*魂の次元*

せっかく生まれてきたんだから、自由に楽しく生きようじゃないですか。

拝啓シロクマ先生、ブロガーの大人の事情と私小説の関係について考えてみました

この記事の内容のいい加減な要約:
「ブログに文章を書く」ことをはじめとするすべての表現は、貨幣との交換が可能となった時点で、私小説的な「恥をひさぐ」行為となりかねない。
恥をひさいで悪い理由もないが、貨幣との交換を前提としながら「恥をひさがない」表現の可能性を模索するのも一興である。

シロクマさんは、はてな村の精神科のお医者さんだそうです。

シロクマさんのこちらの記事を見て思ったことなどを、今日はつづってみます。

大の大人がブログを書き続けているんだぞ!わかっているのか! - シロクマの屑籠

  • シロクマさんの話の適当な要約
  • plagmaticjamさんの「ブログだけじゃなくインターネット自体に意味がない」論について
    • まずはその無効性から
    • 次にその議論の有意性とその優位性の超越
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ソウル・フラワー・ユニオン、神戸、福島。そして明日も平和な世界でありますように

ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕(ゆうべ)」は、ぼくにとって思い出深い歌です。

神戸の震災をモチーフに、やるせない思いを力強く歌い上げるその歌を、ぼくは友だちの弾き語りで知りました。

星が降る
満月が笑う
焼け跡を包むようにおどす風

解き放て
すべてを笑え
満月の夕(ゆうべ)

ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」

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夏目漱石・三島由紀夫・筒井康隆から庵野秀明に至る実存問題の厨ニ病的軌跡という大げさな題名をつけてみました

  • この記事で言いたかったこと:

ぼくたちの人生は「矛盾した欲求」という名のダブルマインドに満ちている。
この不可思議な人生を楽しく乗り切るために、ブレーキを踏みながら、アクセルを踏み込むという曲芸を身につけるのも一興である。

みなさん、おはこんばんわの、あけましておめでとうございます。

今日は、wattoさんの
漱石、三島、筒井三部作/四部作の最終作に宗教臭が強いという共通点は「これは虚構だ」と示すため?(その1) - しいたげられたしいたけ
という少し前の記事の中の、

我々が存在に対して感じる「生きるのも嫌、死ぬのも嫌」というような不安は、根源的には我々の存在のしかた自体に起因するもの、あたかも人類が二足歩行するに伴って生じた肩こりや腰痛のような職業病ならぬ存在病ではないか

という指摘が、心に響きましたので、気の向くままに想いを巡らせてみようと思います。

「ぼくらの厨ニ病は、どこから来て、どこに行くのか」みたいな話になるかもしれません。

  • 漱石、三島、筒井
  • 厨ニ病とは、「ダブルバインドとしての実存」である
  • 厨ニ病者の聖典としてのエヴァンゲリオン
  • 無限ループにインタラプトをかける、瞑想という技術
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インド・ハリドワル、聖地にて年の瀬を過ごす

インドのハリドワルという聖地に来ています。
たくさんの人が巡礼に訪れる有名な街ですが、外国の人はほとんどいません。

ガンジス川沿いの巡礼宿に泊まっており、毎夕七、八人のお坊さんが、ガンガーの神に祈りを捧げるのに立ち会うと心もすがすがしくなり、新たな英気が湧いてきます。

年の暮れに、そうやってのんびりと過ごせる幸せを噛みしめています。
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[写真は宿のベランダから臨むガンガー]

人間の「業」は深くて重い。でもまー、ちょっとずつ落としていけばいいんじゃない?

みなさん、こんにちわ。

今日は、カメキチさんのこちらの記事、
2017.12.13 業 - kame710のブログ
を読んで、「業」というものについて考えたことを書きます。

  • 重さの違いはあっても、「業」は誰もが背負うもの、かな。
  • カルマを落とす人生哲学としての仏教
  • 話は簡単、けど、実践は難しい。それが人生でしょうか。
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早稲田発、香港経由、宇宙の果ての特異点への道行き、あるいはつれづれなる脱線気味・思考列車の車窓より

ネット上のみなさま、宇宙の果てよりこんにちわ。

この記事は、散漫な散歩道とでもいうべき、なんとなくの目印だけを頼りに、言葉のそぞろ歩きをつづったものです。

お時間のある方は、お付き合いください。

  • ある大学生の日常、そして、出発点は早稲田。
  • 動物の森、ゲーム機、まだ見ぬ香港。
  • そして人間の心という無限の世界へ
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