2025年5月3日、参院京都府選挙区選出の議員、西田昌司氏が、沖縄で開催された『第4回憲法シンポジウム/安倍晋三先生顕彰祭』において、ひめゆり平和祈念資料館の展示について「歴史の書き換え」と発言したことが問題になっています。 細かい経緯は、例えば、こちらの朝日新聞の記事 https://www.asahi.com/sp/articles/AST591QY0T59UTFK00BM.html などを見ていただければと思いますが、はっきり言って西田氏の発言は支離滅裂としか言いようがありません。 自分の記憶の中にしか存在しない曖昧な記憶を「事実」だと主張し、自分は事実を述べただけだから発言の内容については撤回しないと言うのです。 そして、そのことの報道の仕方にも「異常」なものがあります。 朝日の記事から引用すると、 『『 「無神経に沖縄の県民の方々の心を乱すようなことになってしまったと感じた」とした。 一方で「自分の言っていることは事実だという前提でいまも話している。問題は、事実(かどうか)ではなく、県民の感情を分かっていなかったことだ」とも主張。講演の中で「沖縄の場合には、地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」などと発言したことについては、「(謝罪・撤回は)しません」と述べた 』』 ということなのに、その記事の見だしは「自民・西田氏、ひめゆりの塔巡る発言を一部撤回 沖縄県民らに謝罪」となっています。 県民感情を傷つけたことは認めたものの、謝罪も撤回もしていないのに、こうした見出しを掲げることは、報道機関としての信頼性を自ら投げ捨てているとしか言いようがありません。 東京新聞も発言の「撤回と謝罪」があったと報道しており、まったく理解に苦しみます。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/403822 実際に戦争を体験した人たちで存命の方はごく少数になり、わたしたちの記憶の中で戦争は影の薄いものとなってしまっています。 その上、沖縄が本土決戦のための時間稼ぎの場として捨て石とされたという歴史的事実すら忘れてしまうとすれば、日本の将来は極めてあやういものになってしまうのではないでしょうか。 80年前の戦争について、本土の人間(ヤマトンチュ)には分かりにくい、沖縄県民(ウチナンチュ)の思いを知るためには、下記のような沖縄の人が編纂した本を読むことが大切だと思います。 ☆沖縄タイムス社編「沖縄戦記 鉄の暴風」 (ちくま学芸文庫) https://amzn.to/4m5ILM9 (以下、アマゾンより内容紹介を引用) 第二次大戦末期20万人もの命が奪われた沖縄戦。本書はその惨状を従軍記者が克明に綴った記録だ。現代史第一級の史料を初文庫化。解説 石原昌家 === 第二次世界大戦における最激戦地の一つ沖縄。軍民合わせ20万人もの尊い命が犠牲となった。本書のタイトルの「鉄の暴風」とは、1945年3月26日から3カ月間にわたり途絶えることなく続いた艦砲射撃や空爆のすさまじさを表現した言葉だ。1950年の初版刊行以降、沖縄戦を象徴する言葉として定着した。地形が変わるまで打ち込まれた砲爆弾、壕に逃げ込んだ住民を炙り出す執拗な火炎放射、そして民間人にまで及んだ自死の強制。本書は行動を軍とともにした記者たちが自らも体験したその壮絶な戦場の実態を、生存者をたずね克明に記録したもの。現代史第一級の史料を初文庫化。 【目次】 ちくま学芸文庫版『鉄の暴風』まえがき 重版に際して まえがき ひめゆり塔の歌 第一章 嵐の前夜 一、揺らぐ常夏の島 二、十・十空襲 三、死の道連れ 四、逃避者 第二章 悲劇の離島 一、集団自決 二、運命の刳舟 第三章 中・南部戦線 一、米軍上陸 二、北・中飛行場の潰滅 三、神山島斬込み 四、軍司令部の壕 五、南へ南へ 六、鉄火地獄 七、伊敷・轟の壕 八、月下の投降 九、防召兵の話 十、牛島・長の最期 十一、出て来い 第四章 姫百合之塔 一、女学生従軍 二、南風原陸軍病院 三、泥濘の道 第五章 死の彷徨 一、第三外科の最期 二、運命甘受 三、女学生の手記 四、草生す屍 五、壕の精 六、平和への希求(姫百合之塔由来記) 第六章 北山の悲風 一、北へ北へ 二、山岳戦 三、真部・八重潰ゆ 四、国頭分院の最期 五、さ迷う兵隊 六、護郷隊 七、敗残 八、武士道よさらば

