい」と考えるのか これは簡単な話で、「なんとかしなくちゃ」と思えば思うほど、人間はあせって失敗しやすくなるからです。
「なんとかしなくちゃ」と思っているあなたは、あせって失敗しやすい状態にあるのですから、「なんとかしなくてもいいんだ」と思い直すことで、あせりを静め、落ち着きを取り戻すことが、まず最初にやるべきことなのです。
そうは言っても「なんとかしなくてもいい」なんて無責任な考え方で大丈夫なのか、と思われるかもしれませんが、こう考えることは決して責任を放棄することではありません。
あせった状態で何かをして、問題をこじらせてしまったら、かえって周りに迷惑をかけることになります。
じりじりするほど何かやって挽回したい場面だったとしても、
余計なことをして問題をこじらせるくらいよりは、何もしないほうがいい という場合もあります。
ですから、「なにかしなくてもいいんだ」と考えてしっかり気持ちを落ち着けてから、何をするべきか、あるいは何もしないほうがいいのか、を冷静に考えることが大事になるのです。
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「なんとかしなくてもいい」って言われても...... 「なんとかしなくちゃ」と思うような問題が起こっているのに、
「なんとかしなくてもいい」 と言われても、そんな風には思えない、とあなたは考えるでしょうか?
確かに、そう言われたからといって、すぐにそう思うのは難しいでしょう。
人間というのは習慣の生き物ですから、感じること、考えること、そして行動すること、どれもがほとんど今までの人生の経験によって決まっています。
ついつい「なんとかしなくちゃ」と思ってしまうあなたが、「なんとかしなくていい」と言われても、すぐにそうは思えないのは当たり前のことです。
だからこそ、
「なんとかしなくちゃ」と思ったら、「なんとかしなくてもいい」と思い直す 練習が必要になります。
練習といっても、「あ、また『なんとかしなくちゃ』と思ってるな」と気がついたときに「なんとかしなくてもいいんだ」と思い直すだけのことですから、特別な準備は必要ありません。
けれども、こういうことはすぐ忘れてしまいがちなことですので、もしあなたが
「このアイディアはいけそうだ」 と思ったら、今すぐ目につくところに