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・megamouthさんの「好きなことで生きていく」 https://www.megamouth.info/entry/2025/04/30/104014 という記事を読みました。ビジネスにおけるモチベーションの話ということで、思い出したのが、ワインバーグさんの「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL という本です。

・さて、megamouthさんの記事、DeNAの南場さんの話から始まります。会社に入って一年目の人間に対して、「仕事としてやる以上、個人的なモチベーションのことばかり言ってたらダメ」、という意味のことを南場さんが言ったというのですが、まあ、もっともなことでしょう。だって、大学のサークルの話じゃなくて、仕事の話ですもんね。

・で、南場さんの話は、けれどもチームにおいてはモチベーションも大切、というふうに続きます。ですから、そこを読まずに、南場はダメだなと思ったら、それはやはり勘違いというものでしょう。 (いや、別にね、南場氏について、どんな勘違いをしようと、そんなの大した問題じゃないんですけど)

・というような前振りの話はともかくとして。

・megamouth さんが、プログラマとして自分にとっておもしろい仕事だけをしていたい、という気持ちは全くよく分かります。

・『lintチェックを無効化して、any使ったら5分で終わる作業を1日かけてGenericにして、lintエラーを出なくする「だけ」の、お前それ費用対効果どうなってんだという作業』をしている自分を見て、 megamouth さんは冷静に、このままではちょっとやばいかも、南場さんのお叱りは愛の鞭かも、などと思うわけです。

・けどですよ、費用対効果の算盤勘定はともかくとして、技術的なパズル遊びが許される職場環境があるのならば、仕事の(たぶん)合間に、そういう遊びをやったからといって、特に悪いこともないんじゃないかとも思いますよね。

・さてそれで、そういう技術遊びをしながら生き延びてきた megamouth さんが、プロジェクトマネジャの仕事を頼まれる。そこでチームの若手のプログラマが「1週間ほどかかる」というタスクについて、急げば二日かな、と考えつつも、「急ぐ必要もないので、1.5週でやりましょう」とゆるい提案をして、チームの信頼を得た、というのが記事の主題なんですね。

・megamouth さんは派遣で働いているわけですが、派遣先のディレクタから、「○○さんはうちの難しいエンジニアとうまくやってるけど秘訣は?」と聞かれて笑顔で誤魔化します。『彼らの内面を暴かないこと、社会人としての外装をうまく取り繕う手伝いをすること、が本当の秘訣だ、が、それを正直に言うほどお人好しではなかった』というわけです。

・この話は、なんとも日本的なエピソードだなと思いますが、これをエンジニアと管理者の「共犯関係」と捉えるのか、それても「共生関係」と捉えるのか、その辺りが人生の分かれ道になるような気はします。

・こういう、ある意味ぬるい「共生関係」も、まったくいいよなと思いつつ、ちょっと別の方向で思い出したのが、ワインバーグさんの本です。

・「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL と大層な題名がついていますが、マネジャとして管理する人だけでなく、チームとして仕事をする人なら誰にでも役に立つ内容の本です。といっても、人間同士のやり取りを詳細に分析していますから、そういうことに関心のない人には読みにくいでしょうけれども。

・とはいえ、エンジニア的視点から書かれていますから、一般の心理学関係の本のようなまだるっこしい内容ではなく、人間関係のメカニズムをクリアに理解するための助けになるはずです。

・第12章「人を助けることのむずかしさ」に次の文章があります。(手元に訳本がないため、原文から勝手に訳しています)

『あなたが誰かのモチベーションを高めたいと思うのならば、それが直接的であるにせよ、環境を整えることによるものであるにせよ、まず第一に、あなたが相手を大切に思っているということをきちんと分かってもらうことが必要です。そしてきちんと分かってもらうための一番確実な方法は、実際に相手を大切にすることなのです』

・先ほどの megamouth さんのやり方も、実はここに書かれたことの実例になっているとは思いませんか? エンジニアは管理者から尻を叩かれながら働きたいとは思わないでしょう。自分が気持ちよく働ける環境を、管理者には作ってもらいたいと思っているはず。エンジニアのそうした気持ちを大切に思うからこそ、megamouth さんはゆるい提案をすることによってそれを実際に行動として示し、その結果エンジニアの信頼を勝ち取ったわけです。そしてそうなれば、自然にエンジニアのモチベーションも上がるというものです。

・……というような解説が本当か嘘かはともかくとして、ワインバーグさんの本には、コンサルタントとしての彼の経験に基づいた様々なエピソードが披露されていますので、興味が湧いた方はどうぞご一読してみてくださいね。

・てなわけで、みなさん、ナマステジーっ♪

☆ジェラルド・M・ワインバーグ「スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学」 https://amzn.to/43ir3gL (原題: Becoming a technical leader : an organic problem-solving approach)

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Moto g53y を手に入れ、termuxを入れたところ、フォントがひどくって可読性がぼろぼろ……。

この端末はandroid14だが、13辺りから仕様が変わったらしい。

cp /system/fonts/DroidSansMono.ttf ~/.termux/font.ttf

とシェルに打ち込んで問題解決。


☆termuxでpython、初心者の方も初期投資なしで楽しめるので、おすすめです。

こちらの本、参考になります。

「スマホでPythonをはじめよう: AndroidスマートフォンとTermuxアプリを使ったプログラミング入門&学習 Pythonを始めよう」 https://amzn.to/4gg9fGG

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「何もない」と認識する立場は当然ありうる。 しかし、そのとき、そう認識する主体はあるはずだ。 とすれば、「何かがある」と認識する立場のほうが、もっともらしく思える。 そのとき「何がある」ことになるのかは、言葉で厳密に言い尽くすことはできない、と思われる。 時間、空間、物質、エネルギー、そして自己。そんなものが多分あるのだろうが、それが何なのかを言い尽くすことはできない。 #竹林の愚考

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はてなブログから自前のサーバに引っ越しました。 まだ、表示がかなり変ですが、とりあえず動いてるからいいことにします! なお、はてなのサイトは下記のアドレスで残っておりますので、念のためお知らせまで。 https://dimofsoul.hatenablog.com/

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楽天モバイルのゼロ円プランがなくなって、iijmio と povo が人気のようです。 iijmio のホームページにも2022/5/17付けで、本人確認と商品発送に時間がかかるとのお知らせが出ています。 IIJmio:【解消】お申し込みの集中による商品発送の一部遅延について さて、実際に2022/5/28 に sim と端末を申し込んで何日で商品が届き開通できるのか、経過を書いてみましょう。 2022年5月28日朝早くに申し込んで、本人確認まで。 2022/5/28土 に朝早くに申し込んだところ、申込み受理のメイルが届いたのが、お昼ごろ。 本人確認完了のメイルが来たのは、2022/5/31火 の夕方で、3日かかりましたが、土日が挟まってるので、1営業日でオーケーということかもしれません。 sim と携帯はいつ届く? sim と携帯はいつ届くのかな。届き次第更新します。 ※なお、平常時の開通までの期間についてはこちらが参考になります。 https://joshikikakusa.com/iijmio-device-days/ * * * 久しぶりにこちらに記事を書きました。 今後はぼちぼち更新していきたいなと思っとります。 てなことでみなさん、ナマステジーっ♬ * * * ……と、ひとつ記事を書いたのに、情報の追加もなければ、その後に続く記事もなし。 まったくオイラのやることはこれだからなー。 そんなこんなで今後ともよろしくお願いしまーす。(2023-02-09 北インド・デリー郊外のヒンドゥー寺より)

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牧野信一『「悪」の同意語』を読んでいる。 牧野は大正から昭和初期にかけての、太宰より一回りちょっと歳上の「ダメ作家」の先輩で、『「悪」の同意語』にも、思わず苦笑せざるを得ないようなダメ人間ぶりが、主に家族との関係を通して徹底的に描かれている。 これを読むと、ぼくのダメダメな人生など、まったく中途半端なものでしかないことを思い知らされ、21世紀初頭のインドの片隅でぷちブル的貧乏生活を送っている自分自身に、限りない幸福を見い出せるような気持ちになるから、可笑(おか)しなものだ。 ☆牧野信一『「悪」の同意語』 (2002 青空文庫オンデマンド) https://amzn.to/3xxhFUC

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中村篤史氏は、神戸市元町で「内科・心療内科・精神科・オーソモレキュラー栄養療法」のナカムラクリニックを開業しているお医者さんですが、反コロナとでもいうべき立場で、note.comに投稿を続けていらっしゃいます。 https://note.com/nakamuraclinic この記事では、氏が4/5付けで書いたのちにすでに削除してしまった「教授からの電話」という投稿を全文引用させていただきます。 著作権法上の制限から、予告なく削除する可能性もありますので、あらかじめご了承願います。 投稿内容の紹介と注釈 中村篤史医師「教授からの電話」全文 投稿内容の紹介と注釈 中村氏の投稿は、 「テレビにもよく出ている某教授が、氏のクリニックに電話をかけてきて、コロナワクチンの問題点について語った」 というものです。 教授は、 「ワクチンを打てば血栓ができるのは当たり前、というのも、すでに抗体を持っている人ならば、ワクチン成分が取り込まれた血管内皮が攻撃され傷つけられるから。それなのにテレビに出る専門家はそのことを言わない」 という意味のことを語っています。 この教授の意見がどこまで信頼するに値するかは簡単には言えませんが、ワクチンについて専門家の中にも、このような懸念を示している方がいることは、ワクチン接種を受けるかどうかを決める際に、知っておいたほうがいいことでしょう。 なお、中村氏が投稿したのちに、すぐ削除してしまった理由については、本人以外は知りようもないことてすが、教授本人から削除を要請されたと考えれば、特別の不思議はないでしょう。 この記事を読んでくださっている皆さんには、その教授が誰なのかといったことには深入りしないで、匿名の専門家からの情報として、内容を検討していただければ幸いです。 念のためつけ加えると、ぼくはワクチンの接種自体を否定するわけではありません。 けれども、社会全体として、接種を積極的に推進すべきなのか、それとも個人の判断に任すべきなのか、あるいは打ちたい人は打てばいいというようなものなのか、そういう選択肢というものを、副反応とか副作用とか呼ばれるものについてもきちんと知り、そしてワクチンの効果についてもしっかり知った上で、自分なりの考えを持つことが大切だと思うのです。 皆さんが今回のワクチンについて考えるための一助として、この記事が少しでもお役に立てば幸いです。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 中村篤史医師「教授からの電話」全文 コロナ関係の話題でテレビでしばしば見る某教授から、当院に直接お電話いただいた。受付から「○○教授からお電話です」と聞いても、意味が分からなかった。その教授は、僕にとって、完全に「テレビの中の人」だったから。『そこまで言って委員会』かもしれないし『TVタックル』かもしれない。とにかく、「テレビの中の人」である。その人が僕に電話をくれたというのだから、意味が分からない。急に現実感がなくなるような、夢の中にいるような錯覚を感じた。 しかし電話の向こうの声は、確かに、テレビで聞き慣れたあの教授の声だった。 「noteで見ています。僕らがなかなか言えないことを言ってくれてて、ありがとうございます」 とんでもない。こんな高名な先生に読んでもらっているなんて、想像もしない。僕は恐縮して、うまく言葉が返せなかった。 「僕が一番もどかしいのは、コロナワクチンを打って血栓ができるということ、あんなの当たり前なのに、学者は誰もそれを言わない。コロナワクチンは筋注です。筋肉から毛細血管に入り、そして血中にまわる。ワクチンの成分が血管内皮細胞に取り込まれる。もし、この人の体にすでにコロナに対する抗体があれば、血管内皮を攻撃して傷ができる。こんなの当たり前です。従来のタンパク型ワクチンなら打ったところにマクロファージが来て抗原提示して、といった反応が起こるところ、すでに細胞性免疫の成立している人が打てば、攻撃にかかる。だからひどい副反応が出る。当然皮膚に現れるけど、それだけではありません。血管そのものを攻撃するから、血栓もできる。 当然のメカニズムなんです。でも、テレビのなかの学者はそれを言わない。学者が「なぜ起こるかわからない」って言うんだけど、その発言の意味がわからない。本当にわかっていないのなら、もう学者じゃなくて素人でしょ。 だから、コロナワクチンの接種希望者に対して国がやるべきことは、まず最低限、抗体検査。その人がコロナに罹患したことがない確認が要る。あるいはCTL検査。これは日本ではできないけど。 もっとも、抗体はすぐに消える。軽い感染では抗体も残っていない。こういう人に1回、2回ワクチンを打つと、大変なことになる。まったく感染したことのない人ならともかく、すでに感染歴のある人ならやばいと思う。 あと、「ワクチンの接種によってコロナ検査の陽性者が頻発している」っていうのをさも異常事態のように言っているけど、これも当たり前。腸管にウイルスがいる人もいる。ワクチンによってサイトカインやIL4が誘導されて、マクロファージが活性化して、ACE2受容体が発現する。すでにそういう論文が出ている。腸管にウイルスがいる人がワクチン接種を契機にマクロファージが全身にまわる。こんなの当然です。 みんなボケてるのか頭が悪いのか、わからない。あと、やばいなって思うのは、コロナワクチンが変異株に対して感染防御効果がないだけならまだしも、逆に感染しやすくなる可能性。これ、本当にやばいと思う。冬に全然違う変異株が出たとき、ワクチンを打った人だけが重症化しやすい、っていう可能性は十分ある。だから、僕は言ってるんです。「コロナを今止めたいかもしれないが、医療者への接種は全員ではなく、せめて3分の1にしてくれ」と。 コロナワクチンを打った医療者全員が変異株によって重症化したら、日本の医療はパニックになる。 10%の確率で墜落する飛行機があるとして、そこに医者全員を乗せるようなものです。墜落は、即、医療の崩壊を意味します。こんなリスクのある施策を、行政がとってはいけない。 僕は自民党の議員にこの点を指摘して、何とかしてくれるよう言いました。しかしどの議員も及び腰です。 どうせワクチンの作用発現なんて、ゆっくりだから大丈夫っていう先生がいる。でもそれって詐欺でしょ。コロナウイルスは何度もかかる。同じウイルスに何度もかかる。なのに今全員にワクチン打ってどうするのかって思う。でも〇〇教授は「細胞性免疫を誘導してるから大丈夫」っていう。 いや、怖いよ。ワクチン接種によって、普通に感染する以上に強い免疫誘導をすることについて、恐怖感がなさすぎる。自分の血管内皮を攻撃しちゃうかもしれないんだよ。 さらに突っ込んだことを言うとね、僕は免疫というのは有限だと思っている。何かに対する免疫がつくと、何かに対する免疫は下がると思う。他のウイルスに対して弱くならないか、って危惧してるわけ。 たとえば、大して恐れる必要もないカンボジア軍に対して、自衛隊が戦力の50%をカンボジア軍特異的な配置にしたらどうなるか?結果は見えている。中国軍にあっという間にやられるだろう。 不必要に強すぎるワクチンはダメなんだ。論理的に考えて、血栓や流産は当然。偶然起こるんじゃない。必然だよ。ワクチンでサイトカインを暴走させているわけだから。予言しておくけど、うつ病や精神的不調も続発しますよ。 はっきり言って、ワクチンに関して、みんな常軌を逸している。僕がこれまで尊敬していた専門家が、テレビの中では、とんでもない頓珍漢なことを言っている。僕は聞きたいんです。一体何があったんですか?なぜ当たり前のことを言わないんですか?お金ですか?圧力ですか? ちょっとテレビでは言いにくいことだけど、僕は、接種後すぐに出るアナフィラキシーに関しては大したことないと思っている。アドレナリンとかで助かるから。もっと他にやばいことがあると思っている。サイトカインの暴走です。理屈で考えれば、起こるに決まっているし、実際起こっています。 そもそもコロナは、欧米に比べて、日本では大して流行ってない。仮に1千万人に打っても、集団免疫にもならない。マスクを外したいから、ってわざわざ打っても、感染防御効果は7割ほど。3割は感染するわけ。 結論、弱毒化するまで待つしかない。どうせ多くの日本人はかからない。だから僕は言ってるんです。あと1,2年は待とうって。 どうせ弱毒化します。変異するにつれて弱毒化する。変異して感染力が高まる可能性はある。でも、弱毒化するからどうってことはない。 打ちたい人は打てばいい。でも打つ打たないは、こういう情報を知ったうえで判断すべきでしょ。医者で立場上打たないといけない人もいるだろう。でもリスクは十分承知しておくべき。打つと、次の冬には診療できなくなるかも、と。 僕もテレビに出演する側の人間だけど、確かに「遠回しにしか言えない」タイプの事柄はある。『そこまで言って委員会』も「僕は打ちません」程度しか言えなかった。それでも、ネットでさんざん叩かれた。「あいつは反ワクチンだ」って。

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横光利一の「欧洲紀行」を読んでいる。 1936年のベルリン・オリンピックの取材がてら、船でフランスに渡り、ヨーロッパ各国を見聞し、シベリア鉄道で帰国の途、内モンゴルの満州里に到着するまでの思索的な紀行文である。 横光利一は短編「機械」がサルトルからも賞賛を受けるほどの実力の持ち主だが、八紘一宇を素朴に信じ、戦時体制に率先して協力したことが大きな原因なのだろう、今ではほとんど忘れ去られた昭和の作家である。 状況からほどよくその身を切り離して観察する横光の書くヨーロッパは、世界がまだ広かった頃に、半年ほどの見聞でその狭さを実感してしまった男の、怜悧な頭脳の働きを映し出していて興味深い。 例えばこんな具合である。 外国から帰ると馬鹿になるという説は、日本人の間では常識である。しかし、これではたしかに、馬鹿になるよりしようがない。 人間が地上を完全に一人で廻ってみたということは、古往今来絶無なのだ。世界の話というものからよせ集めた知力が、つまりわれわれの知っている論理である。この誰もの信じている論理からどれほど多くのことが洩れているか。否、むしろ、洩れているものの方が、知っているものよりどれほど多いか。こういうことに気附いたとき、この者は馬鹿になる。これは懐疑主義というがごとき、言語心理学的な間延びのした知的なものではない。 万国共通の論理というものがある。これも同様に人間の不完全性から押し上げて来た電流のようなものだ。その証拠にこれが絶えず変るのは、知性の極がどこにあるのか分らぬという危険さを示したことだ。全く何も分らなくなった安全さ――この頭からばかり弁証法という知力が出て来た。私はヨーロッパを廻って来た人で、おのれが賢明になったと信じる人の頭を疑う。 「欧洲紀行」には幾人かの自殺者の名が出てくるが、そのうちの一人に牧野信一がいる。 横光は門司港を2月22日に出港しているが、牧野の自殺は3月24日。 2歳歳上の作家が39歳で首をくくって死んだのをフランスへと向かう船上で知って、横光は何を思ったことだろう。 その牧野信一についてネットで検索したところ、下記のページに遭遇。 以下、松岡正剛の千夜千冊1056夜・牧野信一「ニューロン・淡雪」の回(https://1000ya.isis.ne.jp/1056.html)より引用。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 哲学と芸術を分岐点に衝突すると、自由が欠ける。そこでやむなく自分を3つに分けた。Aの自分は黄金の吊籠が上下する呑気な芸術家である。Bはストア派の血をうけて聖人の下僕たらんとする者である。Cはピサの斜塔にいて金属球の落下を測るあの科学者の弟子である。 これが牧野信一の『吊籠と月光』の発端だ。こういう三分三身法を思いついた「僕」は嬉しさに雀踊りをしながらインディアン・ガウンを羽織って、この三者の絡みぐあいをこれから見ていこうという小説なのだ。まったくもって奇天烈だ。 劈頭に「マキノ氏像」という彫像が出てきて、これについては自分も始末に思案しているのだが、そのためには馬のゼーロンの勇気を借りなくてはいけないというふうに始まるのが、『ゼーロン』である。これまたとんでもない発想だ。 本書には12篇の作品と随筆が収録されているのだが、どれもがこんなぐあいで、その大半は昭和2年から7年までのわずかな期間に綴られた。実はその前の大正期のものは、もっと変なのだ。 (中略) かつて三島由紀夫は中央公論社の「日本の文学」に内田百閒・稲垣足穂とともに牧野信一を収録して、それまでにまったく顧みられることが少なかった3人の比類のない才能を評価しようとした。 さすがに三島の編集力は冴えていて、たちまち百閒も足穂も浮上して世間を驚かせた。三島はそのあと自害した。ところが牧野信一ばかりは三島をもってしても蘇生させられなかったのである。 北インドの聖地ハリドワルで、新型コロナの時代の幕開けに遭遇し、その地にとどまったまま早1年が過ぎた。疫病がほどほどに蔓延する中、12年に一度の大祭クンブメラが、規模こそだいぶ縮小されたものの、もうじき始まる。1年前の人影の絶えた街の静寂が幻のように、街は活気を取り戻している。 そんな状況に身を置いて、昭和の昔の日本の、まだ敗戦を知らぬ時代の人々の暮らしに思いを馳せながら、読書にいそしむ日々である。 ☆この記事で紹介した本 横光利一『欧洲紀行』 (2006 講談社文芸文庫) https://amzn.to/3stUHuI 横光 利一『機械・春は馬車に乗って』 (1969 新潮文庫) https://amzn.to/3cz0zgZ 牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』 (1990 岩波文庫) https://amzn.to/39iKFVB

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仏教の教えは、人生で出会うあらゆることが「苦」を生むという事実を確認することから始まります。 その上でその「苦」を乗り越えて「涅槃」という絶対的な安らぎの境地を実現する具体的な方法としての「八正道」が説かれます。 この記事では「苦」というものが、「どんなに満ち足りても満足することができない人間の限りない欲望」を原因とすることと、それを解決するためには「今ここをいつも意識する」というマインドフルネスの方法論が有効であることについて、 「予測・満足・制御の不可能性」という観点から説明します。 無常だから苦が生まれる。予測と満足の不可能性について。 自分と言えるものは本当はない。「無我」と「制御の不可能性」 八正道とマインドフルネス。「今ここを意識する」ことからすべては始まる。 今ここに意識をしぼることができれば、予測も満足も制御も、意識的にする必要はなくなる。 無常だから苦が生まれる。予測と満足の不可能性について。 仏教では、この世のすべての現象は「無常」であると説明します。 変化しないものはない、物事はやってきては去っていく、生まれたものはいずれは死ぬときを迎える、ということです。 そして、この「無常」の物事に執着することから「苦」が生まれると考えるのです。 恋人と過ごす時間は甘美で幸せなものですが、それが永遠に続くことはありません。 いずれは関係性は変わらざるをえないのに、いつまでも「今の幸せ」を握りしめて手放そうとしないとすれば、いつの間にかそれは変質して、幸せだった二人の時間が、互いに相手を支配しようとする苦痛の時間になりかねません。 この「無常」ということを別の視点から考えると、「将来を予想できない=予測の不可能性」ととらえることもできます。 今は幸せな恋人との関係が、将来どうなるかが分からないために、不安をいだき、今の状態に執着することにつながるわけです。 そして将来への不安や、関係性の悪化という「苦しみ」は、「現状に満足できない」ということでもあります。 今ある幸せな関係に満足できず、それが壊れたときにも、壊れてしまったという事実を受け入れることができないとき、そこには不満が生まれ、苦しみが生まれます。 「苦」という言葉の意味は、「この世では完全な満足は得られない」ということなのです。 自分と言えるものは本当はない。「無我」と「制御の不可能性」 「無常・苦・無我」の三番めの無我は、「これこそが自分と言えるものは本当はない」ということを意味します。 このことの一つの考え方として、「自分といえるものがあるなら、それを制御(コントロール)できるはずだ、だけれど本当に制御できているだろうか」という問いかけがあります。 仏教では生老病死を「苦」の代表として考えますが、あなたは生まれるかどうかを自分で決めて生まれてきたでしょうか。 老いることが嫌だからといって、老いないことにできるでしょうか。 病気になるかならないかを自分で決められますか。 そしていつか死ぬことは避けられません。 自分の行動は自分で決めている、とあなたは言うかもしれません。 けれども、それだって本当でしょうか。 あなたは怒りたいから怒るのですか。周りの状況に反応して怒っているだけではないですか。怒ってしまったときに、怒るのをやめることができますか。 喜びや悲しみなどの感情も同じことです。自分でコントロールできないのに、その感情は自分のものだと本当に言えるでしょうか。 ここで「自分が本当はない」という考えに納得がいくかどうかは、一旦置くことにしますが、「無我」という考えが「制御(コントロール)の不可能性」と大きく関連していることは理解していただけたことと思います。 さてそれでは「予測・満足・制御」が十分にはできない人生を幸せに生きるためには一体どうしたらいいのでしょう。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ☆ここでちょっと一休み、<スポンサード・リンク>です。 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ 八正道とマインドフルネス。「今ここを意識する」ことからすべては始まる。 仏教では「苦から逃れ、幸せに生きるためには八正道を実践すればいい」と考えます。 八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つです。 正見、正思惟は、正しい見解と正しい考え方のことで、この二つを合わせて、智慧とします。 正語、正業、正命は、正しい言葉、正しい行ない、正しい生計の立て方のことで、この三つを、倫理とします。 最後に、正精進、正念、正定は、正しい努力、正しい注意力、正しい集中力のことで、これが瞑想を意味します。 以上のように八つの道が、智慧(慧え)・倫理(戒かい)・瞑想(定じょう)の三つに分類されます(戒定慧の順番で呼びます)。 この八つの道がそれぞれに支えあって、幸せな人生が実現していくのですが、このうちの一番大切なものといってよいのが、瞑想(定)に分類される正念(しょうねん)、正しい注意力で、これがマインドフルネスのことです。 今ここで起こっていることを価値判断を加えずに観察すること、それがマインドフルネスであり、呼吸に注意を向けることがその第一歩になります。 今ここに意識をしぼることができれば、予測も満足も制御も、意識的にする必要はなくなる。 予測できない、満足できない、制御できない。 人生における困難や不幸はすべてこうした状況で起こります。 そして、こうした困難な状況を乗り越えるための基礎的な力として、マインドフルネスは役立ちます。

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としべえ2.0β

北インド・ハリドワル辺りに出没中。

物好きな物書き

宇宙のど真ん中